日航機事故

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日航機事故(にっこうきじこ)は、日本航空(略称 日航、JAL、旧称日本航空インターナショナル)の航空機墜落または全損事故、およびオーバーラン事故などの重大なインシデントの一覧である。

登場する機体は、特に断らないかぎり、日本航空のもの。社名は事故当時の「日本航空」と表す。

目次

1950年代[編集]

日本航空「もく星」号墜落事故[編集]

墜落した「もく星号」

1952年(昭和27年)4月9日。「もく星」号マーチン2-0-2型機 (N93043) が、伊豆大島三原山御神火茶屋付近に墜落し、搭乗員37名の全員が死亡した。ボイスレコーダー、フライトレコーダーともに搭載されていなかったこともあり、事故原因は不明。

日本航空「雲仙」号不時着事故[編集]

1957年(昭和32年)9月30日。「雲仙」号(機体記号:JA6011)ダグラスDC-4B。伊丹空港を離陸後間もなくエンジン4発のうち3発が不調となり、空港から南約1kmの豊中市付近の耕作地に不時着して炎上した。乗客51名乗員4名のうち5名が重軽傷を負った。

1960年代[編集]

日本航空羽田空港オーバーラン事故[編集]

1961年(昭和36年)4月24日。サンフランシスコ発羽田行きとして運航中のDC-8-32 (JA8003、箱根号)が、羽田空港に着陸したところ滑走路を30mオーバーランし、排水溝に突っ込み、機首や左主翼、胴体下部、車輪などを破損し中破した。滑走路路面が雨で濡れており、着陸後の制動に失敗したためであった。

本機は、事故後、修復工事およびエンジン換装や航続距離アップなどの改造が行われ、形式名がDC-8-53に変更された。また日本航空は事故のゲン直しのため、1963年2月に機体記号をJA8008として登記し、愛称を「松島号」に改称した。事故で機体記号と愛称を変更した初めてのケースであった。

日本航空伊丹空港胴体着陸事故[編集]

1962年(昭和36年)4月10日。伊丹空港に着陸しようとしていたDC-4型機(JA6003、「榛名」号)が接地時に脚の固定が外れ胴体着陸となった[1]

日本航空沖縄上空エンジン脱落事故[編集]

1963年(昭和38年)12月30日。沖縄上空で訓練中のDC-8型機がフラットスピンに陥り第一エンジンと第四エンジンが脱落した。訓練機は緊急事態を宣言し、那覇空港へ緊急着陸した[1]

日本航空壱岐空港墜落事故[編集]

1965年(昭和40年)2月27日。日本航空のコンベア880-22M (JA8023、KAEDE)が、長崎県壱岐空港タッチアンドゴーの訓練中、操縦ミスにより主脚を滑走路末端に引っ掛け墜落した。機体は大破炎上し全損となり、乗員6名中2名が重傷を負った[1]

日本航空オークランド空港緊急着陸事故[編集]

1965年(昭和40年)12月25日DC-8-33(JA8006, KAMAKURA)が、813便としてアメリカのサンフランシスコから羽田に向けて離陸して間もなく第1エンジンが爆発炎上し、対岸のオークランド空港に緊急着陸した。負傷者はいなかった。定期点検の際に低圧圧縮機のトルクリングの取り付け方が悪く、エンジン構造が分解して爆発したものとされた。

日本航空羽田空港墜落事故[編集]

1966年(昭和41年)8月26日。コンベア880-22M (JA8030、銀座号)が、羽田空港でワン・エンジン・クリティカル・カット・アウト(離陸時風下外側一発故障停止)の訓練中、急激な片滑りから滑走路を逸脱し、降着装置が破壊され墜落炎上し全損となり、乗員4名および運輸省航空局係官1名の全員が死亡した。

日本航空仙台訓練所不時着事故[編集]

1967年(昭和42年)7月2日。仙台訓練所でタッチアンドゴーの訓練中の日本航空のピーチクラフトH18型機が、操縦ミスにより水田に不時着し、訓練生4名が負傷した[1]

