大山祇神社

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大山祇神社
Ōyamazumi-jinja keidai.JPG
境内
所在地 愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
位置 北緯34度14分52.45秒
東経133度0分20.9秒
座標: 北緯34度14分52.45秒 東経133度0分20.9秒
主祭神 大山積神
社格 式内社名神大
伊予国一宮
国幣大社
別表神社
創建 (伝)推古天皇2年(594年
本殿の様式 三間社流造檜皮葺
別名 日本総鎮守
札所等 四国八十八箇所55番
例祭 旧暦4月22日
主な神事 赤土拝・福木(1月7日
お田植え祭(旧暦5月5日
産須奈大祭(旧暦8月22日
地図
大山祇神社の位置(愛媛県内)
大山祇神社
大山祇神社
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境内入り口
(二の鳥居と社号標)

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社式内社名神大社)、伊予国一宮旧社格国幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社である。また、主祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称され、当社から勧請したとする三島神社四国を中心に新潟県北海道まで分布する。

概要[編集]

瀬戸内海に浮かぶ大三島西岸、神体山とする鷲ヶ頭山(標高436.5メートル)西麓に鎮座する。古くは大三島南東部に位置した。

三島神社大山祇神社の総本社であり、山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた。大山積神を祀る代表的な神社ということもあり、山神社の総本社とされることもある。

境内には国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。また、源氏平氏をはじめ多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈ったため、国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。社殿・武具等の文化財として国宝8件、国の重要文化財76件(2014年現在)を有し、これらは紫陽殿と国宝館に収納・一般公開されている。さらに、昭和天皇の「御採集船」として活躍した「葉山丸」と、四国の海に生息する魚介類や全国の鉱石、鉱物を展示した大三島海事博物館(葉山丸記念館)が併設されている。

近代においても、日本の初代総理大臣伊藤博文旧帝国海軍連合艦隊司令長官山本五十六をはじめとして、政治や軍事の第一人者たちの参拝があった。現在でも、海上自衛隊海上保安庁の幹部などの参拝がある。

祭神[編集]

祭神は次の1柱。

  • 大山積神(おおやまづみのかみ、おおやまつみのかみ)
    別名として「和多志大神(わたしのおおかみ)」とも[原 1]、「三島大明神」とも。伊弉諾尊伊弉冉尊の間の子で、磐長姫命木花開耶姫命瓊瓊杵尊の妃)の父。
    元は山の神であるが、大山祇神社が瀬戸内海の要所に位置することなどから、大山祇神社では海の神としての性格も強い。
    大山祇神社では社名「大山祇」と祭神名「大山積」とは異なる表記が用いられているが、かつては社名も「大山積」と表記されている。

歴史[編集]

創建[編集]

大山祇神社の鎮座する大三島は古くは「御島」と記された[原 1]ように、神の島とされていた。大三島に鎮座した由来には諸説がある。

  • 『大三島記文』(社伝)
    大山祇神子孫の小千命(乎千命、おちのみこと)が大三島に勧請したとする。
  • 『伊予国風土記』逸文
    大山積神は百済から渡来して津の国(摂津国)の御嶋に鎮座、のち伊予国に勧請されたとする。
    その解釈として、越智氏が朝鮮半島出征で大山積神を戴いて帰国したとする説、越智直が百済に出征し捕虜となり中国を回って帰国したとする説話[原 2]による説があるが、いずれも確証は欠く[1]。摂津国の御嶋は三島江(三島鴨神社)が定説だが、鴨神社式内社三島鴨神社の論社)ともされる。
  • 『予章記』・『予陽河野家譜』
    越智玉興がこの地での霊験にあやかり、勅宣により社殿を造営したとする[1]

境内には弥生時代の神宝や祭祀遺跡があるといわれており[1]、いずれにしてもかなり古い時代から存在したとされる。

概史[編集]

文献では、古く『続日本紀天平神護2年(766年)条において、「大山積神」に従四位下の神階を授けるとともに神戸5烟を充てる旨が記されている。『新抄格勅符抄大同元年(806年)牒においても、当時の「大山積神」には神戸として伊与国から5戸が充てられ、それは天平神護2年5月3日の符によると記されている。

その後の国史では、承和4年(837年)に名神に預かり、貞観8年(866年)に正三位、貞観12年(870年)に従二位、貞観17年(875年)に正二位に昇叙された旨が記されている。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では伊予国越智郡に「大山積神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。

中世から伊予国の一宮とされたほか、朝廷からは「日本総鎮守」の号が下賜されたという。

神職(大祝職)は、代々越智氏(のち三島家)が担い、職名を姓とした大祝氏を称した[1]

