トンプソン・サブマシンガン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
トンプソン・サブマシンガン
Submachine gun M1928 Thompson.jpg
戦時中に生産されたトンプソン M1928A1
種類 短機関銃
原開発国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
運用史
配備期間 1938年-1971年
アメリカ陸軍
配備先 米国はじめ各国
関連戦争・紛争
開発史
開発者 ジョン・T・トンプソン
開発期間 1917年-1920年
製造業者 Auto-Ordnance Company
(オリジナル)
バーミンガム・スモール・アームズ
コルト
サベージ・アームズ英語版
製造期間 1921年 -
製造数 約1,700,000丁
派生型 Persuader & Annihilator 試作機,
M1921, M1921AC, M1921A,
M1927, M1928, M1928A1,
M1, M1A1
諸元
重量 10.8lb(4.9kg)空の場合(M1928A1)
10.6lb(4.8kg)空の場合(M1A1)
全長 33.5 in (851 ミリメートル)(M1928A1)
32 in (813 ミリメートル)(M1A1/M1)
銃身 10.5 in (267 ミリメートル)
銃身にオプションでCutts Compensatorが付く 12 in (305 ミリメートル)

弾丸 .45ACP弾(11.43x23mm)
作動方式 シンプル・ブローバック方式
ブリッシュ・ロック方式
発射速度 600–1,200発/分
(各モデルにより異なる)
初速 285 m/s (935 ft/s)
有効射程 50メートル (160 ft)
装填方式 20発 箱型弾倉
30発 箱型弾倉
50発 ドラムマガジン
100発 ドラムマガジン
(M1とM1A1はドラムマガジンを装着できない)

トンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)は、アメリカ合衆国で開発された短機関銃である。トムソン銃シカゴ・タイプライターといった通称を持つことで知られるが、本項ではトミーガンに統一して表記する。「サブマシンガン」という言葉を初めて用いた製品としても知られる。

トミーガンは、禁酒法時代のアメリカ合衆国内において警察ギャングの双方に用いられたことで有名になった。1919年から累計170万挺以上が生産され、今日でも民生用モデルの製造が続けられている。頑丈な構造を持ち、耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、世界各国で広く用いられた。

構造[編集]

トミーガンを特徴付けているのは、主要部品の多くが角を丸めた直角で構成されている点で、円形を基本に構成される事が多かった欧州の製品とは一線を画したデザインとなっている。これはトミーガンは鋼鉄ブロックからの切削加工で製造され、切削作業の大部分が平フライス加工だけで行えるよう考慮したためである。この結果、大規模な専用生産施設を持たなくても、外注工場の利用が容易で効率よく製作できるメリットがあり、中国ベトナムなど工業水準の低い諸国でも容易にコピー生産が可能となった。

トミーガンは上下2つのレシーバ(機関部)によって構成されており、銃身は上部レシーバ先端にネジで固定され、弾倉が接触する部分はドラム型弾倉を装着するため大きく切り欠かれた形状となっているほか、内部はフライス加工によって大きくえぐられ、この空洞内をボルトが前後する。

弾倉は上部まで露出しているため、野戦では泥などが付着しやすいが、逆に拭い去る事も簡単な構造となっている。箱型弾倉を装填する際には下側から、ドラム型弾倉を装填する際には横からスライドさせて装着し、どちらもレール溝によって支持されている。M1/M1A1(後述)では横溝が省略されてドラム型弾倉が使用できないが、上部レシーバの切り欠きはそのままなので、後から横溝を刻むだけで使用できるようになる。

下部レシーバは複雑な形状ながら、機能的には上部レシーバの下部を塞ぎ、トリガーメカを保持するだけの単純な構造である。上下のレシーバはレール溝によって嵌合し、分解する際に上部レシーバ後端にあるストッパを押し込んで下部レシーバを引き抜く形で分離できる。

セミ/フルオートを切り替えるセレクターと、セフティ(安全装置)は別々のレバー状部品として存在しているが、弾倉を固定しているマガジン・キャッチを含めて、位置は全てグリップ上部左側面にあるため、右利きの射手であれば、グリップから手を離さず全て右手親指で操作する事が可能である。