日本航空最上川墜落事故[編集]

1967年(昭和42年)10月5日。山形空港付近の最上川で低空にて訓練中の日本航空のビーチクラフトH18型機が、最上川に張ってあった渡し舟誘導用のロープに主脚を引っ掛け墜落した。これにより乗員4名の全員が死亡した[1]

日本航空サンフランシスコ湾着水事故[編集]

1968年(昭和43年)11月22日DC-8-62 (JA8032、SHIGA)が、サンフランシスコへの着陸降下中、オートパイロットの不適正な操作のため所定の飛行方式から逸脱し、空港から5km離れたサンフランシスコ湾上に着水した。けが人はいなかった。

日本航空伊丹空港オーバーラン事故[編集]

1969年(昭和44年)4月4日。台北発伊丹空港行きのコンベア880-22M(JA8027、SUMIRE)が、伊丹空港着陸時にオーバーランし、乗客2名が負傷した[1]

日本航空モーゼスレイク墜落事故[編集]

1969年(昭和44年)6月24日コンベア880-22M (JA8028、KIKYO)が、アメリカのモーゼスレイクグラントカウンティ空港でワン・エンジン・クリティカル・カット・アウトの訓練中、急激な片滑りから滑走路を逸脱し、僅かに離陸したもののバランスを崩したまま墜落炎上し、搭乗員5名中3名が死亡した。上記の羽田空港事故と全く同じ態様であり、操縦ミスが主因とされたが、上記のCV880固有の問題の他に、マイクロバースト原因説も挙げられた。

1970年代[編集]

日本航空羽田空港暴走事故[編集]

ダグラスDC-8-53型機(事故機の同型機)

1972年(昭和47年)5月15日。東京発福岡行きのDC-8-61型機 (JA8046) が、羽田空港を離陸中に2000フィート付近から滑走路を逸脱し、横向きのまま約300メートル芝生上を暴走した。暴走中に脚やエンジン3機が損壊・脱落したほか、再び滑走路上に機体を乗り上げた際に第4エンジンから出火[2]。16名が重軽傷を負った。

原因は、雨のため滑りやすくなっていた滑走路でこれに正対しないまま離陸滑走を始めたこと、航空機の偏向の初動を発見するのが遅れたこと、さらに偏向修正のためのステアリングとパワーの使用操作が適切でなかったことによる[3]

なお事故機は修復され、その後も長らく日本航空で使用されて、1987年(昭和62年)12月31日、日本航空におけるDC-8として、最後の営業飛行を行っている。

日本航空ニューデリー墜落事故[編集]

1972年(昭和47年)6月14日。日本航空471便DC-8-53型機 (JA8012) が、ニューデリーのパラム空港への着陸進入中に空港の約24キロ手前のジャムナ河畔に墜落。乗員乗客89名中86名と地上の工事作業員4名が死亡した。

日本航空金浦空港暴走事故[編集]

1972年(昭和47年)9月7日。ソウル発大阪行きの日本航空962便DC-8-62型機が、金浦空港で離陸滑走開始直後に滑走路を右に逸脱、タイヤをバーストさせて停止した。乗員9名乗客101名に怪我はなかった。

原因は、機長が運航規定を守らずに速度を超過したまま誘導路から滑走路へ進入、機体が滑走路に正対しないまま離陸滑走を始めたことによる[4]

日本航空ボンベイ空港誤認着陸事故[編集]

1972年(昭和47年)9月24日。日本航空412便DC-8-53型機 (JA8013) が、ボンベイ(現ムンバイ)のサンタクルズ国際空港(現チャットラパティー・シヴァージー国際空港)へ着陸進入の際、誤って手前約3.7kmにある小型機専用のジュフ空港に着陸し、滑走路を逸走して大破した。乗員2名と乗客9名の計11名が負傷した。

日本航空アンカレッジ空港胴体着陸事故[編集]

