バズーカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
朝鮮戦争におけるM20スーパーバズーカ(左)とM9バズーカ(右)
89mm(3.5インチ)ロケット弾(画像上)と60mm(2.36インチ)ロケット弾(画像中段および下)

バズーカ英語: Bazooka)は、アメリカ合衆国で開発された携帯式対戦車ロケット弾発射器の愛称である。

戦後アメリカから西側諸国に多数が供与され、携帯対戦車兵器の代名詞的にもなったため、以来同様の対戦車ロケット弾発射器や無反動砲を一般名詞的に「バズーカ」と呼ぶこともある(後述#名称についてを参照)。

概要[編集]

主に装甲戦闘車両トーチカを攻撃するための兵器で、外見は無反動砲と非常に類似しているが、バズーカは砲身内部にライフリングが刻まれておらず[nb 1]、弾体自身に内蔵された推進薬で加速・自力飛翔するロケット弾を撃ち出す「発射器(ランチャー)」であるのに対し、無反動砲は高速で後方に噴出する燃焼ガスで反動を相殺する(作用・反作用の法則)火薬発射型の「砲」であるという点で異なっている[nb 2]

日本では「バズーカ」などとも呼ばれるが、バズーカの発射器には火砲のような薬室や閉鎖機構はなく、構造的には単なる鉄パイプに推進薬点火用の簡易発電装置(電磁誘導を利用したもので、コイル状に巻いた電線の中心に勢い良く棒磁石が差し込まれることにより電流が発生する)またはバッテリーを用い、発電装置の作動スイッチをトリガーとしたもので、「(ガン)」ではなく「噴進弾発射器(ロケットランチャー)」に分類される。

無反動砲同様、後方爆風(バックブラスト)が発生するため発射器の後方に物や壁があってはいけないことと、仰角を付け過ぎると射手後方の土砂などが吹き飛ばされ危険なこと、後方爆風によって巻き上がる土煙で射手の位置を容易に特定されてしまうなどの運用面の弱点が存在する。また、ロケット弾は発射と同時に後方に燃焼炎と燃え滓を噴射するも難点の一つで、狭い場所では運用者と周辺の人員が負傷する恐れがあった。

ロケット弾発射器は同口径であれば砲に比べて軽量であり、手軽な反面、砲弾に比べて発射するロケット弾の初速が低く、装甲目標に対する貫通力に劣るという欠点があるが、初速の遅い砲弾でも高い装甲貫通力を発揮させる成型炸薬弾頭(HEAT)の実用化により、当時の戦車に対して非常に有効な歩兵用携行火器となった。

アメリカ軍欧州戦域総司令官を務めたドワイト・D・アイゼンハワーは、“第二次世界大戦を勝利に導いた兵器”として、「原子爆弾」「C-47輸送機」「ジープ(ウィリスMB/フォードGPW小型四輪駆動車)」、そしてこのバズーカを挙げている。

名称について[編集]

画像外部リンク
「バズーカ」を演奏するバーンズ
[1]

公式にバズーカ英語: Bazooka)の名称で呼ばれるものには、大きく分けて第二次世界大戦で使用された60mm(2.36インチ)口径型と、朝鮮戦争以降使用されるようになった89mm(3.5 インチ)口径型がある。アメリカ陸軍における正式な名称は各モデルともRocket Launcher(ロケット発射器)で、例えばM1バズーカの制式名称はRocket Launcher, M1(M1ロケット発射器)である。また、89mm口径型はスーパーバズーカ(Super Bazooka)の愛称でも呼ばれた。

「バズーカ(Bazooka)」という愛称は、当時アメリカで有名であった音楽コメディアンボブ・バーンズ英語版が愛用した自作の楽器に由来する。この楽器は1つの漏斗と2つのガスパイプを組み合わせた単純な構造の金管楽器で[nb 3]、第二次世界大戦中、兵士たちはM1A1及びM9のラッパ状に広がったデフレクター(吹き返し防止装置)の形状をこの楽器に見立て、“バズーカ(Bazooka)”と通称するようになった。

この由来にあるように、「バズーカ」という名称は、本来は「ある形状の対戦車兵器」一般を指す名詞ではなく、特定の形式の兵器を指す固有名称に近いものだが、世間一般におけるバズーカへの認識は「特定の形式の携帯式対戦車ロケットランチャー」のことではなく、単に「携帯して射撃できる口径の大きい火器」の一般名称である場合が多い。

開発[編集]

1942年、陸軍武器科士官のエドワード・ユール中尉とレスリー・A・スキナー大佐(Leslie A. Skinner)が共同で開発した[2]。また、個人携行の対戦車ロケット発射器というコンセプト自体は第一次世界大戦中にロケット兵器の研究を行っていたロバート・ゴダード博士とクラレンス・N・ヒックマン英語版博士によって提唱されたものである。ゴダードは1920年代から別のプロジェクトに着手していたが、ヒックマンは国防研究委員会英語版ロケット兵器部長として1940年代のロケット兵器開発を主導し、バズーカ自体の開発にも携わっている。

