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立憲民政党を中心とする政党内閣だが、一方で[[貴族院 (日本)|貴族院]]の親民政党議員を多く入閣させたところに特色がある。
立憲民政党を中心とする政党内閣だが、一方で[[貴族院 (日本)|貴族院]]の親民政党議員を多く入閣させたところに特色がある。


外務大臣には外務省から[[幣原喜重郎]]を起用し、その協調外交は[[幣原外交]]と呼ばれた。また財界から信任のある[[井上準之助]]蔵相を起用して[[金解禁]]、緊縮政策、産業合理化を断行した。また政友会の反対を排除して[[ロンドン海軍軍縮条約]]を結んだ。これらが右翼からの反感を買い、1930年(昭和5年)11月に濱口首相が東京駅構内にて[[右翼団体]][[愛国社 (1928年-)|愛国社]]党員の[[佐郷屋留雄]]に銃撃されて執務不能となると、慣例により閣僚の中で[[宮中席次]]が最も高かった幣原が[[内閣総理大臣臨時代理]]を務めた。しかし幣原は民政党員でない上に臨時代理が長期に及んだこと(結果的に最長不倒記録の116日)などから、その失言をきっかけとして野党[[立憲政友会|政友会]]からの激しい攻撃を受けることになり、加療入院中の濱口が杖を突きながら復帰することとなったが、病状の悪化により総辞職した。その4か月後に濱口は死去した。
外務大臣には外務省から[[幣原喜重郎]]を起用し、その協調外交は[[幣原外交]]と呼ばれた。また財界から信任のある[[井上準之助]]蔵相を起用して[[金解禁]]、緊縮政策、産業合理化を断行した。また政友会の反対を排除して[[ロンドン海軍軍縮条約]]を結んだ。これらが右翼からの反感を買い、1930年(昭和5年)11月に濱口首相が東京駅構内[[右翼団体]][[愛国社 (1928年-)|愛国社]]党員の[[佐郷屋留雄]]に銃撃されて執務不能となると、慣例により閣僚の中で[[宮中席次]]が最も高かった幣原が[[内閣総理大臣臨時代理]]を務めた。しかし幣原は民政党員でない上に臨時代理が長期に及んだこと(結果的に最長不倒記録の116日)などから、その失言をきっかけとして野党[[立憲政友会|政友会]]からの激しい攻撃を受けることになり、加療入院中の濱口が杖を突きながら復帰することとなったが、病状の悪化により総辞職した。その4か月後に濱口は死去した。


濱口は、初の[[明治]]生れ、[[高知県]]([[土佐藩]])出身の総理大臣である。
濱口は、初の[[明治]]生れ、[[高知県]]([[土佐藩]])出身の総理大臣である。

2018年4月11日 (水) 07:54時点における版

濱口内閣
内閣総理大臣 第27代 濱口雄幸
成立年月日 1929年(昭和4年)7月2日
終了年月日 1931年(昭和6年)4月14日
与党・支持基盤 立憲民政党
施行した選挙 第17回衆議院議員総選挙
衆議院解散 1930年(昭和5年)1月21日
内閣閣僚名簿(首相官邸)
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濱口内閣(はまぐちないかく)は、立憲民政党総裁・衆議院議員濱口雄幸が第27代内閣総理大臣に任命され、1929年(昭和4年)7月2日から1931年(昭和6年)4月14日まで続いた日本の内閣

概要

立憲民政党を中心とする政党内閣だが、一方で貴族院の親民政党議員を多く入閣させたところに特色がある。

外務大臣には外務省から幣原喜重郎を起用し、その協調外交は幣原外交と呼ばれた。また財界から信任のある井上準之助蔵相を起用して金解禁、緊縮政策、産業合理化を断行した。また政友会の反対を排除してロンドン海軍軍縮条約を結んだ。これらが右翼からの反感を買い、1930年(昭和5年)11月に濱口首相が東京駅構内で右翼団体愛国社党員の佐郷屋留雄に銃撃されて執務不能となると、慣例により閣僚の中で宮中席次が最も高かった幣原が内閣総理大臣臨時代理を務めた。しかし幣原は民政党員でない上に臨時代理が長期に及んだこと(結果的に最長不倒記録の116日)などから、その失言をきっかけとして野党政友会からの激しい攻撃を受けることになり、加療入院中の濱口が杖を突きながら復帰することとなったが、病状の悪化により総辞職した。その4か月後に濱口は死去した。

