コンテンツにスキップ

小畑芳和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小畑 芳和(おばた よしかず、1954年 - )は、日本テレビプロデューサー。元フジテレビKIDS代表取締役社長。

来歴・人物

[編集]

学習院大学卒業後にフジテレビに入社。 数々の番組のディレクターを経て、1989年に「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のプロデューサーとなり、人気番組に導く。その後編成制作局バラエティ制作センターゼネラルプロデューサーを歴任し、2000年設立のフジテレビ関連子会社、フジテレビKIDSの代表取締役社長に就任。

J-POPを好み、手がけた番組では随所に音楽を取り入れたり、まだ評価の高くないタレント俳優歌手の才能を見抜いて担当番組に出演させたり、更には流行の最先端を推測して番組に取り入れる等のこだわりを持つ(この手法は、後に部下である水口昌彦きくち伸フジテレビ音組に多大な影響を与えている)。

邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」では山田邦子をメインMCに起用し、更にはバラエティー番組への本格出演は初であった高橋英樹高岡早紀、ミュージシャンの大江千里バラドルとして売り出していた森口博子など異色の人材を起用し才能を発揮させた。また、山田と横山知枝による番組企画ユニット「やまだかつてないWink」の「さよならだけどさよならじゃない」、無名だったKANの「愛は勝つ」、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」などを起用し、一躍大ヒットへ導いた[1]。 また、ミュージシャンや音楽関係者とも縁が深く、『うれしたのし大好き』では、ドリームズ・カム・トゥルーをレギュラーMCに起用した。

長寿子供向け番組ひらけ!ポンキッキ』をリニューアルした『ポンキッキーズ』およびその派生番組ではゼネラルプロデューサー・企画エグゼクティブプロデューサーとして時代を見越したコーナー、出演者、音楽をふんだんに起用し、番組の新陳代謝を図った。以降フジテレビKIDSとして子供向け番組・コンテンツ、イベントなどのプロデュース・ライセンシングを手がけた。

手がけた番組

[編集]

ディレクター

[編集]

プロデューサー

[編集]

ゼネラルプロデューサー

[編集]

企画・エグゼクティブプロデューサー

[編集]

関係人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ その反面、マンネリ化打破と人気下降を防ぐ為に頻繁に番組レギュラーを変更する手法に山田が不満を抱き、山田自らも番組降板を申し出たため番組終了となった。