大正4年(1915年)、近代社格制度において国幣大社に列格された(四国地方では唯一の大社)。

太平洋戦争の終戦直後の一時期には、旧帝国海軍関係の貴重な資料や教材を戦利品として連合国に没収されることを恐れた海軍兵学校から、厳島神社と合わせて約1万点を「奉納」の名目で預かっていた。そして後に自衛隊が創設されると、自衛隊に返還がなされた。また、GHQは刀剣類の異常な多さを問題視し、国宝級を除いて処分を命じたが神社側は密かに土中に秘匿した。

神階[編集]

  • 六国史時代における神階奉叙の記録
    • 天平神護2年(766年)4月19日、従四位下 (『続日本紀』) - 表記は「大山積神」。
    • 承和4年(837年)8月7日、従四位下、名神に預かる (『続日本後紀』) - 表記は「大山積神」。
    • 貞観8年(866年)閏3月7日、従三位から正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「大山積神」。
    • 貞観12年(870年)8月27日、正三位から従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「大山積神」。
    • 貞観17年(875年)3月29日、従二位から正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「大山積神」。
  • 六国史以後
    • 寛平9年(897年)、正一位 (社伝)

年表[編集]

  • 仁徳天皇年代、百済より摂津国御島に大山祇神を祀るという(『伊予国風土記』逸文)
  • 推古天皇2年(594年)、大三島瀬戸(遠土宮、現 横殿社。今治市上浦町瀬戸)に移るという (『伊予国風土記』逸文、『三島宮社記』)
  • 大宝元年(701年)、現在地(今治市大三島町宮浦)への遷宮に向け造営が始まる (『三島宮御鎮座本縁』)
  • 霊亀2年(716年)、16年をかけ造営終了 (『三島宮御鎮座本縁』)
  • 養老3年(719年)4月22日、遷宮の儀 (『三島宮御鎮座本縁』)
  • 元亨2年(1322年)、戦火に遭い本殿、拝殿が焼失 (『伊予国三嶋社縁起』)
  • 天授4年(1378年)、本殿、拝殿再建 (社伝)
  • 応永34年(1427年)、本殿再建 (向拝実肘木墨書)
  • 天文12年(1543年)、大三島合戦、鶴姫戦死(社伝)
  • 慶長7年(1602年)、拝殿建築 (社伝)
  • 平成4年(1992年)、「日帝残滓」を焼却処分すると主張した過激派(中核派)の放火により祖霊殿が全焼

境内[編集]

主要社殿[編集]

本殿(国の重要文化財)
拝殿(国の重要文化財)
本殿
元亨2年(1322年)の兵火での焼失を受け、室町時代の応永34年(1427年)に再建されたもの。三間社流造檜皮葺。国の重要文化財に指定されている[2]
拝殿
本殿同様に室町時代の応永34年(1427年)[注 1]の再建によるもの。慶長7年(1602年)に大修理が実施されている。素木造で屋根は切妻造檜皮葺。正面中央に一間の向拝を設ける。国の重要文化財に指定されている[3]

その他の建造物[編集]

  • 神輿庫 - 平成9年造営。木造校倉造で入母屋造銅板葺。本社・上津社・下津社の旧神輿3基(愛媛県指定有形文化財)と新神輿3基の6基が収められている。
  • 神門 - 江戸時代、寛文元年(1661年)の松山藩主松平定長からの寄進。素木造で屋根は切妻造檜皮葺。
  • 総門 - 2010年造営。
  • 御棧敷殿(おさじきでん) - 素木造で入母屋造銅板葺。斎田前に建てられ、御田植祭・抜穂祭時に神輿が渡御する。
  • 神馬舎 - 享保20年(1735年)の松平定喬奉納の棟札がある。木造瓦葺。現在神馬はいない。
  • 斎館 - 旧社務所。現在は参籠や潔斎を行う。
  • 絵馬殿
  • 奥の院 - 旧神宮寺の奥の院(位置)。
  • 東円坊 (位置) - 神仏習合時にあった神宮寺24坊[注 2]の1つ。24坊のうち8坊は別宮に移転し、残った16坊も明治の神仏分離の際には本坊のみであった
  • 宝篋印塔 - 3基あり、中央の1基は一遍上人の来島を記念して、文保2年(1318年)に建てられたと伝える。国の重要文化財に指定されている。
  • 一の鳥居 - 瀬戸内海に面して建てられている(位置)。「日本総鎮守 大山積大明神」の額は、重要文化財指定の木造扁額(伝藤原佐理筆)の写しになる。本社境内入り口に建てられている二の鳥居も額は同じ。