当時、第2次世界対戦の勃発に伴いアメリカ軍ではモンロー/ノイマン効果を用いた成形炸薬を弾頭に持つ歩兵用携行対戦車兵器の開発を進め、手榴弾小銃擲弾として開発されていた。しかし、これらは人間が手で投げるには少々重すぎ、小銃擲弾であっても対戦車兵器としては射程が短すぎる、という難点があり、また成形炸薬弾として最良の効果を発揮する状態で着弾させるのが難しい、という問題もあった。

この問題に対して、スキナー大佐率いる開発チームは「小銃擲弾をロケット推進式とする」というアイディアを発案した。当初、このロケット推進擲弾はむき出しのレールに載せて発射する方向で構想されていたため、「射手がレールからロケット弾を取り落とさないように安定して構えるにはどのようなレール形状にするべきであるか」「ロケット弾を発射した際の噴炎からどうやって射手を防護するか」ということが問題であったが、ユールが「ロケット弾を弾頭直径と同じ内径を持つ鉄パイプに装填して発射する」という方法を思いつき、1942年5月、スクラップヤードに集積されていた廃材から「チューブ式のロケット推進擲弾発射筒」を製作、試作の結果が良好であったことから、同年6月14日には正式な試作品であるT1が完成、試験の結果、T1より発射する2.36インチ成形炸薬弾頭ロケット弾は、100ヤード(91.44m)の距離で3インチ(76.2mm)の装甲板を貫通することができ、即座にRocket Launcher, M1として採用された。

運用[編集]

極めて単純で安価なこの兵器は、基本としては射手と装填手の2名により運用される。射手が発射器を肩に担いで構え、装填手が後部から弾頭の安全ピンを抜いたロケット弾を装填してロケット弾と発射筒を電気的に接続、発射準備が完了した後、装填手は後方爆風を浴びない位置に移動して射手の鉄帽を叩いて合図し、射手は最終的な照準をつけた後に発射する。装填を射手自身が行うならば、発射準備に時間を要するものの、射手単独でも運用可能である。

「MASK,FACE,LAUNCHER、ROCKET」の名称で配布された防護面頬

発射すると筒口から飛翔していくロケットの燃え滓が射手の顔面に吹き付けるため、初期には発射時にはこれを避けるために射手には防毒面(ガスマスク)と手袋の着用が必須となっていた(後には顔面を覆うフェイスマスク付きゴーグルが弾薬に同梱されるようになった)が、改良されると筒先にデフレクター(吹き返し防止装置:初期にはラッパ状に広がった金網製の型のものが筒口近くに装着され、後には筒口そのものがラッパ状に広がった形状となった)が装備され、防炎装備がなくとも発射することが可能となった[nb 4]

最初のモデルであるM1は1942年11月北アフリカチュニジアでの戦闘に投入され、以後、改良を重ねながらアメリカ軍の主力対戦車兵器の位置を確立することとなる。兵士が携行して使用する他、現地製作の二連装マウントに装着されてジープにも搭載されて用いられた。この他、小型の連絡観測機に2~4基をまとめた対地ロケット弾発射筒として搭載された他、海軍の小型魚雷艇PTボート)にも急増の6連装(3連装x2)マウントに搭載したものが対地/対艦艇装備として用いられている。

M1とM9の各種バズーカは第二次世界大戦で連合国各国に供与された。最も多数の供給を受けたのは自由フランス軍で、発射器11,350基が供給された。イギリス軍には2,100基以上(正確な数は不明)が供給され、英軍向けとは別にカナダ軍に170基が供与された。開戦後連合国に参加したブラジルへは約2,900基が提供され、中華民国へは2,000基が供与された。この他、ソビエトへのレンドリース品として約3,000基が送られたが、ソビエト軍ではバズーカに対して「不発の発生頻度が高く、対戦車ライフルに比べて信頼性が低い」との評価を下しており、大規模には使用していない[nb 5]

その後、「バズーカ」と総称される対戦車ロケット発射筒は、アメリカ軍においてはより射程の長い大口径無反動砲対戦車ミサイル、もしくはより小型軽量なM72 LAWにその座を譲ってゆき、対戦車兵器としては1957年にはM18 57mm無反動砲およびM20 75mm無反動砲と共にM67 90mm無反動砲に更新されたが、M20は予備兵器として保有が続けられ、ベトナム戦争においても携行歩兵砲として少数ながら使用されていた。

第二次世界大戦後にはNATOを始めとした西側諸国にM9が主力対戦車兵器として多数が供給された。朝鮮戦争後、西側諸国に供給されたM20はその後も長らく使用されており、その多くは1970年代から1980年代にかけて、より新しい時代に開発された携行無反動砲や対戦車ミサイルに置き換えられているが、開発・生産されて半世紀以上が経過しているものの、21世紀に入ってもM20を第2線級装備もしくは予備兵器として保有している国は多数存在している模様である。

