アサルトライフル

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アサルトライフル: Assault rifle[† 1]は、実用的な全自動射撃能力を持つ自動小銃のことである。従来の小銃弾(フルサイズ弾[† 2])より反動の弱い弾薬(中間弾薬)を用いることで全自動射撃を容易にしているものが多い。

一方で、M14小銃のようにフルサイズ弾を使用する自動小銃は全自動射撃に向いていないため、バトルライフルなどと呼ばれて区別される場合もある[† 3]

現在の軍隊ではアサルトライフルが最も一般的な銃器となっており、旧世代にあたるものならば発展途上国や武装勢力にもよく普及している。

日本語では突撃銃と訳される。自衛隊が配備している火器の中では89式5.56mm小銃がアサルトライフルに該当する。

StG44(1940年代-)
AK-47(1940年代-)
M16A1(1960年代-)
AUG(1970年代-)

概要

M16AKの比較

連射と単射を切り替え可能な歩兵用の自動小銃としては、かつてフェドロフM1916リベイロール1918オートマチックカービンラインメタルFG42などが存在したが、現代的な意味でのアサルトライフルは第二次世界大戦中にナチス・ドイツで開発されたStG44に端を発する。StG44とはSturmgewehr 44(44年式突撃銃の意)の略称であり、アサルトライフルとはSturm突撃Gewehr小銃)なる語を英訳したものである。

1949年、StG44と同様の設計思想で製作されたAK-47ソビエト連邦にて制式化された。1950年代からは東側諸国でも7.62x39mm弾の配備が始まった。アメリカ陸軍およびアメリカ国防情報局が1970年に作成した資料『Small Arms Identification and Operation Guide - Eurasian Communist Countries』(小火器識別および操作ガイド - ユーラシアの共産主義国)では、AK-47を「7.62-mm Kalashnikov assault rifle (AK-47)」として掲載しており、アサルトライフル(Assault rifles)の性質について次のように解説している[1][2]

  • アサルトライフルは、短機関銃小銃の間の威力の弾薬を発射する、短く小型で単射と連射の切り替え射撃が可能な銃器である。
    Assault rifles are short, compact, selective-fire weapons that fire a cartridge intermediate in power between submachinegun and rifle cartridges.
  • アサルトライフルは軽い反動を持つ特徴があり、このため効果的な連発射撃を300mまでの射程で行う能力がある。
    Assault rifles have mild recoil characteristics and, because of this, are capable of delivering effective full-automatic fire at ranges up to 300 meters.

1967年には、アメリカ陸軍でもこの概念に合うM16A1歩兵用主力小銃として制式化していた。1970年代からは西側諸国でも5.56x45mm NATO弾の配備が始まった。

AK-47およびM16の制式名はそれぞれ、Автомат Калашникова образца 1947 года(カラシニコフ自動小銃1947年型)、Rifle, Caliber 5.56mm, M16(16型5.56mm口径小銃)であり、ソビエト連邦アメリカ合衆国両国ともアサルトライフルの意味の名称は用いなかったものの、ベトナム戦争以降、AK-47とM16は代表的なアサルトライフルとして認識されていった。その後、各国の歩兵用主力小銃として東側では7.62x39mm弾を使用した自動小銃が、西側では5.56mm NATO弾を使用した自動小銃が採用されていき多数派を占めるようになった。これらの弾薬を使用した自動小銃が歩兵用の主力火器として採用され、アサルトライフルとして認識されている。ただし、アサルトライフルを定義する具体的な数値は決まっていない。

機能

StG44を構えるドイツ兵
バルジの戦い1944年
アサルトライフルは世界的に普及している:2008年撮影のエチオピア人男性

銃は第一次世界大戦までは精度や射程を競っていたが、機関銃の登場がそれを変えた。そして、機関銃の軽量化が進むと携行可能な軽機関銃短機関銃自動小銃が多く生み出され、歩兵(小銃手)の火器としてはアサルトライフルに収束したのである。

アサルトライフルという概念の目標は、短機関銃が担っていた至近距離での掃射と小銃が担っていた中距離(300-400m)での狙撃能力の両立である。これを実現するため、有効射程500m程度の低反動な弾薬を用いることが多い。セミ/フルオートの切替射撃機能(引き金を引くと決められた数だけ連射するバースト機能を有する銃も存在する)を持ち、ガス圧作動方式等の自動装填機構、着脱式弾倉を有している。

また、反動制御を容易とする目的から、軽機関銃と同様の直銃床スタイル(銃身軸線の延長上に銃床が位置する)が一般的であり、その保持を容易とするためのピストルグリップも重要な要素となっているほか、同銃身長でより軽量小型化の容易なブルパップ方式でデザインされた製品も多い。

近年の製品では、金属製の基幹部品(銃身や機関部など)に、環境の変化に強い繊維強化プラスチックの大型構成部品(ストックやハンドガードなど)が組み合わせられたものが多く、鋼板プレス加工や繊維強化プラスチックによる一体成型など生産性に優れた手法で製造され、単価が安い点もアサルトライフルの特徴となっている。

定義と名称

アサルトライフルと同種の火器を指す名称は複数あるが、国や組織によって厳密な定義は異なる。

シュトゥルムゲヴェーア

ドイツ語で同種の火器を指す「Sturmgewehr」(StG, StGw, SG,シュトゥルム・ゲヴェーア)という言葉は、第二次世界大戦中に開発された新型小銃MP43を改称する為、アドルフ・ヒトラー自らが考案した名称と言われている[3]。シュトゥルム・ゲヴェーアという言葉が考案されるまで、同等の火器はMaschinenkarabiner(MKb, マシーネンカラビナー、「マシンカービン」)と呼称されていた。例えば1942年に提出されたStG44の試作型にはMKb42なる名称が与えられ、また、1945年に試作された突撃銃はMKb Gerät 06Hと仮称され、後にStG 45(M)すなわちモーゼル型45年式突撃銃と呼称された。

ドイツ民主共和国(東ドイツ)では同種の火器をMaschinenpistole(MPi)、すなわち短機関銃と呼称した。国家人民軍設立当初には、StG44がMPi-44の名称で採用され、後に採用されたAK-47MPi-Kすなわちカラシニコフ式短機関銃と呼称された。1980年代後期になってから、Sturmgewehrの語を用いるStG940シリーズが開発された。

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)で編成されたドイツ連邦軍では、G3G36に見られるように、制式小銃の名称にはSturmgewehr(StG)ではなくGewehr(G)すなわち小銃という表現のみ用いた。銃器を分類する語としては使われており、例えばドイツ連邦陸軍はホームページ上でG36をSturmgewehrと呼び[4]、G3もSturmgewehrとして言及されることがある[5][6]

