王建民

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王 建民
Chien-Ming Wang
カンザスシティ・ロイヤルズ #67
トロント・ブルージェイズ時代
(2013年6月22日)
基本情報
国籍 中華民国の旗 中華民国台湾
出身地 中華民国の旗 台湾台南市
生年月日 (1980-03-31) 1980年3月31日(44歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年
初出場 MLB / 2005年4月30日
年俸 $1,000,000(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ
五輪 2004年
WBC 2013年

王 建民(ワン・チェンミン、Chien-Ming Wang, 1980年3月31日 - )は、台湾台南市出身のプロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

NHKの野球放送では、日本語の音読みを当てて「おう けんみん」と呼ばれ、新聞や他局の野球放送では、「ワン・チェンミン」と呼ばれている。

経歴

プロ入り前

小学4年生の時に野球を始める。はじめはピッチャーの他、一塁手、外野手もこなした。

高校は台北市の学校に進学。幼い頃に子供のいなかった叔父・叔母夫婦に引き取られ、育てられているが(後にこの夫妻は建民の2歳下の娘に恵まれている)、実際に建民が育ての親が実の親でないことに気が付いたのは高校時の試合で公式書類の提出を求められて初めて目を通した時であったとニューヨーク・タイムズ紙に語っている[1]大学台北市立体育学院に進学。台湾時代には高英傑(元南海ホークス)の指導を受けた。

ヤンキース時代

2000年ニューヨーク・ヤンキースと約200万ドルのマイナー契約をかわした。自身で英語のコミュニケーションができる[1]。この時はまだ球速(速球)頼りのピッチャーだった。当時台湾出身のメジャーリーガーがいなかったこと(2002年ロサンゼルス・ドジャースからデビューした陳金鋒が最初)から、ロジャー・クレメンスに憧れた。

2001年2003年は肩の故障に悩まされたが、2003年11月のアテネ五輪予選を兼ねたアジア野球選手権において台湾代表として来日し、韓国戦で登板している。

2004年8月にはAAA級コロンバス・クリッパーズに昇格し、エースとして台頭するようになる。この才能が開花した時期が非常に絶妙で、仮にこの年のスプリングトレーニングで才能を開花させていたなら、当時ヤンキースが獲得しようとしていたアリゾナ・ダイヤモンドバックスランディ・ジョンソンの交換要員としてリストアップされていた可能性が高い。実際ダイヤモンドバックスはヤンキースとのトレードをにらんでスカウト(ブライアン・ランベ:Brian Rambe)を派遣しており、建民の投球も視察している。ただ、ブライアンが視察した当時は、建民の最大の武器であるシンカーの習得前で、速球もメジャーレベルで見ると高いとは言えなかったためにリストに載ることはなかった[1]。この年に当時のコロンバスのピッチングコーチであったニール・アレン(Neil Allen)とサル・ファサノ捕手(Sal Fasano:2006年のヤンキース控え捕手)の指導の下、シンカーを習得した[1]

2005年4月30日にメジャーデビュー。5月10日シアトル・マリナーズ戦で初勝利。この年に8勝を記録する。

ヤンキース時代

2006年第1回WBCチャイニーズタイペイ代表を打診されていたが、ケガの影響を理由に辞退。メジャーリーグではシーズンでリーグトップタイ、アジア人投手最多記録となる19勝を挙げ、サイ・ヤング賞投票で2位につけた。(1位票はすべてヨハン・サンタナが獲得。2位票15、3位票6の合計51ポイントで3位のロイ・ハラデイに3ポイント差)[2]。 また、この年の「MLB.com's This Year in Baseball Awards」では、47%強の得票で最優秀先発投手に選ばれた[2]

2007年は故障で出遅れるも、2年連続の19勝を挙げた。この年最初の試合で8回1死までをパーフェクトに抑えていた(次の打者にホームランを浴び、8回で降板)。

2008年は4月だけで5勝を挙げるなど活躍していたが、6月15日のヒューストン・アストロズ戦で走塁の際に右ひざをひねり、MRI検査の結果、右足甲付近のじん帯の軽いねんざと右足筋肉の部分断裂と診断され、故障者リストに入った。

2009年は故障者リスト入りを続け、わずか1勝に終わったこともあり、12月12日にFAとなった。

ナショナルズ時代

ナショナルズ時代

2010年2月19日ワシントン・ナショナルズと1年200万ドル(約1億8000万円)で契約合意した[3]が、故障の影響で全休した。12月2日にFAとなったが、12月16日にナショナルズと1年120万ドルで再契約した[4][5]

2011年7月29日ニューヨーク・メッツ戦で、2009年6月4日以来約2年振りの登板を果たした[6]。同年8月9日のシカゴ・カブス戦で、6回を無失点に抑えて772日ぶりの勝利を手にした[7]10月30日にFAとなったが、11月4日にナショナルズと1年400万ドル(約3億1200万円)で再契約した[8]