日本の陸上自衛隊においても、M9およびM9A1が警察予備隊の発足時に供与されている他、陸上自衛隊発足後にはM20A1B1が主力対戦車装備として本格的に導入され、M9およびM9A1は1960年代まで、M20は1980年代に入り後継の84mm無反動砲が導入されて置き換えられるまで運用されており、一部の部隊では2000年代に入っても予備装備としてM20の装備を継続している。

使用国[編集]

各型[編集]

60mm( 2.36inch)バズーカ[編集]

M1[編集]

M1 2.36インチ対戦車ロケット発射器
Bazookasmithsonian.jpg
最初の量産型であるM1 発射器(後期生産型)とM6及びM10 2.36インチロケット弾
概要
種類 携帯式対戦車ロケット弾
設計・製造 ゼネラル・エレクトリック
性能
口径 60mm(2.36in
使用弾薬 M6 ロケット弾
装弾数 1発
作動方式 電池式電気発火式
全長 1,370mm(54in)
重量 5.9kg(13.00lb
発射速度 毎分5発(手動装填・単発式)
銃口初速 91m/秒(300ft/秒)※M6ロケット弾使用時
有効射程 137.16m(150yd
テンプレートを表示

最初の量産型であるM11942年6月14日に制式化され、11月チュニジア戦線に投入された。発射するM6 対戦車ロケット弾は平均して3インチ(76.2mm)、最大で3.5インチ(88.9mm)の装甲板を貫通することができ、ドイツ軍装甲戦闘車両に対して高い攻撃力を示した他、掩体壕や建造物に篭った敵兵に対しても高い効果を示した。

実戦での使用結果を受けて、使用するロケット弾と発火機構が改良された。M1ではロケット弾の装填後に発射筒後端上部のスイッチを操作することにより本体とロケット弾が電気的に接続される構造であったが、接触不良や通電不良による不発が多発したため、ロケット弾から伸びるコードを発射筒後端上部、ロケット弾固定用クランプの前方にあるスプリング式電極に直接接続する方式に変更されている[nb 7]。加えて、筒口に逆漏斗形の金網による吹き返し防止装置を装着し、M1A1として1943年1月に制式化され、同年7月より部隊配備された。

M1とM1A1の最大の識別点は発射筒後部の上面にあるスイッチボックスの有無で、直接接続式に変更された-A1型にはこのスイッチボックスが廃止されている。スイッチは安全装置を兼ねていたため、-A1型では、装填操作時には銃床左側面にある通電状態確認用のパイロットランプを確認することが必須とされた[nb 8]

M1、M1A1共に初期生産型と後期生産型があり、下記のように照準器の形状とフォアグリップの有無で区分できる。

M1
初期生産型
枠型の前部照準器を持つ。左右両用となっており、照星が左右にある他、後部照準器は発射筒の上面に取り付けられており、左/右側どちらにも回転させて用いることができるようになっていた。フォアグリップあり。枠型の前部照準器は発射筒の筒口を破損させないために保護する役目を兼用していた。
後期生産型
前部照準器が枠型から左側のみの長方形(厳密には変形六角形)となり、後部照準器も左側のみの固定式となる。フォアグリップあり。
M1A1
前期生産型
照準器はM1後期生産型に準じる。フォアグリップあり。
後期生産型
前部照準器の照星が4段階から3段階、最大300ヤードまでに変更され、3段式となる。後部照準器は門型から環孔型(ピープサイト)となった。フォアグリップ廃止。

なお、吹き返し防止装置は「照準器の視界を阻害するので邪魔になる」と装着せずに使用する例も多かったため、これの有無をもって型式を識別することには注意が必要である。

M1は112,790基、M1A1は59,932基が生産された。

M9[編集]

M9 2.36インチ対戦車ロケット発射器
M9 bazooka.PNG
M9
概要
種類 携帯式対戦車ロケット弾
設計・製造 ゼネラル・エレクトリック/チェイニー・ビゲロー鋼線工業(Cheney Bigelow Wire Work)
性能
口径 60mm(2.36in
使用弾薬 M6A1/M6A3 対戦車ロケット弾
装弾数 1発
作動方式
  • 電池式電気発火式 ※M9
  • 電磁誘導式電気発火式 ※M9A1
全長
  • 1,550mm(61in)
  • 800.1mm(31.5in)※携行状態
重量
  • 6.5kg(14.3lb)※M9
  • 7.2kg(15.87lb)※M9A1
発射速度 毎分4~5発(手動装填・単発式)
銃口初速 85.34m/秒(280ft)※M6A3ロケット弾使用時
有効射程 137.16m(150yd
テンプレートを表示

