コンテンツにスキップ

新小平駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Nyao148 (会話 | 投稿記録) による 2012年5月20日 (日) 13:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎駅周辺)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

新小平駅
駅入口
しんこだいら
Shin-Kodaira
所在地 東京都小平市小川町二丁目1960
北緯35度43分50.9秒 東経139度28分13.8秒 / 北緯35.730806度 東経139.470500度 / 35.730806; 139.470500座標: 北緯35度43分50.9秒 東経139度28分13.8秒 / 北緯35.730806度 東経139.470500度 / 35.730806; 139.470500
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 シイ
駅構造 地上駅(半地下構造)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
11,146人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1973年昭和48年)4月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 武蔵野線
キロ程 7.4 km(府中本町起点)
西国分寺 (3.5 km)
(5.6 km) 新秋津
所属路線 武蔵野線貨物支線(国立支線)
キロ程 0.0* km(JR貨物・新小平起点)
(5.0km) 国立
備考 業務委託駅
みどりの窓口
*国立支線はJR東日本が第1種鉄道事業者であるが、同社では営業キロを設定していない。第2種鉄道事業者である日本貨物鉄道(JR貨物)のみ営業キロを設定している。
テンプレートを表示

新小平駅(しんこだいらえき)は、東京都小平市小川町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵野線である。

武蔵野線の本線のほか、旅客駅より西国分寺駅側で中央本線国立駅へ通じる武蔵野線支線(国立支線)が分岐している。この支線は主に貨物列車が走行するが、一部「むさしの号」や「ホリデー快速河口湖号」などの旅客列車も経由する。

駅構造

2つのトンネル(小平トンネル、東村山トンネル)の間に挟まれた掘割の中、地下12メートルの深さに相対式ホーム2面2線を有する。駅舎はトンネルの上の地上にある(半地下構造)。駅本屋の施工は鹿島建設による[1]

みどりの窓口(営業時間 7:00 - 20:00)、自動改札機設置駅。

のりば

1 武蔵野線(上り) 西国分寺府中本町方面
立川大月河口湖方面(「ホリデー快速河口湖」)
2 武蔵野線(下り) 武蔵浦和南浦和新松戸西船橋東京海浜幕張方面
大宮方面(「むさしの号」、「ホリデー快速河口湖」)

利用状況

2010年度の乗車人員は1日平均11,146人である。武蔵野線内25駅中最下位で、2009年度まで最下位だった市川大野駅を下回った。近年の推移は下記の通り。

年度 JR東日本
1992年 8,140[2]
1993年 8,660[3]
1994年 9,047[4]
1995年 9,292[5]
1996年 9,370[6]
1997年 9,167[7]
1998年 9,118[8]
1999年 9,287[9]
2000年 9,326[1]
2001年 9,407[2]
2002年 9,644[3]
2003年 10,044[4]
2004年 10,274[5]
2005年 10,496[6]
2006年 10,585[7]
2007年 10,780[8]
2008年 10,958[9]
2009年 11,292[10]
2010年 11,146[11]

駅周辺

バス路線

歴史

1991年10月の水没事故

水没事故の原因について

この事故は、事故発生より2か月前の8月から長期にわたって続いた長雨[11]が大きな原因とされており、台風21号は最後の一撃となったに過ぎない。

この異常な長雨により、新小平駅のある地下を西から東へ横切る伏流水地下の水脈)の水量は激増、当時排水機能を持たなかった新小平駅はこの伏流水を堰き止めることとなり、結果地下に大きな水溜りが発生、新小平駅は猛烈な浮力を受け、結果、大音響とともに一瞬で破壊に至ることとなった。深夜のため列車や乗客に被害は出ず、大惨事には至らなかった。

予兆は事故発生数週間前の9月半ばから既にあり、下りホームの階段を境にして前半分(新秋津駅寄り)の全体において、壁面のあちこちの裂け目から水が噴出している状況が確認されている。場所によってはホームを飛び越えて線路まで激しい放水が起きてており、ホームを歩くだけでもかなり危険を伴う状況が数週間にわたり続いていたが何ら対策はされず、結果事故は発生している。駅の構造設計の不備や、水の噴出といった明らかに異常な予兆を無視し続けた点は当時の報道でも度々指摘されており、人災の側面が非常に強い事故とされている。

復旧は武蔵野線が鉄道貨物輸送の大動脈である点から24時間体制の急ピッチで進められ、わずか2か月後の12月には復旧したが、復旧時にはこのような事故が発生しないようさまざまな対策が取られた。

