瑞龍寺 (高岡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
瑞龍寺
瑞龍寺
所在地 富山県高岡市関本町35
位置 北緯36度44分08秒 東経137度00分38秒 / 北緯36.735595度 東経137.010504度 / 36.735595; 137.010504座標: 北緯36度44分08秒 東経137度00分38秒 / 北緯36.735595度 東経137.010504度 / 36.735595; 137.010504
山号 高岡山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 1614年慶長19年)
開山 広山恕陽(こうざんじょよう)
開基 前田利常
文化財 仏殿、法堂、山門(国宝)
総門、僧堂(禅堂)、大茶堂、高廊下、北回廊、南東回廊、南西回廊、紙本墨書後陽成院宸翰御消息(重要文化財)
木造烏蒭沙魔明王立像、紙本墨書近衛信尋筆懐紙、前田家寄進の宝物(富山県指定有形文化財)
石廟(富山県指定史跡)
地図
瑞龍寺 (高岡市)の位置(富山県内)
瑞龍寺 (高岡市)
法人番号 2230005006430
テンプレートを表示

瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、富山県高岡市にある曹洞宗仏教寺院山号は高岡山。本尊は釈迦如来。開基は前田利常、開山は広山恕陽。仏殿法堂山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、1997年平成9年)に国宝に指定[1][2][3]されている。これは富山県下における初の国宝指定であり、2018年(平成30年)現在も富山県唯一の国宝である。

歴史[編集]

加賀藩2代藩主前田利長(1562年 - 1614年)が、織田信長信忠らの追善のため、1594年文禄3年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身である。利長は1605年慶長10年)、44歳で家督を異母弟の利常(1594年 - 1658年)に譲り、自らは隠居した。利長には実子がなかったため、30歳以上年下の異母弟で、当時まだ少年であった利常を養嗣子としたのである。隠居後の利長は金沢から富山に移転するが、富山城の炎上を機に高岡に移り、ここに新たに高岡城を築いた。前述の法円寺は、利長死去の前年である1613年(慶長18年)、高岡に移された。

前田利長は1614年(慶長19年)没し、後を継いだ3代藩主前田利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を瑞龍院と改めた(後、さらに瑞龍寺に改称)。

前田利常は1654年承応3年)から瑞龍院の伽藍の本格的整備に着手した(伽藍整備の開始は、利長の三十三回忌にあたる1646年正保3年)からとする説もある)。建築工事は、加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広(代々「善右衛門」を名乗る)が棟梁となって進められた。山門、仏殿、法堂が一直線に並び、左右に回廊をめぐらして諸堂を対称的に配置する伽藍配置は中国径山万寿寺にならったものといい、伽藍整備が完成したのは利長の五十回忌にあたる1663年寛文3年)頃であった。

瑞龍寺は近世を通じて前田家の手厚い保護を受け、寺領三百石を有する大寺であった。1746年延享3年)の火災で山門を含む伽藍の前半部分が焼失し、山門が再建されたのは、それから約70年後の1820年文政3年)であった。

江戸時代には総門と山門の間の僧堂(禅堂)側に七間浄頭東司トイレ〕)、大庫裏(おおくり)側には浴室があり、七堂伽藍が揃っていたが、明治時代に入り加賀藩の庇護を受けられなくなり困窮し、部材を売るため解体され現在に至っている。

1985年昭和60年)から大規模な修理(昭和・平成の大修理)を総工費約23億円を掛けて行ない、約10年かけて完了し[4]、その後、1997年平成9年)12月3日に国宝に指定されている。これは、新規の国宝建造物指定として1967年(昭和42年)に法隆寺綱封蔵が指定されて以後30年ぶりであった。

2000年(平成12年)より春に3日間、夏と冬は2日間、寺院のライトアップと夜間拝観を行っており[5]、冬は、2011年(平成23年)から毎年2月に「夜の祈りと大福市」として行われている[6][7][8]

昭和・平成の大修理[編集]

大修理以前の瑞龍寺は、禅堂(僧堂)が現在の3/1の規模、大庫裏にいたっては明治時代初期に解体され建物はまったく残ってはいなかった。1985年(昭和60年)から行われた大修理では、まず解体・発掘調査などが行われ、建物(大庫裏)があったことを示す基礎の大石が現在地で見つかったほか、寺院内に大庫裏の建物に使用されていた数多くの木材を確認、また砺波市の寺院に大庫裏の玄関部分が移築保存されていることが確認され、大庫裏があったことが証明された。これにより文化庁は、これまでなかった大庫裏を回廊の付属物扱いとして復元を異例承認し再建。禅堂(僧堂)も元の大きさに戻し、左右対称の本来の伽藍配置に戻った[4]

