西広島駅
西広島駅[* 1] | |
---|---|
駅舎(2022年12月) | |
にしひろしま Nishi-Hiroshima | |
◄JR-R03 横川 (2.5 km) (4.2 km) 新井口 JR-R05► | |
下は広電西広島駅 | |
所在地 | 広島市西区己斐本町一丁目11-1 |
駅番号 | JR-R04 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■山陽本線 |
キロ程 | 310.7 km(神戸起点) |
電報略号 |
ニヒ コイ(己斐駅時代) |
駅構造 | 地上駅(橋上駅)[1] |
ホーム | 2面3線[2] |
乗車人員 -統計年度- |
7,587人/日(降車客含まず) -2021年- |
開業年月日 | 1897年(明治30年)9月25日[3] |
乗換 |
広電西広島駅 (広島電鉄本線・宮島線) |
備考 |
業務委託駅 みどりの券売機プラス設置駅 広島市内駅 |
西広島駅(にしひろしまえき)は、広島県広島市西区己斐本町一丁目にある西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅である。駅番号はJR-R04。
歴史
[編集]- 1897年(明治30年)9月25日:山陽鉄道広島駅 - 徳山駅間延伸時に己斐駅(こいえき)として開設[3]。旅客・貨物取扱開始[3]。
- 1906年(明治39年)12月1日:山陽鉄道国有化[3]、逓信省の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定、山陽本線所属となる。
- 1945年(昭和20年)8月6日:広島市への原爆投下に伴い被爆。翌7日には山口彊等を乗せた長崎行避難列車が出る[4]。
- 1969年(昭和44年)10月1日:西広島駅(にしひろしまえき)に改称[3]。
- 1972年(昭和47年)9月1日:国鉄(→JR)特定都区市内制度導入に伴い、「広島市内」の駅となる[5]。
- 1973年(昭和48年)10月:みどりの窓口営業開始[6]。
- 1984年(昭和59年)1月1日:車扱貨物取扱廃止[3]。駅北側(3番線外側)に、有蓋車用貨物ホームがあった。
- 1986年(昭和61年)4月1日:荷物扱い廃止[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[3]。
- 1995年(平成7年)12月3日:西口の駅業務を委託。
- 2007年(平成19年)
- 2009年(平成21年)4月11日:ズッコケ三人組の像が設置される。
- 2011年(平成23年)4月1日:西口の駅業務をJR西日本の再度直営とする。
- 2012年(平成24年):西口のみ、みどりの窓口営業時間中の一部時間帯で窓口閉鎖を開始。
- 2016年(平成28年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)11月20日:新駅舎完成[17]。
なお、戦前の高速鉄道敷設計画である通称「弾丸列車」計画では当駅を「新広島駅」として新設する予定であったが、実現することは無かった。
-
1945年米軍作成の広島市地図。"Koi Station"表記。
駅構造
[編集]単式・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅[2]。橋上駅でホーム上を自由通路が通る。改札口は1ヶ所[18]。
ICOCA利用可能駅(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)である。また、JR特定都区市内制度における「広島市内」の駅である。駅スタンプも設置されている[18]。
業務委託駅(JR西日本中国交通サービス受託)で、みどりの券売機プラスが設置されている。以前は管理駅[19]であった。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1・2 | 山陽本線 | 下り | 宮島口・岩国方面[20] | 2番のりばは一部列車のみ[注釈 2] |
2・3 | 上り | 広島・三原方面[20] | 2番のりばは一部列車のみ[注釈 3] |
- 下り本線は1番のりば、上り本線は3番のりば。上下共用の待避線(中線)が2番のりば。
駅構内設備
[編集]- みどりの券売機プラス
- みどりの券売機
- セブンイレブンハートイン
- むすびのむさし
- 自動券売機
- 自動改札機
利用状況
[編集]以下の情報は、広島市統計書及び広島市勢要覧に基づいたデータである。なお、当駅 - 横川駅間は最混雑区間である。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
1日平均 降車人員 |
---|---|---|
1947年(昭和22年) | 3,473 | - |
1948年(昭和23年) | 3,525 | - |
