「大濠公園」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
18行目: 18行目:
|駐車場 = 103台(普通車)
|駐車場 = 103台(普通車)
|バリアフリー =
|バリアフリー =
|設計者 = [[本多静六]]・[[永見健一]]
|建築家と技術者 =
|告示 =
|告示 =
|事務所 = 大濠・西公園管理事務所
|事務所 = 大濠・西公園管理事務所

2019年2月19日 (火) 07:36時点における版

大濠公園
分類 都市公園(総合公園)
所在地
座標 北緯33度35分9.1秒 東経130度22分34.5秒 / 北緯33.585861度 東経130.376250度 / 33.585861; 130.376250座標: 北緯33度35分9.1秒 東経130度22分34.5秒 / 北緯33.585861度 東経130.376250度 / 33.585861; 130.376250
面積 39.8ヘクタール
開園 1929年(昭和4年)3月
設計者 本多静六永見健一
運営者 福岡県(指定管理者:西鉄ビルマネージメント株式会社)
設備・遊具 日本庭園、能楽堂、ボート池、児童遊園、ジョギングロードなど
駐車場 103台(普通車)
事務所 大濠・西公園管理事務所
事務所所在地 〒810-0051
福岡県福岡市中央区大濠公園1-2
公式サイト 公式サイト
テンプレートを表示

大濠公園(おおほりこうえん)は、福岡市中央区にある福岡県営の都市公園(総合公園)である。国の登録記念物となっている。また、同公園を町域とする同区の町名でもある。郵便番号は810-0051。

概要

観月橋と浮島
日本庭園
南岸のさつき橋から観月橋方面を望む。湖中に浮かぶのは鴨島。
舞鶴橋

福岡城の外濠で、入り江でもあった草香江をもとにした大きな池が特徴的な公園である。池を貫くように島がいくつか存在し、それぞれが橋でつながっているので、中央部を経由して池を全体を渡ることができる。付近には福岡城址(舞鶴公園)、福岡市美術館NHK福岡放送局などがあり、福岡市民の憩いの場として親しまれており、周囲がほぼ2km(正確には1,921m)とキリの良い距離のため、サイクリングジョギングをする人も多く見られる。春には近隣の舞鶴公園や西公園とともに、花見の名所ともなっている。著名人の中でも、王貞治は東京の桜の名所の近くで育ったため、花見のシーズンが近づくとそちらのものを思い出すことが多かったが、福岡での生活が長くなったため、大濠公園等の桜を思い出すことが増えている旨述べている[1]。また、毎年8月1日(雨天の時は翌日)には西日本大濠花火大会が開催されており、福岡市の夏の風物詩として知られていたが2018年度をもって中止が発表された。

園内には、新婚旅行中のマリリン・モンロージョー・ディマジオがロイヤル中洲本店時代に立ち寄った時のテーブルと椅子がそのまま使われた[2]レストラン「花の木」が2013年5月31日まで営業していたが、老朽化の為同日を以て閉館した(ボートハウスは2013年のシーズン一杯まで営業)。なお、大濠公園便益施設の公募コンペに再び選ばれたことから、「花の木」は2014年秋を予定に復活することが決定し[3]、2015年2月5日に「ボートハウス 大濠パーク」の一店舗として復活した。「Room 1953」も引き続き健在[4]

歴史

この場所一帯は草ヶ江と呼ばれる入り江で、博多湾に続いていた。筑前福岡藩初代藩主となった黒田長政により、入り江の一部が埋め立てられ、天神を通り那珂川へ掘られた肥前堀と共に、福岡城の外堀として城の護りとした。明治維新で福岡城が廃城になると、肥前堀が埋め立てられたことにより水の循環が滞った。そのため夏季にはやぶ蚊が大量発生するなど環境悪化の原因になるため、明治末以来この大堀を埋め立てる計画がいくつか立てられた。