また現在は失われた、七間浄頭(東司〔トイレ〕)の便槽の跡、浴室の礎石を発掘調査で確認している。これらの2つの建物は将来再建し、七堂伽藍を完全復元する構想があり、すでに設計図が完成しているほか、回廊は昭和・平成の大修理で、七堂伽藍復元を前提とした建築となっている[9]

伽藍[編集]

伽藍の配置
A:総門、B:山門、C:回廊、D:仏殿、E:法堂、F:禅堂、G:鐘楼、H:大庫裏
総門
総門
重要文化財[10]。正保年間に竣工。正面幅三間の薬医門形式。
山門
山門
国宝[3]1645年正保2年)竣工、万治年間に場所を移して建てかえられたが、1746年(延享3年)の火災で焼失後、長らく仮の門が建てられていた。現存する門は1818年文政元年)に上棟、1820年(文政3年)に竣工したものである。高さは約18mで寺院内で最も高い[4]
二重門(2階建てで、上層と下層の境にも軒の出をつくるもの)で、屋根は入母屋造、杮(こけら)葺き。二重門では下層の屋根を上層よりも大きくつくることが多いが、この門では上層と下層の屋根の出があまり変わらない。これは積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐためといわれる。
下層に金剛力士(仁王)像、上層内部には宝冠釈迦如来と十六羅漢像を安置する。
仏殿
仏殿
国宝[1]。棟札により1659年万治2年)の竣工とわかる。
入母屋造、一重裳階(もこし)付きの総造りで、屋根は当初杮(こけら)葺きであったが、現状は総重量約47トンの鉛瓦葺きとする。鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという。内部を土間床とし、天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは禅宗様建築の特色であり、柱、扉、窓などの細部様式も典型的な禅宗様になる。
本尊の釈迦如来と、普賢菩薩文殊菩薩釈迦三尊像のほか、達磨座像、跋駄羅尊者像を安置する。
法堂
法堂
国宝[2]。墨書から1655年明暦元年)の建立とわかる。
総桧造りの入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りで建坪186坪である。手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は左右に細長い土間廊下とする。こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示す。二代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置する。
かつて同寺にあった七間浄頭(東司)に祭られていた烏瑟沙摩明王立像を安置する。
禅堂(僧堂)
僧堂(禅堂)
重要文化財[11]1746年(延享3年)に焼失したが直後に再建された。
大庫裏
大庫裏
重要文化財(北回廊[12]の一部として)。結露を防ぐために天井には漆喰が塗られ曲線になっている。
建物正面の厨子内に韋駄天尊像(木像、高さ約90cm)が安置される。前田家より1655年〜1657年に寄進されたといわれるもの[13]
大茶堂
重要文化財[14]。防火建造物である土蔵造りの手法を用い、外壁を大壁とし、内部は土天井とするなど大変珍しいものである。
賓頭盧尊者像を安置する。
回廊
重要文化財。大伽藍を囲む周囲約300mの回廊で、北回廊[12]、南東回廊[15]、南西回廊[16]からなる。回廊の左右は白壁となっており、規則正しく並んだ柱と格子枠の障子戸が特徴である。

この他、北回廊には鐘楼があり、南西回廊の奥には前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟がある。

文化財[編集]

国宝
重要文化財
  • 総門[10]
  • 僧堂(禅堂)[11]
  • 大茶堂[14]
  • 高廊下[17]
  • 北回廊[12]
  • 南東回廊[15]
  • 南西回廊[16]
  • 紙本墨書後陽成院宸翰御消息
富山県指定有形文化財
  • 木造烏蒭沙魔明王(うすさまみょうおう)立像: 高さ117cm、同寺最古の室町時代以前の制作で、国内最大級の仏像とされ、前田家より寄進されたといわれる。植村花菜による楽曲のヒット以来「トイレの神様」として人気を得ている[18]
  • 紙本墨書近衛信尋筆懐紙
  • 前田家寄進の宝物
富山県指定史跡
  • 石廟

この他、絵画や墨蹟などの文化財を多数有する。

現在は存在しない建物[編集]

伽藍[編集]

七間浄頭(東司〔トイレ〕・浴室)

その他[編集]