1975年(昭和50年)11月2日。羽田発ハンブルク行きのボーイング747-100A型機が、アンカレジ空港へ着陸時に、前脚が引っ込んだまま着陸し機体を損傷した。乗客乗員に怪我はなかった[1]

日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故[編集]

1972年(昭和47年)11月29日。日本航空446便DC-8-62型機 (JA8040) が、モスクワシェレメーチエヴォ国際空港を離陸直後にエンジンから出火、失速し墜落した。乗員乗客76名中62名が死亡した。

日本航空アンカレッジ空港滑落事故[編集]

1975年(昭和50年)12月16日。アンカレッジ発東京行きのB747-200型機 (JA8122) が、誘導路の北側に逸脱し平均傾斜13度の積雪の土手を滑落し停止。乗客乗員2名が重傷となり、9名が軽傷となった[1]

日本航空アンカレッジ墜落事故[編集]

1977年(昭和52年)1月13日。日本航空の貨物便1054便DC-8-62AF型機 (JA8054) が、アンカレッジ国際空港を離陸直後に墜落炎上し、乗員5名の全員が死亡した。機体に氷着があったのに加え、飲酒していた機長が離陸直後に操縦ミスをおかしたため。他のクルーが泥酔した機長に操縦をやめさせなかったことも問題であると指摘されている[5]

日本航空クアラルンプール墜落事故[編集]

1977年(昭和52年)9月27日。日本航空715便DC-8-62型 (JA8051)が、悪天候の中クアラ・ルンプール国際空港 (現・スルタン・アブドゥル・アジズ・シャー空港) に着陸進入中、空港手前7.7km付近にあるゴム園(標高約80mの丘)に墜落した。搭乗員78名中34名が死亡した。悪天候により航路を見失ったことが原因とされる。

日本航空115便しりもち事故[編集]

1978年(昭和53年)6月2日。日本航空115便ボーイング747SR-46型 (JA8119) が、伊丹空港に着陸する際に機体尾部を滑走路面に接触。乗客3名が重軽傷を負った。原因は接地時における返し操作が適切でなかったため。この事故による機体の不適切な修理が原因の一つとなって、1985年に日本航空123便墜落事故が発生した。

1980年代[編集]

日本航空羽田空港沖墜落事故[編集]

1982年(昭和57年)2月9日。日本航空350便DC-8-61型 (JA8061) 福岡空港発 東京国際空港行が東京国際空港への着陸進入中に突然失速して滑走路沖の東京湾に墜落した。搭乗員174名中乗客24名が死亡した。機長が着陸直前に逆噴射をするなどの異常操作が原因であった。

南西航空石垣空港オーバーラン事故[編集]

1982年8月26日南西航空611便B737-200(JA8444)が石垣空港への着陸時にオーバーランし滑走路終端付近の雑木林に突入、乗員乗客の降機後に爆発炎上。乗員乗客のうち3人が負傷。着陸進入中の操縦士が適切な制動操作を行わなかったのが原因とされる。同空港は滑走路が短いものの暫定的にジェット機が就航していたが、この事故などを機に空港の改築または新空港の建設への議論が高まった。

日本航空上海空港オーバーラン事故[編集]

1982年(昭和57年)9月17日。上海から成田に向かっていたDC-8-61(JA8048、旧愛称ひだか_実際には機体に愛称は記載されていない)が、離陸直後に主翼にとりつけられていた部品が爆発し油圧系統に損傷を受けたため、離陸したばかりの上海虹橋国際空港へ3200m滑走路を南側から緊急着陸した。だが、油圧系統故障のためにフラップが充分だせなかったため、オーバーランし空港脇の土手に機体を激突させ中破した。乗員乗客124名のうち18名が重傷、29名が軽傷を負った。

なお、事故機は日本航空のDC-8の事故抹消7番目かつ最後の機体となった。この年の日本航空にとって4件目の重大事故であり、社会的批判を受けた。この機材は現地で登録抹消となったが、損傷箇所は修理され、1986年より上海市の『上海航宇科普中心』にて展示されている[6]