一般的に「トミーガンは生産性が悪かった」と認識されているが、トミーガンの省力化が図られた1940年代にはM1/M1A1のように、単純な板金曲げ加工とスポット溶接に、バレル・カラーなどの切削部品を組み合わせるだけで、同様の外見構造を強度を落とさず低コストで実現できたため、切削加工を前提とした当時の基準ではことさらに生産性の悪い構造だったとは言えない。しかし第二次世界大戦中には全軍への普及を図るべく、MP40ステン短機関銃などに代表される、より一層と生産性が高い短機関銃が要求され、その結果としてプレス加工主体のM3グリースガンの開発が行われた。

また、携行性をあまり重視しない長く重い銃ではあったが、ちゃんと構えて保持すればその重さが発砲の反動を相殺し、良好な命中精度を発揮した。

歴史[編集]

M1921を手にする設計者ジョン・トンプソン

第一次世界大戦最中の1916年ジョン・T・トンプソン米陸軍大佐(後に復帰し准将として再度退役する)は「塹壕箒」(trench broom)と仮称される自動式小火器の設計に着手し、オート・オードナンス英語版社を創業した。

元々の「塹壕箒」というアイデアは、すなわち「1人で持ち運べる機関銃」(a one-man, hand held machine gun.)というものであった[2]

当時の機関銃は大型かつ重量級の装備であり、軽機関銃といえども兵士が一人で操作できる存在ではなく、機械的な信頼性も低かった。そして機関銃は突撃する兵士に随伴して後方から援護射撃を加える事すら難しかった。しかし、塹壕戦の打開に必要とされていたのは、機関銃で強固に防衛された敵塹壕に対する肉薄および突破であり、これに用いる銃器には兵士が携帯できるサイズ・重量であることやフルオート射撃能力が求められた。

1917年に参戦した米軍でも、塹壕の突破を目的として軍用ショットガンや秘密兵器であるピダーセン・デバイスを量産・装備していた。また、同時期の米国ではジョン・ブローニングによってブローニングM1918自動小銃(BAR)の開発が進められていたほか、同時期にはドイツ帝国でも塹壕陣地の突破を任務とする突撃歩兵のためにMP18なる小型機関銃の開発が進められていた。

1918年、「塹壕箒」のアイデアに沿ったパースエーダー(Persuader, 「説得者」、「言うことを聞かせるもの」の意) と呼ばれる試作銃が設計された。この試作銃はヨーロッパへ出荷するべくニューヨークに送られたものの、ニューヨークに到着した11月11日にはちょうど休戦協定が結ばれて世界大戦が終結していた[2]。パースエーダーはベルト給弾式だったが、機関部が砂塵や泥汚れに弱いという欠点があった。そこで、これを箱型弾倉に改めたタイプが1919年に試作され、アナイアレーター(Annihilator, 「絶滅者」、「敵を打ち負かすもの」の意)と名付けられた。両製品は、ともにブリッシュ・ロック方式と呼ばれる遅延式ブローバック閉鎖機構を持ち、後のトミーガンの基本構成要素を備えていた[3][2]

M1919[編集]

最初の『サブマシンガン
アナイアレーターが完成する前年に第一次世界大戦は終結していたが、トンプソンは念願の製品化に着手した。
このモデルは後年M1919と呼ばれているが、発売時の製品名は単にトンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)とされており、小型機関銃という意味合いで造語されたサブマシンガン(Submachine gun)という言葉が初めて使用された製品である。この言葉は後に「拳銃弾を使用するフルオート火器」の総称として世界的に使用されるようになった。また、宣伝上の理由から「サブマシンガン」という馴染みのない新しい用語よりも大衆の興味を引く製品名が必要とされた為、トミーガン(Tommy Gun)という愛称が考案された。トミーガンという語は米特許商標庁にて商標として登録され、いくつかの銃への刻印にも使われた[3]。製造は精密機器メーカーのWarner & Swasey社が担当した[4][3]。民生用のスポーツ銃として再設計されたこともあり、軍や警察からの注文はごく僅かであった[2]
M1919は.45ACP弾.22LR弾.32ACP弾.38ACP弾9x19mmパラベラム弾など各種の弾薬用に製造され、照星や銃床を持たないなど、デモンストレーション用/テスト用としての色彩が強い製品だった。トミーガンの特徴となった垂直フォアグリップは銃身下部に装着され、安定したフルオート射撃が可能だったが、発射速度は1,000発/分程度と高速だった。
1920年初頭、政府によるトミーガンのテストが決定する。1920年4月27日にスプリングフィールド造兵廠にて実施された予備性能試験においては、2,000発の射撃中に動作不良は1度のみという好成績を残した。この数ヶ月後には海兵隊のクワンティコ海兵隊基地英語版で試験が行われ、同様に好成績を残している[5][3]

