コンテンツにスキップ

ちょんの間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チョンの間から転送)

ちょんの間(ちょんのま)とは、元赤線青線で営業している性的なサービスをする風俗店およびその地区。日本および日本統治下だった大韓民国に存在するものを特にこの名前で呼ぶ。大阪府近畿圏)では本番行為をさせる店のことを指し、東南アジア売春宿置屋(おきや)や、欧州ではベネルクス3国などで見られる飾り窓と同義。

概要

[編集]

語源は「ちょっとの間」に性交することから[1][2]江戸時代から存在する語であるが[1][2]、古くは(業態を指す語というより)娼館で時間を短く区切って遊ぶことを意味し[1][3]、「ちょんの間遊び」とも呼ばれた[1][3]。「ちょんの間遊び」を業態とする娼館のことは「切見世」(きりみせ[4])と呼ばれた[5]

かつて赤線青線地帯で売春行為していた店舗で、1956年(昭和31年)の売春防止法の完全施行後も、旅館料亭スナックなどに転向し、客と従業員との自由恋愛という名目をとって、営業を続けている。

大阪府では、ソープランド風営法施行条例により禁止されている[6]ため、今も残る一方、真栄原黄金町上鶴間本町町田駅南口)、川崎堀之内などは時の都道府県知事の意向を受けた警察生活安全部)の摘発により壊滅に追い込まれた[7]

現存する主なちょんの間

[編集]

日本国内

[編集]

関東

[編集]

中部

[編集]

近畿

[編集]

四国

[編集]

九州・沖縄

[編集]

大韓民国

[編集]

過去の主なちょんの間

[編集]

日本

[編集]

この他東京都内にも多くのちょんの間が存在し、終戦直後には進駐軍兵士用の慰安所として、政府主導で運営が行われたこともあった。

韓国

[編集]

その他

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 中野栄三 編「ちょんの間」『江戸秘語事典』雄山閣出版、1961年、329頁。NDLJP:2495472/168 
  2. ^ a b 三好一光「ちょんのま」『江戸語事典』青蛙房、1971年、536頁。NDLJP:12448907/277 
  3. ^ a b 三省堂編修所 編「ちょん-の-ま」『明解古語辞典 新版』三省堂、1962年、679頁。NDLJP:2498238/348 
  4. ^ 原島陽一「切見世」『改訂新版 世界大百科事典』平凡社https://kotobank.jp/word/%E5%88%87%E8%A6%8B%E4%B8%96%E5%88%87%E8%A6%8B%E4%B8%96-1159909コトバンクより2024年11月3日閲覧 
  5. ^ 中野栄三「切見世」『新版 廓(くるわ)の生活』雄山閣出版〈生活史叢書 15〉、1972年。NDLJP:12170283/156 
  6. ^ 大阪府風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例(昭和34年府条例第6号) - 大阪府ホームページ。
  7. ^ イコマ師匠 (2019年12月2日). “日本国内の韓国フーゾク事情 ちょんの間・エステ・大人のパーティーから無店舗型へ”. コリアワールドタイムズ. 2020年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月12日閲覧。
  8. ^ a b 中塚久美子 (2021年12月28日). “尼崎の歓楽街「かんなみ新地」70年の歴史に幕 「無法地帯」に何が”. 朝日新聞デジタル. 2024年1月16日閲覧。
  9. ^ a b 旧「かんなみ新地」2.7億円で取得、更地にして売却へ 残るバーやそば店に補償 尼崎市補正予算案”. 神戸新聞NEXT (2023年2月15日). 2023年9月26日閲覧。
  10. ^ 東京五輪開催決定で締め付け強化…福岡の裏風俗が消えた”. 東スポWEB (2017年6月7日). 2023年9月26日閲覧。
  11. ^ 壊滅状態
  12. ^ 第14章 米軍・自衛隊” (PDF). 千歳市. 2020年1月3日閲覧。

関連項目

[編集]