クスノキ群[編集]

クスノキ群付近の空中写真。
1:「乎千命御手植の楠」、3:「第三号樹」、16:「河野通有兜掛の楠」、18:「第十八号樹」、26:「能因法師雨乞いの樟」、a:「生樹の御門」、b:「伊藤博文公記念楠樹」
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。(昭和56年度撮影)

鎮守の森はそれほど広くないが、御神木の「乎千命御手植の楠」や奥の院の門となっている「生樹の御門」など境内や近隣にクスノキの巨木が存在する。1322年の兵火や、1722年の洪水で大被害を受けており往年の姿は無いが、38本が「大山祇神社のクスノキ群」の名称で国の天然記念物に指定、他に境内から離れた場所にある1本が愛媛県指定天然記念物となっている。

乎千命御手植の楠
原始林社叢の楠群
国の天然記念物(指定名称は「大山祇神社のクスノキ群」)。1951年(昭和26年)6月9日指定。境内には多くのクスの古木が残って原生林の名残を留めている。うち38本が指定対象となっている。代表的なものは次の通り。
乎千命御手植の楠
幹周11.1m、根周り20m、樹高約15.6m。神社境内のほぼ中央にある。伝承樹齢2600年。兵火や洪水・落雷により樹勢は衰えているが下枝は葉をつけている。現在では息を止めて3周すると願い事が叶う、一緒に写真を撮ると長生きできるなどと信仰がある。小千命の手植えとの伝承があり、名称はこれに由来する。根本は柵で保護されているがその周りは踏み固められており、やや枯れ枝が目立つ。
能因法師雨乞いの樟(枯死)
幹周17m(現在は10m以下)。神池近くにある。伝承樹齢3,000年。かつて日本最古の楠と言われた。18世紀に枯死し腐朽がかなり進行しているが、1990年頃の調査でも胸高幹周10mの大木である。名称は、1066年の大干ばつの際、能因法師がこの木に幣帛を掛け雨乞いを行ったことに由来する。このことは『金葉和歌集』の大治2年(1127年)に詠まれている。
河野通有兜掛の楠(枯死)
幹周14m(現在は3m以下)。弘安4年(1281年元寇出兵時、河野通有が大山祗神社に参籠祈願した際に兜を掛けたとされる。1322年の兵火で大被害を受け枯れているが、現在も幹の一部が社殿の脇に横たえている。
第三号樹
幹周8m(1950年頃)。高い樹高(高さ48m)と大きな根株(根周り70m)が特徴。上記3本に次ぐ大木だが、特筆する伝承などはない。見通しの悪い樹林の中にあるため目立たないが、背が高いため境内裏側に廻れば見える。その他幹周8-10m級クスノキが3本ある。
生樹の御門
奥の院への途中に立つ。樹齢は2,000年または3,000年と伝承される[注 3]。根周り32m、幹周15.5m、高さ10m。主幹は勢いがなく副幹に近接する1枝を除いて枯れているが、副幹は樹勢があり大きく密な樹冠を広げている。周りにはひこばえが数本出ており、着生している植物と合わせ1つの森の様になっている。昭和期には斜面上側、主幹と副幹の間にもう1本細い幹があった。真中の洞(幅2m、高さ3m)が奥の院への参拝通路となっていて、くぐると長寿の利益(りやく)があるなどと信仰されている。
愛媛県指定天然記念物。1951年(昭和26年)11月27日指定。境内からやや離れているため、国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」には含まれず、この木単独で愛媛県の天然記念物に指定されている。
伊藤博文公記念楠樹
樹齢100年(1909年3月22日~)、幹周1m程度の若木である。伊藤博文が参拝記念に植樹した。下枝が手頃なところにあるため、よくみくじ掛として使われているが、木の生育にはあまり良くない。他にもクスノキの若木が多数ある。

神体山[編集]

  • 鷲ヶ頭山(436.5m) - 大三島中心に立つ最高峰。古名を「神野山」。
  • 小見山 - 山名は「お宮の山」からの変形とされる[4]
  • 安神山(267m) - 鷲ヶ頭山の西に立つ。大宝元年の本社の現境内地への遷宮の際、安神山山頂に五龍王を祀ったとされ、現在も祠が鎮座する。

その他[編集]

