トッテナム・ホットスパーFC

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トッテナム・ホットスパーFC
原語表記 Tottenham Hotspur Football Club
愛称 Spurs, Lilywhites
クラブカラー 白・青
創設年 1882年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン ロンドン
ホームスタジアム ホワイト・ハート・レーン
収容人数 36,284
代表者 イングランドの旗 ダニエル・リーヴィー (en
監督 アルゼンチンの旗 マウリシオ・ポチェッティーノ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

トッテナム・ホットスパー・フットボール・クラブTottenham Hotspur Football Clubイギリス英語発音[ˌtɒtnəm-ˈhɒtspəː-])は、イングランドロンドンに本拠地を置くサッカークラブチーム。トットナムトテナムとも。チーム名の「ホットスパー」はヘンリー・ホットスパー・パーシー[1]に由来する。愛称はスパーズ (Spurs)。チームのモットーラテン語で「Audere est Facere(英語訳は「To Dare Is to Do」、日本語訳で「挑戦無くして成功無し」)」。

概要

1882年に創設されたトッテナムは1901年に初めてFAカップを制した。これはフットボールリーグの設立以降にノン・リーグ・クラブがFAカップを制した唯一の事例である。トッテナムは1960-61シーズンにリーグカップとFAカップを制し、これらの大会の2冠(ダブル)を達成した20世紀初のクラブとなった。1962年にもFAカップを連覇した後、1963年にはヨーロピアンカップウィナーズカップで優勝し、欧州のクラブ大会を制した初のイギリスクラブとなった[2]。1967年には、1960年代で3度目のFAカップ制覇を果たした。1970年代、トッテナムはリーグカップを2度制し、1972年にはUEFAカップの初代王者となった。異なる2つの主要な欧州タイトルを獲得したイギリスクラブはトッテナムが初めてであった。1980年代は、FAカップを2回、FAコミュニティ・シールドを1回、そして1984年のUEFAカップを制した。1990年代はFAカップとリーグカップを1度ずつ獲得した。そして2008年にリーグカップを制したことで、1950年代からの全ての年代における主要タイトル獲得を果たした(トッテナム以外ではマンチェスター・ユナイテッドのみ)。2015年現在はイングランド・プレミアリーグに所属している。数度の2部降格を経験しているが、1978年よりイングランドのトップリーグに所属し続けるイングランドを代表するビッグクラブである。

地元のアーセナルとは長年ライバル関係にあり、両者の対戦はノース・ロンドン・ダービーと呼ばれる。

デロイト・フットボール・マネー・リーグによると、トッテナムのクラブ収入は211億円で欧州第13位、プレミアリーグではリヴァプールFCに次いで第6位である。

歴史

初期

1901年FCカップ、シェフィールド・ユナイテッドFCとの決勝再試合で得点を挙げるサンディー・ブラウン。

1882年9月5日火曜日に、教会の聖書研究会に所属するグラマースクールの学生によってホットスパーFCが結成された。彼らはホットスパークリケットクラブのメンバーでもあった。「ホットスパー」という名称は14世紀にこの地域に住んでおり、子孫が近隣に土地を所有していたヘンリー・"ホットスパー"・パーシーと関連している可能性がある。1884年に、既に定着していた「ホットスパーFC」との混同を避けるため、トッテナム・ホットスパーFCと改称した[3]

欧州の舞台へ

2001年よりジョー・ルイスが率いるイギリスの投資会社ENICグループ(かつてSKスラヴィア・プラハグラスゴー・レンジャーズFCを保有していた)がクラブの所有権を握り、ダニエル・リーヴィが会長に就任している。2005年にはダミアン・コモリをスポーツディレクターとして招聘、この時期にはガレス・ベイルルカ・モドリッチディミタール・ベルバトフらを獲得している。2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ出場まであと一歩のところで足踏みし、惜しくも5位。後にマルティン・ヨルファンデ・ラモス監督に補強に関する権限が与えられなかったことからトラブルが起こり、チームは一時低迷する。

