速谷神社

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速谷神社
Hayatani-jinja, haiden-2.jpg
拝殿(左に阿岐國造碑)
所在地 広島県廿日市市上平良308-1
位置 北緯34度21分33.59秒 東経132度18分30.10秒 / 北緯34.3593306度 東経132.3083611度 / 34.3593306; 132.3083611 (速谷神社)座標: 北緯34度21分33.59秒 東経132度18分30.10秒 / 北緯34.3593306度 東経132.3083611度 / 34.3593306; 132.3083611 (速谷神社)
主祭神 飽速玉男命
社格 式内社名神大
安芸国二宮
国幣中社
別表神社
創建 不詳
本殿の様式 流造
例祭 10月12日
地図
速谷神社の位置(広島県内)
速谷神社
速谷神社
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戦前の拝殿

速谷神社(はやたにじんじゃ)は、広島県廿日市市上平良にある神社式内社名神大社)、安芸国二宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社

概要[編集]

安芸国総鎮守の神社。1700年あまりの歴史を持ち、かつては厳島神社よりも格の高い神社であった。交通安全祈願の神社として全国的に知られ、「車を買ったら速谷さん」と遠方からの参詣者も多い。広島電鉄のバスや電車が御祓いを受けることでも有名。

厳島神社多家神社とともに「安芸国の三大神社」の一社。山陽道を往来する旅人が長旅の平安を祈願した由来が数多く残っており、今日も山陽道を守る「交通安全の守護神」として尊ばれている。

祭神[編集]

歴史[編集]

鎮座の年代は詳かではないが、千七百有余年の古社である。

嵯峨天皇の御代、弘仁2年(811年名神に列し、清和天皇貞観元年(859年)、従五位上であった神階を従四位下に進め、同9年(867年)には従四位上に進める。

醍醐天皇延喜5年(905年)の『延喜式神名帳』には「安芸国佐伯郡 速谷神社 名神大 月次 新嘗」として記載されて名神大社に列し、国家鎮護の神社として毎年月次祭祈年祭新嘗祭の三祭に神祇官の奉幣に預かった。このように朝廷から篤く崇敬された。延喜式所載の安芸国三社(速谷神社、厳島神社多家神社)の中では、当社だけがこの殊遇をうけ、安芸・備後国はもとより、山陽道でも最高の社格を誇った。

朱雀天皇承平5年(935年)、藤原純友の乱に、朝廷は騒乱の平定を速谷神社など全国十三社に祈願され、まもなくその乱が鎮定したので、神階を正四位下に進められた。

古くは安芸国の一宮であったとされるが、厳島神社平氏に崇敬されるにつれて当社は厳島神社の摂社に数えられ、安芸国二宮と称されるようになった[2]

室町時代からは安芸国桜尾城主だった藤原親実以下歴代の城主、戦国大名の大内義隆毛利元就、さらに広島藩主、浅野光晟以下の歴代藩主らが速谷神社を篤く崇敬して、神宝・社領を寄進し、社殿の造営と修復を行った。

大正13年(1924年近代社格制度において国幣中社に列格。昭和21年(1946年)官制廃止により、神社本庁所属の別表神社となった。

神階[編集]

  • 弘仁2年(811年7月17日、名神 (『日本後紀』)- 表記は「速谷神」。
  • 天安3年(859年1月27日、従五位上から従四位下 (『日本三代実録』)- 表記は「速谷神」。
  • 貞観9年(867年10月13日、従四位上 (『日本三代実録』 - 表記は「速谷神」。

境内[編集]

摂末社[編集]

  • 岩木神社 - 祭神:岩木翁神。本社鎮座前からの当地の神と伝え、『安芸国神名帳』に記載される「石城明神」に比定する説がある[2]
  • 稲荷神社 - 祭神:宇加之御魂神

祭事[編集]

文化財[編集]

広島県指定重要文化財[編集]

  • 紙本墨書大願寺尊海文書
  • 木造狛犬

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス

脚注[編集]

  1. ^ 公式サイトより。
  2. ^ a b c 『広島県の地名』速谷神社項。

参考文献[編集]

  • 『日本歴史地名大系 広島県の地名』(平凡社)佐伯郡 速谷神社

外部リンク[編集]