  • 神水の井戸 - 祭神:水波能売神。本殿向かって左脇にある井戸で、水は祭典に用いられる。
  • 神池(弁財天池)
  • 斎田神田) - 御田植祭・抜穂祭時に神事が行われる。
  • みたらし水(今治市上浦町瀬戸) - 海近くから湧きでる真水。大祭時献上する。
  • 御串山(今治市大三島町宮浦字御串山) - 宮浦港に接して立つ小山。大山祇神社の境内地で摂社の阿奈波神社が鎮座するほか、中世の城跡も確認されている。景勝地として名高く、愛媛県の名勝に指定。
  • 鯨山の古墳(今治市馬越) - 伝小千命墓。

摂末社[編集]

大山祇神社の摂末社の一覧[5]

摂社[編集]

  • 上津社
    • 祭神:上津姫、雷神
    • 例祭:なし - 祭典は本社に準じて行われる。
    本殿向かって右手に鎮座する境内摂社。社殿は、本宮本殿と同様に応永年間(1394年-1428年)の再建と推定される。三間社流造で、屋根は檜皮葺。延享年間(1744年-1748年)・文政年間(1818年-1830年)に大改修が行われたほか、昭和43年(1968年)にも解体修理が実施された。愛媛県指定有形文化財に指定されている[6]
  • 下津社
    • 祭神:下津姫、高籠神
    • 例祭:なし - 祭典は本社に準じて行われる。
    本殿向かって左手に鎮座する境内摂社。社殿は三間社流造檜皮葺。
  • 阿奈波神社(あなばじんじゃ)
    御串山山麓、宮浦港に隣接して鎮座する境外摂社。健康及び長寿の神様として崇められている。子宝に恵まれぬ人や花柳病(女性の下半身の病)に霊験ありとして特別の信仰がおこった。夫婦でお参りに行くと子宝に恵まれることや、女性の下着類や賜物を備えて参拝する習わしが現在に伝えられている。拝殿脇の祈祷奉納品を収める別屋には、男根の奉納品なども収められている。

末社[編集]

境内末社

  • 御鉾神社(おほこじんじゃ)
    祭神:御鉾大神。例祭:9月25日
  • 八重垣神社
    祭神:素戔嗚命。例祭:6月28日
  • 酒殿
    祭神:大山積神。例祭:冬至
  • 姫子邑神社
    祭神:木花開耶姫命(大山積神の娘)とその御子神(火々出見命火須勢理命)。例祭:10月26日。本殿裏に鎮座。
  • 院内荒神社
    祭神:神饌調理の竈神。
    院内荒神社・地神社・稲荷神社・石神社は4社並んで鎮座する。各社とも例祭はない。
  • 地神社
    祭神:境内の地主神。
  • 稲荷神社
  • 石神社
  • 伊予国総社[注 4]・祓殿神社・葛城神社
    祭神:大禍津日神大直日神伊豆能売神速佐須良姫神一言主神。例祭:6月30日(伊予国総社・葛城神社)、10月20日(祓殿神社)。社殿一宇に三社を祀る。
  • 十七神社
    祭神:諸山積神社と十六神社[注 5]。例祭:2月20日
    諸山積神社に十六社が接続する形をとる。由緒書によれば、神社自体は正安年間(1299年-1302年)の創建、社殿は永和4年(1378年)の再建という。愛媛県指定有形文化財に指定されている[7]。内陣には重要文化財指定の神像群が鎮座する。
  • 宇迦神社
    祭神:宇賀神。例祭:3月15日。放生池の島に鎮座。
  • 馬神社
    祭神:天斑駒神。例祭:3月1日。神馬舎隣に鎮座。
  • 祖霊社
    祭神:大国主命と信徒祖霊。
    神宮寺で、本社からは一段上がった境内地に鎮座する。保延元年(1135年)、「神供寺」として創建された。その後、四国八十八箇所霊場第55番札所・月光山神宮寺[注 6]となるなどと栄えていたと伝えられる。明治に入り神仏分離がなされ、出雲大社から大国主命の分霊が勧請され末社となった。
  • 八坂神社
    祭神:素戔嗚命少彦名命。例祭:6月14日。祖霊社横に鎮座。
  • 五穀神社
    祭神:宇賀御魂神。例祭:3月15日。祖霊社横に鎮座。

境外末社

別宮[編集]

その他[編集]

  • 横殿社(横殿宮)(今治市上浦町瀬戸) - 元宮。養老3年(719年)の現在地への遷座以前の鎮座地
  • 三島神社(御浜殿)(今治市大三島町台、位置) - 旧御旅所[8]。秋の産須奈大祭時、神輿が渡御する。それ以前は別宮まで神輿が渡御していたとされる
  • 海岸御休み処(今治市大三島町宮浦字御串山) - 秋の産須奈大祭時、三島神社から還御する際に駐輿する