M1A1を空挺部隊向けに発展させたもので、全体を2分割可能な構造として携行時の全長を約半分に短縮できた。M1A1の金網製吹き返し防止装置を廃止し、発射筒口をラッパ状にして吹き返し防止形状としている。分割構造となったことに伴い、照準器はM1の照星/照門式からグリップ後方に照尺式のものが装備される形式に変更されている。銃床(肩当て)がM1の木製から板金製のスケルトン型となったことが外見上の大きな特徴で、電池はトリガーグリップに内蔵され、安全装置兼用のスイッチがグリップの後面に備えられている。

M9は1943年6月に制式採用され、同年10月より生産が開始された。部隊配備は翌年からに遅延したものの、1944年6月ノルマンディー上陸作戦より使用され、空挺部隊のみならず一般部隊向けにもM1A1の更新用として配備された。

「気温が低いとバッテリーが弱るため充分な電力が供給されない」という問題に対応するため、着火装置をバッテリーを電源とするものから電磁誘導を利用した簡易発電装置に変更し、分割構造を改良[nb 9]、後部筒の構造を強化し、照準装置を金属製折畳式のT43から光学式のT90[nb 10]としたM9E1も開発され、1944年4月に制式採用されてM9A1として同年8月より部隊配備が行われた。

使用するロケット弾はM1A1に引き続いてM6A1が用いられたが、M6/M6A1の尖頭形状の弾頭は硬い物体に命中すると跳弾を起こしやすく、特に戦争後半に入り実戦投入された、避弾経始に優れた傾斜装甲を持つドイツ軍のパンターIV号駆逐戦車といった新型戦車に対しては効果が著しく減じられる、という指摘が多くあったことから、弾頭形状を尖頭形から円頭形に変更、更に「輸送時や装填時に破損しやすい」との指摘が多かった露出形の安定翼を外周を覆った円筒型に変更した新型成形炸薬弾頭ロケット弾、M6A3が開発され、1944年9月より配備された。M6A3は-A1に比べて初速が多少低下したものの、装甲貫通力は最大4インチ(101.6mm)に向上している。

1945年5月までに、M9は26,087基、M9A1は277,819基が生産された。


M18[編集]

M18 2.36インチ対戦車ロケット発射器
概要
種類 携帯式対戦車ロケット弾
設計・製造 ゼネラル・エレクトリック
性能
口径 60mm(2.36in
使用弾薬 M6A3/C 対戦車ロケット弾
装弾数 1発
作動方式 電磁誘導式電気発火式
全長
  • 1,536.7mm(60.5in)
  • 800.1mm(31.5in)※携行状態
重量 4.672kg(10.3lb
発射速度 毎分4~5発(手動装填・単発式)
銃口初速 82.3m/秒(270ft)※M6A3/Cロケット弾使用時
有効射程 137.16m(150yd
テンプレートを表示

M9A1を基に各部の設計を見直し、本体を鋳造アルミニウム合金製としてM9A1より5.57lb(約2.53kg)軽量化した更なる改良型。射撃時の安定を増すための二脚が装備されていることと、肩当ての形状がM9の2段カーブ型からアーチ型となっていることが大きな特徴である。照準器の装着法を改良し、M9では上下に動く横型の照尺式であったが、M18では前後に動く縦型に変更され、照準器を折り畳むための可倒軸が調整可能なものとなり、左右方向の照準調整が可能となった。照準器自体はT90光学照準器がそのまま使われているが、ゴム製のアイピースが追加されている。

ゼネラル・エレクトリック社により当初は“M9E2”の名称で開発され、後にT90に改称されて1945年4月に“Rocket Launcher,M18”として制式化された。同年春より部隊配備が開始される予定であったが、本格量産に入る前に欧州戦線が終結し、太平洋戦線向けに配備先が切り替えられたもの、発注は1,000基で打ち切られ、500基が生産され350基が部隊配備されるに留まった。

1944年7月11月に第704戦車駆逐大隊において行われた、鹵獲ドイツ戦車各種に対するアメリカ軍装備火砲の実射実験の結果、改良型のM6A3であってもドイツ軍の新型戦車に対しては威力不十分であり、パンターティーガーIの正面装甲を貫くことは難しかった。これを受けて更なる威力向上型のロケット弾が開発され、炸薬をペントライトに変更したM6A3/C(“C”は“Composition”.「混合爆薬」を示す)成形炸薬弾頭ロケット弾が完成し、装甲貫通力は最大5インチ(127mm)にまで向上したが、最終的には大口径の新型“バズーカ”が開発されることが決定し、M18の口径を3.5インチ(88.9mm)に拡大したM20が開発された。

2.36インチロケット弾 各種[編集]