2008年10月にはハリー・レドナップが監督に就任、同時にSD職を廃しチーム編成は監督と会長のリーヴィが主導するスタイルに改められる。2009-10シーズンのプレミアリーグウィガン・アスレチック戦では、プレミアリーグ史上2番目の得点差となる9-1で圧勝するなど、プレミアリーグ発足後のクラブ史上最高位の4位となり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権をクラブ史上初めて獲得した[4]。これによって、2005-06シーズンから2008-09シーズンまで続いたいわゆるビッグ4[5][6]アーセナルチェルシーマンチェスター・ユナイテッドリバプール)によるチャンピオンズリーグの出場権独占が終わった。

2010-2011シーズン

2010年にはENICが前オーナーのアラン・シュガーイージーグループの総帥ステリオス・ハジ=イオアヌが持つ株式を買収し、クラブ株式の85%を持つに至る。2010-11シーズンの夏の移籍市場ではレアル・マドリードからラファエル・ファン・デル・ファールトを獲得するなどをして注目を浴びた。初のUEFAチャンピオンズリーグでは、イタリアの強豪インテルナツィオナーレ・ミラノを抑えてGLを1位通過するとベスト16では同じくイタリアの強豪ACミランを破ってベスト8進出をするなど健闘した。一方、プレミアリーグではFW陣の得点不足やキーパーの凡ミスなどが問題となり惜しくも5位と2年連続のUEFAチャンピオンズリーグ出場はならずUEFAヨーロッパリーグに出場することになった。

2011-2012シーズン

2011-12シーズンでは得点不足を解消するためマンチェスター・シティFCからエマニュエル・アデバヨールをレンタルで獲得、加えてブラッド・フリーデルスコット・パーカーなども獲得し、前シーズンの不安要素を中心とした補強がされた。また冬の移籍市場では元マンチェスター・ユナイテッドFCルイ・サハなども獲得した。ELではターンオーバーに徹し主力を温存したこともあり、PAOKテッサロニキFCルビン・カザンに次ぐ3位でグループステージ敗退。プレミアリーグでは4位となり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、プレミアリーグを6位で終えたチェルシーがUEFAチャンピオンズリーグで優勝し前年優勝クラブ枠を手にしたため、トッテナムはUEFAヨーロッパリーグへ回ることとなった。2012年1月には、収容人数が4万人に満たないホワイト・ハート・レーンに代わる新たなスタジアムの建設に向け、クラブの非上場化の手続きを完了した。

2012-2013シーズン

2012年6月14日、レドナップの退任が発表された。7月3日に新監督としてアンドレ・ビラス・ボアス就任を発表した。それに続いてギルフィ・シグルズソンヤン・フェルトンゲンを獲得した。さらにはエマニュエル・アデバヨールを買い取り、フラムFCからムサ・デンベレクリント・デンプシーを獲得し、フリーデルの後継者としてウーゴ・ロリスも獲得した。一方でモドリッチを移籍金3330万ポンドでレアル・マドリードに売却し、同時にRマドリーと業務提携を結んでいる[7]。さらに冬の移籍市場では、シャルケ04から、サッカードイツ代表である、ルイス・ホルトビーを獲得した。

2013-2014シーズン

2013年夏、チームの顔であるガレス・ベイル移籍の噂が大きく報道される中、移籍市場では積極的に動き、チームを強化するためこれまで主力選手だった、クリント・デンプシー、トム・ハドルストーンジェイク・リヴァーモア、前主将のウィリアム・ギャラス、さらには副主将のスコット・パーカーまでもを放出し、巨額の資金を投じてブラジル代表パウリーニョやクラブ史上最高額の移籍金となる約3000万ユーロで、スペイン代表ロベルト・ソルダード、ベルギー代表ナセル・シャドリ、フランス代表エティエンヌ・カプエを獲得するなど大型補強を敢行した。13-14シーズン開幕戦クリスタル・パレス戦、第2節のスウォンジ・シティAFC戦共に、新加入のソルダードのPKでどちらも1-0で勝利し、幸先の良いスタートを切った。さらに補強の手を緩めずエリク・ラメラクリスティアン・エリクセンヴラド・キリケシュといった各国の代表クラスの選手を獲得し、この移籍市場での投資額は、レアル・マドリードパリ・サンジェルマンに次ぐと見られる約160億円に上った。特にエリクセンの獲得はチームの攻撃に大きなオプションを与えた。そして9月1日にベイルを史上最高額の8500万ポンドでレアル・マドリードに売却することを発表、背番号11エリク・ラメラが受け継いだ[8]