祭事[編集]

年間祭事[編集]

一人角力[編集]

毎年春の御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)において、大山祇神社の御淺敷殿と神饌田の間に設けられた土俵で行われる相撲神事である。「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で行われ、稲の精霊が2勝1敗で勝つ。「すもう」は一般に「相撲」の字を当てるが、ここでは、相撲を含めた広義の力くらべである「角力」の文字を用いて一般の相撲とは違うこと、神との力くらべを表すとされる。

この神事については「三島大祝安積の松山寺社奉行所差出書」(宝永4年(1707年))に5月5日・9月9日に相撲を取らせたとあり、また大三島の瀬戸地区(現 今治市上浦町南東部)の向雲寺住職慈峯が享保20年(1735年)に「端午(5月5日)神事の節於宮浦邑の斎事有其内瀬戸の独り相撲と名乗る儀式あり役人は甘崎(瀬戸に隣接する地区)より出候得共瀬戸と名乗る」と記しており、古くからの神事であったことが察せられる(貞治3年(1364年)の書物にも相撲奉納の記録が残る)。

春の御田植祭の時には御田植神事の前に、そして秋の抜穂祭の時には抜穂神事の後に行われている。稲の精霊が勝つことによって、春には豊作が約束され、秋には収穫を感謝するという神事である。全国的にも珍しく、昭和39年(1964年)に愛媛県の無形文化財の指定を受け、昭和52年(1977年)に条例改正により県の無形民俗文化財に指定替えになる。

記録によると江戸時代は現在の今治市上浦町瀬戸の力士によって行われ、一番勝負であったとされる。また、明治以降の力士として、堀田金八・藤原岸蔵・藤原初治・越智直治・松岡栄太郎・藤原忠八・元岡敬・藤原荒市などの氏名が記されており、いずれも10年20年と奉仕してきたようである。また、現在使われている「一力山」という四股名は藤原百千の命名による。

昭和59年(1984年)を機に途切れていた一人角力は、大三島中学校教諭 越智秀雄のはたらきかけにより、平成2年の愛媛県地域生活文化研究発表会で大三島中学校生徒により披露されることとなり、以後同中学校において伝承文化発表会で毎年披露されている。平成6年-10年の間には、大三島中学校生徒会 会長・副会長による一人角力が実際の御田植祭と抜穂祭でも奉納された。現在、しまなみ海道開通(平成11年)を契機として、地元の若者の中から選ばれた力士役・行司役の2人により成人の一人角力復活がなされている。

文化財[編集]

大山祇神社の文化財には、刀剣、甲冑、弓箭具などの武器武具類の多いことが特色である。これらの多くは三島水軍の河野一族からの奉納品である。特に甲冑は日本の国宝・重要文化財指定品の大半が当神社にある。これらは紫陽殿および国宝館で一般公開されている。

出典:2000年までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

国宝[編集]

  • 紺糸威鎧(兜、大袖付) 1領 - 伝河野通信奉納、平安時代。
  • 赤糸威鎧(大袖付) 1領 - 伝源義経奉納、平安時代、大鎧と胴丸の特色を兼ね備えた稀有の遺例。
  • 紫綾威鎧(大袖付) 1領 - 伝源頼朝奉納、平安時代。
  • 沢瀉威鎧(おもだかおどしよろい)(兜、大袖付(金具廻革所欠失)) 1領 - 伝越智押領使好方奉納。平安時代初期、日本式の大鎧としては最古の遺品。
  • 禽獣葡萄鏡 1面 - 唐時代、白銅円鏡。
  • 大太刀 銘貞治五年丙午千手院長吉 1口 - 伝後村上天皇奉納。刃長136cm、反り4.8cm。
  • 牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵 1口 - 伝護良親王奉納。鎌倉時代。
  • 大太刀 無銘(伝豊後友行、附 野太刀拵) 1口 - 伝大森彦七楠木正成を討った武将)奉納。刃長180cm、反り5.4cm。

重要文化財[編集]

国の重要文化財には76件が指定されている(2016年現在)。

建造物

  • 本殿(宝殿) 1棟
  • 拝殿 1棟
  • 宝篋印塔 3基

彫刻

  • 木造御神像 17躯(明細は後出)
  • 木造女神坐像 4躯
  • 木造守門神像 4躯 北方天像 - 元亨二年(1322年)銘、南方天像 - 元亨三年大仏師美作法橋宗盛銘