日航ジャンボ機墜落事故[編集]

1985年(昭和60年)8月12日に発生。日本航空123便ボーイング747SR100型機(JA8119)羽田空港18:00発 伊丹空港行が、離陸12分後から32分間の迷走飛行の末、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山の尾根に墜落した。搭乗員524名中520名が死亡した。旅客機の単独事故としては、世界でも最大の犠牲者数を出した事故である。「日本航空123便」という便名は、1985年9月1日のダイヤ改正以降、欠番とされ、後に対となる「日本航空122便」も欠番扱いになった。

日本航空仙台空港かく座事故[編集]

1985年(昭和60年)12月3日、連続離着陸訓練中のパイパーPA-23-250(JA5259)が、接地後の滑走中に前脚が引っ込んだため、そのまま400メートル滑走した後停止した。機体は中破した。原因は、機長が前脚のロックを確認せずに着陸したためとされた[7]

1990年代[編集]

日本航空MD11機乱高下事故[編集]

1997年(平成9年)6月8日、日本航空706便マクドネル・ダグラス MD-11 (JA8580、エトピリカ号) 香港発・名古屋行きは名古屋空港への着陸進入中であったが、三重県志摩半島上空で突然急激に機首が跳ね上がり自動操縦が外れたため機体が乱高下した。この結果、乗員・乗客180名中14名が重軽傷を負った。重傷の客室乗務員1名が1年8ヵ月後に多臓器不全で死亡したため、人身死亡事故となった。運輸省航空事故調査委員会(当時)の報告書は、機長の操縦ミスを原因と推定したが、刑事裁判においては機長の刑事責任はないとされた。

日本トランスオーシャン航空022便[編集]

1998年(平成10年)11月14日、日本トランスオーシャン航空022便(宮古→羽田、ボーイング737-200、JA8528)は、新島VORTACの西南約100km上空で急激な機体の動揺に襲われ、乗客1名と客室乗務員1名が重傷を負い、乗客2名と客室乗務員1名が軽傷を負った。原因は、先行機のストロボ・ライトが急速に左右に離れたため航空機が急接近していると副操縦士が判断し、とっさに回避動作を取ったためであるが、機長は計器を見ていて、この灯火を視認していない。乗客1名が事故発生直後に窓から反対方向に飛ぶ飛行機を視認していたが、管制機関等の情報では、その存在を解明できなかった[8]

2000年代[編集]

日本航空機駿河湾上空ニアミス事故[編集]

2001年(平成13年)1月31日。日本航空907便(羽田→那覇、ボーイング747-400D、JA8904)、日本航空958便(釜山→成田、DC-10、JA8546)が駿河湾上で異常接近し、衝突回避動作をとった907便の乗員16名乗客411名のうち、重軽傷者100名を出した事故。航空管制官の複数のミスと、TCASの指示より管制指示(国土交通大臣の命令)を優先した機長の判断ミスが原因。これを機にTCASと管制指示が相反した場合の優先順位が明文化された。

日本航空356便[編集]

2002年(平成14年)10月21日、日本航空356便(ボーイング747-400D、福岡→羽田)が、浜松市上空付近にてウインドシアに巻き込まれ、乗客3名と客室乗務員1名が重傷、乗客18名と客室乗務員11名が軽傷を負った。また、機体の一部が損傷した。事故原因の一つとして、操縦士が自動操縦から手動操縦に切り替わる際の要領、および手動操縦における操縦特性を体得する機会がなかったことが挙げられている[9]

日本航空322便[編集]

2003年(平成15年)6月7日、日本航空322便(ボーイング767-300、福岡→関西)が、福岡空港の滑走路に向けてタキシング中、停止位置標識で止まるために急ブレーキをかけた。客室乗務員1名が重傷、3名が軽傷を負った[10]

日本航空ジャパン2408便[編集]

