津島神社
津島神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 愛知県津島市神明町1 |
位置 | 北緯35度10分41.65秒 東経136度43分7.13秒 / 北緯35.1782361度 東経136.7186472度座標: 北緯35度10分41.65秒 東経136度43分7.13秒 / 北緯35.1782361度 東経136.7186472度 |
主祭神 | 建速須佐之男命 |
社格等 |
旧国幣小社 別表神社 |
創建 | 欽明天皇元年(540年) |
本殿の様式 | 尾張造 |
例祭 | 6月15日 |
主な神事 | 津島天王祭(7月第4土曜日) |
地図 |
津島神社(つしまじんじゃ)は、愛知県津島市にある神社である。
概要[編集]
建速須佐之男命を主祭神とし、大穴牟遅命(大国主)を相殿に祀る。当社は東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社であり、その信仰を津島信仰という。
中世・近世を通じて「津島牛頭天王社」(津島天王社)と称し、牛頭天王を祭神としていた。
東海道名所図会に、津島牛頭天王と記載される。
歴史[編集]
社伝によれば、建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡ったときに荒魂は出雲国に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称:津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。弘仁9年(810年)に現在地に遷座し、嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られ、正暦年間(990年~994年)には一条天皇より「天王社」の号を贈られたと伝えられる。しかし、延喜式神名帳には記載されておらず、国史にも現れない。年代が明確な史料では、承安5年(1175年)の名古屋七寺蔵・大般若経奥書に名前が見えるのが最初であり、実際には藤原摂関時代の創建と見られる。国内神名帳考異稿(元本・貞治年本国帳:南北朝)には、貞治本にはその名前が見えず、元亀本他に依拠するとする。正一位上 津嶋牛頭天王。
東海地方を拠点とした織田氏は勝幡城を近辺に築き、経済拠点の津島の支配を重要視して、関係の深い神社として崇敬し、社殿の造営などに尽力した。織田氏の家紋の木瓜紋は津島神社神紋と同じである。豊臣氏も社領を寄進し社殿を修造するなど、厚く保護した。江戸時代には尾張藩主より1293石の神領を認められ、後に幕府公認の朱印地となった。厄除けの神とされる牛頭天王を祀ることから、東海地方や東日本を中心に信仰を集め、各地に分社が作られた。津島市の市名はこの津島神社の門前町が発祥である。
明治の神仏分離の際、建物・祭事などにおけるあらゆる仏教的な要素は廃され、祭神を建速須佐之男命とし、社名から牛頭天王の名を外して津島神社としたが、いまも「津島の天王さま」と呼ばれ、全国約3000社の天王信仰の総本社である[1]。明治6年(1873年)に県社に列格し、大正15年(1926年)に国幣小社に昇格した。
神社のすぐそばに天王川公園がある。公園の中央には楕円形の「丸池」があるが、これはかつて津島神社と門前町の間を流れた天王川の名残である。かつての天王川は木曽川左派川末端部の大河川であり、津島神社前に架けられた「天王橋」は長大な橋であったことが宗長の『宗長手記』に記されている。江戸時代となり木曽川に御囲堤が築かれると、天王川と下流の佐屋川は河床上昇により水害が増加した。その対策として日光川が開削されたことで天王川は津島神社付近で築留めされたため入り江状となり、明治に行われた木曽三川分流工事で佐屋川も廃川となったため楕円形の池が残された。牛頭天王は排斥されたが、今も「丸池」で行われる神社の祭りは尾張津島天王祭として「天王」の名が残っている。
1970年(昭和45年)11月23日、神社近くの民家から出火、折からの強風で神社本殿の檜皮葺屋根に飛び火した。懸命な消火活動が行われたが、屋根部分を全焼する被害[2]。
主な年中行事[編集]
- 七草祭(旧正月7日間)
- 祈年祭(3月17日)
- 例祭(6月17日)
- 天王祭車楽舟行事:国の重要無形民俗文化財(指定名称は「尾張津島天王祭の車楽舟行事」、1980年(昭和55年)1月28日指定)[3][4]
- 津島祭(7月第4土曜、日曜)
- 新嘗祭(11月23日)
境内外社[編集]
境内摂社[編集]
- 彌五郎殿社(國玉神社)
- 八柱社(八王子社)
- 祭神:五男三女御子神
- 荒御魂社(蛇毒神社)
- 祭神:建速須佐之男命荒御魂
- 柏樹社(柏宮、柏社)
- 祭神:建速須佐之男命奇御魂
- 和御魂社(蘇民社)
- 祭神:建速須佐之男命和御魂
- 居森社
