インスマウスの影

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
「インスマウスの影」を編集中

インスマウスの影』(インスマウスのかげ、: The Shadow Over Innsmouth)あるいは、『インスマスを覆う影』(インスマスをおおうかげ)は、アメリカ合衆国のホラー小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフト1936年に発表した小説。

解説[編集]

ダニッチの怪(1928年)』、『クトゥルフの呼び声(1928年)』と並ぶラヴクラフトの代表作である。執筆は1931年。後半が追ってくる怪物たちからの逃走、脱出譚で占められているなど、ラヴクラフトのクトゥルー神話系作品としては、スリラー・サスペンスの要素が強い。ラブクラフトは、いつものようにパルプ・マガジンウィアード・テイルズ』に送るつもりだったが、自信がなくなり、投稿を見合わせてしまった[1]。のち、彼のファンのひとりによって出版されたが、流通したのはわずか200部で、しかもひどい製本、印刷であった[2]。これがラヴクラフトにとって、生前、作品が単行本のかたちで出た唯一のものとなった。

作品は、不幸続きの少年時代に自らの家系を呪われたものと信じたラヴクラフトが血筋への恐怖を描いた。また20世紀初頭の保守的なアメリカ人の例に漏れず、ユダヤ人有色人種異教徒を嫌悪していたラヴクラフトが、その嫌悪感を作中の怪物に重ねて書いたものとも言われている。しかしそれらとの混血、血筋で結ばれているというタブーに異世界住人への憧憬、自己同一視、逆の選民意識も見て取れる。ニューイングランドの荒廃した古い漁村の描写は、まだ生活に余裕のあった頃のラブクラフトが各地を旅行して古い建物を見て回っていた好古趣味が反映されている。

あらすじ[編集]

1927年7月、成人となった記念にニューイングランドを旅する主人公(私)は、好古趣味、旅費節約、及び怖いもの見たさのため、大人たちの忠告をよそに、ニューベリーポートからインスマウス経由アーカム行きのバスに乗り、かつては賑わっていたが、数十年前に疫病で没落したと噂されている港町インスマウスに赴く。着いてみると、建物はどれも廃屋のようで街は陰気、まばらに会う人たちも、不気味な魚めいた顔立ちをした者が少なくない。主人公は、酔いどれの老人から街が荒廃した真の原因を聞く。かつてオーベッド・マーシュという船長が、南の海で、謎の海洋生物と混血すればその子孫は、歳をとるにつれ体が海中生活向きに変化を来たし、いずれは海中都市で不死の生活がおくれるという風習をインスマウスに持ち帰り、それとの混血に反対する人間は粛清してしまったためだというのだ。しかしそれは部外者には語ってはいけない秘密だった。今語っているところを何者かに見られたと老人は狂ったように走り去る。主人公も、街の不気味さ、魚臭さ、人間と思えぬ人々、その自分を見る目に恐れを抱き、早々と最後のバスでインスマウスを去ろうとするが、バスは故障し、町のホテルでの一泊を余儀なくされることとなる。深夜、声からして人間でない複数の何者かが部屋の鍵をこじあけようとしていることに主人公は気づき、ホテルの窓から隣の廃屋の屋根へと伝って逃亡する。街から脱出しようとするも、多くの追っ手の影があちこちに出没する。それは人間ではなかった。主人公はその姿をまともに見た途端気絶するが、草深い廃線路の中にいたので追っ手には見つからず、翌朝インスマウスからの脱出に成功する。主人公からインスマウスの秘密は警察に知らされ、のち爆破処理も含めて、インスマウスは当局の手入れを受ける。しかし、のち主人公は家系図をつくるために祖先を調べていたさい、自分がマーシュ船長とその謎の海中生物とのあいだにできた子どもの子孫であったことを知る。

クトゥルフ神話への影響[編集]

この作品には、ラヴクラフトの世界観「宇宙的恐怖(コズミックホラー)」がよく表れており、ダゴン秘密教団や「深きものども」などクトゥルフ神話には、欠かす事ができないキャラクターや名称が登場している。

クトゥルフ神話のもっとも有名なキャラクターであるクトゥルフに奉仕する組織としてダゴン秘密教団は、モチーフとして広く取り上げられる。これまでも太古の人知を超えた存在は、人類を脅かす宇宙的恐怖の共通のテーマだったがあくまで怪物で、彼らの奉仕者も人間以外の生物だった。この邪神たちを人間が信仰の対象とする事でキリスト教の対岸にある異教徒たちから見た逆の選民意識を描いている。

舞台となったインスマウス/インスマスは、同じくラブクラフトによって創出された架空の都市アーカムに近く、地理的に取り上げられることが多い。オーガスト・ダーレスの小説『永劫の探求』でも舞台となった。日本においても、1992年TBS佐野史郎主演・小中千昭脚色で翻案ドラマ(邦題:『インスマスを覆う影』)が制作されており、脚本の小中千昭により『蔭洲升を覆う影』の題で小説化されている。2001年に舞台をスペインの漁村「インボカ」(Imboca:ボカとはスペイン語で「口(マウス)」のこと)に変更し、内容も大幅に変更された映画「Dagon(英文Wiki)」が製作された(監督・スチュアート・ゴードン)。

先行作品『壁のなかの鼠』、『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』、『ピックマンのモデル』と同じく主人公の血筋に触れる内容があるが、これまでと違い細かな家系図・姻戚関係がラブクラフトによって設定された。このため後発の作品において主人公と同じ血筋に属するキャラクターが設定されることもある。

脚注[編集]

  1. ^ 『定本ラヴクラフト全集5巻』(国書刊行会)の解説ではそうなっているが、リン・カーターの『クトゥルー神話全書』では、『ウィアード・テイルズ』に不採用になったとなっている
  2. ^ (国書刊行会 定本ラヴクラフト全集1 ラヴクラフト=テクストにおける諸問題(S.T.ヨシ) など)

参考文献[編集]