ドイツの大手銃器メーカーヘッケラー&コッホ社も製品の分類にSturmgewehrを用いている[7]。G36、HK416HK417がここに分類されている。

オーストリア軍では、かつて国産化したFALSturmgewehr 58として採用していたほか、ステアーAUGをSturmgewehr 77の制式名称で採用している[8]スイス軍では、かつてSIG SG510をSturmgewehr 57として採用していたほか[9]SIG SG550をSturmgewehr 90として採用している[10]

アサルトライフル

英語の「Assault Rifle」(アサルトライフル)は、ナチス・ドイツで造語されたシュトゥルム・ゲヴェーア(Sturmgewehr)という用語を英訳したものとされている[11][3]。1980年代には民生市場でアサルトライフルを原型とするスポーツ用小銃が流通し始め、この語は一般にも広く認知されていった[3]

1945年にアメリカ陸軍で作成されたMP43の改称に関する報告書では、ドイツ側が造語したSturmgewehrの訳語として「Assault Rifle」が使われ、機能については従来通りの「machine carbine」であるとしている[12]

1973年の『Small Arms Identification and Operation Guide - Eurasian Communist Countries』の記述に従えば、アメリカ陸軍におけるアサルトライフルの定義は「短機関銃小銃の間の威力の弾薬を用い、短く小型で、セレクティブ・ファイア機能を備え、低反動で、フルオート射撃時の有効射程は300m程度の銃である」と解釈することができる[1]。また、全米ライフル協会(NRA)の立法行動研究所(NRA-ILA)では、アメリカ陸軍によるものとして「中間威力の弾薬を用い、セレクティブ・ファイア機能を備えるライフル」(a selective-fire rifle chambered for a cartridge of intermediate power.)という定義を紹介している[13]

ブリタニカ・オンライン英語版では、アサルトライフルという語を次のように説明している[14]

アサルトライフルとは、小型化あるいは弱装化された銃弾を使用し、セミ/フルオートの切り替え機能を有する軍用銃である。これらは軽量かつ持ち運びやすく、現代的な戦闘距離すなわち300 - 500m程度の範囲で十分な精度と高い火力を発揮する。そのため、近代的な軍隊における標準歩兵用火器として第二次世界大戦期の高威力なボルトアクション式小銃および自動小銃を置換した。
Assault rifle, military firearm that is chambered for ammunition of reduced size or propellant charge and that has the capacity to switch between semiautomatic and fully automatic fire. Because they are light and portable yet still able to deliver a high volume of fire with reasonable accuracy at modern combat ranges of 300–500 m (1,000–1,600 feet), assault rifles have replaced the high-powered bolt-action and semiautomatic rifles of the World War II era as the standard infantry weapon of modern armies.

アメリカ合衆国では、銃規制の議論に関連して定義の曖昧な「アサルトライフル」という言葉がしばしば問題となり、また規制対象として法的に定義された用語「アサルトウェポン」(Assault weapon)と混同されることも多い[15][3]

西側諸国(主にアメリカ合衆国)においては、M14小銃のような大口径自動小銃を特にアサルトライフルと区別する場合、バトルライフルという表現が用いられることもある[16]

アフタマート

ロシア語で同種の火器を指す「Автомат」(アフタマート)について、現在は1991年に発効したGOST規格28653-90号「小火器・用語と定義」(ГОСТ 28653-90 «Оружие стрелковое. Термины и определения»)の中で定義されている[17]。アフタマートは「自動式カービン」(автоматический карабин)であるとされており、ここで言うカービンКарабин, カラビン)については「短銃身を備える軽量小銃」(облегчённая винтовка с укороченным стволом)とされる。また、小銃(Винтовка, ビントフカ)は「ライフリングがあり、銃床を肩に当て両手で保持・射撃する構造の小火器」(нарезное стрелковое оружие, конструктивно предназначенное для удержания и управления при стрельбе двумя руками с упором приклада в плечо)とされている。

ロシアで設計された銃器のうち、アフタマートの概念に一致する最初のものは、ウラジーミル・フョードロフ将軍が手掛けたアフタマート・フョードロファロシア語: Автомат Фёдорова, 「フョードロフ突撃銃」)である。1913年に6.5mm口径自動小銃の設計を完了させたフョードロフは、1915年から自らの前線での経験を踏まえた新型自動火器の設計に着手した。新たなアイデアに沿って改良を加えられた6.5mm口径自動小銃は、銃床がカービン銃程度まで短縮され、25連発の着脱式弾倉、フルオート射撃機能などが追加されていた。フョードロフ自身はこの新型火器を「軽機関銃」(ロシア語: ружьё-пулемёт)と称し、「アフタマート」なる用語は士官射撃学校ロシア語版校長N・M・フィラトフ大佐(Н. М. Филатов)によって考案されたと言われている。専用弾の製造に問題があったため、フョードロフ銃は日本製で同口径の6.5mmx50SR有坂弾(三八年式実包)仕様に再設計された。この弾薬を520mmと比較的銃身が短いフョードロフ銃から射撃した際のマズルエネルギーは、7.62mm仕様のカラシニコフ銃とほぼ同等であった[18]

突撃銃

日本語で同種の火器を指す突撃銃という言葉は、『防衛省規格 火器用語(小火器)』の中で定義されている[19]。突撃銃は英語のAssault Rifleに対応する語であり、「小銃の一種で,突撃射撃に適している銃。全自動と半自動の機能及び多数弾を給弾できる弾倉を有する。」とされている。また、ここで言う「突撃射撃」については「突撃に際して,通常,腰だめ又は立姿で行う射撃」と定義されている[20]

ただし、89式5.56mm小銃64式7.62mm小銃に見られるように、自衛隊などが採用したAssault Rifleに相当する火器は小銃と呼称されている。また、同種の火器についてアサルトライフルというカナ表記や自動小銃という表現が用いられることも多い。

歴史

黎明期

チェイ・リゴッティ小銃
ロシニョールENT小銃
フェドロフ自動小銃
ブローニングM1918自動小銃
Mle1915自動小銃

各種の自動火器が発達しはじめた20世紀初頭、アサルトライフルという概念は未だ存在しなかったが、その先鞭となる銃器が出現していた[11]

アサルトライフルの概念に近い最初の自動小銃は、1890年に発明されたイタリア製のチェイ=リゴッティ小銃英語版(Cei-Rigotti)だと言われている。これは20世紀の初めに開発されたガス圧作動方式のセミ/フル両用のカービンサイズの自動小銃だったが、試作レベルに止まって軍隊には供給されなかった。チェイ=リゴッティはイタリア軍の標準的な小銃弾だった6.5mmx52カルカノ弾英語版のほか、より強力なアルゼンチンの7.65mm弾を用いるモデルもあった。弾倉は固定式で、装填にはストリッパー・クリップが必要だった。