韋駄天堂
瑞龍寺創建当時、現在大庫裏内の厨子に安置されている韋駄天像を安置していた建物。富山市郷土博物館の学芸員が、金沢市立玉川図書館所蔵の、瑞龍寺の伽藍建設中の1660年万治3年)7月14日に作成された加賀藩の古文書(報告書の写し)より存在を発見したもので、報告書の写しはほぼ同じ内容のものが2通見つかっている。これによると、1660年(万治3年)6月6日より瑞龍寺建設工事に帯同し高岡に滞在した加賀藩横目役2名が、上司の大横目にそれぞれ宛てた報告書を控えとして写したもので、同年7月13日までに韋駄天堂とともに、鎮守堂、衆寮が完成したと記録されている。韋駄天堂は高さ約4mの禅宗様式の独立したお堂に近い建物とされ、廃絶された理由はよくわからないが、韋駄天像は当初韋駄天堂に安置された後、大庫裏内に移設されたものと思われる[13]
鎮守堂
韋駄天堂とともに1660年(万治3年)に完成したもので、高岡市の赤祖父神社本殿として明治初期に移築し現存している[13]
衆寮
韋駄天堂とともに1660年(万治3年)に完成した僧が修行するための建物[13]

拝観[編集]

  • 拝観時間 9:00 - 16:30
  • 拝観料 500円
  • 年に何回かライトアップが行われ、夜間拝観が行われる。
  • 年始には無料開放される。

アクセス[編集]

寺は北陸新幹線・JR城端線新高岡駅あいの風とやま鉄道(2015年3月13日までは北陸本線)・JR氷見線・JR城端線の高岡駅に挟まれる場所に位置する。寺のすぐ西側を城端線が通るが寺の近くに駅はなく、新高岡駅または高岡駅からのアクセスとなる。

  • 北陸新幹線・JR城端線新高岡駅より徒歩15分
  • あいの風とやま鉄道・JR氷見線・JR城端線高岡駅より徒歩10分

ギャラリー[編集]

前田利長墓所と八丁道[編集]

瑞龍寺から真っすぐ東方向に、長さ八(約870m)の参道八丁道(はっちょうみち)」が延びる。東端には、前田利長の墓所である前田利長墓所(国の史跡)があり瑞龍寺と結んでいる。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c 瑞龍寺 仏殿 - 文化遺産オンライン(文化庁
  2. ^ a b c 瑞龍寺 法堂 - 文化遺産オンライン(文化庁
  3. ^ a b c 瑞龍寺 山門 - 文化遺産オンライン(文化庁
  4. ^ a b c 『時を超え輝く 大伽藍 瑞龍寺国宝指定20年〈上〉「昭和・平成の大修理」大庫裏 異例の復元 古刹の魅力高まる』北日本新聞 2017年12月3日28面
  5. ^ 『時を超え輝く 大伽藍 瑞龍寺国宝指定20年〈中〉「観光振興」ライトアップ 起爆剤に 誘客増へ歴史都市PR』北日本新聞 2017年12月4日28面
  6. ^ 国宝『瑞龍寺』 冬 夜の祈りと大福市
  7. ^ 瑞龍寺で夜の祈りと大福市開幕
  8. ^ No.542-2:国宝瑞龍寺“トイレの神様”に無病息災、合格祈願を
  9. ^ 『時を超え輝く 大伽藍 瑞龍寺国宝指定20年〈下〉「開かれた寺」大修理経て 積極発信 七堂伽藍 復元構想描く』北日本新聞 2017年12月5日28面
  10. ^ a b 瑞龍寺 総門 - 文化遺産オンライン(文化庁
  11. ^ a b 瑞龍寺 禅堂 - 文化遺産オンライン(文化庁
  12. ^ a b c 瑞龍寺 北回廊 - 文化遺産オンライン(文化庁
  13. ^ a b c d 『食の神様祭る建物 瑞龍寺に韋駄天堂あった 加賀藩報告書に記述 富山市郷土博物館 ○○学芸員が発見』北日本新聞 2018年8月19日27面
  14. ^ a b 瑞龍寺 大茶堂 - 文化遺産オンライン(文化庁
  15. ^ a b 瑞龍寺 南東回廊 - 文化遺産オンライン(文化庁
  16. ^ a b 瑞龍寺 南西回廊 - 文化遺産オンライン(文化庁
  17. ^ 瑞龍寺 高廊下 - 文化遺産オンライン(文化庁
  18. ^ 『烏蒭沙魔明王像 守護神に願い込め 高さ117センチ 国内最大級』北日本新聞 2017年2月10日15面

関連項目[編集]

外部リンク[編集]