北海道札幌東高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北海道札幌東高等学校
北海道札幌東高等学校
地図北緯43度3分35.1秒 東経141度23分6.5秒 / 北緯43.059750度 東経141.385139度 / 43.059750; 141.385139座標: 北緯43度3分35.1秒 東経141度23分6.5秒 / 北緯43.059750度 東経141.385139度 / 43.059750; 141.385139
過去の名称 札幌区立女子職業学校
札幌区立実科高等女学校
札幌区立高等女学校
札幌市立高等女学校
札幌市立第一高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 北海道の旗 北海道
学区 北海道石狩(全日制のみ)
校訓 克己自彊
設立年月日 1907年
創立記念日 5月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
学校コード D101210400010 ウィキデータを編集
高校コード 01101A
所在地 003-0809
北海道札幌市白石区菊水9条3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

北海道札幌東高等学校(ほっかいどうさっぽろひがしこうとうがっこう)は、北海道札幌市白石区菊水にある道立高等学校。略称は東高(ひがしこう)。

概要[編集]

沿革[編集]

全日制[編集]

  • 1907年5月1日 - 札幌区立女子職業学校として開校、札幌女子尋常高等小学校(北1条西4丁目、現・札幌グランドホテル所在地)を仮校舎とする[1]
  • 1908年10月1日 - 中島遊園地の一角の「幌南学校」(実業家山崎孝太郎が1899年に設立した困窮家庭の子女のための学校[2]。山崎の死により翌1908年廃校[3])跡地に校舎の一部を改築して、移転(現・札幌パークホテル所在地)[4][注釈 1]
  • 1920年4月1日 - 札幌区立実科高等女学校と改称[5]
  • 1922年
    • 3月31日 - 札幌区立高等女学校と改称[6]
    • 8月1日 - 市制施行[7]により、札幌市立高等女学校と改称。
  • 1925年3月25日 - 夜学校、市立実業女学校が併設[8]
  • 1943年 - 北海道初等科准訓導養成所を附設、入所式挙行。
  • 1944年8月19日 - 本校附属看護婦養成所開所式を設立[9]
  • 1948年4月1日 - 学制改革により、札幌市立第一高等学校と改称[10]
  • 1950年
    • 4月1日 - 男女共学制実施[11]
    • 5月1日 - 再編成により生徒・職員異動[12]
    • 7月11日 - 高等学校の統合により、北海道札幌東高等学校と改称(4月1日に遡って適用)[13]
  • 1953年11月 - 現校地へ移転。新校舎落成記念式典にて、現校歌発表[12]
  • 1955年4月1日 - 札幌市立から北海道立に移管[14]
  • 1966年 - 格技場落成式挙行。
  • 1967年 - アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド市グラント高校との姉妹校盟約に調印。
  • 1972年8月26日 - 新体育館落成式挙行[12]
  • 1981年12月5日 - 新校舎(現校舎)落成記念式典挙行[12]
  • 1993年4月1日 - 2学期制開始[12]
  • 2007年10月7日 - 創立100周年記念式典挙行[12]
  • 2017年10月25日 - 創立110周年記念表彰・講演会[12]

定時制[編集]

  • 1966年4月1日 - 定時制課程普通科1学級併置[12]

校歌[編集]

現在の校歌は、1953年11月に制定、新校舎落成記念式典にて発表された。風巻景次郎により作詞、池内友次郎により作曲されたものである。

行事[編集]

  • 入学式
1学年(基本320人、(+留年生))の入学のための式典。
  • 新入生歓迎プログラム(いわゆる新入生歓迎会)
入学式翌日から4月いっぱいに渡って各種の歓迎行事が行われる。教師陣や学友会からの学校説明に始まり、部活動紹介や、「先輩に聞く!」と題して、上級生から学生生活などについての説明が行われる。さらに、新入生歓迎会では、全学年縦割りで綱引き、○×ゲームなど各種競技を行い、交流を育む。2、3学年は主に仮装での参加で大きな盛り上がりを見せる。
  • 壮行式
年に何度か部活動の大会前、体育館にて集会形式で全校生徒参加で応援を行う。学友会メンバーで形成された応援団が毎回登場し、全校生徒で三三七拍子を行い、大会出場選手にエールを送る。
  • 東高祭
学友会行事の中で最も大規模な行事であり、毎年夏休み前の7月に3日間行われる。東高祭前には各クラスで「POPアート(壁面立体アート)」の作成が行われ、クラス対抗で完成度を競い、3日目で結果が発表される。1日目は開会式と東高祭のメインイベントである「のど自慢大会(通称のど自)」の一回戦が行われる。例年大きな盛り上がりを見せる「のど自慢大会」は全学級が参加し、クラス対抗のトーナメント方式で行われる。クラスから選ばれた代表者もしくはチームが出場し、歌、ダンスなどが演じられ、選任された採点者の多数決によって勝敗を決する。2日目は校内交流、3日目は一般公開となる。3日目はクラス毎の出店の他、生徒による有志発表、一発芸大会、文化系部活からの出展や、学友会や同窓会からの出品もある。主に1学年において、浴衣で参加する女子生徒も多く、私服での参加も許可されている。3日目の閉会式において、「のど自慢大会」の決勝、「POPアート」やクラス毎の出店の結果発表が行われ、東高祭の全日程がこれにて幕を閉じる。過去には、閉会式の後に後夜祭が行われた。後夜祭は、グランド中央にキャンプファイヤーを灯し、フォークダンスを行うのが恒例であった。また、4日間に渡って行われた時期もあり、クラス別の演芸大会、仮装行列などの催し物があった。 2021年は新型コロナウイルス感染対策のため、体育館と各教室をzoomで繋ぎ、半オンラインの学校祭となった。校舎前の駐車場にキッチンカーが集結した。
  • 体育大会
毎年、夏休み明けの8月、予選から決勝まで2日間に渡って行われる。サッカー(男子のみ)、バスケットボールバレーボール卓球ソフトボール(キャッチャー以外女子のみ。雨天の場合は別競技)、などの球技種目をクラス対抗で競う。なお、2021年は新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、中止の決断が下された。
  • 見学旅行(2学年)
10月初め頃に行われ、京都奈良など関西方面と東京などの関東方面の旅程である。1999年から、私服での参加となった。自由行動の時間が他校と比較すると多く、京都から関東まで一日中自主研修を行うという他校に類を見ない旅程が存在する。
  • 宿泊研修(1学年)
2015年度入学者からスキー研修ではなく、5月ごろの夕張研修となった。過去には、現在は北海道知事の鈴木直道夕張市長(当時)の講演会なども行われた。かつては2月ニセコでのスキー研修を兼ねて行われていた。2021年は例年使用していた夕張市施設の経営状態が悪化し宿泊できるか不透明なため、行き先が変更になっている。
  • 卒業式