濱口は、初の明治生れ、高知県土佐藩)出身の総理大臣である。

閣僚

濱口雄幸衆議院立憲民政党総裁):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
幣原喜重郎(臨時代理):1930年(昭和5年)11月15日 - 1931年(昭和6年)3月9日
男爵幣原喜重郎(貴族院同和会):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
安達謙蔵衆議院立憲民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
井上準之助(貴族院無所属→立憲民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
宇垣一成(軍人:陸軍):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
阿部信行(臨時代理):1930年(昭和5年)6月16日 - 1930年(昭和5年)12月10日
財部彪(軍人:海軍):1929年(昭和4年)7月2日 - 1930年(昭和5年)10月3日
男爵安保清種(軍人:海軍):1930年(昭和5年)10月3日 - 1931年(昭和6年)4月14日
濱口雄幸(事務摂行):1929年(昭和4年)11月26日 - 1930年(昭和5年)5月19日
子爵渡辺千冬(貴族院研究会):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
小橋一太衆議院立憲民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 同年11月29日
田中隆三衆議院立憲民政党):1929年(昭和4年)11月29日 - 1931年(昭和6年)4月14日
町田忠治衆議院立憲民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
俵孫一衆議院立憲民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
小泉又次郎衆議院立憲民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
江木翼(貴族院同成会立憲民政党系):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
松田源治衆議院立憲民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
  • 班列(陸軍大臣臨時代理)
阿部信行(軍人:陸軍):1930年(昭和5年)6月16日 - 1930年(昭和5年)12月10日
鈴木富士弥衆議院立憲民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
前田米蔵衆議院政友会):1929年(昭和4年)7月2日 - 同年7月3日
川崎卓吉(貴族院同和会/立憲民政党系):1929年(昭和4年)7月3日 - 1931年(昭和6年)4月14日

政務次官[1]

  • 外務政務次官
    • 永井柳太郎:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 内務政務次官
    • 斎藤隆夫:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 大蔵政務次官
    • 大口喜六:前政権:1927年(昭和2年)4月22日 - 1929年(昭和4年)7月5日
    • 小川郷太郎:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 陸軍政務次官
    • 溝口直亮:1929年(昭和4年)7月5日 - 1930年(昭和5年)8月19日 ※貴族院議員・伯爵
    • 伊東二郎丸:1930年(昭和5年)8月19日 - 次政権:1931年(昭和6年)12月15日※貴族院議員・子爵
  • 海軍政務次官
    • 矢吹省三:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日※貴族院議員・男爵
  • 司法政務次官
    • 浜田国松:前政権:1927年(昭和2年)4月22日 - 1929年(昭和4年)7月5日
    • 川崎克:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 文部政務次官
    • 野村嘉六:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 農林政務次官
    • 高田耘平:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 商工政務次官
    • 吉植庄一郎:前政権:1927年(昭和2年)4月22日 - 1929年(昭和4年)7月5日
    • 横山勝太郎:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 逓信政務次官
    • 広岡宇一郎:前政権:1928年(昭和3年)5月29日 - 1929年(昭和4年)7月5日
    • 中野正剛:1929年(昭和4年)7月5日 - 1930年(昭和5年)12月23日
    • 中村啓次郎:1930年(昭和5年)12月23日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 鉄道政務次官
    • 山道襄一:1929年(昭和4年)7月5日 - 1930年(昭和5年)3月12日
    • 黒金泰義:1930年(昭和5年)3月12日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 拓務政務次官
    • 小坂順造:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日

※立憲政友会所属衆議院議員 *立憲民政党所属衆議院議員

参与官

  • 外務参与官
    • 織田信恒:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日※貴族院議員
  • 内務参与官
    • 内ヶ崎作三郎:1929年(昭和4年)7月5日 - 1930年(昭和5年)3月11日
    • 一宮房治郎:1930年(昭和5年)3月11日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 大蔵参与官
    • 山口義一:前政権:1927年(昭和2年)4月22日 - 1929年(昭和4年)7月4日
    • 勝正憲:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 陸軍参与官
    • 八田宗吉:前政権(就任日不明) - 1929年(昭和4年)7月4日
    • 吉川吉郎兵衛:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 海軍参与官
    • 松本君平:前政権:1927年(昭和2年)4月22日 - 1929年(昭和4年)7月4日
    • 粟山博:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 司法参与官
    • 井本常作:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 文部参与官
    • 大麻唯男:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 農林参与官
    • 砂田重政:前政権:1927年(昭和2年)4月22日 - 1929年(昭和4年)7月5日
    • 山田道兄:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 商工参与官
    • 岩切重雄:1929年(昭和4年)7月5日 - 1930年(昭和5年)3月11日
    • 野田文一郎:1930年(昭和5年)3月11日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 逓信参与官
    • 向井倭雄:前政権:1927年(昭和2年)4月22日 - 1929年(昭和4年)7月5日
    • 福田五郎:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 鉄道参与官
    • 山本厚三:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日
  • 拓務参与官
    • 武富済:1929年(昭和4年)7月5日 - 次政権:1931年(昭和6年)4月15日

※立憲政友会所属衆議院議員 *立憲民政党所属衆議院議員

脚注

  1. ^ 財団法人櫻田會(1989)『総史立憲民政党 理論編』学陽書房、pp.172-179。参考文献『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』。

関連項目

参考文献

  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

外部リンク