M1921[編集]

M1921
「強盗が一番恐れる銃」と記された1920年代の広告
民間市場での成功と知名度の獲得
M1921はトミーガンとして最初に量産が行われたモデルである[3]。銃身覆い(バレルジャケット)が廃止された点がM1919と比較した時の外見上の特徴で、以後のモデルはほとんどM1921のデザインを継承している。
富裕層向けの高級玩具としての色彩が強い製品であり、木部は美しく仕上げられ、各部品は高精度な切削加工で製造されていた。弾倉は20発/30発箱形弾倉のほかに50発用ドラム弾倉が用意され、連射レートは800発/分程度まで落とされていた。
1926年からは銃口部にカッツ・コンペンセイター(Cuts Compensator)と呼ばれるマズルブレーキの一種がオプションで装着できるようになり、フルオート射撃時のコントロールはより安定した[6]
1921年当時の販売価格は20発箱型弾倉付きで$225(現在の価格に換算[7]して$2,600程度)であり、製造はコルト社が担当し、15,000挺ほどが生産された[4]。オート・オードナンス社が想定したよりも売れ行きは緩やかで、この時コルト社が製造したトミーガンの在庫は第二次世界大戦直前まで残されていた。ベルギーとイギリスでは軍用銃としてテストが行われたが、採用には至らなかった[3]。陸軍および海兵隊ではM1921の性能試験が行われ、良好な結果を残していたものの、第一次世界大戦後の軍縮の中で制式採用は見送られることとなる。売れ行きは緩やかなものであったが、商業的には成功を収めた[5]
なお、最初にM1921の大口顧客となったのは、米国のアイルランド系移民の独立運動支持者達と考えられており、製造番号が1,000番未満の初期生産品が英領アイルランドで発見されている。これらのM1921はIrish Swordと呼ばれ、後のアイルランド内戦では主に反条約派によって使用された[8]
制式採用ではなかったものの、海兵隊では数百丁のM1921を購入してニカラグア方面での作戦に投入したほか、郵便強盗対策に従事する海兵隊員によっても使用された。海軍でも揚子江における哨戒任務英語版などに従事する船舶の船員用火器として購入している[5]
米国郵便公社郵便監察局英語版でも武装職員向けの装備として購入している。アメリカにおいて、郵便監察局はトミーガンを本格的に導入した最初の法執行機関である[9]。トミーガンがギャングなどの間で普及して「犯罪者の武器」と認識され始めたのもこの時期である。連邦捜査局(FBI)や各地方の治安当局でも、こうした犯罪者に対抗するべくトミーガンの配備を進めた[5]
当時のM1921は民間人(この中にはトミーガンを有名にしたマフィア達も含まれていた)を主な購入者としており、1934年に規制されるまで購入に何らの制約も無く通信販売でも購入できたため、バナナ戦争における交戦相手のサンディーノ軍ニカラグア)も、海兵隊と同様にM1921を装備していた。

M1923[編集]