工芸品(刀剣類)

  • 螺鈿飾太刀 伝小松重盛奉納 1口
  • 革包太刀 銘国吉作 大内義隆奉納 1口
  • 赤銅造太刀 銘宗延作 1口
  • 太刀 銘恒真 革包太刀拵 1口
  • 黒漆太刀 無銘 1口
  • 革包太刀 無銘 1口
  • 太刀 銘行真 拵 山金造螺鈿鞘野太刀 1口(刀身は1942年盗難)
  • 刀 銘慶長九年二月吉日信濃守国広作 依賀茂縣主保経所望打之 1口(1942年盗難)
  • 太刀 銘有綱 拵 山金造革包太刀 1口
  • 金象嵌両添刃鉄鉾 1口 - 神宝として本殿に安置。

工芸品(武具)

(鎧)

  • 浅葱糸威褄取鎧(あさぎいとおどしつまどりよろい)大袖付 1領 伝祝彦三郎安親奉納
  • 萌黄綾威腰取鎧(もえぎあやおどしこしとりよろい)大袖付 1領 伝河野通有奉納
  • 紫韋威鎧(むらさきがわおどしよろい) 大袖付 1領
  • 紫韋威鎧 大袖付 1領
  • 紅糸威鎧 1領
  • 白糸威褄取鎧 1領
  • 藍韋威鎧 1領 伝河野通時奉納

(胴丸)

  • 色々威胴丸 兜、頬当、大袖、籠手付 1領
  • 色々威胴丸 兜、大袖1隻付 1領(破損甚大)
  • 熏韋威胴丸(ふすべかわおどしどうまる) しころ、大袖付 1領(「しころ」は篇が「革」、旁が「毎」)
  • 紫糸威腰赤胴丸 大袖付 1領
  • 茶糸威肩赤白胴丸 大袖付 1領
  • 藍韋威胴丸 大袖付 1領
  • 藍韋威胴丸 兜、大袖付 1領
  • 藍韋威胴丸 兜、大袖付 1領
  • 紫韋威胴丸 兜、大袖付 1領
  • 藍韋威肩腰白胴丸 大袖付 1領
  • 熏韋威胴丸 大袖付 1領
  • 熏紫韋威胴丸 大袖付 1領 伝木曽義仲奉納
  • 紫韋威胴丸 兜、壺袖付 1領
  • 紫韋威胴丸 大袖1隻付 1領
  • 藍韋威裾紫胴丸 兜付 1領
  • 熏韋威胴丸 1領
  • 熏韋威胴丸 1領
  • 熏韋威胴丸 兜、大袖付 1領
  • 熏韋威胴丸 大袖、袖印付 1領
  • 紅綾威肩腰萌黄綾胴丸 1領
  • 熏韋包胴丸 壺袖付 1領
  • 藍韋威肩腰白胴丸 大袖付 1領
  • 紫韋威胴丸 1領
  • 紫韋威胴丸 1領
  • 紺糸裾素懸威胴丸 1領 伝鶴姫着用[注 7]
  • 熏韋威胴丸(大破) 1領
  • 黒韋威胴丸(大破) 1領

(腹巻)

  • 色々威腹巻 兜、喉輪、大袖付 1領
  • 藍韋威胸白紅白腹巻 大袖付 1領
  • 色々威腹巻 喉輪、大袖付 1領
  • 藍韋威胸白紅白腹巻 大袖付 1領
  • 藍韋威腹巻 兜、大袖付 1領
  • 色々威鉄腹巻 籠手付 1領
  • 藍韋威胸紅白紅腹巻 1領
  • 色々威裾萌黄素懸腹巻 1領
  • 藍韋威胸紅白紅腹巻 1領
  • 熏韋威胸紅浅葱糸腹巻 1領
  • 藍韋威胸紅白腹巻 1領
  • 熏韋威腹巻 2領
  • 熏韋威腹巻(大破) 1領
  • 鉄腹巻6領
    • 茶糸素懸威鉄腹巻 兜、頬当、袖、籠手付 1領
    • 萌黄糸素懸威鉄腹巻 1領
    • 紫糸素懸威鉄腹巻 壺袖付 1領(大破)
    • 紫糸素懸威鉄腹巻 1領
    • 紫糸素懸威鉄腹巻 1領(大破)
    • 紫糸素懸威鉄腹巻 1領(大破)

(その他武器武具類)