2012年は、過去に不倫していたことが発覚し、それを認め謝罪した。王は米時間23日にフロリダ州で記者会見し、2010年に同州のナイトクラブで知り合った台湾出身の女性と約8カ月にわたって不倫していた事実を認めた。「自分の弱さのために家族らを傷つけ、とても反省している」などと謝罪している。[9]発覚のきっかけは2人が写った写真がメディアに持ち込まれたためで、不倫相手の女性が王建民と2人で写っている写真を18万ドル(約1700万円)で買い取ることを要求したが王建民に拒否されたため、写真をメディアに売った。その値段は一枚一万ドル(約94万円)だったとのこと[10]。 シーズンでは、故障もあり10試合の登板で2勝に終わり、シーズン終了後の10月29日にFAとなった。

ヤンキース傘下時代

2013 ワールド・ベースボール・クラシック

2013年1月14日に、第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表メンバーが発表され[11]代表入りした[12]。1次ラウンドのオーストラリア戦、2次ラウンドの日本戦では、共に6回を無失点に抑える好投を見せた。WBCでの好投が評価され、入団テストを経て古巣のニューヨーク・ヤンキースと3月23日にマイナー契約を結んだ[13]。AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースで9試合に登板し4勝4敗、防御率2.33だった。6月7日にFAとなった[14]

ブルージェイズ時代

2013年6月7日トロント・ブルージェイズとメジャー契約し[15]6月11日に球団が発表した[16]。しかし、7月3日DFAとなり、7月5日にAAA級バッファロー・バイソンズへ降格。8月24日にメジャー再昇格する[17]も、8月26日にDFAとなり[18]、AAA級バッファローに再び降格した。オフの10月1日にFAとなった。

ブルージェイズ退団後

2013年12月20日シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ[19]

2014年はAAA級ルイビル・バッツで19試合に登板し、8勝5敗、防御率3.71だった。7月13日に契約を解除し、FAとなった[20]。7月17日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだが、メジャー昇格は叶わず、オフにFAとなった。11月10日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[21]

2015年はAAA級グウィネット・ブレーブスで開幕を迎えたが、11試合で2勝6敗、防御率6.10という成績で、6月19日に解雇された。25日に独立リーグ・アトランティックリーグサザンメリーランド・ブルークラブスと契約するが、3試合の登板後、7月11日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ。オフの11月6日にFAとなった。

2016年1月7日、カンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[22]

選手としての特徴

投球フォームはスリークォーターシンカー(ツーシーム)を基本球種とする典型的なシンカーボーラー。シンカーは好調時には95mph(約153km/h)を超え、最速98mph(約158km/h)をマークした。打者は上面を叩いて引っ掛けることが多く、結果として極端に多い内野ゴロと低い奪三振数を記録している。特に、2006年シーズンは、奪三振数は76で規定投球回数に到達しているピッチャーの中では2番目に低い数値となった。同年シーズンを通した結果では打たれた球の内、154がフライとなった一方で476がゴロとなっており、そのGB/FB率は3.09でリーグトップとなるほどで、全盛期はMLBでも屈指のグラウンドボールピッチャーであった[2]。建民はこのシンカーを主体に投球を組み立てており、その比率は約70~75%ほどで、2006年7月8日のデビルレイズ(現・レイズ)戦では、キャッチャーのホルヘ・ポサダが、その試合で投じた103球すべてでシンカーのサインを出している[1]。ヤンキース投手コーチのロン・ギドリーやポサダは「ボウリングの球のように重い」と評した。

他にスライダーチェンジアップを持ち球としている[23]。稀にではあるが、三振を取りにいくときはスプリッターも投げる。

2007年のシーズン後半からはシンカーだけではなく、これらの変化球の割合を上げて投球スタイル自体を変化させている[24]。このシーズンは、1試合(9イニング)あたりの被本塁打率は0.4、被長打率は.368と他を圧倒する。

シンカーは、ツーシームの握りから人差し指に力を込めてボールを押し出すようにして投げており、人差し指の爪の右脇には『シンカーダコ』ができている[1]