同時期、フランスではルベルM1886を更新する為の自動小銃の開発が進められており、その中でロシニョール ENT B1英語版として知られる自動小銃が試作された。この銃は6x60mm弾という小口径弾を使用し、セレクティブ・ファイア機能や着脱式弾倉を備えていたものの、重量が20ポンド以上(ルベル小銃は9.7ポンド)もあった為、結局採用には至らなかった。ENT B1は機関銃の役割を兼ねることも期待されていた。

1916年、ロシア帝国の銃器設計者ウラジーミル・フョードロフが手掛けた、ショートリコイル方式のフェドロフ自動銃(M1916)が実用化され、第一次世界大戦と続くロシア内戦で実戦使用された。M1916は12,000丁あまりが生産されたが、使用する6.5mmx50SR有坂弾(三八式実包)が供給上の問題がある非標準弾であったことや、標準弾仕様の半自動小銃の調達が優先されたことなどから、1928年には一線を離れた。冬戦争(1939年 - 1940年)の際には、自動火器の不足を補うべく、保管されていたM1916の一部が前線の部隊へと支給された[21]

1920年代の赤軍において、M1916は従来の軽機関銃と同様に運用されたものの、持続射撃能力や射撃精度の点で大幅に劣った。この一見して不適当な運用は、当時の赤軍における軽機関銃の需要に対し、国内で調達可能な軽量自動火器がM1916以外に存在しなかったことに起因する。軽機関銃と歩兵用自動小銃の中間にあるM1916は、当時存在したいずれの歩兵火器のカテゴリにも含め難く、フョードロフ自身も後に「極めて紛らわしい種類の火器」(довольно путаным типом оружия)と表現している。フョードロフは同時期の他国の銃器設計者と同様、次世代の歩兵銃は従来通りの強力な小銃弾を用いる半自動小銃でなければならないと信じており、銃口エネルギーの劣るM1916は歩兵銃を代替しえないと考えていた。一方、1938年の著書において、「自動小銃(Автоматическая винтовка)──むしろ自動銃(автомат)と称する方が適切だが──は、短機関銃に接近しつつある。……これら2種類の火器は、拳銃弾の能力が大幅に向上した場合、1種の小口径火器(歩兵用自動カービン)に統合される。……20連発弾倉を備えた小口径の自動カービンだ……軽量、小型、取り回しのしやすさで最も優れている。」と述べており、後のアサルトライフルの概念を予見してもいた[21]

第一次世界大戦中、フランスはアメリカ製ウィンチェスター M1907半自動小銃を2,500丁程度購入し、その大部分にセレクティブ・ファイア機能や大容量の着脱式弾倉を追加する改造を施した。この改造小銃は1917年から1918年まで使用された。M1907が使用する.351 WSL弾英語版は、後の7.62x39mm弾と同程度のエネルギーを有する比較的弱装の小銃弾であった。

ウィンチェスター M1917マシン・ライフル(Winchester Model 1917 Machine Rifle)は、観測気球を攻撃する為にアメリカで考案された自動小銃である。.351 WSL弾を小口径化した.345ウィンチェスター弾を使用し、機関部上に2本の着脱式弾倉が突き出した特徴的な外見をしていた。いくつかが地上装備に転用され、着剣装置も設けられたとされている。直銃床など後のアサルトライフルに見られる特徴を備えていた。

1918年、フランスでリベイロール1918オートマチックカービン英語版が設計された。.351 WSL弾を原型とする8mm弾を使用する自動小銃で、着剣装置と二脚が設けられていた。重量が5.1kgと非常に重く、また400m以上の射撃において精度が低いことが問題視され、採用には至らなかった。

この時代に試作された自動小銃には、当時の水準では弱装とされる弾薬を使用することで反動の軽減を試みるものが見られた。これら弱装弾薬のエネルギーは、後に中間弾薬と総称される事になる弾薬と同水準であった[† 4]

一方、従来の小銃弾を用いるセレクティブ・ファイア機能付き自動小銃・軽機関銃も多数実用化されている。例えば1915年にフランスで採用されたMle1915自動小銃、1917年にアメリカで採用されたブローニングM1918自動小銃(BAR)などである。また、ルイス銃の開発者であるアイザック・ニュートン・ルイス英語版は、アサルト・フェーズ・ライフル(Assault phase rifles)と呼ばれる一連の試作自動小銃をM1918自動小銃の対案として設計した。こうした自動小銃はMle1915が初めて実現した「突撃射撃(Marching fire)が可能な自動火器」というコンセプトに沿った設計だったものの、小銃弾を使用することによる反動の大きさや銃および銃弾の重量、製造および兵站上のコストが問題となり、歩兵用小銃としての普及は進まなかった[22]

そのほか、第一次世界大戦末期には拳銃弾を用いる軽量な個人用自動火器としていくつかの短機関銃が開発されている。

停滞期

第一次世界大戦後も、各国で新型自動小銃の研究は続けられた[11]。ただし、新たなコンセプトへの不信や新型銃弾を使用する自動小銃を採用した場合に想定されるデメリット、すなわち銃弾消費増加、新銃弾採用による兵站コスト増加、人員以外の標的(馬、軽車両、航空機など)に対する攻撃能力の喪失といった問題から、1940年代初頭までは弱装弾薬を使う自動小銃の研究が活発化しなかった[22]

1920年、スイスでMP1920として知られる銃器が設計された。ベルン造兵廠英語版の責任者だったアドルフ・フラードイツ語版技師が手がけたもので、彼がかつて設計した短機関銃とよく似た構造をしており、機関部側面に30発着脱式弾倉を備えていた。MP1920は7.5x55mm スイス弾を原型とする7.65x35mm短小弾(ラウンドノーズ、弾頭重量123gr、初速2,000 ft/s)を使用していたが、改良型のMP1921では同じ短小弾をネックダウンした7mm尖鋭弾が用いられた。フラーが手がけたいくつかの銃器は、後にドイツの自動小銃開発に影響を及ぼしたとも言われている。

1921年、イタリアでM1921として知られる半自動小銃が試作された。これは長距離射撃よりも比較的近距離での戦闘を重視した銃で、新型の短小弾を用い、大容量の着脱式弾倉も備えていた。