部活動[編集]

文化系部
  • 科学
  • 生物
  • 美術
  • 映画研究
  • 合唱
  • ESS
  • 写真
  • 文芸
  • 茶道
  • 華道
  • 書道
  • パソコン
  • ボランティア
  • フォークソング
運動系部
  • 男女バスケットボール
  • 男女バレーボール
  • サッカー
  • 陸上
  • 男女硬式テニス
  • 男女ソフトテニス
  • 野球
  • 卓球
  • 体操
  • 男女バドミントン
  • 剣道


同好会
  • 競技かるた
  • 柔道
  • 演劇
  • 吹奏楽
  • 図書
  • 放送

主な活動成績[編集]

学友会[編集]

札幌東高校に通う全生徒が所属している。 その中で会長をはじめとする役員で構成されるのが学友会総務という組織である。学友会総務は入会方法などは他部活とほぼ同じであり、特別な場合を除き一部活として扱われる。名称は違うものの所謂一般的な生徒会としての役割が与えられている。 年一回、選挙によって会長が選出される。また、その他の役員は会長の指名により執行委員の中から決められる。主な役職として、副会長、書記長、書記、会計幹事、会計委員、庶務幹事、庶務、自治委員長、保健委員長が存在する。また、行事ごとに総責任者が任命される。 東校祭その他の生徒活動の運営の他、学友会誌「ひがし」を年一回発行する。また、札幌南高校札幌北高校札幌西高校の生徒会と共に毎年12月ごろ、「四校会談」という交流会が行われ委員の見識を深めている。 学友会の歴史は、学校創立後まもなくの1909年、自彊会が設立されたのがはじめとされる。 近年は生徒の声を聞く投稿ボックスが設置され、生徒と共に学校を作り上げるという姿勢は示している

同窓会[編集]

はじめ静修会、後に園生会として同窓会組織があったが、北海道札幌東高等学校として男女共学になった後、札幌東高等学校同窓会として統合された。毎年、総会や懇親会が執り行われている。1922年の同窓会組織(静修会)によって、札幌静修会女学校(現在の札幌静修高等学校)が創設された。

その他[編集]

  • 1911年、当時の皇太子(後の大正天皇)による札幌行啓の際に来校、授業参観が行われた。また、1949年高松宮秩父宮の両宮様が来校しスクエアダンスを見学した。
  • 1937年2月23日、校舎が火事に遭い、発生後から1時間足らずでほぼ全焼した。小学校の校舎を仮校舎として授業が進められ、翌年の1938年8月10日に新校舎が落成した。1937年は創立30周年に当たり、記念式典が予定されていたが、延期、翌年の新校舎落成後に挙行されている。また、災害による生徒の混乱や虚脱解消のため、札幌市に依属して新校歌として第二校歌が作成された。
  • 戦時中の1945年4月から8月の間、校舎が日本陸軍被服廠所所属の工場として転用された。
  • 1960年代の学生運動が盛んな時代、1969年に学友会の自治権問題から東校紛争が起こった。デモ行進やビラ配布、アジ演説などがさかんに行われた。1970年全共闘より敗北宣言が出され紛争は収拾した。
  • 高女時代から続く伝統的行事としてマラソン大会があった。しかし、交通事情等の点から、1966年をもって中止された。他に、かつて行われていた行事として、遠足や柔道大会などがある。
  • 校舎二階の吹き抜け箇所に、彫像「希望」が設置されている。これは、創立60周年記念事業の際に寄贈を受け、1967年から1981年の間旧校舎の中庭に置かれ、その後、1987年に復元されたものである。
  • 現在の校舎は1981年に建てられたもので、それまでは1953年に建てられた木造校舎であった。当時、札幌市内の高校において唯一の木造校舎であり、冬季の寒さは殊に厳しかったという。

著名な出身者[編集]

政治・行政[編集]

経済[編集]

学問[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

マスコミ[編集]

スポーツ[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時の札幌区告示では移転先の住所が「札幌区南7条西1丁目11番地」となっているように、中島遊園地内は南7条1丁目とされていた(『中島公園百年』55頁、明治23年11月12日北海道庁令第68号)。当時の地図(札幌市中央図書館蔵「最新札幌市街図」明治40年、42年など)でも、南は7条までしかなかったことがわかる。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 山崎長吉『札幌教育史 上巻』第一法規出版、1986年。
  • 山崎長吉『中島公園百年』北海タイムス社、1988年。
  • 札幌市『新札幌市史 第8巻2』札幌市、2008年。

関連項目[編集]