2004年(平成16年)9月23日、日本航空ジャパン2408便(MD90-30、鹿児島→伊丹)が、伊丹空港へ向けて降下中、タービュランスに巻き込まれた。その結果、客室乗務員が持っていたコーヒーを乗客にむけて掛けてしまい、熱傷を負わせた。運航乗務員による気象レーダーの運用が不適切であったためである[11]。 なお、現在JAL2408便は欠番となっている。[12]

日本航空1002便[編集]

2005年(平成17年)6月15日、日本航空1002便(新千歳→羽田、ボーイング767-300、JA8986)が、東京国際空港へ着陸した際、前脚が破損し滑走路上で自走不能となった。この衝撃で機体が小破し、乗客17名が軽傷を負った。原因は、操縦桿の操作ミスで、主脚に重量が完全にかかる前に接地した前脚に、過大な加重がかかったためである[13]

JALウェイズ58便エンジン爆発事故[編集]

2005年(平成17年)8月12日、JALウェイズ58便(福岡→ホノルルDC-10、JA8545)が、福岡空港離陸後に左エンジンから出火した。落下物により5名が軽いやけどを負った。

JALエクスプレス2200便・日本エアコミューター2400便[編集]

2009年(平成21年)7月23日、大阪国際空港への着陸許可を受けた日本エアコミューター2400便(鹿児島→伊丹、ボンバルディアDHC-8-402、JA844C)が9時9分ごろ滑走路32Rへ進入中であったところ、先に大阪国際空港に着陸し駐機場に向かっていたJALエクスプレス2200便(仙台→伊丹、ダグラスDC-9-81、JA8499)が同32Rを横切った。管制官の指示により2400便が復行したため事なきを得たが、重大インシデントと指定された。原因は、2200便の運行乗務員が、滑走路手前での待機指示を聞き間違えた上管制官も復唱の誤りに気づかずそのまま滑走路に進入したためである[14]

日本エアコミューター2345便[編集]

2009年(平成21年)12月18日、出雲空港に着陸した日本エアコミューター2345便(伊丹→出雲、サーブ・スカニアSAAB340B、JA001C)が、滑走路右側に逸脱し前脚を破損しエプロン上で停止した。機体は小破したが乗客乗員に負傷者はなかった。原因は、接地前に行ったパワーレバー操作によってオートコースンが作動し、これにより左プロペラがコースン・ピッチとなり、機首が偏向したが、これに応じる適切な操縦操作をしなかったためである[15]。なおJAC2345便は現在欠番になっている。[12]

2010年代[編集]

日本航空インターナショナル3538便[編集]

2010年8月15日、日本航空インターナショナル3538便(MD90-30、仙台福岡、JA002D)が、仙台空港を離陸直後に第2エンジンの油圧低下、火災発生を知らせる警報が出た[16]。エンジンの停止、消火作業を行ったのちに、仙台空港へ緊急着陸した。運輸安全委員会は航空重大インシデントとして調査していたが、エンジン部品の疲労破壊が原因であると公表された[17]

日本航空82便[編集]

2012年3月31日、日本航空82便(ボーイング777-200、上海虹橋東京羽田、JA701J)が、羽田空港への着陸時に着陸復行を行った際に、機体後部を滑走路に接触させた。約15分後に無事に着陸に成功した。着陸後の調査の結果、機体には約7メートルの傷ができ、圧力隔壁も損傷していた[18][19][20][21][22]。運輸安全委員会は航空事故と認定して調査を進めている[23]

JALエクスプレス1471便[編集]

2012年10月20日、JALエクスプレス1471便(日本航空1471便、羽田→松山、ボーイング737-800、JA342J)が、離陸上昇中にエンジン出力が低下、温度が上昇したため、羽田空港に引き返した。エンジンブレードが損傷しており、運輸安全委員会は重大インシデントとして調査を進めている[24][25]

日本航空877便[編集]