強装弾薬の試行
トンプソンが想定していた小型機関銃のコンセプトは、小銃弾を使用するものであり、M1921に使用された.45ACP弾(480J)のパワーと、有効射程が50ヤードしかなかったM1921の射程は、軍用として力不足なものだった。しかし、ブリッシュ・ロック方式の閉鎖機構は、その主要部品に真鍮製のロッキング・ピースを用いており、強烈な腔圧を発生させる当時のフルサイズ小銃弾には不向きな事が判明していたため、.45ACP弾の薬莢長を3mm延長して威力を増大した.45 Remington-Thompson弾[10](1,590J)が新規に開発され、これを用いるM1923が試作された。
.45 Remington-Thompson弾は.45ACP弾の3倍ものエネルギーを持ち、後に開発された.44マグナム弾に近いパワーを有し、至近距離で杉板15枚、300ヤードで8枚を貫通したとされる[6]。.45 Remington-Thompson弾はテストの結果.45ACP弾よりも精度が悪い事が判明し、市販されずに終わった。
M1923はM1921より約10cm銃身が延長され、軍用に適した水平フォアグリップが装着されていたほか、強くなった反動を制御するために連射速度は400発/分程度まで遅延されていた(参考画像)。
着剣装置が付けられたタイプや、二脚を付けた軽機関銃タイプも試作されて米軍向けのプレゼンが行われたが、既にBARが採用されていた事もあり、採用には至らなかった。そのスタイルは後の軍用モデルであるM1928A1やM1/M1A1へ継承された。

M1927[編集]

セミオート・バージョン
M1921は当時数少ないフルオート火器だったため、慣れない射手が引き鉄を引き続けて銃口が跳ね上がり、制御不能となって意図せぬ方向を撃ってしまう事故が発生する事があった。このためM1921からフルオート射撃の機能を削除し、セミオート・カービンとした製品が要望され、M1927が製造された。
M1927はM1921を改造して製造されたため、M1921の刻印である"Thompson Submachine Gun"を一部削り取り、"Thompson Semi-Automatic Carbine"と改めて打刻し直されている。
M1927はM1921とほとんど同じ製品であるため、簡単にフルオート射撃の機能を復活させる事ができたが、1934年の連邦法改正によるフルオート火器の所持規制以降も民間人が無許可で購入できるトミーガンとして製造され続けた。ただし、1982年以降、オープンボルト撃発火器は、フルオートへの改造を前提とした火器と見なされるようになったため、現在では所持制限の対象となっている。
また、トミーガン用の100連ドラム弾倉はM1927と同時に販売されるようになった。

M1928[編集]

トンプソンM1928を持つイギリス兵(1940年
正規軍に採用された軍用モデル
1928年、アメリカ海軍ではトミーガンの採用を計画するにあたり、M1921に何点かの改良を加えるように求めた。これに従い、発射速度を600発/分以下まで抑え、水平フォアグリップとカッツ・コンペンセイターを標準的に取り付けたモデルが設計された。このモデルが海軍M1928(U.S. Navy, Model of 1928)として採用された。オート・オードナンス社では、合計して500丁(うち340丁は以前販売したM1921)のトミーガンを海軍および海兵隊に納入した。M1928はかつてコルト社が製造したM1921を改修する形で製造された。「M1921」の刻印の末尾の「1」には上から「8」と打ち直され、発射速度が落とされていたが、水平フォアグリップとカッツ・コンペンセイターは従来オプションとして市販されていた製品と同等のものだった[5]。オート・オードナンス社のカタログには、ネイビー・モデル(Navy Model)の商品名で掲載されていた[3]
一方、陸軍では依然としてトミーガンに強い関心を示していなかった。1920年代後半のアメリカ陸軍において、トミーガンは騎兵科の偵察車両や戦車の乗員向けに限定調達されているに過ぎなかった。当時、陸軍では騎兵・歩兵共用銃としての新型自動小銃(後のM1ガーランド)の開発が進められており、それを待たずにトミーガンを採用する必要性を認めていなかったのである[5]
第二次世界大戦の勃発後、M1928はフランス軍イギリス軍スウェーデン軍に採用された。フランス軍は3,750挺のM1928と3,000万発の弾薬を発注した。イギリス軍ではコマンド部隊などがこれを使用した。
M1928の納入価格は1939年頃で$209(現在の価格で$3,100程度[7]・希少品となった現在では$20,000前後で取り引きされている)だったとされ、オート・オードナンス社の経営状態は好転した。

M1928A1[編集]