1930年代、ヴァイマル共和政時代のドイツでも弱装弾薬および新型自動小銃の研究が行われた。ナチ党の権力掌握を経てナチス・ドイツの時代が幕を開けた頃、ハインリヒ・フォルマードイツ語版技師によってフォルマーM35英語版あるいはMKb 35と呼ばれる自動小銃が試作された。この銃は7.75x40.5mmという弱装弾薬を用い、陸軍および空軍への配備を想定して開発が進められていたものの、第二次世界大戦直前の1939年にはプロジェクトが中止された。

アメリカ合衆国では、大戦前から陸軍が軍用自動小銃の採用を検討しており、戦後になって開発が本格化した。1920年代、.25レミントン弾英語版と民生用自動小銃を用いた試験において、反動や過熱が起こりにくいという利点が認められたことから、アメリカ陸軍は.30-06弾よりも低威力/小口径の新型銃弾の開発を模索し始めた。これを受けて新型の弱装小銃弾.276弾英語版およびピダーセン自動小銃を提案したのが、ジョン・ピダーセン英語版技師である。1927年12月には.30-06弾から.276弾への移行が正式に決定し、次期主力小銃も.276弾仕様で開発されることとなった。しかし、1932年に陸軍総参謀長ダグラス・マッカーサー将軍が、既に大量の.30-06弾が備蓄されており、現時点の新型銃弾への移行は多大な混乱を引き起こす恐れがあると指摘し、また財政上の問題もあったことから、.276弾の採用は撤回された。次期主力小銃としては.30-06弾仕様のM1ガーランドが選ばれた[23]

成長期

アメリカ軍のM1カービン。アサルトライフルに近い機能を有していた
ドイツのSturmgewehr 44(StG44)アサルトライフルの基本概念を確立した

1941年、アメリカにおいて、拳銃や短機関銃と小銃の中間にあたる用途のためにM1カービンなる小型自動小銃が開発された。もともとはセレクティブファイア機能を備えていたが、M1カービンとして制式採用された時点ではオミットされた。後にこの機能を復帰させたものがM2カービンとして採用されている。M1カービンに使用された.30カービン弾は(1,190J)で、.45ACP弾より倍近く強力だったが、小銃弾である.30-06弾にははるかに及ばない弾薬だった(後に.30カービン弾を使用する短機関銃や拳銃が製造されている)が、457mmの銃身から撃ち出される事で、短機関銃よりもはるかに高い初速を出し、精密な射撃も可能であり、軽快な速射性から近接戦闘にも向いていた。現代のアサルトライフルに使用される弾薬と比較すれば.30カービン弾は弱すぎる弾薬だったが、100万丁以上製造されたM1/M2カービンの閉鎖機構は、小口径高速弾を使用するアサルトライフルに多く採用されている。

ナチス・ドイツでは、1940年頃から7.92x33mmクルツ弾と呼ばれる短小弾を用いる新型自動小銃の設計を行っており、1942年からはMkb42として設計が行われ、1943年にMP43として採用、そして1944年に「突撃銃」(Sturmgewehr, シュトゥルムゲヴェーア)という用語を初めて用いたSturmgewehr 44(StG44)に改称されたのである[22]。これによって、現代的なアサルトライフルの基本概念が確立された。

StG44の出現以降、これを鹵獲してアサルトライフルの概念を理解した各国で様々な弾薬が開発され、戦中から戦後を通じてソ連・英国・ベルギー(FN社)・西ドイツといった諸国・企業でアサルトライフルの試作・配備が進んだ。

しかし、冷戦の中でソ連本土を攻撃できる核兵器とその運搬到達手段の開発を重視し歩兵用装備の更新を見送ったアメリカと、インドシナアルジェリアへの介入戦争で戦時状態が続いたフランスは、この流れに乗り遅れた。

ソ連・イジェフスク造兵廠

LAD軽機関銃
7.62x39mm弾
AK47

1942年、ソビエト連邦において、新型自動火器のコンセプトが発表された。この新型火器は小型軽量で、戦場における兵士の積極的な活動を可能とし、短機関銃よりも射程があり、短距離から中距離での戦闘に十分な性能を備えるものとされた。しかし、戦時下において新型弾薬を設計する時間的な余裕はなく、この時点では既存の拳銃弾7.62x25mmトカレフ弾を用いることとされた。この弾薬を使う自動式カービンは戦前から設計が試みられており、1942年には空挺軍からの要望もあって設計が活発化していた。同年、セルゲイ・シモノフセルゲイ・アレクサンドロヴィチ・コロビンロシア語版、パーヴェル・イワノヴィチ・マイン(Павел Иванович Майн)、ヴァシーリー・デグチャレフなどが小火器・迫撃砲試験場(НИПСВО 、NIPSVO)へと設計案を提出した[18]

試験結果自体はおおむね芳しいものだったが、砲兵総局はこの種の火器の開発に否定的な見解を示した。アレクセイ・スダエフが手掛けた新型短機関銃が、同じ弾薬を使いながらも弾倉容量で劣る半自動カービンより、火力に優れ有望な装備とみなされたためである。これに対し、短機関銃よりも火力に優れるものとして、「拳銃弾を使用する軽機関銃」という新たなコンセプトが提案された。新型軽機関銃は300m程度の距離で射撃を行うものとされ、短機関銃と従来型軽機関銃のギャップを埋める装備と位置づけられた。短機関銃は射撃距離が200mを超えると精度が著しく低下するが、比較的重い銃身や二脚などを備える軽機関銃であれば、同じ弾薬でも長射程が期待できるのである。1943年4月からプロジェクトが始まり、多数の設計案が提出された。この種の軽機関銃として最も成功したのは、LAD軽機関銃であった。既存拳銃弾を用いる軽機関銃計画は、ドイツ製突撃銃の影響を受けた別プロジェクトの開始もあり、1943年10月に中止された[18]

1942年末、ドイツ製突撃銃MKb.42(H)が鹵獲された。ソ連の銃器設計者らは、突撃銃そのものよりも、銃の特性を実現せしめた7.92x33mm弾に注目した[18]。当局では同等の新型弾(いわゆる中間弾薬)およびこれを用いる一連の火器の設計を急ぐこととなる。1943年8月、砲兵総局は新型弾を用いる汎用火器システム(自動カービン、自動小銃、軽機関銃を兼ねる火器)の設計要件を示した。この時点では使用するべき新型弾薬が未だ存在せず、後に銃と並行して開発されたため、プロジェクトの複雑化を招いた[24]

