第2次池田内閣 (第1次改造)
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(第2次池田第1次改造内閣から転送)
第2次池田第1次改造内閣 | |
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内閣総理大臣 | 第59代 池田勇人 |
成立年月日 | 1961年(昭和36年)7月18日 |
終了年月日 | 1962年(昭和37年)7月18日 |
与党・支持基盤 | 自由民主党 |
施行した選挙 | 第6回参議院議員通常選挙 |
内閣閣僚名簿(首相官邸) |
第2次池田第1次改造内閣(だいにじいけだだいいちじかいぞうないかく)は、池田勇人が第59代内閣総理大臣に任命され、1961年(昭和36年)7月18日から1962年(昭和37年)7月18日まで続いた日本の内閣。 前の第2次池田内閣の改造内閣である。
それまで野にあった佐藤栄作、河野一郎といったライバルを筆頭に、三木武夫、川島正次郎、藤山愛一郎といった派閥領袖をいずれも閣内に取り込み、「実力者内閣」と評された。同時に行われた党役員人事でも、党人の実力者であった大野伴睦を副総裁に起用する一方、池田の昵懇である前尾繁三郎を幹事長に配し、党・政府一体として政権基盤の安定を図った。
閣僚
[編集]- 内閣総理大臣 - 池田勇人(池田派)
- 法務大臣 - 植木庚子郎(佐藤派)
- 外務大臣 - 小坂善太郎(池田派)
- 大蔵大臣 - 水田三喜男(大野派)
- 文部大臣 - 荒木万寿夫(池田派)
- 厚生大臣 - 灘尾弘吉(石井派)
- 農林大臣 - 河野一郎(河野派)
- 通商産業大臣 - 佐藤栄作(佐藤派)
- 運輸大臣 - 齋藤昇(参議院議員)
- 郵政大臣 - 迫水久常(参議院議員)
- 労働大臣 - 福永健司(池田派)
- 建設大臣、首都圏整備委員会委員長 - 中村梅吉(河野派)
- 自治大臣、国家公安委員会委員長 - 安井謙(参議院議員)
- 第20回オリンピック東京大会担当国務大臣 - 川島正次郎(旧岸派、川島派)[1] 1962年(昭和37年)7月1日-
- 行政管理庁長官、北海道開発庁長官 - 川島正次郎(旧岸派、川島派)
- 防衛庁長官 - 藤枝泉介(川島派)
- 経済企画庁長官 - 藤山愛一郎(藤山派):-1962年(昭和37年)7月5日/池田勇人(事務取扱):1962年(昭和37年)7月6日-
- 科学技術庁長官 - 三木武夫(三木・松村派)
- 内閣官房長官 - 大平正芳(池田派)
- 総理府総務長官 - 小平久雄(池田派)
政務次官
[編集]- 法務政務次官 - 尾関義一
- 外務政務次官 - 川村善八郎
- 大蔵政務次官 - 天野公義、堀本宜実(参)
- 文部政務次官 - 長谷川峻
- 厚生政務次官 - 森田重次郎
- 農林政務次官 - 中馬辰猪、中野文門(参)
- 通商産業政務次官 - 森清、大川光三(参)
- 運輸政務次官 - 有馬英治
- 郵政政務次官 - 大高康
- 労働政務次官 - 加藤武徳(参)
- 建設政務次官 - 山口六郎次
- 自治政務次官 - 大上司
- 行政管理政務次官 - 岡崎英城
- 北海道開発政務次官 - 田中正巳
- 防衛政務次官 - 笹本一雄
- 経済企画政務次官 - 菅太郎
- 科学技術政務次官 - 山本利寿(参)
脚注
[編集]- ^ "第2章 2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて" (HTML). 平成27年版 障害者白書(全体版). 内閣府. 2019年11月24日閲覧。