M6 HEAT
最初の量産型。
M6A1 HEAT
発火方式を電気コードによる直接接触式に変更した型。
M6A2
既に生産されたM6の発火方式を-A1と同じものに改造した改装型。
M6A3 HEAT
弾頭形状を尖頭形から円頭形に変更、露出形の安定翼を外周を覆った円筒型に変更した型。
M6A3/C HEAT
M6の炸薬をペントライトに変更した型。
M6A4 HEAT
M6A3/Cの信管を改良した型。
M6A5 HEAT
M6A4の推進剤の成分を変更し、安全性を向上させた型。
M7 訓練弾
M6の訓練弾頭(炸薬なし)型。
M7A1 訓練弾
M6A1の訓練弾頭型。
M7A2 訓練弾
既に生産されたM7の発火方式を-A1と同じものに改造した改装型。推進剤を撤去して発火機能のない取り扱い訓練弾(ダミー弾)としても使用された。
M7A3 訓練弾
M6A3の訓練弾頭型。
M10 WP
白鱗発煙剤を用いた発煙弾型。軽度な焼夷弾としての効果もあった。
T27
M10の発煙剤をヘキサクロロエタン(六塩化エタン)に変更した型。1944年に開発されたが、量産されなかった。
T31
M10の焼夷弾頭型。
M26
M10A2を基に開発された化学弾頭型。ホスゲンガスを充填した弾頭を持つ。開発・生産されたものの前線部隊への配布はなされなかった。

M1からM18までの各種“バズーカ”は、第二次世界大戦中だけで本体:約477,128基[nb 11](うちM9A1 277,819基)、ロケット弾:15,603,000発が生産された。生産数の大多数はゼネラル・エレクトリックによるもので、この他チェイニー・ビゲロー鋼線工業(Cheney Bigelow Wire Work)が約40,000基(全てM9A1、1944年6月より1945年5月まで)を製造した。

89mm(3.5inch)バズーカ[編集]

M20“スーパー・バズーカ”[編集]

M9 2.36インチ対戦車ロケット発射器
M20-bazooka-batey-haosef-1.jpg
イスラエルの博物館に展示されているM20
概要
種類 携帯式対戦車ロケット弾
性能
口径 89mm(3.5in
使用弾薬 M28A2 対戦車ロケット弾
装弾数 1発
作動方式 電磁誘導式電気発火式
全長 1,524mm(60in)
重量
  • 6.487kg(14.3lb)※M20A1
  • 5.8967kg(13lb)※M20A1B1
発射速度 毎分4発(手動装填・単発式)
銃口初速 100m/秒(33yd/秒)
有効射程
  • 274.32m(300yd)※静止目標
  • 182.88m(200yd)※移動目標
テンプレートを表示

M1及びM9の2.36インチ(60mm)バズーカは実戦において高い有効性を示したが、ドイツ戦車がより装甲の厚いものが投入されるようになったことから、より威力の大きい物が求められた。ドイツ軍がM1をコピーして口径を拡大したパンツァーシュレック(後述「#ドイツ軍による模倣」参照)を鹵獲したものと比較した結果、口径拡大の有効性が実証されており、M9の改良型であるT90(制式化されM18となる)の口径を3.5インチ(89mm)に拡大したものが開発された。

この89mm口径の新型バズーカは新開発のM28 3.5インチ成形炸薬ロケット弾を用いて最大で11インチ(約280mm)の装甲貫通力を発揮できた。1944年の後半には設計が終了、1945年の初頭には試作品が完成したが、程なく戦争が終結したため、同年10月にM20として制式採用されたものの、試作のみで開発計画は一旦打ち切りとなった。

朝鮮戦争において、第二次世界大戦中にはドイツ重戦車の側面を狙い戦果を挙げたはずの2.36インチ(60mm)M9バズーカは、T-34-85に対する攻撃で十分な効果をあげられなかった。原理的にはM9バズーカの使用するM6A3対戦車ロケット弾にはT-34装甲を充分に貫通する能力があったはずで、「確かに命中しているのに撃破できない」「命中しても装甲表面で弾かれる」「複数発を命中させても敵戦車が平然と行動している」という例が多数報告され[nb 12]、この事実は米軍首脳に大きな衝撃を与えた。

この原因については、大戦後5年が経過した在庫のロケット弾の炸薬が劣化していた、あるいは成形炸薬弾頭は装甲を貫通する能力はあったとしても、そこから中の人間や機関に損害を与えるには加害範囲が小さかった[nb 13]など、いくつかの説が唱えられている。この事態に際し、試作のみで計画中断とされていたM20「スーパー・バズーカ」が急遽大量生産され、朝鮮半島へ空輸された。