2012年11月26日、日本航空877便(成田→上海浦東、ボーイング767-300、JA610J)が静岡県上空を飛行中に機体が激しく揺れ、乗客の男性1人が右足首を骨折する重傷を負った[26]。シートベルト着用のサインが点灯しておらず、乗客が重傷を負ったにもかかわらず運航を続けていた。運輸安全委員会は航空事故として調査を進めている[27]

日本航空2837便[編集]

2012年12月25日午後5時頃、日本航空2837便(新千歳→花巻、ジェイエアによる運航、ボンバルディア CRJ 200、JA202J)が花巻空港に着陸後、駐機場に向けてタクシングしている際にスリップし、機体が緑地帯に突っ込んだ[28]。運輸安全委員会は重大インシデントとして調査を進めている[29]。なおJAL2837便は現在欠番になっている。[12]

日本航空8便[編集]

2013年1月7日午前10時30分頃、日本航空8便(成田→ボストン、ボーイング787-8、JA829J)がジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港に着陸後、機内で火災が発生した[30]。乗客172人はすでに降機した後であり、死傷者はいなかった[31]。米国の国家運輸安全委員会は原因を調査している[32]

ボーイング787の燃料漏れ[編集]

2013年1月9日にボストン滑走路22R付近にて、近くにいた航空機が「JAL機の左エンジンから燃料と思われる液体が漏れている」と管制塔に報告したことで分かった。

また、数日後の1月13日に成田にて、ボーイング787-8の同一機(JA824J)による燃料漏れが発生した。この事案について国土交通省は独自の調査チームを立ち上げた[33]

ジェイエア2362便[編集]

2013年5月6日午後0時15頃、ジェイエア2362便(日本航空2362便、大分→伊丹、ボンバルディア CRJ 200、JA206J)が伊丹空港に着陸後、エンジン火災の警報が出たため消火装置を作動させた[34]。エンジン内部には火災の跡があった[35]。運輸安全委員会は重大インシデントとして調査を進めている。エンジン内部のナットが緩み燃料が漏れたことが判明し、ジェイエアの所有する同型機9機のうち3機で、ナットの緩みが見つかった[36]

ジェイエア1252便[編集]

2014年4月29日9時45分頃、ジェイエア1252便(日本航空1252便、山形→羽田、ERJ 170、JA211J)が茨城県つくば市上空を飛行中、機体が動揺し客室乗務員が骨盤骨折の重傷を負った[37]。運輸安全員会は航空事故として調査を進めている[38]

日本航空93便[編集]

2014年9月12日17時30分頃、日本航空93便(羽田→ソウル/金浦ボーイング767-300ER、JA654J)が飛行中に大きく揺れ、客室乗務員7人が転倒して負傷した[39]。そのうち1人は腰椎捻挫で全治2週間と診断された。日本の国土交通省は航空事故と認定しているが、調査は韓国側に委ねることになる。

日本航空455便[編集]

2015年4月5日11時頃、日本航空455便(羽田→徳島、ボーイング767-300、JA8299、乗員・乗客67人)が徳島空港に着陸する際、滑走路に作業車両を視認し、着陸復行を行った[40][41]。空港管制業務を行っていた海上自衛隊の管制ミスとみられている。国土交通省は重大インシデントとして調査を進めている[42]

日本航空3512便[編集]

2016年2月23日15時10分頃、日本航空3512便(新千歳→福岡、ボーイング737-800、JA322J、乗員6人、乗客159人)が誘導路を走行中に右エンジンから出火、機内にも煙が入ってきた。緊急脱出の際、4人が負傷し、内1人は骨折するなどの重傷を負った。運輸安全委員会は、当初重大インシデントと認定したが、重傷者が出たために航空事故として再認定して調査を続けている [43][44][45]

日本航空646便[編集]