  • 二脚、銃剣、弾倉、負い紐、その他付属品を取り付けたときの総重量は5kgを超えてはならない。
  • 銃剣を除いた全長は900 - 1,000mm。
  • 着剣時の全長は1200 - 1,300mm
  • 少なくとも30連発の容量を持つ弾倉から給弾を行う。
  • 最大射程は1,000mで、50mごとに切替可能な照準器を備えなければならない。
  • 射程距離内での戦闘における単発射撃の精度は、7.62mm仕様M1891/30小銃の戦闘における精度よりも劣っていてはならない。また、連発射撃の精度は、DP軽機関銃に劣っていてはならない。
  • 射撃速度は600発/分以下でなければならず、バースト射撃(3 - 5発)を行う場合の実際の射撃速度は80発/分以上、単発射撃を行う場合の実際の射撃速度は35発/分でなければならない。
  • 火器の寿命は、少なくとも20,000発の射撃に耐えなければならない。

1943年7月から設計が始まった新型弾薬は、9月に1943年式7.62mm弾7,62-мм патрон обр .1943 года)、すなわちM43弾として採用された。以後はこの弾薬を用いて新型火器の開発が進められていくこととなる。最も有力な設計案はスダエフが手掛けたスダエフ突撃銃ロシア語版だったが、スダエフの死去により頓挫している[24]

第二次世界大戦後、ミハイル・カラシニコフ技師によってAK-47の開発が行われた。AK-47が使用する7.62x39mm弾は、既存小銃弾で問題視されていた交戦距離以上の過剰な射程と強い反動を解決するために開発された弾薬である。この結果、弾薬は必要な性能を保持したまま軽く小さくなり、射撃時の反動は減り、弾薬が軽いためより多くの弾薬を持ち運ぶことが可能となった。また銃本体も軽くなることで30発弾倉を装備でき、兵士1人当たりの火力は向上した。切削加工や木材を多用しており先進的な生産技術は用いられなかったが、セミ/フル切り替え可能な初のアサルトライフルであった。ボルトキャリアはピストンとチャージングハンドルが一体化した構造になっており、生産性や頑丈性を優先している。AK47のセレクターは上から安全/連射/単発の順となっている。一見、安全/単発/連射の方が自然なように思われるが、これは戦場でとっさにセレクターを操作した場合を考慮した合理的なものである。急な操作では力加減が難しく、一気に一番下まで操作してしまうことが多いため、一番下が連射だと無駄弾を撃ってしまいがちになる (最悪の場合、恐慌状態に陥った兵士が全弾乱射してしまい、周囲の味方まで危険に晒すことになりうる)。一番下を単発にすることで、弾薬の浪費を防ぎ、無用の危険を避ける効果がある。

ベルギー・FN社

7.62x51mm NATO弾
FN FAL

世界各国に銃器を輸出してきたベルギーのFN社は、大戦中にドイツに占領され、ドイツ軍への兵器供給に協力した事から、ドイツの兵器開発思想を吸収しつつ、戦後は英国のEM-2自動小銃[25]や.280ブリティッシュ弾構想に賛同してFN FALを試作した。

.280ブリティッシュ弾構想は7.62x51mm NATO弾の採用によって潰えたが、FN FALは伝統的な切削加工による頑丈なレシーバのおかげで7.62mm NATO弾への対応に難なく成功し、西側において第一世代の突撃銃となった。開発国であるベルギーだけでなく、イギリス、カナダ、オーストリア、インド、イスラエル、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリア、ニュージーランドなど西側各国で採用されるなど、世界中に輸出されるベストセラー製品となった。

FN FALは当時としては先進的なプラスチックを採用したライフルだが年代や生産国によっては木材が使用されるなど、技術的にはまだ未熟だった。構造に関してはコッキングレバーとセレクターが左側に備えられ射撃姿勢を保ったままの操作が可能であり、ボルトリリース機能が搭載された。作動方式はM1カービンなどで使用されてきたショートストロークピストン式を採用した。反動をコントロールし易い直銃床スタイルでデザインされていたが、強烈な反動を生じる7.62mm NATO弾を使用してのフルオート射撃の制御には困難があり、多くの諸国ではフルオート機能を外して運用されている。


西ドイツ・H&K社

H&K G3

戦後に再軍備を許されたドイツ連邦共和国(西ドイツ)は、当初FN FALをG1として装備したが、ライセンス生産の問題でFN社との交渉が難航したため、戦後にスペインへ移った旧モーゼル社技術陣により開発され、同国で採用されていたセトメ モデルB小銃が新生ドイツ連邦軍の関心を集め、1959年にはH&K社によって改良されたものがG3小銃として採用された。

原型となったセトメ モデルBは、7.92x33mmクルツ弾と同系統の7.92x40mmセトメ弾や7.62x51セトメ減装弾を使用し、ローラー遅延閉鎖機構を持つStG45(M)を母体としていた。

既にドイツ連邦軍でも7.62mm NATO弾が採用されていたため、強力な弾種への変更に伴う再設計を迫られたが、セトメはロッキング・ピース部の傾斜角度を変えるだけで難なく7.62mm NATO弾に対応できた。

AKやFALなどのガス圧作動方式とは異なりG3は、ローラーロッキングによるディレードブローバック方式を採用しており命中精度を悪化させるガス導入孔やガス・ピストン等が存在しないため高い命中精度を有し、単純な構造から高い信頼性を両立させていた上に、製造を担当したH&K社には、ナチス・ドイツ時代に省力化のため開発されたプレス加工技術や、冷間鍛造技術によってライフリングや薬室を一度で成型する銃身製造法など、他国に存在しない高度な技術が継承されており、これを応用したG3は低コストで大量生産する事ができた。

先進的な技術で一時代を画したH&K社だったが、ナチス・ドイツ時代の遺産だった各種の生産技術が普通に利用できる技術として一般化した事で、技術的独自性よりも大市場である米国におけるマーケティングを重視する姿勢へと変化しており、外国企業ながら米軍との緊密な関係を築くに至っている。

FALをも凌駕する信頼性から開発国であるドイツ以外にノルウェーやスウェーデンなどの気候が厳しい国での採用が多かった。また、G3は反動が弱いためFALのようにフルオート機能を外して運用される事は少なかった。FALとG3の性能が十分であったこと、独自の小銃を開発する土台がなかったことからFALとG3に多少の仕様変更を加えることは多かったものの現代のように各国で全く新しい小銃が採用される例は少なかった。

