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高橋 有紀子
Yukiko Takahashi
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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生年月日 |
(1967-11-12) 1967年11月12日(51歳) |
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出身地 |
長野県須坂市 |
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ラテン文字 |
Yukiko Takahashi |
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身長 |
168cm |
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体重 |
55kg |
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選手情報 |
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愛称 |
ユッコ |
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ポジション |
S |
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利き手 |
右 |
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スパイク |
315cm |
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ブロック |
307cm |
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高橋 有紀子(たかはし ゆきこ、現姓:鬼頭、女性、1967年11月12日 - )は、日本の元バレーボール選手、ビーチバレー選手、バレーボール指導者である。長野県須坂市出身。ニックネームはユッコ。ケイブロス所属。
来歴・人物[編集]
中学時代はエースアタッカーとして全国大会で優勝。八王子実践高校ではセッターに転向し、同級生の大林素子らと春高バレー準優勝、国体優勝を経験した。
1986年、日立に入社。ルーキーイヤ-の第20回日本リーグでは、レギュラーセッターの中田久美の故障によりレギュラーに抜擢され、前人未踏のリーグ6連覇に大きく貢献し[1]、自らもベスト6賞・新人賞の2冠に輝いた。1988年にソウル五輪に出場している。
1989年日立を退社し、富士通長野を経て1990年小田急に入社。1992年バルセロナ五輪に出場後、ビーチバレーに転向した。
初めてビーチバレーが五輪種目に採用された1996年アトランタ五輪では日立・小田急の同期だった藤田幸子とペアを組み5位に入賞した。藤田の引退後は、佐伯美香とペアを組み2000年シドニー五輪では4位に入賞した。
オリンピックにインドアで2回、ビーチバレーで2回の4大会連続出場し、全てにおいて入賞を果たした唯一の日本人女子バレーボール選手である。また、日本の女子選手として夏季オリンピックに4大会連続して出場したのは高橋が最初である。
現在でも選手として大会に参加する一方で、テレビ中継等の解説業も行っている。2008年の北京五輪でもビーチバレー競技の解説を務めた。
2009年から4年間、ビーチバレー女子ジュニア監督を務め、アジアツアーU-21選手権で史上初となる銀メダル獲得に導いた[2]。
球歴・受賞歴[編集]
- 墨坂中→八王子実践高等学校→日立(1986-1989年)→富士通長野(1989-1990年)→小田急ジュノー(1990-1992年)→ビーチバレー(1993年-)
- 全日本代表 - 1987-1988年、1991-1992年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- 受賞歴
- 1986年 - 第20回日本リーグ 新人賞、ベスト6
エピソード[編集]
- 既にビーチバレーに転向していた1995年、第1回Vリーグで入替戦回避に向けて必死の戦いを続けていた小田急ジュノーの選手として試合に出場し、一時的にインドアに復帰していた事がある(高橋の復帰はこのリーグ限り)。出場機会はピンチサーブ等、決して多くは無かったが、最終的にチームは入替戦を回避した(6位)。
関連項目[編集]
- 大林素子 - 八王子実践・日立の同期
- 浅尾美和 - 彼女のデビュー時にペアを組んでいた。
外部リンク[編集]
プレミアリーグ新人賞 |
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日本リーグ |
| Vリーグ |
| プレミアリーグ |
| V.LEAGUE Division1 |
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黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会女子ベスト6 |
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1985年 | | 1986年 | | 1987年 | | 1988年 | | 1989年 | | 1990年 | | 1991年 | | 1992年 | | 1993年 | | 1994年 | | 1995年 | | 1996年 | | 1997年 | | 1998年 | | 1999年 | | 2000年 | | 2001年 | | 2002年 | | 2003年 | | 2004年 | | 2005年 | | 2006年 | | 2007年 | | 2008年 | | 2009年 | | 2010年 | | 2011年 | | 2012年 | | 2013年 | | 2014年 | | 2015年 | | 2016年 | | 2017年 | | 2018年 | |
★は黒鷲賞、☆は敢闘賞 |
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