M20スーパーバズーカは1950年7月20日の大田の戦いで実戦投入され、以降この当時の米韓連合軍にとって唯一のT-34を撃破しうる対戦車兵器として活躍した。大田市街戦においては、アメリカ陸軍第24歩兵師団師団長ウィリアム・ディーン少将が、自らスーパー・バズーカを担いで戦車狩りを行って兵士たちに新兵器の威力を示したという逸話が残っている[3]。M20の投入により、米韓連合軍はようやくまともな対戦車戦闘が行えるようになり、開戦当初大きな脅威であった共産軍戦車は、戦争後半には「部隊の中で誰が一番多く撃破できるか」の賭けの対象でしかない」と言われる程度の存在となった。

M20は原型のM20の他、主要部品を鋳造アルミニウム製とし[nb 14]、約1ポンド(453.6グラム)重量を削減した軽量型のM20B1、ロケット弾の発火機構をM1バズーカと同じく装填後に発射筒後端上部のスイッチを操作することにより本体とロケット弾が電気的に接続される構造に変更し、分割部の構造を強化、肩当ての前部にある単脚を廃止したM20A1が朝鮮戦争停戦後の1952年より生産され、既存のM20B1も発火機構を-A1と同方式に改造する改装が行われており、改装された-B1にはM20A1B1の制式名称が与えられている。-A1と-B1A1は標準的には2脚とその装着/収納金具、および前述の肩当て部単脚がないことと、発射筒後端上部にスイッチボックスがあることで識別できる。


M25 “三連射バズーカ”(M25 Three Shot Bazooka)[編集]

M25

M20を基に、後筒部分に次発装弾装置と3連弾倉を装備して連発が可能にしたもので、1951年に制式化、“Three Shot Bazooka”(三連射バズーカ)の名称で呼ばれた。

後筒部を二重化し、上部に装着した弾倉より次弾をレバー操作で内筒を開閉して装弾することにより毎分8~10発(弾倉交換時間を含む)の連発射撃が可能で、従来のバズーカが単発・手動装填のために連続射撃が難しい点を解決するものとして期待された が、複数の予備弾を収めた弾倉を装着した状態では総重量が40kgに迫るものとなり[nb 15]、人間が肩担することが難しいものとなった。

このため、運用には専用の三脚(重量40ポンド(18.16kg)と3名以上の要員が必要となり、「携帯式対戦車兵器」とは分類し難いものとなった。同じく大型大重量で肩担が不可能なM40 106mm無反動砲に比べれば軽量なものの、威力で劣るにもかかわらず運用面での優位性がないことから、兵器としての存在意義が疑われるものとなり、更に、実用試験の結果、従来のものを人力で手動装弾することに比べてさほどの速射性が発揮されないこと、実射実験中に連続射撃を行ったところ、装填部の過熱により弾倉内の次弾が暴発する事故が起きたことから、制式化され1,500基が生産されたものの、部隊配備は行われず、試作のみで計画終了となった。

M25は実用試験の一環として朝鮮戦争で試験的に運用されたが、実際に実戦で使用されたかについては不明である。


M24 対戦車地雷装置(M24 antitank mines)[編集]

地雷”の名称だが、89mm(3.5inch)バズーカの対戦車ロケット弾を利用した対戦車トラップの一種で、M28ロケット弾、M134発射筒、M61発火装置、及びM2トラップワイヤーと射角調整装置で構成される。

トラップワイヤーを仕掛け、発射筒の射角を調整した後にロケット弾を装填、発火装置にロケット弾からの撃発ケーブルとトラップワイヤーを接続することによって設置される。目標となる車輌がトラップワイヤーを踏むか切断することにより、事前に調整された方向(発射筒の向けられている方向)にロケット弾が発射されて目標に向かって飛翔する。射程は約30mで、手動により作動させることも可能である。

1961年より開発され、1968年11月に制式化された。約50,000セットが生産され、少数がベトナム戦争において特殊部隊により使用された。1990年代には予備兵器とされ、以後は耐用年限が過ぎたものから順次処分されているが、2000年代でも少数がまだ保管されている他、アメリカの同盟国に供給されたものは装備が継続されている模様である。

3.5インチロケット弾 各種[編集]

M28 HEAT
  • 全長:23.55 インチ(598.2 mm)
  • 重量:9.0 ポンド(4.08 kg)
  • 弾頭重量:4.54 ポンド(2.08 kg)
  • 炸薬量:1.88 ポンド(0.85 kg) コンポジションB 爆薬
  • 信管:M401A1/M401A2 着発式瞬発信管
M29 訓練弾
  • 炸薬量:無炸薬
  • 信管:M405 訓練信管
M30 WP(T127E3)
  • 炸薬量:2.33 ポンド(1.06 kg) 白鱗発煙剤
  • 信管:M401A1/M401A2 着発式瞬発信管

ドイツ軍による模倣[編集]

ドイツが鹵獲品を模倣し口径を拡大した“パンツァーシュレック”