アメリカ・フェアチャイルド社

5.56×45mm弾
M16

第二次世界大戦後のアメリカ軍では、第二次世界大戦以来極めて効果的かつ有効に運用されてきた.30-06弾とこれを用いるM1ガーランド及びBARへ絶大な信頼を寄せていた。これらの後継として.30-06弾の威力を多少低下させただけの7.62x51mm NATO弾とM1ガーランドをベースにフルオート機能と着脱式弾倉を追加しただけのものに近いM14を採用した。ベトナム戦争時にベトナム民主共和国が使用したAK47はM4カービンと同程度の全長であり、それに対して全長1mを超えるM14は取り回しにおいて劣っていた。また、M14はAK47と比較して反動が大きいためフルオート制御が難しく携行弾数でも劣り歩兵の戦力差は明らかだった。英国やカナダなどが強硬に反対を唱えたにも関わらず無理やり7.62x51mm NATO弾をNATO標準弾として採用させたアメリカだったがベトナム戦争でそれが間違いであったことを自国軍兵士の犠牲によって身をもって味わった。また、戦時中にドイツ軍が示した突撃銃の概念も広く理解されていなかった。

1961年フェアチャイルド社のアーマライト事業部が開発したM16自動小銃をアメリカ軍は制式採用した。M16で使用された.223レミントン弾は7.62x39mm弾に近い性質をもつ弾薬であり利点もおおむね共通する。初期の弾倉はM14などの旧式小銃と同じく20発の装填数だったがAK47の湾曲した弾倉を参考に30発に増やされたものが開発され小口径高速弾の利点を更に活かすことに成功した。フェアチャイルド社は航空機メーカーであり従来の銃器メーカーでは使用が困難だった航空機用アルミ合金をレシーバーに使用している。また、M14で問題とされていた木材は使用せず既にH&K G3などで実用化されていたプラスチックをグリップやストックに使用している。また、M16の銃身下に装着する単発式のグレネードランチャーであるM203もM16と同時期に採用され単純で安価だが信頼性が高く擲弾による攻撃力が高いため現在でも引き続き使用されている。


小口径高速弾の出現

5.45mm×39弾の弾頭構造
A:被覆鋼
B:スチールコア
C:空洞
D:鉛のインレー
E:推進薬

ソ連は米国の小口径高速弾採用に刺激され、独自の小口径高速弾である5.45mm×39弾と、これを用いるAK-74を制式採用した。同弾は、その後AIMS-74や、88式自動歩槍(北朝鮮におけるAK74のコピー)アサルトライフルでも採用されている。

5.45mm×39弾は米国のM193弾よりエネルギー・速度などで劣っているが、従来の7.62mm×39弾と大差ない腔圧のため、銃器に与える負担が少なく、ソ連は従来のAK製造ラインをそのまま転用する事が出来た。

5.45mm×39弾は7.62mm×39弾に比べて装薬が少なく、エネルギーは半分程度しかないため、殺傷能力が劣ると見られていたが、先端内部には空洞があり着弾時にはそこが潰れることにより高い殺傷力を有していた。また、弾芯にはだけでなくも使用しておりボディアーマーへの貫徹力も重視している。形状は空気抵抗を減らすため細長く後部は絞られた形状になっている。後のソ連によるアフガン侵攻で7.62mm×39弾よりも高い性能を秘めていた事が判明し、当時FN社で開発中だったM855/SS109の弾頭はこれを参考に完成されている[† 5]。また、後に中国で開発された5.8×42mm弾も同じ弾頭構造を採用しており、銃口初速930m/s、弾頭重量4.26g、運動エネルギー1,842Jで、中国はこの新しい弾薬について、新NATO弾やロシアの小口径弾よりも高性能で殺傷能力が高いと主張している [† 6]

また1980年代にFNCに使用されるSS109が5.56mm NATO弾として、M16およびFNCに使用される弾倉がSTANAG マガジンとしてNATOで標準化された。各国で開発中であったほとんどのライフルは5.56mm NATO弾とSTANAGマガジンに対応させるため仕様の変更がなされた。

小口径高速弾は従来のフルサイズ小銃弾より低反動だがそれでもフルオートでは有効な命中精度は期待できず無駄に弾薬を消費するだけであるため軍隊では基本的にセミオートで射撃を行うように指導されている。ただし、CQBなどの特殊な状況下ではフルオートは強力な防衛手段となるため依然としてフルオート機能は搭載されている。

素材・構造の革新期

オーストリア・シュタイヤー・マンリヒャー社

オーストリア陸軍のステアーAUG A1
ステアーAUGのスコープ

1970年代オーストリアで開発されたステアーAUGは、5.56mm NATO弾を採用するライフルとして、またブルパップ方式を採用するライフルとしても初期に実用化されたものである。オーストリアは永世中立国であるためSS109がNATO制式弾となる前に5.56mm NATO弾を正式採用できた。部分的に使用されていたプラスチック素材を全体に使用し、後付けとされていたスコープを標準で取り付けるなど当時としては画期的な要素を多く取り入れた構造はそれまでのアサルトライフルとは一線を画した。

ブルパップ方式のアサルトライフルは、薬室をグリップ(銃把)の後ろに位置させることで、銃全体をコンパクトにしながらも、バレル(銃身)を長くできるという利点を持っている。ブルパップ方式の欠点として廃莢口が顔のすぐ横にあり左に構えることが難しいが排莢方向の左右切り替えによる両手利きに対応している(特殊な例としてFN F2000は排莢方向を前方とすることで排莢方向の切り替え作業を不要としている)。標準装備していた1.5倍率のスコープのレティクルは小さな丸が描かれているシンプルなもので、それまでのスコープは遠距離で精密射撃をするものだったが、このスコープは照準を容易にするものであり後に登場するドットサイトに近い特性を持っていた。また、ブルパップ方式特有の短い照準線長を補っていた。

ブルパップ方式は全長がコンパクトであり、重心がグリップのすぐ後ろに来るため、市街戦やジャングル戦などの索敵時に取られるポイント&シュート(銃身をやや下に向け、銃床を肩に当てて保持し、敵を発見した瞬間に銃口を視線の先に合わせて銃口を持ち上げ、顎下で銃の動きを止める事で、素早く敵に照準を合わせて射撃を行う)の姿勢を保つのに適しており、兵士の動線を短縮化させる事ができる。

欠点としては、伏射姿勢ではマガジン交換がしにくい点と、一度廃莢口の向きを決めてしまうと、分解してボルトの向きを入れ替えない限り廃莢方向を切り替えられない。つまり90年代以降に普及したリーンを含むCQBを使う際、右肩撃ちを常用しとっさに左肩撃ちすると廃莢口が顔のすぐ横に来てしまうことが合わさりとっさに逆の手で発射すると頬に熱い空薬莢が直撃する危険性が挙げられる。(イギリスのL85では明確に禁止されている)機関部が伝統的な形式のアサルトライフルのストック部に入っていることで、調節式のストックの使用が難しいため冷戦中のボディアーマーの普及や女性を含むマイノリティ兵士が人員不足で従来の入隊検査基準が緩和されたことで生まれ、一つの完成されたアサルトライフルで対応することが難しくなってる中指摘されている。またトリガープルが機関部と離れることで重くなり、射撃時のブレに悪影響している。