2013-14シーズンは前述の大型補強にも拘らず11月24日のマンチェスター・シティ戦で0-6の大敗、12月15日のリヴァプール戦で0-5の大敗を喫するなど調子が上がらず、12月16日にビラス・ボアスは解任された。後任として、ティム・シャーウッドがアシスタントコーチから暫定監督を経て正式に監督に就任、ビラスボアス時代に冷遇されていたエマニュエル・アデバヨールを起用して、彼が再びエースの地位を取り戻すチャンスを与えた。輝きを取り戻したアデバヨールに加え、エリクセン、レノンのコンディションも順調に整い、元日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦で勝利するなどして短期間で一気に順位を上げる事に成功したが、その後も優勝争いには絡むことなく6位に終わりCL出場権を逃した。

2014-2015シーズン

2013-14シーズン終了後にシャーウッドは解任され、新監督にサウサンプトンFCで好成績を残したマウリシオ・ポチェッティーノを招聘した。2014年6月9日にはベテランGKブラッド・フリーデルが1年間の契約延長発表と同時にクラブのアンバサダーに就任した。

2014-15シーズンは、ベルギー代表ナセル・シャドリが開幕から5試合で4得点を決めるなど、前シーズンに「失敗」の格印を押された選手達が活躍を始めた[9]

ユニフォーム

会長のダニエル・リーヴィ。ケンブリッジ大学を首席で卒業している。

ブランド

胸スポンサー

  • 1882-1983: なし
  • 1983-1995: Holsten
  • 1995-1999: ヒューレット・パッカード
  • 1999-2002: Holsten
  • 2002-2006: Thomson Holidays
  • 2006-2010: Mansion.com Casino & Poker
  • 2010-2013: リーグ戦:Autonomy/ヨーロッパカップ戦:Investec Bank
  • 2013-2014(予定): リーグ戦:ヒューレット・パッカード(HPがAutonomyを買収したことにより14年ぶりに復帰)/ヨーロッパカップ戦:AIA Group Limited
  • 2014(予定)-:AIA Group Limited[10]

ダービーマッチ

同じ北ロンドンを本拠地とするアーセナルとはライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのが、かつてトッテナムからアーセナルへ移籍したソル・キャンベルに対してトッテナムファンがユダと呼んだという出来事である。アーセナルとの試合は「ノース・ロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスター・ダービーマージーサイド・ダービーと並びダービーの一つに数えられている。

サポーター

ホワイト・ハート・レーン

トッテナムはイギリス、主に北ロンドンとホーム・カウンティーズに多くのファンを有している。1946年から1969年の間に5度、イングランドにおける平均観客動員数で最多となった[11][12]。また、世界中にトッテナムのサポーターズクラブが存在する。2008-09プレミリーグにおける平均観客動員数は第9位であった[13]。クラブの歴史的なサポーターにはアルフレッド・エイヤーなどがいる[14][15]。トッテナムのサポーターは主にロンドン地域内の複数のクラブとライバル関係にある。最大のライバルは共に北ロンドンを本拠地とするアーセナルである。他にも同じロンドンを本拠地とし、チェルシーウェストハム・ユナイテッドとの対戦もロンドン・ダービーの一つである[16]