2016年11月10日13時23分頃、日本航空648便(鹿児島→羽田、ボーイング767-300、JA658J、乗員11名、乗客118名)が離陸上昇中、客室乗務員がベルトを外したところ機体が揺れたため、骨盤を骨折する重傷を負った[46]。運輸安全委員会は航空事故と認定して調査を進めている[47]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 山本善明『日本航空事故処理担当』講談社 2001年 11~14頁
  2. ^ 柳田邦男 『続・マッハの恐怖』 新潮社、1986年ISBN 4-10-124906-7 427頁
  3. ^ 昭和48年度運輸白書 各論 III航空 第3章航空における安全の確保 第6節航空事故 2事故の原因
  4. ^ 柳田邦男 『続・マッハの恐怖』 新潮社、1986年ISBN 4-10-124906-7 439頁
  5. ^ 日航の運命 片山修 1987年 85頁
  6. ^ http://www.shapc.org/index.aspx
  7. ^ 運輸安全委員会 航空事故
  8. ^ 運輸安全委員会 航空事故
  9. ^ 航空事故調査報告書 62ページ - 航空・鉄道事故調査委員会
  10. ^ 航空事故調査報告書 30ページ - 航空・鉄道事故調査委員会
  11. ^ 航空事故調査報告書 28ページ - 航空・鉄道事故調査委員会
  12. ^ a b c 公式ウェブサイト 2013年11月現在
  13. ^ 運輸安全委員会 航空重大インシデント
  14. ^ 運輸安全委員会 航空重大インシデント
  15. ^ 運輸安全委員会 航空重大インシデント
  16. ^ 日本航空 運行情報
  17. ^ 航空重大インシデント調査報告書 - 運輸安全委員会
  18. ^ 2012年3月31日、弊社便(JAL082便)の運航について - 日本航空
  19. ^ 日航機接触、「尻もち」で圧力隔壁を損傷 - 産経新聞
  20. ^ 航空トラブル:着陸やり直しで日航機が尻もち--羽田・上海便 - 毎日新聞
  21. ^ JAL上海便、羽田で尻もち…すり傷7m - 読売新聞
  22. ^ 日航機、機体後部擦る=点検で発見、けが人なし-羽田 - 時事通信
  23. ^ 航空事故 - 運輸安全委員会
  24. ^ 日航便エンジン内部損傷 松山行き、羽田引き返す 産経新聞 2012年10月23日
  25. ^ 航空重大インシデント - 運輸安全委員会
  26. ^ 日航機で乗客1人が右足骨折…乱気流 - 読売新聞
  27. ^ 航空事故 - 運輸安全委員会
  28. ^ 花巻空港で日航機スリップ=けが人なし-岩手 - 時事通信 2012年12月25日
  29. ^ 航空重大インシデント - 運輸安全委員会
  30. ^ ボストン国際空港で日航ボーイング787型機から発火、負傷者なし
  31. ^ 日航新鋭機から出火 米ボストンの空港で駐機中
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  35. ^ 日航ボンバル機がエンジン火災 大阪空港着陸後けが人なし 共同通信 2013年5月6日
  36. ^ ボンバル機エンジン火災、ナット緩み燃料漏れる 読売新聞 2013年6月7日
  37. ^ 機体揺れ客室乗務員が転倒、骨折 ジェイエア、乱気流か 朝日新聞 2014年4月30日
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  39. ^ 旅客機揺れ、乗員7人けが=体調不良訴える乗客も-日航 時事通信 2014年9月17日
  40. ^ 管制ミスで着陸やり直し 徳島空港、滑走路に作業車両 - 徳島新聞 2015年4月5日
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  42. ^ 航空重大インシデントの概要 運輸安全委員会
  43. ^ 「重大インシデント」で調査…日航機トラブル - 読売新聞 2016年2月23日
  44. ^ 航空重大インシデントの概要 - 運輸安全委員会
  45. ^ <日航機発煙>「航空事故」に変更 女性1人が重傷 - 毎日新聞2016年2月24日
  46. ^ 日航 離陸上昇中に揺れ、乗務員骨折 - 毎日新聞 2016年11月11日
  47. ^ 調査中の案件 - 運輸安全委員会

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]