また、ブルパップ式アサルトライフルは伝統的な形式のアサルトライフルと比較した場合コンパクトではあるが特質なものが多い。ステアーAUGと同世代にあたるフランスFAMASはブルパップ方式ではない伝統的な形式のHK416に置き換えられ、ステアーAUG登場以降に開発されたブルパップ式アサルトライフルはイギリスL85シンガポールSAR21ベルギーFN F2000イスラエルIMI タボールAR21クロアチアVHS中国95式自動歩槍などがあるが伝統的な形式のアサルトライフルと比較して少数派となっている。

ドイツ・H&K社

ドイツ連邦軍のH&K G36
G36のスコープのレティクル

ブルパップ式アサルトライフルが実用化されたあとも伝統的な形式のアサルトライフルは開発された。東西統一を果たした後のドイツ連邦軍は、NATO制式弾が7.62mm NATO弾から5.56mm NATO弾に移行したことに合わせH&K G3に代わる新しい小銃の採用を計画していた。

1990年代に、ドイツが開発したH&K G36は、従来のローラーロッキングによるディレードブローバック方式ではなくFALやステアーAUGで採用された堅実なショートストロークピストン式を採用している。ほかにも強化樹脂の多用、銃身後端以外には支持点のない“フリーフローティングバレル”構造の採用、左右両方からの操作が可能なアンビセレクターの採用、携帯性を向上する折り畳み式ストックの採用をするなど先進的な要素を多く持つがショートストロークピストン式と同様にいずれも1990年代には実用化されておりG36はそれらをまとめあげたものに過ぎなかった。

G36で開発された要素としてはドットサイトとスコープの併用が挙げられる。G36に搭載されたドットサイトは電気を消費するもののステアーAUGのスコープより照準を容易にし、精密射撃用の3倍率のスコープも搭載されており近距離および遠距離での射撃を容易にした。G36の完成後はドイツ連邦軍における新小銃採用のトライアルでステアーAUGを下しG36が採用された。

アメリカ・コルト社

M4カービン
M27 IAR

フェアチャイルド社のM16系統の知的財産権はコルト社に売り払われコルト社による生産が行われた。

アメリカ軍は1984年より、制式カービンの開発要求を行なっており、M4カービンM16自動小銃の後継として選定された。

AK47の全長870mmに対しM16の全長は999mmでお世辞にも取り回しがいいとは言えず、M4カービンは850.9mmに短縮された。アメリカは銃器に携帯性はさほど要求せず折り畳み式銃床の代わりに伸縮式銃床を装備している。アッパーレシーバーには照準器の装着を容易にするピカティニー・レールが搭載されピカティニー・レールに対応する照準器の装着が可能となった。当初は照準器装着用のマウントとして使用されたが、使い勝手の良さからレーザーサイトやフラッシュライトをはじめとする他のアクセサリーを装着するためのマウントとしても注目された。わずか1年後にはピカティニー・レールを備えたアルミ合金製のハンドガード(Rail Adapter System)が採用されアメリカ軍のM4カービンに取り入れられた。このハンドガードは全体がレイルで覆われているためアクセサリー類取り付け位置の自由度は高いがレイル自体の重量が負担となり、またレイルカバーと呼ばれる保護パーツが必要となった。こうした問題点を回避するため同じくM16の派生型であるコルト・カナダ C7のハンドガードはレーザーサイト、フラッシュライト、グレネードランチャーを装着できる最低限のレイルのみ備える。

M4カービンの派生モデルとしてH&K社によって開発されたHK416が存在し、アメリカ海兵隊に分隊支援火器M27 IARとして採用されている。

混迷の時代

歩兵の機械化が進み交戦距離が短縮する中で、ベトナム戦争ジャングル戦に適応するために始まった小口径・高速弾化であるが、近距離化していたはずの交戦距離の概念が2001年に勃発したアフガニスタン紛争2003年に勃発したイラク戦争といった山岳部・砂漠地帯での非対称戦争では、旧式弾薬の有効射程と殺傷力の前に再度あやふやとなった(武装勢力が主に使用した7.62x39mm弾は350mまで殺傷力を保つのに対し、有志連合諸国が使用した5.56mm NATO弾は250mまでしか殺傷力を保てない)。

5.56mm NATO弾の中距離以遠での殺傷力の低さが問題視される傾向があり、民間軍事会社の社員達が7.62mm口径の火器を使用するのを見て、これを真似して鹵獲や闇市場で入手したAKを使用する兵士が出現したり、引退して倉庫に眠っていたフルサイズ弾向けのM14マークスマン・ライフルとして再度持ち出される事態まで発生した。

こうした状況から、有効射程の延長と殺傷能力の向上を目的に、初速と弾頭重量を保ちつつ、弾薬の口径を6mm台に上げ直す動きがあり、米軍の次期アサルトライフルトライアルでは.260弾、.264 USA弾、.277 USA弾、M855A1(5.56mm NATO弾)、6.8mm×43SPC弾(7.62x39弾相当)、M80A1(7.62mm NATO弾)がテストされている。これらの弾薬の採否については今もって結論は出されておらず、2020年現在においても採用は一部の特殊任務や試験運用に留まり、いまだ評価は定まっていない。

一方で、弾頭の大口径化は弾薬だけでなく銃自体の重量増加にもつながるため、小柄な体格のマイノリティ出身兵士が多い多民族国家や発展途上国の軍隊では、威力を重視した大口径の銃弾を使用する銃では運用上不利となる。銃弾が重量化大型化すれば携行弾数は減少する(携行弾数が同じなら、将兵や兵站の負担が増大する)という基本的な問題もあり、大量の5.56mm NATO弾ストックを維持している同盟国との調整など様々な問題をはらんでいる。また、近年では光学照準器などの普及により、単に命中していなかっただけである可能性も指摘されている。

近年の動向

5.56mm NATO弾の普及

様々なメリットをもたらした5.56mm NATO弾はNATO加盟国とその友好国など世界各国で使用される弾薬となった。また、ワルシャワ条約機構加盟国がNATOに加盟したことも5.56mm NATO弾の普及を加速させた。