ドイツ国防軍は北アフリカ戦線で鹵獲したM1バズーカと60mm対戦車ロケット弾を元に8.8cmロケット弾開発を行い、1943年にこのロケット弾を使用する対戦車兵器Raketenpanzerbüchse 43/54、通称“パンツァーシュレック”(Panzerschreck:「戦車の脅威」の意[nb 16])が開発・生産され、東部戦線ではT-34を撃破する威力をみせた。

また、同口径で基本設計の同じ8.8cmロケット弾を使う車輪付きの牽引式対戦車ロケット砲、8.8 cm Raketenwerfer 43(後にRaketenpanzerbüchse 43に改称)、通称“プップヒェン”("Puppchen"=お人形ちゃん、の意)も開発・生産された。

パンツァーシュレックとプップヒェンのロケット弾はM1バズーカよりも大型で、これらは成形炸薬弾の貫通力が口径に比例する法則の通り、口径60mmのM1バズーカより強力だった。なお、ドイツ軍の使用したもう一つの代表的な携帯式対戦車兵器であるパンツァーファウストロケットランチャーではなく、無反動砲に分類される兵器で、バズーカとは発射原理が全く異なる火器である。

創作世界における「バズーカ」[編集]

世間一般におけるバズーカへの認識は、前述したような「特定の形式の携帯式対戦車ロケットランチャー」のことではなく、単に「携帯して射撃できる口径の大きい砲」の一般名称である場合が多い。そのためか漫画やアニメなどの創作世界では、バズーカと称される火器から発射されるものは無誘導ロケット弾に限らず、砲弾ミサイル・ビームなど多岐にわたっている。

また、現実のバズーカは重量や運用思想、技術的問題などから単発単射式(発射機使い捨て型と発射機再利用型に分かれる)であるが、創作世界で使用されている架空のものは演出上、弾倉(ビームなどを使用しているものはエネルギーパックなどを用いる)を使用する、あるいはそれすらなしで連続発射が可能となっている場合が多く、重量面でも走りながら片手での保持射撃が可能なほど軽量化されており、発射時の反動や噴射炎による二次被害もあまり描写されない。

登場作品[編集]

映画[編集]

7月4日に生まれて
ベトナム戦争に派遣されたアメリカ海兵隊員がM20A1(もしくはM20A1B1)を携行する。
ウインドトーカーズ
クリスチャン・スレーター演じる"オックス"アンダーソン軍曹サイパンの戦いのシーンでM1を使用。
史上最大の作戦
アメリカ軍上陸部隊および空挺部隊がM20を使用。
作品の舞台は第二次世界大戦なのでM20が登場することは時代的におかしいが、撮影用にM9を準備できなかったため、M20で代用されている。
地球へ2千万マイル』(『金星怪獣イーマの襲撃』)
クライマックスのコロッセオでの戦闘で軍がイーマ攻撃に使用。M20が登場しているが、映画オリジナルデザインの防盾が装着されている。
鉄路の戦い
レジスタンスドイツ軍軍用列車攻撃に使用。
パリは燃えているか
自由フランス軍部隊がM9を使用。
プライベート・ライアン
M1A1が登場。物語中盤でマット・デイモン演じるライアン一等兵Sd Kfz 251 半装軌車撃破するのに用いる他、クライマックスの市街戦トム・サイズモア演じるホーヴァス軍曹が使用。ドイツ軍自走砲を撃破し、ティーガーI重戦車を攻撃するが、重装甲に弾かれる。
ブラザーフッド
韓国軍兵士がM20B1を使用。
鷲は舞い降りた
米軍レンジャー部隊がM20B1を使用。
作品の舞台は第二次大戦なのでM20が登場することは時代的におかしいが、M9の代用としての登場である。
ワンス・アンド・フォーエバー
冒頭のフランス軍ベトミンの戦闘でベトミンがM1A1を使用。

テレビドラマ[編集]

ザ・パシフィック
M1A1が第5-7話のペリリューの戦いと第8話の硫黄島の戦いで登場。
特攻野郎Aチーム
シーズン3-5にM9(もしくはM9A1)およびM20が登場。
バンド・オブ・ブラザース
M1A1およびM9(もしくはM9A1)が登場。M1A1は第1話の訓練シーンと第3・4話に、M9は第10話に登場。対戦車兵器としての他、第10話では、道路上の障害物を爆破撤去するために爆薬を離れた位置から点火するために用いられる。
プライベート・ソルジャー
M9A1が登場。
ラットパトロール
M9(もしくはM9A1)およびM20が登場。

漫画・アニメ[編集]

シティハンター
M20と思しき"バズーカ(砲)"が作中に度々登場。特に、主要登場人物である槇村 香と伊集院隼人(海坊主)の使用火器として、作品を代表する武器の1つとなっている。
ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?
作中(アニメ版では第5話)に登場する架空のFPS、『ULTRA FORCE』のゲーム内武器としてM1が登場。
放課後アサルト×ガールズ
第8話にてM20をハルカが使用し、機関銃座を粉砕している。

ゲーム[編集]

