佐太神社

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佐太神社
佐太神社
所在地 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
位置 北緯35度30分32.1秒
東経133度0分23.2秒
座標: 北緯35度30分32.1秒 東経133度0分23.2秒
主祭神 正殿:佐太御子大神
北殿:天照大神
南殿:素盞嗚尊
社格 式内小社、国幣小社、別表神社
創建 養老元年(717年
本殿の様式 大社造
札所等 出雲國神仏霊場4番
例祭 9月25日
主な神事 管粥神事、直会祭、神在祭裏祭、御田植祭、御座替神事、例祭、神在祭
地図
佐太神社の位置(島根県内)
佐太神社
佐太神社
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佐太神社(さだじんじゃ)は、島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある神社出雲国二宮である。出雲國神仏霊場第四番。

祭神[編集]

正殿、北殿、南殿に、秘説四柱を含めて12柱が祭られている。

正殿
佐太御子大神伊弉諾尊伊弉冉尊、速玉男命、事解男命の五柱。
北殿
天照大神及び瓊々杵尊の二柱。
南殿
素盞嗚尊及び秘説四柱の計五柱。

神紋[編集]

  • 正殿:扇の地紙
  • 北殿:輪違
  • 南殿:二重亀甲

佐太大神[編集]

現在の神社側の公式見解では、正殿の主祭神である佐太御子大神とは猿田彦神のことである[1]としている。佐太大神は『出雲国風土記』に登場し、神魂命の子の枳佐加比売命を母とし、加賀の潜戸で生まれたという。現在では、神名の「サダ」について、猿田の本来の読みであるという説、狭田すなわち狭く細長い水田の意とする説、岬の意とする説、等のほか諸説がある。

歴史[編集]

創建[編集]

秋鹿郡佐田大社之記に垂仁54年の創建で、養老元年(717年)に再建されたとある。『出雲国風土記』の記述からもとは神名火山(現:朝日山)のふもとに鎮座していたと考えられる。

社名の変遷[編集]

『出雲国風土記』秋鹿郡条に「佐太御子社」と記載されている。延喜式神名帳には「佐陀神社」と記載されている[2]。中世に入ると「佐陀大明神」とか「佐陀大社」、「佐陀三社大明神」などと呼ばれるようになった。明治に入り現在の「佐太神社」に改称した。

神階[編集]

日本三代実録より

社領[編集]

康元元年(1256年)の『社領注進状』(出雲大社所蔵)によれば280と、杵築大社(現:出雲大社)に匹敵するほどの社領を有していたという。宝永3年(1706年)の『佐陀大社勘文』によれば、島根郡と秋鹿郡に7000の社領と224人の神人を有していたが太閤検地によって大幅に減じられ、堀尾吉晴の時代になって200石まで回復したという。江戸時代に入ると杵築大社とともに出雲国内の神社を管轄しそれらを支配する「触下制度」を確立した。佐陀大社の管轄は島根郡、秋鹿郡、意宇郡の西半分と楯縫郡の神社であった。

近現代[編集]

明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、祭神を猿田彦命と明示するように指示された際、神社側は一旦はそれを拒んだが、後に従った。

平成26年、正中殿などの修理が行われており8月に修理見学会が開催された[3][4][5][6]

建造物[編集]

  • 正殿
  • 北殿
  • 南殿
  • 拝殿
  • 神楽殿
  • 宇多紀神社(式内社)
  • 日田神社(式内社)
  • 御井神社(式内社論社)
  • 垂水神社(式内社)

文化財[編集]

ユネスコ無形文化遺産[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

建造物
  • 正殿、北殿、南殿 附:棟札3枚、指図板1枚 - 文化4年(1807年
工芸品

※「胴丸」「腹巻」は鎧の一種

重要無形民俗文化財[編集]

県指定有形文化財[編集]

彫刻
工芸品

主な行事[編集]

祭礼は古来75度あったと言われるが、近世にはすでに行われなくなったものもかなりあると見られている。

交通[編集]

参考文献[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 江戸時代以前には、一旦、由来不明となっていたが、平田篤胤が『古史伝』を著し、猿田彦神であることを解明した。
  2. ^ 九条家本など「佐陁大社」とする写本もある。
  3. ^ 国指定重要文化財 佐太神社本殿修理工事現場見学会のご案内
  4. ^ 「佐太神社の保存修理工事」
  5. ^ 佐太神社 遷宮 保存修理工事
  6. ^ 重要文化財 佐太神社正中殿ほか2棟(島根県)
  7. ^ 浜に打ち上げられたセグロウミヘビを神の使いとして奉納する

関連項目[編集]

外部リンク[編集]