1949年(昭和24年) | 2,819 | - |
1950年(昭和25年) | 2,527 | - |
1951年(昭和26年) | 2,357 | 2,415 |
年度 | 1日平均 乗車人員 |
年度毎 乗客数 |
年度毎 降車数 |
年度毎 発送貨物(t) |
年度毎 到着貨物(t) |
---|---|---|---|---|---|
1952年(昭和27年) | 2,314.6 | 844,815 | - | - | - |
1953年(昭和28年) | 2,217.5 | 809,383 | - | - | - |
1954年(昭和29年) | 2,195.5 | 801,366 | - | - | - |
1955年(昭和30年) | 2,201.9 | 805,884 | - | - | - |
1956年(昭和31年) | 2,411.0 | 880,021 | - | - | - |
1957年(昭和32年) | 2,450.9 | 894,566 | - | 69,110 | 157,912 |
1958年(昭和33年) | 2,516.2 | 918,414 | 922,979 | 66,275 | 156,218 |
1959年(昭和34年) | 2,549.8 | 933,216 | 930,804 | 66,229 | 159,593 |
1960年(昭和35年) | 2,618.8 | 955,850 | 1,000,397 | 61,891 | 165,060 |
1961年(昭和36年) | 2,658.8 | 970,463 | 1,001,264 | 67,039 | 169,689 |
1962年(昭和37年) | 2,582.7 | 942,680 | 983,251 | 62,898 | 166,224 |
以上の1日平均乗車人員は年度毎乗客数を365(閏年が関係する1955・1959年は366)で割った値を、小数点第2位で四捨五入。小数点一位の値にしたものである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
年度毎 総数 |
定期券 総数 |
普通券 総数 |
年度毎 発送貨物(t) |
年度毎 到着貨物(t) |
---|---|---|---|---|---|---|
1963年(昭和38年) | 2,667.9 | 1,952,919 | 1,419,574 | 533,345 | - | - |
1964年(昭和39年) | 2,730.4 | 1,993,228 | 1,442,348 | 550,880 | 52,444 | 158,719 |
1965年(昭和40年) | 3,000.5 | 2,190,372 | 1,561,138 | 629,234 | 39,277 | 148,908 |
1966年(昭和41年) | 2,962.4 | 2,162,565 | 1,545,138 | 617,427 | 35,273 | 130,067 |
1967年(昭和42年) | 3,166.9 | 2,318,138 | 1,661,680 | 656,458 | 43,508 | 130,716 |
1968年(昭和43年) | 3,147.1 | 2,297,398 | 1,565,800 | 731,598 | - | - |
1969年(昭和44年) | 3,092.4 | 2,257,429 | 1,538,372 | 719,057 | - | - |
1970年(昭和45年) | 3,294.9 | 2,405,277 | 1,575,794 | 829,483 | - | - |
1971年(昭和46年) | 3,693.8 | 2,703,860 | 1,723,014 | 980,846 | - | - |
1972年(昭和47年) | 3,988.3 | 2,911,423 | 1,712,050 | 1,199,373 | - | - |
1973年(昭和48年) | 4,354.2 | 3,178,594 | 1,734,230 | 1,444,364 | - | - |
1974年(昭和49年) | 4,690.3 | 3,423,947 | 1,919,320 | 1,504,627 | - | - |
1975年(昭和50年) | 5,300.8 | 3,880,222 | 2,157,672 | 1,722,550 | - | - |
1976年(昭和51年) | 5,910.1 | 4,314,341 | 2,445,858 | 1,868,483 | - | - |
1977年(昭和52年) | 6,043.9 | 4,412,024 | 2,491,094 | 1,920,930 | - | - |
1978年(昭和53年) | 6,530.6 | 4,767,357 | 2,869,614 | 1,897,743 | - | - |