  • 紺糸威膝鎧 1双
  • 白綾威二十四間四方白星兜 1頭
  • 兜 6頭(明細は後出)
  • 大袖 7双(明細は後出)
  • 鍍金大前立 3種
  • 革箙(かわえびら) 1腰 伝和田小太郎義盛奉納
  • 三島明神奉納武器類
薙刀、弓、蒙古軍使用武具類などの一括指定。指定物件の明細は後出。

工芸品(その他)

  • 銅製水瓶 2箇 伝平重盛奉納
  • 木造扁額 額文「日本総鎮守大山積大明神」 1面 伝参議藤原佐理奉納
  • 亀甲繋散蒔絵手巾掛 1基

書跡典籍・古文書

  • 大山祇神社法楽連歌 274帖 附安永六年八月十三日整理目録1巻 - 同社に奉納された法楽連歌の遺品。文安2年(1445年)から万治3年(1660年)まで折紙の原装のまま、215年間の長きに渡りまとまって伝存するのは極めて稀である。また、詠者も大祝家の人々のみならず、河野氏や越智氏の歴代や、当時の庶民の連歌懐紙も含まれ、大山祇神社に対する人々の広い信仰をうかがい知ることが出来る[9]
  • 大山祇神社三島家文書 210通(16巻、2幅、10通)[10]

※観光案内書等に「大山祇神社には全国の国宝・重要文化財指定の武具・甲冑類の8割以上がある」とする資料が多いが、「8割以上」は誤りで、2012年現在国宝・重要文化財に指定されている武具類のうち大山祇神社所有品は約4割である[注 8][注 9]

「三島明神奉納武器類」のうち

国の天然記念物[編集]

  • 大山祇神社のクスノキ群 - 昭和26年指定。

愛媛県指定文化財[編集]

  • 有形文化財
    • 上津社社殿(建造物) - 室町時代、応永年間(1394年-1428年)の再建と推定。昭和29年11月24日指定[6]
    • 十七社社殿(建造物) - 室町時代、永和4年(1378年)の再建と伝わる。昭和29年11月24日指定[7]
    • 神輿 3基(建造物) - 室町時代中期の作と伝わる。昭和29年11月24日指定[11]
    • 長柄銚子(工芸品) - 室町時代初期の作といわれる。昭和34年12月15日指定[12]
  • 無形民俗文化財
    • 一人角力 - 昭和39年3月27日に愛媛県指定無形文化財に指定、昭和52年1月11日に指定替え[13]
  • 名勝
    • 御串山 - 昭和43年年3月8日指定[14]
  • 天然記念物
    • 生樹の門(クスノキ) - 所有者は小見山部落。昭和26年年11月27日指定[15]

今治市指定文化財[編集]

  • 有形文化財[16]
    • 銅鑼(工芸品) - 昭和55年2月7日指定。
    • 鐃鉢 1対(工芸品) - 昭和55年2月7日指定。
    • 大般若経 221巻(典籍) - 昭和55年2月7日指定。

甲冑用語説明[編集]

指定文化財の名称を理解するために、必要最小限のものについて略説。

現地情報[編集]

所在地

付属施設

紫陽殿
大三島海事博物館
(葉山丸記念館)
  • 紫陽殿・国宝館
    国宝・重要文化財含め、奉納された鎧・兜・刀剣類を展示。開館時間:8:30-17:00。
  • 海事博物館
    昭和天皇の採集船である葉山丸を中心に、瀬戸内の動植物や全国の鉱山から奉納された鉱石を展示。開館時間:8:30-17:00。

交通アクセス

  • バス
    • 瀬戸内運輸瀬戸内海交通バスで「大山祗神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
      今治駅松山市駅(瀬戸内運輸特急便の一部のみ)などを結ぶ瀬戸内運輸特急便・瀬戸内海交通急行便のほか、瀬戸内海交通の路線バス(宮浦港と出走を結ぶ路線)が停車する。また、2010年からは観光周遊バス鶴姫号(日曜日・祝日)が停車する。
  • フェリー
    • 宮浦港 (今治市大三島町宮浦) - 徒歩約15分。
      • 大三島ブルーライン 快速船:今治港から約1時間 - 宗方港(大三島)・木江港(大崎上島)を経由。
      • 大三島ブルーライン フェリー:今治港から約1時間30分 - 同上。

脚注[編集]