一方で、1915年(大正4年)には埋め立て計画を報じる新聞紙上で松永安左衛門の遊園地化案が紹介されたほか[5]1919年(大正8年)には団琢磨が大堀の埋立反対と公園化の提案を地元紙に掲載した[6]1924年(大正13年)、福岡市は東公園の松林の樹勢復活のために東京帝国大学農学部教授の本多静六教授を招聘したが、本多は一緒に視察した西公園から見下ろした大堀に注目して、大堀の公園化を主張。翌1925年(大正14年)、本多は助手の永見健一と共に再び福岡を訪れて、公園整備計画「福岡県経営東公園西公園大堀公園改良計画」を提出した。

同じ頃、福岡市は東亜勧業博覧会の開催を計画しており、県は市の博覧会準備委員会に整備事業の促進を依頼させることで、公園の整備費を県議会で可決させることに成功。外堀の約14万坪のうちの7万坪を埋め立てには、大堀を浚渫した土砂に加え、当時福岡市で行われていた薬院から六本松への道路開削工事で排出された25万tの土砂が用いられた。当時の金額で総額約45万円かかる工事費は、外堀西側の埋め立て地3万坪を住宅地として払い下げることにより償還している。東亜勧業博覧会は、1927年(昭和2年)3月から約2か月開催された。その後、福岡県が造園し、1929年(昭和4年)3月に公園として開園した[7]

終戦後には進駐軍の兵舎が設置されたが、1966年(昭和41年)3月に山陽新幹線開通を記念して開催された福岡大博覧会(福岡博)の会場として、公園東側を中心に再整備された。開催後、跡地に大噴水[8]福岡市美術館や遊具が建設されたほか、1990年代にはジョギング・サイクリング用の道路が整備され、現在も都心の公園として多くの人が集まる。大噴水は水面から50m以上も噴き上げる大型の物であったが、風下にある福岡管区気象台の観測に影響が出るということで1988年(昭和63年)に解体撤去された。

1980年代には池の水質が悪化し、アオコの発生や悪臭が深刻化した。1985年、水質改善を求める10万人の署名活動が行われた結果、県も対策に乗り出すこととなり、1992年にかけて池の浚渫工事が行われることとなった。池の水を全て抜く作業の過程では、底から複数の焼夷弾が発見されている[9]

町域の変遷

住居表示実施後 実施年月日 住居表示実施前(各町名の一部)
大濠公園 1963年
昭和38年)
大名町・荒戸町

西湖モデル説

公園内にある浮見堂。開園当時の公園にはなく、戦後に移設された。

現在、大濠公園は中国浙江省杭州市にある名所の西湖を模して整備されたという説が広く流布し[10]、観光ガイドブックや郷土史解説書にも広く紹介されているだけでなく、大濠公園管理事務所さえもパンフレットで同様の紹介をしている[11]。しかし、本多・永見が提出した「福岡県経営東公園西公園大堀公園改良計画」には、「海外幾千の公園の実況を参考とし」としか書かれておらず、西湖だけをモデルにしたという記述は一切無い。また、第二次世界大戦前に刊行されたガイドブックや観光案内にも記述は無い[12]

この「西湖をモデルとした」という説が発生するきっかけになったのは、1949年(昭和24年)の昭和天皇行幸に伴い、戦前東公園にあった動物園のアシカ池に設置されていた中国風の東屋を浮見堂として移設したためだとされている[13]。その後、1968年(昭和43年)初版の市の観光ガイドブックに、「西湖を小さくしたのがこの大濠公園といったらどうであろうか」という記述が見られ[14]1978年(昭和53年)に発行された歴史ガイドに初めて西湖をモデルとしたという記述が現れる[15](なお、改訂版に記述は踏まえられたが、新版にこの記述は無い[16])。以降、この記述が官民問わず他のガイドブックにも転載され、拡散していったと考えられている[17]

施設

スターバックス
大濠公園のスワンボート
  • 野鳥の森
  • 児童遊園
  • スターバックスコーヒー大濠公園店(平成22年4月26日、開業)
  • ボートハウス 大濠パーク(平成27年2月6日開業)
    • レストラン花の木
    • ロイヤルガーデンカフェ
    • パークショップ
      • ピンクベリー(フローズンヨーグルト)
    • レンタルボート
  • 大濠公園能楽堂
  • 福岡市美術館
  • 日本庭園

