狂気の地底回廊

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狂気の地底回廊』(きょうきのちていかいろう、原題:: In the Vaults Beneath)は、イギリスのホラー小説家ブライアン・ラムレイによる短編ホラー小説。クトゥルフ神話の1つ。

アーカムハウスオーガスト・ダーレスから「短編集を出そう」と提案されたことで、執筆された作品の一つ。1971年に処女短編集『黒の召喚者』に収録された[1]。日本では1986年に国書刊行会から単行本が邦訳刊行された。邦訳はこれのみ。

当短編集収録作の中では最も大がかりなものであり、当時の執筆作でもボリューム最長。作者ラムレイは1968年の中ごろに余暇を割いて3ヶ月かけて書き上げたと回想している。ラムレイは当時(冷戦時代)、英国陸軍警察の軍曹勤務で西ドイツベルリンに駐屯していた。[1]

ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの『狂気の山脈にて』の後日談にあたり、複数のラムレイ作品とも関連する。作中で言及される出来事の時系列・年代には混乱がみられる。

古地図の調査が重要な要素を占めており、大陸移動説に着眼がなされている。大陸移動説は、ラヴクラフト時代にはすでにあったのだが世間的には受け入れられておらず、1960年代にプレートテクトニクス理論が発展したことで定着していた。

あらすじ[編集]

前日譚[編集]

1931年(狂気の山脈にて)、アメリカのミスカトニック大学が、南極に探検隊を派遣し、人員の半数が未帰還となる。地底で発見した物については厳重に口止めがされ、また生還したダイヤー教授は南極に行くなと警告を発する。また世界中の地震学者も、南極が危険であると分析結果を出す。しかしそれらのあらゆる警告を無視し、第二次探検隊が南極に行く。その結果、第一次探検隊が発見した物が「そのときはあったが、なくなった」証拠が出てきた。地震で地形が変わったことで消滅したのであると結論された。また1935年には、ミスカトニック大学はオーストラリアの砂漠に探検隊を派遣する(時間からの影)。

イギリスでは、1934年に探検家ウィンドロップが、北アフリカから古代文字が刻まれた粘土板「グ=ハーン断章」を持ち帰る。後に「断章」に着目した考古学者エイマリー卿は、探検隊を率いて北アフリカに向かうも、隊は全滅し、半狂乱となり帰還した卿も不可解な失踪を遂げる(セメントに覆われたもの)。

1963年、博物館館長ゴードン・ウォームズリー教授のもとを、作家フィリップ・ホートリーが訪れ、「兄が書いた」という奇怪な日記を解読して欲しいと依頼してくる(盗まれた眼)。その日記は古代文字で記されており、しかも「明らかに現代人の手で、しかもその言語を知悉しているように」書かれているという、奇妙な物であった。

断章の研究[編集]

「私」サイモン・ゲストアーサー・ジェフリーズは、ゴードン・ウォームズリー教授のグ=ハーン断章についての講演を聞いて感銘を受け、教授と直接話をして意気投合する。こうして、ゴードン、サイモン、アーサーは3人で合同研究を始めることになる。

私とアーサーの2人が既存の学問研究のまとめを担当する傍らで、ゴードンは中核の部分、つまり古代文字の解読を担う。解読を進めたところ、「断章」が200万年前の物であることと、記述者たちが信じられないほど正確な天文学の知識を持っていたことがわかってくる。グ=ハーン断章は、宇宙地図であったのである。また「断章」にはブリテン島の某所が「前哨地」と呼ばれて記されていた。3人は、その場所に実際に赴いて調査することを決める。

地底回廊[編集]

「前哨地」の現地調査を始めたところ、3人それぞれが持つ時計が全て狂うという、奇妙な現象が起こる。どうやら土地が異常な磁気を帯びているようである。探って、掘って、前哨地の入口を発見すると、その先には地底回廊が広がっていた。日光の届かない地底にもかかわらず前方が視認できることから、回廊に人工照明が用いられていることに気づく。ゴードンは「ショゴスの組織」と言う。断章を記し、前哨地に地底回廊を築いた「人類」旧支配者が、バイオテクノロジーを用いて、原形質から燐光を発する生物を造ったのだという。壁や天井には、彼ら旧支配者の姿を象った絵が低浮き彫りにされていた。回廊にはまた、回転扉のような仕掛けまで備わっており、奇怪な音が響いてくる。

やがて3人が行き着いた部屋は、古代種族の書物庫であった。蝶番で綴じた金属製の書物は、グ=ハーン断章と同じ文字で書かれており、それらが無数に陳列されている。また壁画には、現生人類に知られざる宇宙年代記が描かれていた。太古の地球では、複数の種族が覇権争いをしていたのである。旧支配者の海底の砦が、のような生物の軍勢に攻囲されている絵を見て、ゴードンは「ク・リトル・リトルだ」と呼ぶ。ゴードンは、奇怪な日記を書いたジュリアン・ホートリーの知識の源泉が、ここのような場所か、これらの書物ではないかと仮説するも、それでも納得しきれない。

やがて怪音の正体が「ショゴスの細胞が繁殖と腐敗をくり返す音」という事実に思い至る。はるかな昔に旧支配者によって地底に封じ込まれたショゴスの細胞は、まだ死に絶えておらず生きている。危うくそいつを外に出すところだったことに気づいて、肝を冷やす。

前哨地の消失[編集]