トッテナムにはロンドンの多くのクラブと同様に、多くのユダヤ人サポーターがおり、これがトッテナムサポーターに対する反セム主義的な挑発につながっている[17][18]。トッテナムサポーターはこれに対抗してユダヤ人も非ユダヤ人も自分達を「イーズ(Yids)」と称する。ユダヤ人への侮蔑語である「イード」は、元々はスパーズの本拠地周辺がユダヤ人の多く住む地域であることに対し、口汚い相手ファンからの嘲りの言葉として使われ始めたが、やがてスパーズファンはそれを逆手に取って、誇らしげに自称するようになった。自称「イード」の大半はおそらく本当のユダヤ人ではないが、厳密な定義は必要とされず、彼らはドイツ人のユルゲン・クリンスマンが所属した時にも「Chimm-chimminee, chim-chimminee, chim-chim-churoo, Juergen was a German, but now he’s a Jew(ユルゲンはドイツ人だった、でも今ではユダヤ人だ; チム・チム・チェリーの節で)」というチャントを唄った[19]

ユダヤ人団体や反人種差別団体からは「イード」の使用が人種差別を助長していると考えて、スパーズファンに自制を求める声もあるが、スパーズファンは自分たちが使用する「イード」はまったく無害なものだと考えている[20]

著名人のファンとしては元プロサッカー選手の父親を持つNBAスティーブ・ナッシュや水泳選手のイアン・ソープコールドプレイジョニー・バックランド等が知られている。また、俳優のジュード・ロウもスタンド観戦する姿を度々中継カメラに捉えられている。007 スカイフォールの主題歌でオスカーを受賞したアデルもスタジアムに足繁く通い、インタビューにも「私は偽物じゃない。本物のファンよ」と発言している[21]

タイトル

国内タイトル

  • FAカップ:8回
    • 1900-1901, 1920-1921, 1960-1961, 1961-1962, 1966-1967, 1980-1981, 1981-1982, 1990-1991