行事

周辺

公園周辺は良好な住環境の住宅街として知られ、高層マンションや福岡市でも価格帯が高価なマンションも多数点在する[10][18][19][20][21][22]

その他主な施設

交通アクセス

鉄道

バス

  • 西鉄バス
    • 明治通り荒戸一丁目 - 大濠公園 - 黒門
    • 国体道路:福岡城・NHK放送センター入口 - 福大大濠中高前 - 大濠公園南
    • 市道舞鶴公園線:福岡市美術館東口 - 福岡城・NHK放送センター入口
    • 城南線:大濠
  • FUKUOKA OPEN TOP BUS
    • シーサイドももちコース:大濠公園前 - 大濠公園.福岡城址
    • 博多街なかコース:大濠公園.福岡城址

脚注

  1. ^ スポーツ・グラフィック ナンバー編 『日本野球25人 私のベストゲームISBN 9784167713263、2008年、p.28
  2. ^ CONCEPT(レストラン 花の木 - コンセプト) | 大濠公園ボートハウス - 2013年6月6日閲覧
    同項目に、三日間連続して来店したと記述がある。1989年に大濠公園へ移動。個室の一つである「Room 1953」には、その時のテーブルと椅子が閉店まで使用されていた。
  3. ^ おかげさまで大濠公園に戻ることが決りました。 - 大濠公園ボートハウス 2013年10月11日
  4. ^ アバウト|レストラン花の木(2015年2月20日閲覧)
  5. ^ 「大濠埋築案」 1915年3月30日付『九州日報
  6. ^ 団琢磨「大濠を水の公園として」 1919年2月13日付『福岡日日新聞
  7. ^ 井上精三 『博多郷土史事典』 葦書房、2000年、P32
  8. ^ http://www.ohorikouen.jp/about/history/
  9. ^ 田代芳樹 (2018年10月19日). “池の水全部抜いた大濠”. 西日本新聞. 2018年10月28日閲覧。
  10. ^ a b 西日本シティ銀行"大濠公園 - 西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」"昭和63年8月(2013年8月6日閲覧。)
  11. ^ 安部健一「大濠公園(福岡市)「西湖モデル説」の追跡(1) -その発生と展開についての考察-」 西日本文化協会『西日本文化』467号(2014年2月号) P.18-21
  12. ^ 安部健一「大濠公園(福岡市)「西湖モデル説」の追跡(2) -真偽についての基本的な検討-」 西日本文化協会『西日本文化』468号(2014年4月号) P.10-15
  13. ^ 安部健一「大濠公園(福岡市)「西湖モデル説」の追跡(3) -シリーズ「歴史散歩」から登場-」 西日本文化協会『西日本文化』469号(2014年6月号) P.6-11
  14. ^ 『はかた 福岡市の史話と観光』福岡市経済局観光課 1968年
  15. ^ 福岡県高等学校社会科研究会歴史部会『福岡県の歴史散歩』全国歴史散歩シリーズ40 山川出版社 1968年 P.107
  16. ^ 福岡県高等学校歴史研究会『福岡県の歴史散歩』歴史散歩40 山川出版社 2008年 ISBN 978-4-634-24640-9 P.88
  17. ^ 安部健一「大濠公園(福岡市)「西湖モデル説」の追跡(4) -地元新聞が踏襲して“定説”に-」 西日本文化協会『西日本文化』470号(2014年8月号) P.18-23
  18. ^ All About"シリーズ・地下鉄に乗って〜大濠公園駅〜 [福岡の観光・旅行]"2008年1月31日(2013年8月6日閲覧。)
  19. ^ innovade"大濠公園 - とくなび福岡"(2013年8月6日閲覧。)
  20. ^ 福岡穴場スポットNAVI"大濠公園 | 福岡穴場スポットNAVI"(2013年8月6日閲覧。)
  21. ^ SUUMO"九州版!地下鉄空港線が人気な理由"2012年1月4日(2013年8月6日閲覧。)
  22. ^ 有村商事best balance博多駅前店"ロマネスク大濠 402 / 4階 3LDK 85,000円 61.61m2 築28年"(2013年8月6日閲覧。)

外部リンク