米軍向け改良モデル
M1ガーランドの採用後、陸軍騎兵科ではM1ガーランドよりも軽量かつ高火力で車両乗員向け装備に相応しいとしてトミーガンの再評価が成された。1938年9月、陸軍ではトミーガンの調達区分を限定調達から標準調達へ切り替え、M1928A1(Submachine Gun, Caliber .45, Model of 1928A1)の制式名称を与えた。M1928A1向けには20発/50発弾倉のみが支給され、オプションとして市販されていた100発弾倉は重くかさばるとして採用が見送られた。1939年6月、陸軍はオート・オードナンス社とトミーガン950丁の調達契約を結んだ。この頃にはM1921としてコルト社が製造したトミーガンが枯渇し、サベージ・アームズ英語版社による新規ライセンス生産が始まった。また、アメリカ政府への供給に加えて諸外国での需要も増加しつつあった為、オート・オードナンス社はいくつかの自社工場を設置している。陸軍および海兵隊は新型自動小銃M1カービンが短機関銃を置き換えることを想定して調達数を調整していたが、真珠湾攻撃を受け第二次世界大戦への参戦が決定するとM1928A1の需要は一層と膨らみ、調達数は増加していった[5]。実戦の中でその有用性が証明されたこともあり、M1カービンが短機関銃を完全に更新することはなかった。
M1928A1はアメリカ軍が採用したほか、レンドリース法の元で連合各国へ広く供給された[5]。総計562,511挺が生産され、量産効果により1942年春には$70(現在の価格で$880程度[7])まで調達コストは下がった。

M1/M1A1[編集]

M1A1
M1を射撃するアメリカ海兵隊員。1945年5月沖縄戦での撮影
戦時省力生産モデル
トミーガンは切削加工を前提としたデザインであり、プレス加工を活用した大量生産には再設計が必要だったが、大幅な構造の変更はなされないまま、省力化と操作性向上のために幾つかの改良が施されたM1型が1942年に採用され(ステン短機関銃タイプの鋼板プレス製M3グリースガンも同年に採用された)、1943年末からサベージ・アームズ英語版社で大量生産が開始された[4]
M1に採用された簡易化は、
といったもので、M1はM1928A1の半分の時間で製造され、調達コストは$45まで低下した。しかし、当初は供給が追いつかなかったため、レイジングM50など他の短機関銃で不足分を間に合わせていた。
1944年には簡素化が更に進められて撃針をボルトに固定し、照門(リアサイト)の側面に三角形の保護板を付けたM1A1が採用された。

第二次世界大戦後[編集]

M1/M1A1は累計で138万挺製造され、第二次世界大戦を通じて米軍でもっとも多く使用された短機関銃となり、主に下士官戦車兵、空挺兵に対して供給された。米軍内では1976年頃まで予備兵器としてトミーガンが装備されていたほか、現代に至るまで様々な地域紛争で使用されているのが確認されており、その堅牢さから今後も使用され続けるものと考えられている。

普及[編集]

アメリカ[編集]

1932年の映画『暗黒街の顔役』でマフィアを演じるポール・ムニ

アメリカにおいては軍用短機関銃としての運用に加え、禁酒法の恩恵で急成長を遂げていたマフィアによって抗争などで使用されたことがトミーガンの知名度を飛躍的に高めた。トミーガンを愛用した著名なマフィアとしては、ジョン・デリンジャーベビーフェイス・ネルソンアル・カポネなどが知られている[11]ジョージ・"マシンガン"・ケリーの通称も、彼が愛用したトミーガンに因んだものである[3]

ギャング間の抗争事件は当時のマスコミの格好の題材であり、こうした事件が"再現フィルム"的に映像化されたハリウッド製作のギャング映画によって、トミーガンの存在はマシンガンの呼称とともに世界中に知れ渡り、トミーガン=機関銃という認識が広く定着するなど、実態以上に強い印象をもって記憶されており、寿司桶のようなドラムマガジンを装着したトミーガンの姿はRoaring Twenties狂騒の20年代)を演出した歴史上重要なアイテムとして認識されている。