発見物をいくつか持ち帰ったゴードンは、館長職を代理の者に任せ、研究に注力する。一方で、博物館の周囲100ヤードで、現代式の電気仕掛けの時計を除いた「あらゆる時計」が、止まったまま動かなくなるという現象が起こる。どうやら原因は、3人が前哨地から持ち帰った特殊な金属によるものであるらしい。ゴードンは布状の金属が備えている優れた様々な性質に強い興味を示す。

ゴードンは仮説を立てる。曰く、ミスカトニック大学が発見した古代都市が消失したのは、自然現象ではなく人為的な転移であるという。つまり南極地震は陥没のせいではなく、旧支配者が都市を「大西洋の底に移動させた」ために起こったのだという。ホモサピエンスに発見されてしまったことを、旧支配者は恐れたのである。つまりこのままだと「前哨地」も移動させらてしまうことを意味する。3人の大発見の場所が消えてしまい、持ち帰った品物は捏造品だと思われ、考古学上の名声はなくなるだろう。3人は、もう一度「前哨地」に行って、持ち帰れる限りの物品を持ち帰ってくることと、証拠に動画を撮影してくることを決める。

事が起こったとき、私は自室にアーサーを宿泊させ、2人で出発の準備をしていた。私が戦利品の小像に触れていると、前触れもなく、小像が目の前で「触れていた私の指先もろとも、消失した」。血が迸り、私にはわけがわからなかったが、混乱した頭で応急手当をする。

一方でゴードンは、あの金属の布でスーツを作らせていた。旧支配者のテクノロジーが前哨地と関連物全てを空間移動させたときも、ゴードンはそれを着ていたのである。私とアーサーがゴードンの研究室で見た物は、頭部と両手と両足をなめらかに切断されたゴードンの遺骸と、血だまりであった。

その日イギリスの某地方を襲った地震は、旧支配者が前哨地を転移させた余波で起こったものである。ゴードンは死に、私は指を失い、アーサーは心的外傷を負った。

登場人物[編集]

主人公[編集]

  • ゴードン・ウォームズリー教授 - ウォービィ博物館の館長。
  • サイモン・ゲスト - 語り手(私)。考古学をかじっており、フィ―リーの「ネクロノミコン新釈」や「水神クタアト」などの書物を読んだことがある。
  • アーサー・ジェフリーズ - 私の友人で、同様に考古学の心得がある。

アメリカ・ミスカトニック大学の人物(ラヴクラフト)[編集]

  • ウィリアム・ダイヤー教授 - 『狂気の山脈にて』の主人公。ミスカトニック大学の学者。1930年の南極探検と1935年のオーストラリア探検に参加した。
  • ダンフォース - 『狂気の山脈にて』の主要人物。当時院生だった。南極探検に参加し、精神に異常を来して帰還する。
  • ウィンゲート・ピースリー教授 - 心理学者。『時間からの影』の主人公であるナサニエル・ピースリー教授の次男。1900年生まれ。
  • スタークウェザー=ムーア探検隊 - ミスカトニック大学の第二次南極探検隊。

イギリスの人物[編集]

  • ウィンドロップ - 探検家。1934年に北アフリカで粘土板(グ=ハーン断章)を手に入れ、イギリスに持ち帰る。解読を試みるも、学会や世間からは変人の道楽とみなされるのみであった。
  • エイマリー・ウェンディ=スミス卿 - 『セメントに覆われたもの』の主要人物。断章を研究して、北アフリカに行き、精神に異常を来して帰還した。後に失踪する。
  • フィリップ・ホートリー - 『盗まれた眼』の主人公。ジュリアンという兄がいる[注 1]。兄の手記を解読して欲しいと、ウォームズリー教授に持ち込んだ。日記を帰した直後に、兄を殺して自殺した。

用語[編集]

地理[編集]

  • グ=ハーン断章 - 探検家ウィンドロップが北アフリカから持ち帰った粘土板。点の集合からなる奇妙な象形文字が刻まれている。解読したところ、精密な地図・星図であることが判明した。名称は、古代都市グ=ハーンの記述がみられることに由来する。ユゴスという恒星もしくは惑星が特に注目されており、またヒヤデス星団とアルゴール星について漠然とした警告が発せられている。
  • グ=ハーン - アフリカの地底都市。断章には、記述ごとに異なる位置で記されている。これは大陸移動によってアフリカが移動したためであるらしく、途方もない期間にわたる地球の地質学的進化の歴史を物語っている。この都市の住人は、シャッド-メルという悪魔が率いる奇怪な生物種であるという。
  • 「前哨地」 - 旧支配者の拠点の一つで、英国某所に存在する。地底回廊に物品や書物が納められ、ショゴスがいる。
  • 「原子核の混沌」 - グ=ハーン断章に記録されている古代兵器。ある生物が使用し、太陽系第5惑星サイオフを破壊した。サイオフの名残りである小惑星群が軌道を周っている。
  • ル=イブ - 失われた古代都市イブの姉妹都市。断章によると、英国ヨークシャー州の荒野に存在するらしい。『大いなる帰還』で言及あり。

生物[編集]

  • 旧支配者(古のもの) - 「グ=ハーン断章」を記した、古代の「人類」。ク・リトル・リトルやクトーニアンと敵対している。
  • ショゴス - 旧支配者が産み出した人造生命体。原形質の細胞は、変幻自在で、
  • ク・リトル・リトル - 旧支配者と地球の覇権を争った古代生物。

収録[編集]

関連作品[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 邦訳版『盗まれた眼』では、兄フィリップ、弟ジュリアンとなっている。

出典[編集]

  1. ^ a b 国書刊行会『黒の召喚者』「日本語版への序」ブライアン・ラムレイ、5-15ページ。