人物

1Aスタテンアイランド・ヤンキース在籍時につけていた背番号「41」は、同チームの永久欠番になった。

台湾出身でメジャーリーグベースボールで優れた実績を上げた選手は王が最初であるので、台湾で大人気になっている。愛称は「建仔」。台湾のマスコミが王のニュースを報道する際は、王の名前の上に「台湾に光輝く者」という意味の「台湾之光」を冠することが多い[25]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2005 NYY 18 17 0 0 0 8 5 0 0 .615 486 116.1 113 9 32 3 6 47 3 0 58 52 4.02 1.25
2006 34 33 2 1 0 19 6 1 0 .760 900 218.0 233 12 52 4 2 76 6 1 92 88 3.63 1.31
2007 30 30 1 0 0 19 7 0 0 .731 823 199.1 199 9 59 1 8 104 9 1 84 82 3.70 1.29
2008 15 15 1 0 1 8 2 0 0 .800 402 95.0 90 4 35 1 3 54 0 0 44 43 4.07 1.32
2009 12 9 0 0 0 1 6 0 0 .143 206 42.0 66 7 19 1 3 29 3 0 46 45 9.64 2.02
2011 WSH 11 11 0 0 0 4 3 0 0 .571 264 62.1 67 8 13 0 1 25 2 0 35 28 4.26 1.36
2012 10 5 0 0 0 2 3 0 0 .400 158 32.1 50 5 15 0 3 15 5 0 24 24 6.68 2.01
2013 TOR 6 6 0 0 0 1 2 0 0 .333 123 27.0 40 5 9 0 0 14 2 0 24 23 7.67 1.81
通算:8年 136 126 4 1 1 62 34 1 0 .646 3362 792.1 858 59 234 10 25 364 30 2 407 385 4.37 1.38
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 40(2005年 - 2009年、2011年 - 2012年)
  • 67(2013年)

タイトル・記録

代表歴

脚注

  1. ^ a b c d e f Tyler Kepner (2006年8月13日). “Yankees' Wang Finds His Place on the Mound and in the World” (英語). New York Times. 2016年1月8日閲覧。
  2. ^ a b c Baseball Awards Voting for 2006” (英語). Baseball-Reference.com. Sports Reference LLC. 2016年1月8日閲覧。
  3. ^ "Nationals sign righthander Chien-Ming Wang" (Press release) (英語). MLB.com (Washington Nationals). 19 February 2010. 2016年1月8日閲覧
  4. ^ "Nationals re-sign Chien-Ming Wang" (Press release) (英語). MLB.com (Washington Nationals). 16 December 2010. 2016年1月8日閲覧
  5. ^ Adam Kilgore (2010年12月16日). “Chien-Ming Wang is re-signed by Nationals”. The Washington Post. 2016年1月8日閲覧。
  6. ^ 王建民が2年ぶり登板…右肩手術から復帰 スポニチアネックス、2011年7月31日
  7. ^ 王建民、772日ぶり勝利「チームメート全員に感謝」 スポニチアネックス、2011年8月11日
  8. ^ Adam Kilgore (2011年11月3日). “Chien-Ming Wang set to re-sign with Nationals”. The Washington Post. 2016年1月8日閲覧。
  9. ^ 王建民謝罪
  10. ^ 頭條新聞
  11. ^ 2013 WBC中華隊28人名單 CPBL公式サイト 中国語 (2013年1月14日) 2015年3月28日閲覧
  12. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年3月28日閲覧
  13. ^ "Yankees sign RHP Chien-Ming Wang to minor league contract" (Press release) (英語). MLB.com (New York Yankees). 23 March 2013. 2016年1月8日閲覧
  14. ^ Aaron Gleeman (2013年6月7日). “Chien-Ming Wang opts out of contract with Yankees, set to join Blue Jays”. NBC Sports. 2016年1月8日閲覧。
  15. ^ Gregor Chisholm (2013年6月7日). “Wang said to be close to joining Blue Jays”. MLB.com. 2016年1月8日閲覧。
  16. ^ "Blue Jays sign Wang" (Press release) (英語). MLB.com (Toronto Blue Jays). 11 June 2013. 2016年1月8日閲覧
  17. ^ "Blue Jays roster moves" (Press release) (英語). MLB.com (Toronto Blue Jays). 24 August 2013. 2016年1月8日閲覧
  18. ^ "Blue Jays Roster Moves" (Press release) (英語). MLB.com (Toronto Blue Jays). 26 August 2013. 2016年1月8日閲覧
  19. ^ "Non-roster invitees, Spring training rosters, Reporting dates" (Press release) (英語). MLB.com (Cincinnati Reds). 20 December 2013. 2014年1月3日閲覧
  20. ^ Mark Sheldon (2014年7月13日). “Wang opts out of Minor League pact with Reds”. MLB.com. http://m.reds.mlb.com/news/article/84609262 2014年7月16日閲覧。 
  21. ^ Mark Bowman (2014年11月10日). “Braves add veteran trio to build org depth”. MLB.com. http://m.braves.mlb.com/news/article/101041956/braves-add-veteran-trio-to-build-organizational-depth 2015年5月29日閲覧。 
  22. ^ “王建民がロイヤルズとマイナー契約”. 日刊スポーツ. (2015年1月8日). http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/1589389.html 2015年1月8日閲覧。 
  23. ^ Notes: Wang on pace to pitch opener”. MLB.com (2007年3月16日). 2015年5月29日閲覧。
  24. ^ “王建民、進化する投球と変わらぬ素顔”. スポーツナビ. (2007年9月14日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200709/at00014660.html 
  25. ^ Google News - 台灣之光王建民

関連項目

外部リンク