国際タイトル

過去の成績

シーズン ディビジョン FAカップ リーグ
カップ
欧州カップ / その他 最多得点者
リーグ 試合数 得点 失点 勝ち点 順位 選手 得点数
1979-80 ディビジョン1 42 15 10 17 52 62 40 14位 準々決勝敗退 2回戦敗退 グレン・ホドル 22
1980-81 42 14 15 13 70 68 43 10位 優勝 準々決勝敗退 スティーヴ・アーチボルト 25
1981-82 42 20 11 11 67 48 71 4位 優勝 準優勝 チャリティ・シールド 優勝 ガース・クルックス 18
カップウィナーズカップ 準決勝敗退
1982-83 42 20 9 13 65 50 69 4位 5回戦敗退 準々決勝敗退 チャリティ・シールド 準優勝 スティーヴ・アーチボルト
ガース・クルックス
15
カップウィナーズカップ 2回戦敗退
1983-84 42 17 10 15 64 65 61 8位 4回戦敗退 3回戦敗退 UEFAカップ 優勝 スティーヴ・アーチボルト 28
1984-85 42 23 8 11 78 51 77 3位 4回戦敗退 4回戦敗退 UEFAカップ 準々決勝敗退 マーク・ファルコ 29
1985-86 42 19 8 15 74 52 65 10位 5回戦敗退 4回戦敗退 スクリーンスポーツ・スーパーカップ 準決勝敗退 マーク・ファルコ 25
1986-87 42 21 8 13 68 43 71 3位 準優勝 準決勝敗退 クライヴ・アレン 49
1987-88 40 12 11 17 38 48 47 13位 4回戦敗退 3回戦敗退 クライヴ・アレン 13
1988-89 38 15 12 11 60 46 57 6位 3回戦敗退 4回戦敗退 クリス・ワドル 14
1989-90 38 19 6 13 59 47 63 3位 3回戦敗退 準々決勝敗退 ゲーリー・リネカー 26
1990-91 38 11 16 11 51 50 49 10位 優勝 準々決勝敗退 ゲーリー・リネカー
ポール・ガスコイン
19
1991-92 42 15 7 20 58 63 52 15位 3回戦敗退 準決勝敗退 チャリティ・シールド 優勝 ゲーリー・リネカー 35
カップウィナーズカップ 準々決勝敗退
1992-93 プレミア 42 16 11 15 60 66 59 8位 準決勝敗退 3回戦敗退 テディ・シェリンガム 28
1993-94 42 11 12 19 54 59 45 15位 4回戦敗退 準々決勝敗退 テディ・シェリンガム 15
1994-95 42 16 14 12 66 58 62 7位 準決勝敗退 3回戦敗退 ユルゲン・クリンスマン 29
1995-96 38 16 13 9 50 38 61 8位 5回戦敗退 3回戦敗退 インタートトカップ グループステージ敗退 テディ・シェリンガム 24
1996-97 38 13 7 18 44 51 46 10位 3回戦敗退 4回戦敗退 テディ・シェリンガム 8
1997-98 38 11 11 16 44 56 44 14位 4回戦敗退 3回戦敗退 ユルゲン・クリンスマン
ダヴィド・ジノラ
9
1998-99 38 11 14 13 47 50 47 11位 準決勝敗退 優勝 ステファン・イヴェルセン 13
1999-2000 38 15 8 15 57 49 53 10位 3回戦敗退 4回戦敗退 UEFAカップ 2回戦敗退 ステファン・イヴェルセン 17
2000-01 38 13 10 15 47 54 49 12位 準決勝敗退 3回戦敗退 セルゲイ・レブロフ 12
2001-02 38 14 8 16 49 53 50 9位 準々決勝敗退 準優勝 グスタボ・ポジェ 14
2002-03 38 14 8 16 51 62 50 10位 3回戦敗退 3回戦敗退 テディ・シェリンガム
ロビー・キーン
13
2003-04 38 13 6 19 47 57 45 14位 4回戦敗退 準々決勝敗退 ロビー・キーン 16
2004-05 38 14 10 14 47 41 52 9位 準々決勝敗退 準々決勝敗退 ジャーメイン・デフォー 22
2005-06 38 18 11 9 53 38 65 5位 3回戦敗退 2回戦敗退 ロビー・キーン 16
2006-07 38 17 9 12 57 54 60 5位 準々決勝敗退 準決勝敗退 UEFAカップ ベスト8 ディミタール・ベルバトフ 23
2007-08 38 11 13 14 66 61 46 11位 4回戦敗退 優勝 UEFAカップ ベスト16 ディミタール・ベルバトフ
ロビー・キーン
23
2008-09 38 14 9 15 45 45 51 8位 4回戦敗退 準優勝 UEFAカップ ベスト32 ダレン・ベント 17
2009-10 38 21 7 10 67 41 70 4位 準決勝敗退 準々決勝敗退 ジャーメイン・デフォー 24
2010-11 38 16 14 8 55 46 62 5位 4回戦敗退 3回戦敗退 チャンピオンズリーグ ベスト8 ラファエル・ファン・デル・ファールト 15
2011-12 38 20 9 9 66 41 69 4位 準決勝敗退 3回戦敗退 ヨーロッパリーグ グループステージ敗退 エマニュエル・アデバヨール 18
2012-13 38 21 9 8 66 46 72 5位 5回戦敗退 4回戦敗退 ヨーロッパリーグ 準々決勝敗退 ガレス・ベイル 21
2013-14 38 21 6 11 55 51 69 6位 3回戦敗退 準々決勝敗退 ヨーロッパリーグ ベスト16 エマニュエル・アデバヨール 11
2014-15 38 19 7 12 58 53 64 5位 4回戦敗退 準優勝 ヨーロッパリーグ ベスト32 ハリー・ケイン 30