- 祭神:建速須佐之男命幸御魂
境内末社[編集]
- 稲荷社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 多賀社
- 祭神:伊邪那岐命
- 塵社
- 祭神:聖神
- 熊野社
- 祭神:伊邪那美命
- 久斯社
- 祭神:少名毘古那神
- 庭津日社
- 祭神:庭津日神
- 龍田社
- 祭神:支那津比古命
- 忍穂耳社(星宮)
- 祭神:正哉吾勝々速日天忍穂耳命
- 戸隠社
- 祭神:手力雄命
- 内宮
- 祭神:天照大神
- 多度社
- 祭神:羽山戸神
- 船付社
- 祭神:庭高津日神
- 外宮
- 祭神:豊宇気比売命
- 大社
- 祭神:大山咋命
- 児之社
- 祭神:若年神
- 米之社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 熱田社
- 祭神:日本建命
- 大歳社
- 祭神:大年神
- 愛宕社
- 祭神:迦具土神
- 橋守社(橋姫社)
- 祭神:猿田彦命
- 秋津比咩社
- 祭神:速秋津比売命
- 滝之社
- 祭神:弥豆麻岐神
- 大屋津姫社
- 祭神:大屋津比売命
- 若宮社
- 祭神:尹良親王
- 大国玉社
- 祭神:宇都志国玉命
- 稲田社
- 祭神:櫛名田比売命
- 照魂社
- 祭神:国事殉難者
- 菅原社
- 祭神:菅原道真公
- 疹社
- 祭神:建速須佐之男命和御魂
- 大日孁社
- 祭神:大日孁貴命
境外末社[編集]
- 竈社(三寶荒神社)
- 祭神:天知流迦流美豆比売命、奥津比売神、奥津比古神
- 山祇社
- 祭神:大山津見命
- 八剣社
- 祭神:須佐之男命荒御魂
- 大土社
- 祭神:大土御祖神
- 本社末社:石神社
- 本社末社:琴平社
- 祭神:大物主命
- 堤下社(金燈篭社)
- 祭神:須佐之男命奇御魂
- 市神社
- 祭神:大市比売命、大歳神、宇迦之御魂神
文化財[編集]
重要文化財(国指定)[編集]
- 津島神社本殿 - 重要文化財(建造物)、1920年(大正9年)4月15日指定[5][6]
- 津島神社楼門 - 重要文化財(建造物)、1958年(昭和33年)5月14日指定[7][8]
- 太刀[9](銘真守)伯耆国の刀工大原真守の作
- 剣[10](銘長光)備前国の刀工長船長光の作
重要無形民俗文化財(国指定)[編集]
- 尾張津島天王祭の車楽舟行事
愛知県指定有形文化財[編集]
愛知県指定天然記念物[編集]
- 津島神社のイチョウ[16]
交通[編集]
脚注[編集]
- ^ 津島神社HP「由緒」 2022年6月27日閲覧
- ^ 重文 津島神社の屋根焼く『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月24日 12版 22面
- ^ “尾張津島天王祭の車楽舟行事”. 愛知県. 2013年4月19日閲覧。
- ^ “国指定文化財等データベース「津島神社の天王祭」”. 文化庁 (1967年3月). 2013年5月11日閲覧。
- ^ “津島神社本殿”. 愛知県. 2013年4月19日閲覧。
- ^ “国指定文化財等データベース「津島神社本殿」”. 文化庁 (1920年4月15日). 2013年5月11日閲覧。
- ^ “津島神社楼門”. 愛知県. 2013年4月19日閲覧。
- ^ “国指定文化財等データベース「津島神社楼門」”. 文化庁 (1958年5月14日). 2013年5月11日閲覧。
- ^ “太刀〈銘真守〉”. 愛知県. 2013年4月19日閲覧。
- ^ “剣 〈銘長光〉”. 愛知県. 2013年4月19日閲覧。
- ^ “津島神社南門”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
- ^ “津島神社拝殿等”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
- ^ “石造狛犬”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
- ^ “鉄燈篭”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
- ^ “津島神社文書”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
- ^ “津島神社のイチョウ”. 愛知県. 2013年5月23日閲覧。
関連図書[編集]
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、39頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、230-231頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、134-135頁