一方、これらの犯罪者らと対峙した法執行機関でもトミーガンは使用された。最初に本格的な配備を行ったのは郵便公社郵便監察局である[9]連邦捜査局(FBI)におけるトミーガン採用のきっかけは、1933年に起こったカンザスシティの虐殺英語版として知られる大規模な銃撃戦であった。この直後、捜査局(BOI, FBIの前身)の長官であるジョン・エドガー・フーヴァーはエージェントの重武装化の検討を行わせ、この中でいくつかの拳銃や散弾銃、小銃と共にトミーガンの調達が決定した。その後、トミーガンは長らくFBIの制式短機関銃として運用されたが、1971年には本部庁舎および各地方支局の見学ツアーにおけるデモンストレーション用とされた少数を除き、ほとんどが廃棄された。この際に後継装備の選定が行われなかった為、FBIは短機関銃不足に陥り、最終的にMP5短機関銃の調達が行われるまで、軍余剰品のM3/M3A1短機関銃MAC-10短機関銃などが用いられたという[12]

イギリス[編集]

トミーガンを構えるウィンストン・チャーチル英首相(1940年)

1921年6月30日、ヨーロッパ各国を巡りトミーガンの売り込みを行っていたトンプソンは、M1921のテストを行うためイギリスのエンフィールド造兵廠に招かれた。この時のテストは概ね成功を収めたものの、イギリス側の担当者は精度と信頼性に懸念を示し、ブリッシュ・ロック方式が銃の構造を不必要に複雑化していると報告した。特徴的なドラム型弾倉についても有用性が疑問視され、同じ弾数を持ち運ぶとしても20発箱型弾倉を複数携行した方が軽量であるとした。また、第一次世界大戦の終戦から間もない時代において、平時に購入するには比較的高価であったこと、あらゆる銃器について高い射撃精度を重視するイギリス陸軍の伝統に反すること、自動銃の採用によって弾薬の購入費用が増すおそれがあることなどを理由に制式採用は見送られた[13]

1939年9月に第二次世界大戦が始まると、ネヴィル・チェンバレン内閣の中にもこの戦争が長期化するものと予想する人々がいた。いわゆるまやかし戦争の期間、イギリス軍は本格的な参戦に備えて銃火器の備蓄と新規購入に着手したものの、資金不足などから軽量な自動火器の調達に失敗していた。こうして当時「みすぼらしいアメリカのギャングの銃」と見なされていたトミーガンの再評価が行われ、兵站委員会(Board of Ordnance)では政府に対しトミーガンの本格的な調達を求めたのである。1940年、ウィンストン・チャーチルが首相に就任する。チャーチルは雑誌『TIME』誌上でトミーガンを賞賛し、間もなくM1928の調達を認めた。ニューヨークのは英国購買委員会英語版では1940年2月に最初の注文を行った。最初にトミーガンの供給を受けたのは、正規軍ではなくホーム・ガード補助隊英語版(英本土侵略に備えた秘密抵抗組織)であった。1941年初頭には陸軍での調達が始まったが、当初は特殊部隊ブリティッシュ・コマンドスのみに支給されていた。レンドリース法の元で供給が始まると、イギリスはアメリカに対して514,000丁のトミーガンを要求した。しかし、大西洋ではドイツ海軍のUボートによる通商破壊が激化しており、1942年4月までにイギリスへ届けられたトミーガンはわずか100,000丁に過ぎず、結局は需要の一部をステン短機関銃で代替することとなった。以後はステン短機関銃が優先して支給され、トミーガンはコマンドスなど一部の部隊にのみ与えられた。ホーム・ガードでも引き続き使用された[13]

イギリスに供給されたM1928A1は基本的にアメリカ軍で採用されたモデルと同一であったが、水平フォアグリップではなく旧型の垂直フォアグリップが標準的に取付けられていた点と、アメリカ軍のモデルでは下部にあった銃床側のスリングスイベルが上部に移されている点が異なっていたほか、銃身と機関部にはイギリス政府調達を示す刻印が施されていた[5]。後にM1やM1A1も購入され、M1928と共に使用されている[13]

