渡辺篤史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

わたなべ あつし
渡辺 篤史
本名 渡辺 篤史(同じ)
生年月日 1947年11月28日(61歳)
出生地 日本茨城県下妻市
職業 俳優タレントナレーター
ジャンル ナレーターリポーターテレビドラマ映画
活動期間 1960年 - 現在
活動内容 1958年劇団若草入団
1960年:ドラマ『にあんちゃん』でデビュー
1968年:若草退団
1970年代 - :多数のテレビドラマ・映画に脇役として出演
1989年 - :『渡辺篤史の建もの探訪
配偶者 妻(1982年 - )
家族 長女、二女
主な作品
渡辺篤史の建もの探訪

渡辺 篤史(わたなべ あつし、1947年11月28日 - )は、日本俳優タレントナレーター。本名、同じ。茨城県下妻市生まれ。所属事務所劇団若草→グループ71→ぷろだくしょん「道」→フリーポート→バーンズ。

目次

[編集] 来歴・人物

日本大学文理学部国文学科中退。幼少時代に両親が離婚、母方に引き取られて育つ。小学3年のときに上京、5年のとき茨城なまりを矯正するため、劇団若草に入団。1960年フジテレビのドラマ『にあんちゃん』でデビュー。翌1961年、同じくフジテレビ『三太物語』に主演、子役として人気を獲得。以降、多数のテレビドラマ、映画に出演、個性的な脇役として活躍する。既婚、二女あり。

近年はテレビの情報番組旅番組ドキュメンタリー番組、テレビCMのナレーター、リポーターとしての活躍が多く、1989年テレビ朝日系列でスタートした『渡辺篤史の建もの探訪』は、毎週ユニークな一戸建てを紹介する住宅情報番組で、2009年3月には20周年を迎えて長寿番組の仲間入りとなった。彼自身はこの番組で出会ったユニークな家を参考に自宅を建てている。

趣味はオーディオ陶芸建築。得意なスポーツは、ボクシングテニス。特にテニスの腕前はプロ級といわれるほどである。

[編集] 主な出演

※量が多いため、伸縮型のメニューとして掲載する。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ・情報番組

[編集] 映画

[編集] CM

[編集] 著作物

以上、講談社より発行

岩波書店より発行

朝日新聞出版より発行

[編集] 音楽

[編集] エピソード

  • 実は大学2年のときに当時としては巨額である数千万円の借金を抱えてしまっている。母親がある占い師を信じ、株式を購入していくうちに借金が雪だるま式に増えてしまい、さらに渡辺本人も連帯保証人を引き受けてしまった。
これにより、彼の自宅は自己破産に至る。しかし、脚本家佐々木守の助言もあり、上記のとおり、テレビドラマのレギュラー出演を掛け持ちしながら借金を返済。35歳で完済するまで15年かかった。(週刊文春2001.10.11号「家の履歴書」で告白している)
芸能界に大変感謝していると振り返っているが、裏を返せば本人にとっては非常に苦い思い出で、「俳優・渡辺篤史」はあくまで過去のものと割り切っており、現在の仕事は『建もの探訪』にほぼ一本化しているため、テレビのトーク番組に出演の際に俳優としての活動については触れないでほしいという噂が流れているらしい。
しかし、『お荷物小荷物』の出演者が2005年神戸で同窓会を開いたときには参加している(参考文献:志賀信夫著「テレビ番組事始-創世記のテレビ番組25年史-」(日本放送出版協会<NHK出版>、2008年2月 ISBN 414081277X))。
  • 渡辺のトレードマークとなっている口は、もともと20代の半ばにコミカルな演技を強調するためにたくわえたものであるが、あるドラマで「髭の威を借りなくても大丈夫だろう」と剃り落としたら、周囲から反対されたことも。このため、付け髭で代用した(出典:朝日新聞1974年7月25日夕刊ラ・テ欄)。
  • やはりトレードマークである左ほくろは、新聞や雑誌の広告によっては消えて写っていることもあった。
  • 『建もの探訪』で「わかりました」、「いや~、すばらしい!」と褒めるところが、小堺一機イジリー岡田ものまねのネタにされている。尚、「わかりました」は、「次の部屋に行って下さい」の意味である。イジリーに真似されたとき、苦笑しながら「いや~、俺ってあんまり特徴ないのによく真似できるねぇ。」と言い、「いやメチャクチャ特徴あるじゃないですか!」と周囲から突っ込まれていた。大泉洋も『建もの探訪』とともに「小林製薬糸ようじ」とものまねをしているが、渡辺は糸ようじのナレーションは行っていない。

[編集] 関連人物・項目

[編集] 外部リンク