以上の1日平均乗車人員は乗車数と降車数が同じであると仮定し、年度毎総数を365(閏年が関係する1963・1967・1971・1975年は366)で割った後で、さらに2で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1979年(昭和54年) | 6,855 |
1980年(昭和55年) | 7,063 |
1981年(昭和56年) | 6,938 |
1982年(昭和57年) | 6,847 |
1983年(昭和58年) | 7,089 |
1984年(昭和59年) | 7,835 |
1985年(昭和60年) | 6,800 |
1986年(昭和61年) | 6,981 |
1987年(昭和62年) | 9,137 |
1988年(昭和63年) | 10,530 |
1989年(平成 元年) | 9,401 |
1990年(平成 2年) | 9,909 |
1991年(平成 3年) | 10,288 |
1992年(平成 4年) | 10,621 |
1993年(平成 5年) | 10,696 |
1994年(平成 6年) | 10,499 |
1995年(平成 7年) | 10,490 |
1996年(平成 8年) | 10,431 |
1997年(平成 9年) | 10,114 |
1998年(平成10年) | 9,934 |
1999年(平成11年) | 9,859 |
2000年(平成12年) | 9,837 |
2001年(平成13年) | 9,684 |
2002年(平成14年) | 9,649 |
2003年(平成15年) | 9,424 |
2004年(平成16年) | 9,304 |
2005年(平成17年) | 9,326 |
2006年(平成18年) | 9,205 |
2007年(平成19年) | 9,311 |
2008年(平成20年) | 9,367 |
2009年(平成21年) | 9,193 |
2010年(平成22年) | 9,159 |
2011年(平成23年) | 9,114 |
2012年(平成24年) | 9,100 |
2013年(平成25年) | 9,212 |
2014年(平成26年) | 8,930 |
2015年(平成27年) | 9,232 |
2016年(平成28年) | 9,353 |
2017年(平成29年) | 9,389 |
2018年(平成30年) | 9,326 |
2019年(令和 元年) | 9,339 |
2020年(令和 2年) | 7,761 |
2021年(令和 3年) | 7,587 |
- 乗車数グラフ
駅周辺
[編集]- 広島市西区役所
- 広島工業大学専門学校
- ノートルダム清心中学校・高等学校
- 広島学院中学校・高等学校:当駅発バスで10分を要する。
- フレスタ 己斐上店
バス路線
[編集]広電バスの市内線とボン・バスは駅前ロータリーに発着する。広電バスの郊外線(西広島バイパス線)とボン・バスの高須台線は宮島街道上の乗り場に発着する。広島バスは下りは宮島街道のりばにしか停車せず、上りは両方ののりばに停車する。
JR西広島駅 駅前ロータリー 西広島駅(己斐) 己斐(西広島) | |||
---|---|---|---|
のりば | 運行事業者 | 系統:行先 | 備考 |
1 | 広電バス [21] |
10号線(急行):中電前・市役所前・大学病院・旭町 | 平日朝のみ運行 |
広島バス [22] |
25号線(草津線):平和記念公園・広島駅 25号線(急行):中電前・市役所前 |
急行は平日朝のみ運行 | |
ボン・バス [23] |
11号線(広電己斐団地線・大迫団地線):紙屋町・八丁堀 14号線(共立ハイツ線・高須台経由):紙屋町・八丁堀 17号線(五月が丘・ジアウトレット線):紙屋町・八丁堀 |
||
2 | ボン・バス | 11号線(広電己斐団地線 フジハイツ・イトーピア線):広電己斐団地・イトーピア・フジハイツ方面 17号線(五月が丘・ジアウトレット線):ジアウトレット広島・免許センター・五月が丘方面 |
|
3 | ボン・バス | 11-1,11-2号線(大迫団地線):大迫団地方面 11-19号線(共立ハイツ線・明山台経由):明山台・共立ハイツ・もみじが丘方面 14号線(共立ハイツ線・高須台経由):学院東門・高須台・もみじが丘・共立ハイツ方面 |
|
己斐(広電西広島駅入口) 宮島街道 広電西広島駅向かい 西行 下り | |||
4 | 広電バス | 52号線(西広島バイパス線):山田団地・美鈴が丘 53号線(西広島バイパス線):井口台パークタウン |
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広島バス | 25号線(草津線):庚午・アルパーク・井口車庫 | ||
ボン・バス | 14号線(共立ハイツ線・高須台経由):学院東門・高須台・もみじが丘・共立ハイツ方面 | ||
己斐(広電西広島駅入口) 宮島街道 広電西広島駅側 東行 上り | |||
5 | 広電バス | 52,53号線(西広島バイパス線):広島バスセンター方面 | |
