碁石茶

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碁石茶(ごいしちゃ)は、高知県長岡郡大豊町で生産されている、ほぼ黒色で四角形状の発酵茶である。 その製造の仕上げ段階において、天日干しするために並べている様子が黒い碁石を並べているように 見えることからこの名がついたと言われている。[1]

なお、碁石茶は大豊町碁石茶協同組合の登録商標(登録番号第5557129号、第5600916号)である。


特徴[編集]

ほとんどの日本茶が発酵を行わない緑茶であるのに対して、碁石茶は黒茶ないしは後発酵茶の部類に属する。以前は苦みのあるネヅキエン、甘みのあるツバキエンといった焼畑農業による山焼きの後に自生する山茶を使っていたが、今日ではやぶきた種も使用する。

碁石茶はその特異性から民俗学者農学者研究対象として多く取り上げられ、幻の茶といわれる[2]割には研究資料は多い。

製法[編集]

工程 解説
栽培 日当たりの良い山地で茶樹を栽培する。
茶摘み 7月中旬ごろ茶摘みを行う。若葉に限らずほとんどの葉を摘み取る。
蒸し 蒸し桶に茶葉を詰め、1~2時間ほど蒸す。出た茶汁は二次発酵用に保存する。
カビ付け 室内の筵(むしろ)の上に茶葉を広げ、その上に筵をかけて約7~10日間、カビ付けする。好気性の一次発酵。
漬け込み 杉材の桶に蒸した時に出た茶汁を加え重石を乗せて漬け、10~20日間嫌気的な乳酸発酵をさせる。
裁断 濡れ紙を重ねたような茶葉を2.5~4cm四方に裁断する。この工程により碁石状の形状となる。
乾燥 裁断した茶葉を天日乾燥する。幾重にも重なり乾燥しにくいが、カビを生じないよう細心の注意を要する。
包装 以前は俵に詰めて出荷していた。昭和30年代からダンボール、今日では協同組合の統一パッケージに箱詰め。
  • 蒸しに使う道具は製茶専用とは限らず、和紙の原料である三椏の蒸しを兼用する[3]。茶蒸しはの、楮蒸しはの仕事である。
  • 古式の製法では乾燥の後、角を落として丸みを持たせて、より碁石に近い形状であった。更に3年から上級品は5年寝かせて販売した[4]

生産と消費[編集]

  • 碁石茶がいつごろから作られているかははっきりしないが、武藤致和(1741年-1813年)の南路志文政年間に成立)の記述から18世紀には作られていたことが確かである[5]
  • 明治初期 - 中期、茶の輸出ブームで生産量は最大となる。
  • 明治末には2万(75 t)の生産量があった。このころには長岡郡の山間部の村々で生産が盛んであった[6]
  • 太平洋戦争後になると生産地域は旧西豊永村の西久保、東梶ケ内、桃原、東豊永村八川、筏木などだけになった。いずれもJR四国豊永駅の近郷である。
  • 1966年昭和41年)には13軒1.3 tに減少し、1975年(昭和50年)ごろには生産農家は1軒だけになっていたが、その後何軒かの農家が生産を再開した[6]
  • 地元で飲まれることはほとんど無く、瀬戸内地方に出荷され、茶粥用に、また茶漁網防食に用いられていた。
  • メコン川流域や瀬戸内など井戸水海水が混じるような地域では発酵茶が好まれている[7]
  • 近年は幻のお茶として注目され、地域の特産品としての消費が多くなってきている。

黒茶の製法の違い[編集]