コール オブ デューティシリーズ
CoD:UO
CoD2:BRO
CoD3
CoD:WaW
上記4作品にはいずれもM9A1が登場する。
バトルフィールドシリーズ
BF1942
アメリカ軍アメリカ海兵隊イギリス軍ソ連軍カナダ軍の対戦車ロケット砲として登場する。
BF1942:SW
SASの対戦車ロケット砲として登場する。
メダル・オブ・オナーシリーズ』
メダル・オブ・オナー アライドアサルト
M1が登場。
メダル・オブ・オナー ライジングサン
M9A1が登場。

参考文献[編集]

  • Gordon L. Rottman :著 『The Bazooka』(ISBN 978-1849088015)Osprey Publishing:刊 2012年
U.S.ARMY Technical manuals
  • TM 9-294:2.36-inch A.T. Rocket Launcher M1A1 (27 September 1943)
  • TM 9-297:3.5-inch Rocket Launcher M20 and M20B1 (16 December 1948)]

脚注[編集]

補足[編集]

  1. ^ 無反動砲にはライフリングのあるものと、無い滑腔砲タイプの両方がある。
  2. ^ 近年は無反動砲が発射する弾体がロケット推進アシスト機能を持つ事が増えたため、さらに分類が難しくなってもいる。
  3. ^ バーンズは1920年に「バズーカ」という言葉の著作権を取得している[1]
  4. ^ 大戦中にドイツがコピーしたパンツァーシュレックや、戦後に製造されたベルギー製のバズーカ型ロケットランチャーのRL-83(英語版)では、防弾性の無い防炎用の盾が射手の顔前に付けられている。
  5. ^ これは、ソビエトに送られたものは初期型のM1が多数であったためにロケット弾との電気的接続機構に問題が多く、またM1は電池式の発火機構を用いていたため、ロシアの寒冷な気候、特に冬期では電池が充分に性能を発揮しなかったためと推測されている
  6. ^ 発射器、弾体共に内部機構も含めて完全なコピーであるが、口径のみ90mmで、口径3.5インチ(厳密には88.9mm)のM20とは相互互換性がない。
    このため、51式で3.5インチロケット弾を発射することは可能だが、M20で51式用のロケット弾を発射することはできない
  7. ^ このため、M1とM1A1以降の60mmロケット弾には互換性がない。
    M1、M1A1どちらも電源は電池を用いており、銃床(肩当て)の内部に乾電池式のバッテリーが収められている。バッテリーは即用と予備の計2個が付属していた。
  8. ^ パイロットランプは並列に接続されており、トリガーを引いた際にバッテリーからの電流が正しく流れていると点灯する。M1A1では
    • 装弾前に、パイロットランプが正常な状態であり「トリガーを操作するとパイロットランプが点灯する」ことを確認すること
    • 装弾する前には、必ず「トリガーを操作した時“のみ”パイロットランプが点灯する」ことを複数回確認すること
    • 装弾時にパイロットランプが点灯していないことを確認すること
    を徹底することが指示された。
  9. ^ M9とM9A1では接続部の形状が僅かに異なっているため、相互互換性はない。
  10. ^ T90光学式照準器はM9の後期生産分にもT43に変えて装備されている
  11. ^ 資料によっては総生産数は476,628基とされている
  12. ^ 第二次大戦時に比べてT-34の装甲が強化されていたわけでもなく、成形炸薬弾を用いる歩兵火器への対抗策として、ソビエト軍が第二次大戦時にドイツ軍のパンツァーシュレックやパンツァーファウストへの対抗策として金網やベッドのスプリングを戦車の周囲に装着していたような事例が朝鮮戦争時の共産軍T-34で行われていたわけでもない(逆に、スーパーバズーカを鹵獲した中国義勇軍兵士による攻撃に対し、画像のように国連軍戦車の砲塔周りに金網を張った例がある)。
  13. ^ M20はM1/M9よりも口径が大きいため、装甲を貫通した後の内部の人間・機関に対する加害範囲も広くなっている。
  14. ^ M20B1、およびM20A1B1は、前後発射筒口の吹き返し防止用のラッパ状部位の根本に電気溶接のスポットがないことで識別できる
  15. ^ 本体60ポンド(27.24kg)+ M28A2対戦車ロケット弾3発 (9ポンド(4.1kg)x3、計27ポンド(12.25kg)、合計87ポンド(39.47kg)
  16. ^ 別名に“オーフェンロール”(Ofenrohr:「ストーブの煙突」の意)がある

出典[編集]

  1. ^ Bob Burns Show”. 2015年3月5日閲覧。
  2. ^ Edward G. Uhl dies at 92; co-inventor of the bazooka”. LA Times (2010年5月15日). 2015年3月5日閲覧。
  3. ^ A Tale of Two Wars: World War II and Korea”. HistoryNet (2010年9月28日). 2015年3月5日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]