戸隠神社

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戸隠神社
奥社本殿、背後は戸隠山の絶壁
奥社本殿
背後は戸隠山の絶壁
所在地 長野県長野市戸隠3690
位置 北緯36度45分55.94秒
東経138度3分43.28秒
座標: 北緯36度45分55.94秒 東経138度3分43.28秒
主祭神 天手力雄命
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戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、以下に記す五社を配する神社である。

歴史[編集]

一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、縁起によれば飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。

また日本書紀天武紀には684年三野王(美努王)を信濃に派遣し地図を作らせ、翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせたとある。

そして書紀には持統天皇691年に使者を遣わし、信濃の国の須波水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社とする説もある。

その後平安時代後期以降は、天台密教真言密教神道とが習合した神仏混淆戸隠山勧修院顕光寺として全国にその名を知られ、修験道戸隠十三谷三千坊として比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と呼ばれるほど多くの修験者や参詣者を集めた。当山(延暦寺山門派)の別当職であった栗田氏が鎌倉期以後は山麓の善光寺(園城寺寺門派)別当をも世襲したこともあって両寺は関連を強め、参詣者は一度に両方を共に参詣することが多かった。

戸隠山から高妻山に至るまでが戸隠曼陀羅として考えられ、高妻山の奥にある両界山付近までが修験の地であった。現在でも登山道各所に一不動、二釈迦、三文殊などと巡って行くようになっている。 戸隠山に向かって奥社参道左手が真言宗の、右手が天台宗の領域であったとされている。両宗派間にはいさかいが絶えなかったが、ある時真言宗派の僧侶が天台宗の僧侶を襲ったが、逆に真言宗が戸隠の地を追われる結果となった。その後、廃仏毀釈によって全て神道に代わり現在に至っている。

戸隠修験の近年の状況だが、修験者が使用した洞窟や岩屋である「三十三窟」[1]が山の中腹に残っており、それぞれ「般若窟」「龍窟」といった名称も残っている。修験が絶えて久しいことなどから現在は道も定かではなく、それらへ辿り着くのは容易ではない。しかし戸隠神社関係者などに詳しく研究している人がいるので案内も可能である。 それらの成果をまとめて出版された研究書などを参照のこと。[2]

戦国時代に北信濃地域は信濃侵攻を行う甲斐国の武田晴信(信玄)と北信豪族の後ろ盾となった越後国上杉謙信との争乱に巻き込まれた。これによって善光寺の支配者でもあった栗田氏が分裂するなどし両軍によって絶えず危機に晒された。このため、衆徒らが約30年間にわたり水内郡小川の筏が峰(現在の長野県上水内郡小川村)に大日方氏の庇護を受けて移り住むなど苦境の時期であった。川中島の戦い当時は、多くの修験者と信仰者集団を抱えていた戸隠神社や飯綱神社は武田、上杉両軍の双方にとってぜひ味方につけたい存在であり、修験者は広く各地の情報に通じ多くの人々を牽引し戦況を占い、何より薬草の知識は従軍医師としての期待が大きかった。このため善光寺や、戸隠、飯綱を味方にするか敵に回すかは極めて重要であったため、これらをめぐって戦火に巻き込まれ熾烈な戦闘が繰り返されているのだが意外に知られていない。 しかし、江戸時代に入り徳川家康から朱印高千石を与えられて「戸隠山領」が成立。同時に東叡山寛永寺の末寺となり、次第に農業や水の神としての性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。

明治時代に入ると明治政府によって神仏分離令や修験宗廃止令が次々と出され、その結果廃仏毀釈運動が起きたため、戸隠山顕光寺を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。 なお当時戸隠の寺院に奉られていた仏像などは、戸隠近隣の村の寺院などに現在も伝わり祀られている。

構成各社と祭神[編集]

宝光社

各社の主祭神は、地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)以外は「天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行を嘆いて天岩戸(あまのいわと)に隠れたため、この世に暗黒と悪神がはびこった」とされる神話にまつわる神であるが、それぞれがいつ頃から現在の祭神を祀るようになったかは必ずしも明らかでない。しかし他の多くの神仏習合の神社とは異なり、祭神は江戸時代以前から変わっていない。