L85を使用するイギリス軍

現在のNATO加盟国で使用されているアサルトライフルはコルト・カナダ C7オランダカナダデンマークが採用)、HK416ノルウェーフランスが採用)、Cz805チェコハンガリーが採用)、G3ポルトガルギリシャトルコが採用)、G36ドイツスペインラトビアリトアニアモンテネグロが採用)、Vz 58スロバキアが採用)、ガリルエストニアが採用)、F2000スロベニアが採用)、VHSクロアチアが採用)、AK47ブルガリアが採用)、AIMS-74ルーマニアが採用)、MSBS(ポーランドが採用)、ステアーAUGルクセンブルクが採用)、FNCベルギーが採用)、L85イギリスが採用)、ベレッタ AR70/90アルバニアが採用)、M4カービンアメリカ合衆国が採用)、ベレッタ ARX160イタリアが採用)であり5.56mm NATO弾を使用するアサルトライフルがかなりの割合を占めている。

新世代のアサルトライフル

FN SCAR

M4カービンの後継として開発されたFN SCARショートストロークピストン式を取っているため、命中精度は若干低下するものの、ボルトキャリアが汚れることはなくなった。ステアーAUGG36で多用されたプラスチックを使用しているが5.56mm NATO弾の普及と同時期に開発されたピカティニー・レールを備えるためM4カービンと同じくアルミ合金も使用している。またM4カービンでは不可能だった折り畳み式銃床を装備しているだけでなくその銃床は伸縮式でもある。

M4カービンの全面更新用たる米軍次期カービン計画(ICC:Individual Carbine Competition)に応募されたが、「M4に全面的に更新しなければならないほどの問題はなく、予算的にも困難が多い」として中止されアメリカ軍に全面的に採用される機会は訪れなかった。

FN SCARは商業的には成功していないがその構造は後に登場するベレッタ ARX160、CZ805、MSBSに影響を与えた。また、すべての操作系の左右両用化、廃莢方向の左右切り替え機能を備えるアサルトライフルが多く登場し単純な扱いやすさではFN SCARより優れたものが多く開発されている。

7.62mm NATO弾の復活

歩兵の機械化が進み歩兵同士の交戦距離が短縮し続けた第一次世界大戦以降の戦訓に基づき、歩兵用小銃の射程距離は短縮の一途を辿り、ベトナム戦争における小口径高速弾の採用で頂点に達した。

しかし、現代軍同士の交戦やジャングル戦では近距離化の傾向にあったはずの交戦距離の概念は、アフガニスタン紛争イラク戦争といった近年増加している山岳部・砂漠地帯のように、見通しが良く風が遮られにくい開けた場所での対テロ戦争非対称戦争)では通用しなかった。風の影響を無視できず中遠距離まで見渡せる戦場では、たとえば.303ブリティッシュ弾のような(主力小銃の使用弾薬としては旧式の)フルサイズ小銃弾で狙撃を受けると、弾頭重量が軽く有効射程の短いアサルトライフルでは反撃しづらかったのである。

また、自軍および友軍の将兵の犠牲を減らすことが政治的に重要な要素となったこともあって、近年では交戦前に敵を遠距離から攻撃・無力化する試みが増えている。

小火器におけるその試みのひとつが、弾頭重量を増加させ中距離以遠での精度と殺傷力を向上させた中口径高速弾の試用と、フルサイズ小銃弾の復活であり、近代化改修を受けたM14 DMRや、AR-10を継承したSR-25といった、7.62mm NATO弾を使用する命中精度の高いバトルライフルが簡易な狙撃銃として使われている。簡易狙撃銃は精密射撃用の狙撃銃と一般の小銃と中間に位置し従来よりマークスマン・ライフルと定義されてきた。

現在、アメリカでは旧式化したM14やM110の後継としてH&K HK417の導入を検討中である。なお、同じくM16系統のアサルトライフルを制式化しているオランダ、デンマーク、ノルウェーでは既にHK417をマークスマン・ライフルとして運用している。

主なアサルトライフル

ブルパップ方式の製品

脚注

注釈

  1. ^ ただし英語の読みとしては Assault は長母音の「アソールト」が正しい。
  2. ^ 従来の小銃で使用されていた7.62mm弾や7.92mm弾のこと。英語ではfull power cartridgesなどと表現される。単射での狙撃を前提に使用されていた弾薬なので、小銃で全射撃をすると反動が過大で実用性が低かった。フルサイズの弾薬で効果的な全自動射撃を行うには、二脚三脚で地面などに委託して反動を抑えることができる大型の機関銃が必要だった。
  3. ^ M14のような西側戦後第一世代の自動小銃は、NATO諸国の弾薬の共通化を目指すアメリカの意向でフルサイズ小銃弾である7.62mmNATO弾を使用しており、実用的な全自動射撃能力が難しい傾向がある。
  4. ^ チェイ=リゴッティに使用された6.5mmx52カルカノ弾と、フェドロフM1916に使用された6.5mmx50SR有坂弾は、その薬莢サイズから現代ではフルサイズ小銃弾として分類されている。しかし、実際には2,600-2,300J程度のエネルギーしか出せない非力な弾薬で、7.92x57mmモーゼル弾.30-06スプリングフィールド弾が3,600-4,000Jという強装であった事と比較すると格段に弱装だった事が分かる。これらと同レベルの弾薬としては、1920年代に米軍が採用を検討した.276ペデルセン弾英語版や、StG44によって突撃銃の概念が確立された後に英国で試作された.280ブリティッシュ弾がある。また、現代の米軍が限定的に採用している6.8×43mm_SPC弾6.5 mm グレンデル弾英語版なども2,400-2,500J前後で同じレベルの弾薬とされる
  5. ^ 狩猟用のホローポイント弾など、命中後に弾頭が拡がるように設計された弾丸は、高速で人体に命中した際に深刻なダメージを与える。ただし、これらの弾頭は硬標的(鉄板など)には効果がなく、低強度の防弾衣で簡単に防がれてしまう。
    しかし、5.45mm×39弾は鋼鉄製の尖った弾芯を持ち、現在使用されている7N10弾薬の場合14mm厚のスチールプレートを100mで貫通するため、中強度の防弾衣すら簡単に貫通してしまい、人体に侵入すると先端が折れ曲がって回転しながら致命傷を与える構造になっている
  6. ^ China's New 5.8x42mm Weapons Complex Revealed Archived 2007年10月16日, at the Wayback Machine.
    その一方で、5.8x42mm弾をティッシュの束に撃ちこんで弾頭の挙動を見たテストでは、5.56mm NATO弾のようなジャケットの剥離や弾芯の再分化(フラグメンテーション)は発生せず、5.45x39mm弾のような横転も起こさず、殺傷効果に欠けると主張するレポートも存在する。
    しかし、5.8mm×42弾は一般に輸出されておらず、テスト用に入手できた実包が“本当に”中国軍で使用されているものと同じ弾頭なのか疑問があり、過去に5.45mm×39弾が西側でテストされた際にも、弾頭の特殊な挙動が見過ごされていた

出典

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関連項目

外部リンク