現所属メンバー

2015-16シーズン 基本フォーメーション
2016年2月1日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK フランス ウーゴ・ロリス ()
2 DF イングランド カイル・ウォーカー (第4主将)
3 DF イングランド ダニー・ローズ ()
4 DF ベルギー トビー・アルデルヴァイレルト
5 DF ベルギー ヤン・フェルトンゲン (副主将)
6 MF アルジェリア ナビル・ベンタレブ ()
7 FW 大韓民国 孫興民
8 MF イングランド ライアン・メイソン
10 FW イングランド ハリー・ケイン(第3主将)
11 MF アルゼンチン エリク・ラメラ ()
13 GK オランダ ミシェル・フォルム ()
No. Pos. 選手名
14 FW カメルーン クリントン・エンジ
15 DF イングランド エリック・ダイアー
16 DF イングランド キーラン・トリッピアー
19 MF ベルギー ムサ・デンベレ ()
20 MF イングランド デレ・アリ
22 MF ベルギー ナセル・シャドリ ()
23 MF デンマーク クリスティアン・エリクセン
25 MF イングランド ジョシュ・オノマー ()
27 DF オーストリア ケヴィン・ヴィマー
28 MF イングランド トム・キャロル
33 DF ウェールズ ベン・デイヴィス

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
12 DF アメリカ合衆国 デアンドレ・イェドリン (サンダーランド)
21 DF アルゼンチン フェデリコ・ファシオ (セビージャ)
24 MF イングランド アレックス・プリチャード (WBA)

リザーブ & アカデミー

歴代監督


歴代所属選手

GK

DF


MF


FW


脚注

  1. ^ Hotspur(直訳すると燃える拍車)のあだ名を持つ騎士で現代英語のHotspur (向こう見ず、といった意) は彼のあだ名が語源。日本では「向こう見ずのヘンリー(Henry Hotspur) 」と訳されることもある。
  2. ^ “Tottenham legend Nicholson dies”. BBC Sport. (2004年10月23日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/t/tottenham_hotspur/3757030.stm 2010年8月17日閲覧。 
  3. ^ History: Year by year”. Tottenham Hotspur F.C.. 2010年12月22日閲覧。
  4. ^ [1]goalcom.
  5. ^ Northcroft, Jonathan (2008年5月11日). “Breaking up the Premier League's Big Four”. The Sunday Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/premier_league/article3908394.ece 2011年5月26日閲覧。 
  6. ^ “The best of the rest”. Soccernet (ESPN). (2007年1月29日). http://soccernet.espn.go.com/columns/story?id=405515&root=england&&cc=5739 2007年11月27日閲覧。 
  7. ^ クラブ声明 モドリッチのRマドリー移籍と業務提携2012年8月27日
  8. ^ ベイルの後継者 ラメラsoccer king
  9. ^ シャドリ、ゴールの快感spurs japan
  10. ^ AIAとの長期パートナーシップが始まるspurs japan 2014年2月11日
  11. ^ Historical Attendances 1950s”. European Football Statistics. 2006年10月26日閲覧。
  12. ^ Historical Attendances 1960s”. European Football Statistics. 2006年10月26日閲覧。
  13. ^ Statistics FA Premier League
  14. ^ Key thinkers in linguistics and the philosophy of language, Edinburgh University Press, 2005, By Siobhan Chapman, page 22
  15. ^ Notable Spurs supporters Retrieved 26 August 2011
  16. ^ Rivalry uncovered! The results of the largest ever survey into club rivalries, The Football Fans Census. Retrieved 30 January 2008
  17. ^ Kessel, Anna (2007年10月28日). “Alive and unchecked – a wave of anti-Jewish hate”. The Guardian (UK). http://www.guardian.co.uk/football/2007/oct/28/newsstory.sport2 
  18. ^ Baddiel, David (2002年10月17日). “So you think we've kicked racism out of English football”. The Independent (UK). http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/david-baddiel-so-you-think-weve-kicked-racism-out-of-english-football-614251.html 
  19. ^ Anti-Semitism or endearment?”. European Jewish Press. 2012年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月7日閲覧。
  20. ^ ‘Yid Army’ comes out fighting”. The Jewish Chronicle (2007年10月19日). 2007年11月4日閲覧。
  21. ^ 我が心のクラブを持つセレブリティたち『Nunber PLUUS』2013年10月1日号

参考文献

  • フランクリン・フォア『サッカーが世界を解明する』「第3章 ユダヤ人問題」白水社、2006年。ISBN 4-560-04975-0

外部リンク