広島バス | 25号線(草津線):平和記念公園・広島駅 | ||
ボン・バス | 14号線(共立ハイツ線・高須台経由):紙屋町・八丁堀 |
ズッコケ3人組との関係
[編集]児童文学シリーズ『ズッコケ三人組』の原作者の那須正幹氏は己斐出身。同作は駅周辺を舞台とし、特に当駅は作中に登場する「花山駅」のモデルであるとされている。その縁で2009年(平成21年)4月には主人公であるズッコケ3人組像が駅前に設置され、除幕式に那須氏も出席した。ズッコケ3人組像は駅改良工事に伴い、現在は北口に移設されている。
隣の駅
[編集]- 新井口駅との間にJR古江駅(仮称)を建設する構想がある[24]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『西広島駅自由通路・橋上駅舎及び店舗の開業について』(PDF)(プレスリリース)西日本旅客鉄道、2021年11月19日。オリジナルの2022年11月12日時点におけるアーカイブ 。2022年11月12日閲覧。
- ^ a b 『週刊 JR全駅・全車両基地』 19号 広島駅・宮島口駅・可部駅ほか79駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年12月16日、18頁。
- ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、228頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 『二重被爆』稲塚秀孝、合同出版 ISBN 978-4-7726-1086-5
- ^ 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1972年10月号、巻頭「今月のお知らせ」、p.438「運賃の計算」。
- ^ 『国鉄修 交通公社の時刻表』1973年11月号、巻頭「今月のお知らせ」
- ^ 営業所, ジェイアール西日本広島メンテック, オリジナルの2015-11-20時点におけるアーカイブ。
- ^ 営業所, ジェイアール西日本広島メンテック, オリジナルの2016-04-08時点におけるアーカイブ。
- ^ 営業所, ジェイアール西日本広島メンテック, オリジナルの2016-10-25時点におけるアーカイブ。
- ^ 営業所一覧, JR西日本広島メンテック, オリジナルの2019年4月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “西広島駅整備 安全を祈願”. 中国新聞 (中国新聞社): p. 25(広島都市圏). (2020年2月1日)
- ^ 『西広島駅南口仮駅舎のオープンについて』(PDF)(プレスリリース)西日本旅客鉄道、2020年3月6日。オリジナルの2020年12月26日時点におけるアーカイブ 。2020年12月26日閲覧。
- ^ “西広島に仮駅舎 あすから2年間 コンビニ移転”. 中国新聞 (中国新聞社): p. 23(広島都市圏). (2020年3月28日)
- ^ “事業所・営業所”. JR西日本広島メンテック. 2020年10月14日閲覧。
- ^ a b “西広島駅|駅情報:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2021年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月26日閲覧。
- ^ 西広島駅自由通路等の整備について - 広島市
- ^ 『西広島駅自由通路及び橋上駅舎の完成について』(PDF)(プレスリリース)西日本旅客鉄道、2022年10月28日。オリジナルの2022年10月28日時点におけるアーカイブ 。2022年11月12日閲覧。
- ^ a b “西広島駅|構内図:JRおでかけネット”. www.jr-odekake.net. 2022年11月13日閲覧。
- ^ 「JR桜だより」の掲出について~JRでお花見にいこう~, 西日本旅客鉄道 広島支社), (2016-03-04) 2021年11月28日閲覧。
- ^ a b “西広島駅|構内図:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2023年3月25日閲覧。
- ^ 西広島駅 のりば案内 広島電鉄
- ^ 路線名から調べる 広島バス
- ^ Bon-Bus ボン・バス エイチ・ディー西広島
- ^ JR、広島圏に3つの新駅構想, 中国新聞, (2006-01-04), オリジナルの2006-01-10時点におけるアーカイブ。
参考書籍
[編集]- 各 広島市統計書
- 各 広島市勢要覧
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 西広島駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道