  • 宝光社(ほうこうしゃ):現在地への鎮座は康平元年(1058年)、天暦3年(949年)に奥社の相殿として創建されたものである。祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、中社の祭神である天八意思兼命の子。学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。麓から登ってきて最初にあり、うっそうとした杉木立の階段を上って参拝する。旧宝光院。
  • 火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも書く):創建は天福元年(1233年)。祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。他に高皇産霊命(たかむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀る。天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。舞楽や芸能、また火防の神とされ、宝光社の上1.5kmほどの場所にある。尚、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての顕光寺とは関係がない。
中社
随神門(補修・葺き替え前)、奥社および九頭龍社参道の途中にある
奥社および九頭龍社参道の杉並木
  • 中社(ちゅうしゃ):現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、宝光社と同時期に奥社の相殿として創建された。現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神ともされる。境内周辺には樹齢約900年の三本杉があり天然記念物に指定されている。火之御子社の上1.5kmほど。旧中院。
  • 九頭龍社(くずりゅうしゃ):祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。
  • 奥社(おくしゃ):祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。中社から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入禁止)を登りきった場所にある。途中に赤い「随神門(山門)」があり、その奥は17世紀に植えられたとされる並木になっている。神仏分離以前は随神門より奥の参道左右に子坊が立ち並んでいた。旧奥院。廃仏毀釈までは聖観音菩薩を祀っていた。戸隠三十三窟「本窟」・「宝窟」と言われる中心となる窟が奥社本殿内部にあるが、非公開なので内部に何があるのかは秘密とされている。
  • 現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であり、これと激しく抗争して約500年前に滅亡したとされる西光寺など真言系の寺院が存在していた事も知られている。

文化財[編集]

重要文化財
国内に現存する5枚の象牙製のの内の1つ。象牙製の笏は天皇クラスの持ち物とされる。アフリカ大陸南部のラプタから海のシルクロードを経て加工され、伝えられたものと考えられている。

スポット[編集]

中社右手の滝、奥社参道杉並木、奥社摂社飯綱社、奥社本殿内。奥社本殿右手の戸隠山を遥拝できる柵のある辺りは、戸隠山から降りてくる爽やかな「気」を感じられる。

また戸隠スキー場にも「気」の[3]噴出場所「ボルテックス」がある。

参考文献[編集]

  • 信濃毎日新聞社戸隠総合学術調査実行委員会編『戸隠―総合学術調査報告』信濃毎日新聞社、1971年
  • 曽根原理校注『戸隠』1-2(続神道大系)、神道大系編纂会、2001年
  • 「戸隠村の石造文化」 発行:戸隠村教育委員会 戸隠村地質化石館 2004年

脚注[編集]

  1. ^ http://www1.ocn.ne.jp/~pia/gaido/gaido.htm#anchor45 戸隠神社公認、戸隠三十三窟案内HP。このロッジの主人(戸隠神社関係者)が長らく戸隠修験を研究しており、三十三窟への案内も出来る。
  2. ^ 近況については、2004年に刊行された『戸隠村の石造文化』(詳細は、参考文献セクションを参照)に詳しく、大まかな地図と状況が書かれている。
  3. ^ 「WP:NOTGUIDE」に当たり削除済み。wiki「戸隠スキー場」の履歴表示タブ内、変更履歴2011年8月28日 (日) 00:41に記述有り。
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関連項目[編集]

  • 小菅神社 (飯山市) — 戸隠・飯綱とともに信州三大修験霊場の一つであった神社。
  • 九頭竜伝承
  • 中社地区を少し上がって行ったペンションなどが有る地区に「修験道別格寺公明院」という寺院があり、長らく無人で質素な建物であったが、近年改築され綺麗になった。境内には飯縄天狗などの古い石像が多数あり独特の雰囲気が漂う。

外部リンク[編集]