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注釈

  1. ^ 昭和28年の修理の際に見つかった墨書より。社伝では天授4年(1378年)。
  2. ^ 泉楽坊・本覚坊・西之坊・北之坊・大善坊・宝蔵坊・東円坊・瀧本坊・尺蔵坊・東之坊・中之坊・円光坊・新泉坊・上臺坊・山乗坊・光林坊・乗蔵坊・西光坊・宝積坊・安楽坊・大谷坊・地福坊・通蔵坊・南光坊の24坊(『大三島詣で』より)。
  3. ^ 出版物は樹齢2,000年としているものが多いが、案内板は3,000年。
  4. ^ 伊予国総社の論社には、他に今治市五十嵐の伊加奈志神社がある。
  5. ^ 諸山積、大気、千鳥、倉柱、轟、阿奈波、比目木邑、宇津、御前、小山、早瀬、速津佐、日知、御子宮、火維、若稚、宮市の各神社。
  6. ^ 他に今治市の南光坊がある。
  7. ^ 同胴丸は、胸部を大きく張り出してウエストを細く絞った、女性の体形を思わせる形状をしていることから、大山祇神社はこれを鶴姫が着用した鎧で、かつ日本に現存する唯一の女性用鎧であるとする説を掲げているが、同説は、三島家末裔の一人である三島安精が昭和38年に思い付き、3年後の昭和41年に鶴姫を主人公にした小説『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』を執筆した際に発表したものであり、甲冑・武具研究者の一部より批判を受けている(該当項参照)。
  8. ^ 『国宝・重要文化財大全 5 工芸品I』(毎日新聞社刊、1998)によると、国宝・重要文化財指定の大鎧41件のうち11件、胴丸54件のうち27件、腹巻39件のうち14件が大山祇神社の所有である。以上を合計すると134件中52件(39パーセント)が大山祇神社の所有である。
  9. ^ 大正8年1月13日の『東京国民新聞』に、志賀重昂が大山祇神社の宝物について紹介する文章を寄せ、その中で「特に兵器類の国宝に至っては日本全国の八割強を占め」と書いたことから「全国の8割」という説が広まったものである(大山祇神社編集・発行『大山祇神社』、1985、p.74による)。
  10. ^ 画像中の和弓の名称は以下のとおり。
    (右から)赤漆塗重籐弓、黒漆塗二引重籐弓(正中二十一年針書銘)、塗籠所糸巻弓(貞治二年墨書銘)、吹寄籐弓、黒漆塗二引重糸巻弓、塗籠二引樺巻弓、塗籠重糸巻弓、塗籠匂糸巻弓(2張)

原典

  1. ^ a b 『釈日本紀』巻6(述義2-1中・大山祇神)所引『伊予国風土記』逸文。
  2. ^ 日本霊異記』。

出典

  1. ^ a b c d 『愛媛県の地名』大山祇神社項。
  2. ^ 大山祇神社 本殿(大三島町ホームページ)。
  3. ^ 大山祇神社 拝殿(大三島町ホームページ)。
  4. ^ 『大三島詣で』より。
  5. ^ 記載は『大三島詣で』による。
  6. ^ a b 大山祇神社上津社社殿 (PDF) (愛媛県教育委員会)。
  7. ^ a b 大山祇神社十七社社殿 (PDF) (愛媛県教育委員会)。
  8. ^ 三島神社(台)(愛媛県神社庁)より。
  9. ^ 和田茂樹編 『大山祇神社法楽連歌』『大山祇神社法楽連歌 翻刻研究』大山祇神社社務所、1886年11月22日。
  10. ^ 平成24年9月6日文部科学省告示第130号
  11. ^ 神輿 (PDF) (愛媛県教育委員会)。
  12. ^ 長柄銚子 (PDF) (愛媛県教育委員会)。
  13. ^ 一人角力 (PDF) (愛媛県教育委員会)。
  14. ^ 御串山 (PDF) (愛媛県教育委員会)。
  15. ^ 生樹の門(クスノキ) (PDF) (愛媛県教育委員会)。
  16. ^ 文化財 大三島地域(今治市ホームページ)。

参考文献[編集]

  • 藤田政助編 『大三島の宝器と三島水軍』 (大三島宮保勝会、1926年
  • 鈴木規夫監修 大山祇神社編集 『大山祇神社国宝大鑑』宮司 三島喜徳発行、2000年3月31日
  • 『大三島詣で』 大山祇神社社務所、2001年5月
  • 「大山祇神」(谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽 四国』 白水社、2000年7月)
  • 「大山祇神社」「越智郡」(『日本歴史地名大系 愛媛県の地名』平凡社、1980年1月)
  • 「武家の尊崇厚き神の社 大山祇神社」(『歴史群像』No.45、学習研究社、2001年1月6日)

外部リンク[編集]