トミーガンを構えるチャーチルの有名な写真は、1940年7月にハートルプール近くで行われた部隊視察の折に撮影された。当時イギリス軍が有したトミーガンはアメリカから最初に出荷された400丁のみで、その一部が各地でのプロパガンダ写真撮影の為に使いまわされていた。これによって、全軍にトミーガンが広く配備されているかのような宣伝が行われたのである[14]。イギリスでは徹底抗戦の象徴となったチャーチルの写真だが、発表の数週間後にはナチス・ドイツ側も同じ写真を用いた伝単を作成しイギリスへと投下した。これはトミーガンの印象も相まって写真のチャーチルがいかにも「ギャング風」に見えることから、彼を「非人道的な殺人犯」と称して非難する指名手配書風のものだった[15]

2014年、国防省ドニントン集積所(MoD Donnington)からエセックスの統合軍事博物館(Combined Military Services Museum)に展示用として引き渡された旧式火器700丁の中に、かつてプロパガンダ用に使われていた初期輸入品のトミーガンが発見された。同博物館の軍事史家クライヴ・マクファーソン(Clive McPherson)は、80%の可能性でチャーチルが手にしたトミーガンそのものであると述べている[14]

ソビエト連邦[編集]

レンドリース法の元、トミーガンはソビエト連邦にも供給された。ただし、当初はいくつかの理由で少数供給に留まっていた。すなわち、赤軍上層部がソ連邦の気候に適した銃か疑わしいと考えていたこと、.45ACP弾がソ連邦内で一般的な銃弾ではなく、アメリカからの供給を含めても調達が難しかったこと、アメリカ軍およびイギリス軍への供給が優先されていたことの3点である。通常の運用に加え、車両乗員やパイロットの自衛火器としても配備されていた。評判は悪くなかったが、その後も弾薬の調達が難航した為、段階的にソ連邦製の火器へと更新されていった[16]

日本[編集]

敗戦の際、マレーにて日本軍から接収された銃火器。手前にトミーガンなどの外国製銃器が確認できる(1945年)

第二次世界大戦前の1930年には、日本海軍が実験に用いたという記録がある[17]

開戦後、日本軍は各戦線でトミーガンを鹵獲した。1944年2月に作成された米軍装備に関する陸軍の資料中では、米軍が装備するサブマシンガン(日本陸軍では主に「機関短銃」と呼んだ)について、トンプソン機関短銃ライジング機関短銃M3機関短銃の3点が写真付きで紹介されている[18]。また、日本陸軍では短機関銃を有する連合国軍部隊に対抗するべく、トミーガンなどの鹵獲短機関銃を装備した「自動小銃班」なる特設部隊が各地で編成されていたという[19]。1943年に米陸軍省が作成した資料にも、ビルマ戦線にて日本軍が曳光弾を装填したトミーガンを用いて夜間の威力偵察を行っていた旨を記したものがある[20]シンガポール占領英軍から鹵獲されたトミーガン600丁が、パレンバン作戦後に陸軍落下傘部隊に支給されたとも伝えられている[21]

敗戦後の1950年に発足した警察予備隊に対しては、米国からM3グリースガンと並んで供与され、"サブマシンガン"の訳語として「短機関銃」という言葉が作られ「11.4mm短機関銃M1」として制式化された。その後も保安隊から自衛隊において継続して装備され、陸上自衛隊では1970年代まで使用されたほか、海上自衛隊及び航空自衛隊では1990年代に入っても少数ながら現役として装備されていた。

自衛隊が保有していた45口径短機関銃は、1998年度から9mm機関けん銃への更新が始まり、2011年度までに完了した[22]

中国[編集]

トミーガンの射撃訓練を行う紅軍の兵士(1937年)

軍閥間の内戦が続いていた中国では軍民ともにM1921の人気が高く、山西省を支配した閻錫山の軍閥ではM1921のコピー品が生産され、モーゼル軍用拳銃をM1921の弾薬に合わせて.45ACP弾化した独自製品まで出現した。 また、各地で跋扈する匪賊の襲撃を撃退する効果的な兵器として、富裕な地主や帰国華僑 [23] なども、手頃な価格で強力な防御能力を発揮できるトミーガンを用いていた。

中国に大量に存在したトミーガンとコピー工廠は、国共内戦の終結と共に中国共産党の手に渡り、朝鮮戦争では米軍も中国軍も共にトミーガンを装備して戦っていた。その後のインドシナ戦争においてもベトミン/ベトコン勢力やビン・スエン派などがトミーガンを使用していた事が知られているほか、南ベトナムではこれをコピー生産していた勢力があった事も知られている[4]