  1. 伏流水からの湧き水を地上へ押し上げる揚水設備が下りホームの最前部に設置された。
  2. ホーム壁面には多数の歪みセンサーが埋め込まれた。
  3. 構造体の変形を阻止する巨大な鉄骨群が地下ホームの吹き抜けを覆い尽くして設置される[12]

など

ちなみに、線路の路盤の隆起は水没事故の発生から数日後に最大となり、ホームの2号車位置で約2メートルまで隆起した。その後は自然沈下して多少は戻したものの、最終的に1メートル近い隆起が残った。このままでは線路に急勾配が残り列車運行は不可能なため、隆起した部分を平らになるよう切除した上で新たに駅設備が敷設された。その影響で、駅構内の線路は事故前のスラブ軌道からバラスト軌道に変更されている。

余談だが、隣の西国分寺駅に近い国分寺市西恋ヶ窪の住宅街でも、武蔵野線の国立支線のトンネルに起因する床上浸水など洪水騒動が頻繁に発生して地域住民を困らせていたが、新小平駅の水没事故にともないJRもようやく重い腰を上げて伏流水への対策に取り組むようになり、こちらの洪水騒動も収まった。

水没中の迂回経路について

新小平駅が水没して使えない2か月の間、JRは新秋津駅 - 新小平駅 - 西国分寺駅で主に府中街道を経由する代行バスを運行した。しかし同街道沿いには久米川や恋ヶ窪など、どこも慢性的に大渋滞が続く細い迂回路しかなく、1駅の走行に1時間前後を要する状態だった。急ぐ客は新秋津駅から西武池袋線秋津駅へ徒歩で向かい、所沢駅東村山駅国分寺駅で乗り換えて西国分寺駅へ至る、西武池袋線・西武新宿線西武国分寺線・JR中央線を利用する経路を、運賃は自己負担で使用した。

新秋津駅の新小平側には西武池袋線(秋津駅 - 所沢駅間)との連絡線があり[13]、国分寺駅でも西武国分寺線とJR中央線の連絡線があったので、長期運休への対応として西武鉄道で代行輸送すれば良いのではないかという案が多くの乗客から出た。しかし、隙間をぬって臨時便を出す程度なら可能だが、新小平駅を通過する大量の乗客を西武線で本格的に代行輸送するとなると新小平駅の復旧に要すると当初公表されていた6か月と同程度の準備期間が、西武線の車両や送電設備の増強・信号設備の改修・西武国分寺線の複線化などに必要であったため、前述の通りの対応となった。

画像

補足

  • 当駅は小平市内に唯一存在するJR線の駅である。

隣の駅

東日本旅客鉄道
武蔵野線
各駅停車・快速(武蔵野線内各駅停車)・「むさしの号」(府中本町発のみ)
西国分寺駅 - 新小平駅 - 新秋津駅
「むさしの号」(八王子発着)
(中央線)立川駅 - 新小平駅 - 新秋津駅
武蔵野線・貨物支線(国立支線)
新小平駅 - 国立駅
小平トンネル内のほぼ中央部で本線から分岐し、下り本線の下を潜って西進し中央本線と合流する線区。JR東日本の所属であるが、同社では独立した線区としていない。一方JR貨物では独立した線区として営業キロ数(新小平 - 国立間、5.0キロ)を設定している。なお、「むさしの号」、「ホリデー快速河口湖号」、「成田山初詣青梅号」などの旅客列車も運行しているが、運賃計算上の経路は西国分寺駅経由になる。

脚注

  1. ^ 『鉄道建築ニュース 1973年4月』、鉄道建築協会、1973年4月。
  2. ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
  3. ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
  4. ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
  5. ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
  6. ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
  7. ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
  8. ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
  9. ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
  10. ^ 鳥や魚をモチーフに旅立ちや帰還をイメージした、武蔵野美術大学生による美麗かつ躍動感に溢れた作品。なお、水没事故からの復旧工事に際して消去されて短命で終わり、目撃者が少ない幻の壁画となった。
  11. ^ 当時の報道によると30年に一度という規模の累積降水量であった。
  12. ^ 駅の隆起した構造体の底部を復旧工事で切除したため、鉄骨群で補強しないと上下線各ホームの高さ10余メートルの地下壁が線路側へ容易に倒壊する状態にある。
  13. ^ 同線は現存し、西武多摩川線車両輸送などに利用されている。

関連項目

外部リンク