日本国内で生産される黒茶には、他に徳島県阿波番茶愛媛県石鎚黒茶岡山県の玄徳茶、富山県ばたばた茶などがある。 産地によって製造工程は微妙な差がある。

  • 高知県の碁石茶  1.茶摘み 2.蒸し 3.カビ付け 4.漬け込み 5.裁断 6.乾燥
  • 愛媛県の石鎚黒茶 1.茶摘み 2.蒸し 3.カビ付け 4.揉み 5.漬け込み 6.乾燥
  • 徳島県の阿波番茶 1.茶摘み 2.茹で 3.揉み 4.漬け込み 5.乾燥
  • 上記の通り、碁石茶は裁断の工程が入り、石鎚黒茶は漬け込み前に揉みの工程が入り、阿波番茶はカビ付けを行わない。
  • 普洱茶は製法によって「熟茶」と、経年により熟成させた「生茶」に大別される。当該項目参照。

伝来[編集]

  • 碁石茶など日本の黒茶の製法がどこから伝わったか、あるいは日本独自の物か、平家の落人説や弘法大師説などがあるが、それらに根拠は無い。大豊町史は、橋本実氏や松下智氏の意見として、日本民族の起源に遡るであろうとしている[9]
  • 守屋毅は、他の日本茶の製法とは大きく異なった黒茶の製法はミャンマーやタイの北部、雲南省での作り方のとの類似性は、黒茶の製法は今日一般に行われている製茶法より古い態様を示しているだろうと述べている[10]
  • コンスタンチン ヴァポリスによれば土佐藩参勤交代路が北山越え(現在の愛媛県道・高知県道5号川之江大豊線に相当)になり讃岐国を通ることになったため、碁石茶を知った讃岐国三豊郡仁尾村(現香川県三豊市仁尾)の商人が販売権を買ったとしている[11]。近世中期には18人の仁尾商人が碁石茶を扱うようになった。[12]
  • 大石貞男による孫引きであるが昭和4年の田辺貢の調査によれば、讃岐国仁尾の今津屋という商人が大豊町の豊永郷に来て代金前払いで庄屋請けで生産を始めたとする[4]
  • 松下智は茶の日本への伝来ルートをミャンマー・タイ北部、雲南省から福建省や浙江省から海路日本へ来たルートや朝鮮銭団茶の類推からミャンマー-中国の雲南省、江西省など-朝鮮-日本というルートを考えている[13]
  • 宮川金二郎・難波敦子両氏は世界の黒茶生産の中心地である、チベット高原に発しサルウィン川(怒江)、メコン川(瀾滄江)、長江(金沙江)の三江が雲南省麗江であたりで三方に別れた流域に広がる地域から朱印船貿易時代あるいは倭寇の時代に船乗りによって瀬戸内・四国山地に伝えられたという説を挙げているく[7]
  • 呂宋助左衛門がメコン流域からルソンの茶壷を、千利休が日常雑器に過ぎない朝鮮陶器を高麗茶碗として輸入していた時代でもある。
  • 岡山の玄徳茶は岡山県美作市の吉岡氏が高知県大豊町の小笠原氏から製法を伝授され平成9年に生産を始めたという[14]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://www.shokusan.or.jp/honbamon/product/07-otoyo-goishicha/index.html 一般財団法人食品産業センター 本場の本物: 大豊の碁石茶
  2. ^ 日本茶業中央会 2014, p. 95.
  3. ^ 大石貞男 2004, p. 49.
  4. ^ a b 大石貞男 2004, p. 47.
  5. ^ 秋沢繁 1992, p. 24.
  6. ^ a b 大豊町史編纂委員会 1978, p. 233.
  7. ^ a b 宮川金二郎 & 難波敦子 2003, pp. 200-203.
  8. ^ 宮川金二郎 & 難波敦子 2003, pp. 20-.
  9. ^ 大豊町史編纂委員会 1974, pp. 679-681.
  10. ^ 守屋毅 1981, p. 237.
  11. ^ Vaporis 2004, pp. 1-29.
  12. ^ Vaporis 2010, p. 377.
  13. ^ 松下智 1979, pp. 238-243.
  14. ^ http://ww9.tiki.ne.jp/~golfya-aida/gentoku/gentoku.htm 玄徳茶のご案内

参考文献[編集]