画像[編集]

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Bishop, Chris. Guns in Combat. Chartwell Books, Inc (1998). ISBN 0-7858-0844-2.
  2. ^ a b c d Thompson Submachine Gun”. Auto-Ordnance英語版. 2015年8月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h History”. Auto-Ordnance英語版. 2014年10月15日閲覧。
  4. ^ a b c d Thomas B Nelson (1963), The world's submachine guns, T.B.N. Enterprises, ASIN: B0007HVRYY 
  5. ^ a b c d e f g h i Thompson Submachine Gun: The Tommy Gun Goes to War”. American Rifleman. NRA (2011年2月15日). 2015年8月2日閲覧。
  6. ^ a b THE THOMPSON SUB-MACHINE GUN, Philip B. Sharpe”. 2013年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月11日閲覧。
  7. ^ a b c The Inflation Calculatorから換算
  8. ^ Ireland's History Magazine "Thompson submachine-gun"”. 2012年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月11日閲覧。
  9. ^ a b POSTAL INSPECTORS: THE SILENT SERVICE - UNEXPECTED DUTIES”. National Postal Museum英語版. 2015年8月2日閲覧。
  10. ^ .45 Remington-Thompson / .45 Thompson Model 1923 long / 11.25x26 / SAA 7610 / ECRA-ECDV 11 026 CGC 010
  11. ^ Dillinger's Choice”. Auto-Ordnance英語版. 2015年8月3日閲覧。
  12. ^ "Bring Enough Gun" A History of the FBI's Long Arms”. American Rifleman. NRA (2013年9月30日). 2015年8月15日閲覧。
  13. ^ a b c The "Tommy's" Thompson”. American Rifleman. NRA (2011年2月23日). 2015年8月3日閲覧。
  14. ^ a b Found after 74 years, the Tommy Gun Churchill used to rally British troops in 1940 as Hitler prepared to invade”. Mail Online (2014年12月23日). 2015年8月24日閲覧。
  15. ^ Wanted for Incitement to Murder: Winston S. Churchill”. Peter Harrington (2012年2月1日). 2015年8月24日閲覧。
  16. ^ ППШ против «Томпсона»: чем не угодило американское оружие советским солдатам”. «Звезда» (2015年5月1日). 2015年8月18日閲覧。
  17. ^ 第3530号 5.10.29 兵器貸与並に供給の件』 アジア歴史資料センター Ref.C05021291500 
  18. ^ 米軍銃器火砲一覧表』 アジア歴史資料センター Ref.A03032193600 
  19. ^ 藤田昌雄 (2004). もう一つの陸軍兵器史―知られざる鹵獲兵器と同盟軍の実態. 光人社. pp. 19-20. ISBN 4769811683. 
  20. ^ 1943-06 Intelligence Bulletin Vol 01 No 10”. 2015年8月14日閲覧。
  21. ^ 『陸軍落下傘部隊戦記 あゝ純白の花負いて』 田中賢一著 学陽書房 1976年 P130~131
  22. ^ 平成24年行政事業レビューシート(機関銃) (PDF)”. 防衛省. 2015年8月3日閲覧。
  23. ^ 1930年代に福建省に潜伏したタン・マラカは、インドネシアから帰国した客属華僑と知り合い、その下に一時身を寄せていたが、匪賊による襲撃の噂が流れたため、これに備えて華僑の一族がトンプソンサブマシンガンなどの各種火器を準備して迎撃準備に努めていた事を記しており、当時の中国国内でトンプソンサブマシンガンは比較的身近な存在だった事が伺える 『牢獄から牢獄へ - タン・マラカ自伝』 タン・マラカ 著 押川典昭 訳 鹿砦社 1981年7月
  24. ^ 速水豊『シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造』日本放送出版協会 2009年 ISBN 978-4-14-091135-8 pp.123-125
  25. ^ a b c d HEROS Gunバトル ヒーローたちの名銃ベスト100. リイド社. (2010-11-29). pp. pp.190-191. ISBN 978-4-8458-3940-7. 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]