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オーストラリア国防軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーストラリア国防軍
Australian Defence Force
オーストラリア国防軍旗
創設 1901年
再組織 1976年
派生組織 オーストラリア空軍
オーストラリア海軍
オーストラリア陸軍
本部 オーストラリア国防機関の一部(キャンベラ
指揮官
総督 サム・モスティン
国防軍司令官 en:David Johnston (admiral)海軍大将
国防大臣 リチャード・マールズ
総人員
兵役適齢 16歳から
徴兵制度 無し
適用年齢 16歳-49歳
-適齢総数
(2009年度)
男性 4,999,988人、年齢 16歳-49歳
女性 4,179,659人、年齢 16歳-49歳
-年間適齢
到達人数
(2009年度)
男性 144,959人
女性 137,333人
現総人員 59,095人
予備役 28,878人
財政
予算 525億オーストラリアドル(2023–24年度)[1]
産業
国内供給者 タレス・グループオーストラリア
en:Defence industry of Australia
en:Defence industry of Victoria
国外供給者 カナダの旗 カナダ
フランスの旗 フランス
ドイツの旗 ドイツ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス
日本の旗 日本
大韓民国の旗 大韓民国
その他
関連項目
歴史 オーストラリアフロンティア戦争
第1次タラナキ戦争
第二次ボーア戦争
第一次世界大戦
ロシア内戦
第二次世界大戦
冷戦
朝鮮戦争
ベトナム戦争
湾岸戦争
対テロ戦争
イラク戦争
フィリピンにおける不朽の自由作戦
オーストラリア国防軍の階級英語版
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オーストラリア国防軍(オーストラリアこくぼうぐん、Australian Defence Force, ADF)は、オーストラリア軍隊である。

概要

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オーストラリア国防軍(ADF)は、オーストラリアとその国益の防衛を担う組織であり、オーストラリア海軍(RAN)、オーストラリア陸軍、オーストラリア空軍(RAAF)の3つで構成されている。ADFの兵力は約9万人強で、内訳は58,909人の常勤現役人員と33,269人の予備役である。

オーストラリアは、太平洋インド洋の二大海洋によって大陸の超大国からは隔離された地政学的な位置にあり、しかも元々はイギリスの植民地であったために軍隊の規模は大きくなかった。

しかし、1901年に国家が成立し、また1905年日露戦争で日本の脅威が認識される過程で軍の改革が進み、第二次世界大戦以降はアメリカ合衆国の同盟関係の下でオーストラリア軍はその戦力を充実させてきた。

現在では東南アジア諸国との友好関係を保持しつつもオーストラリアの自主国防と大国との軍事的な協力関係を主要な国防政策の目標としている。

歴史

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編成

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1870年までに、当時のオーストラリア植民地はそれぞれ独自の軍隊を維持していた。1901年1月1日、植民地は新国家として連邦化され、同年3月1日にこれらの植民地軍は統合され、オーストラリア陸軍およびコモンウェルス海軍が設立される。

1911年、政府はオーストラリア王立海軍を設立し、コモンウェルス海軍を吸収した他、陸軍においては1912年にオーストラリア飛行隊を設立、1921年に分離して王立オーストラリア空軍として独立した。これらは単一の指揮系統で結ばれておらず、それぞれ別の大臣の指揮下にあり、別々の行政体制を持っていた。第一次世界大戦および第二次世界大戦中に世界各地で戦闘に参加し、冷戦期にはアジアにおける紛争においても活動を行った。

第二次世界大戦中、オーストラリア海軍、陸軍、空軍の部隊がしばしば単一の指揮系統のもとに活動した事により、オーストラリア軍は陸・海・空の連携がいかに重要であるかを認識する。この経験から、戦後、複数の上級将校が三軍の最高司令官を置く事を政府に求めて働きかけを行ったが、政府はこの提案を拒否。その後も各軍の調整が不十分で、各軍種は異なる方針のもとで組織、運用されていた。ベトナム戦争において、この非効率的な体制が原因となる様々な問題が指摘された事により、各軍の幹部の間で、統合指揮構造の必要性がより強く認識された。1973年、国防長官アーサー・タンジは政府に対し、各軍種を支援する統合部門と、国防軍参謀長の職を創設を勧告する報告書を提出。政府はこれらを受け入れ、1976年2月9日に三軍を統合し。オーストラリア国防軍が設立された。

オーストラリア防衛時代

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1970年代まで、オーストラリアの軍事戦略は「前方防衛」の概念を中心としており、最も重要な役割としては、同盟軍と協力して地域の脅威に対抗することであった。1969年、アメリカがグアム・ドクトリンを開始し、イギリスがスエズ東部から撤退した際、オーストラリアは自立とオーストラリア本土防衛を重視する防衛政策を策定。これは「オーストラリア防衛政策」と呼ばれ、この政策の下で、防衛計画の中心が、敵の攻撃からオーストラリア北部の海上接近路(エア・シー・ギャップ)を守ることに変わる。この目標に沿って、基地からの敵攻撃能力を持つ兵器の導入や、本土への襲撃に対抗する能力を高めるための再編成を行い、RANおよびRAAFの能力強化、陸軍部隊を北オーストラリアに移転させることなどにより、現実の脅威への対応力を充実させた。

当時、オーストラリア国防軍は、国外に作戦展開する軍事部隊を持っていなかったため、1987年、モリス・ダンス作戦の一環として初の実戦展開を行い、複数の軍艦とライフル中隊が1987年のフィジークーデターに対応してフィジー沖に展開。概ね成功を収めたものの、この作戦は、不測の事態に迅速に対応する能力の低さを浮き彫りにした。

1980年代後半以降、政府は世界中の平和維持活動に対する部隊派遣を頻繁に行っている。これらの多くは少数の専門家のみにとどまったが、いくつかの派遣では数百名の人員を要する部隊が派遣さ、1989年初頭にナミビア、1992年から1993年にかけてカンボジア、1993年にソマリア、1994年から1995年にルワンダ、1994年および1997年以降にブーゲンビルに展開した。

1991年の湾岸戦争において、ADF設立以来初めて現役戦闘地域へ部隊を派遣。ペルシャ湾に展開した軍艦とクリアランスダイビングチームは、戦闘への参加こそなかったものの、ADFの能力と指揮系統を試す機会になった。戦後、海軍はイラクに課された貿易制裁を執行するため、定期的にフリゲート艦をペルシャ湾や紅海に派遣した。

東ティモール展開

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1996年、自由党のジョン・ハワードが首相に就任。その後、ADFの部隊構造と役割に大きな改革が行われた。新たな防衛戦略は、オーストラリアを直接攻撃から守ることに重点を置き、地域諸国や同盟国と協力して潜在的な安全保障上の脅威を管理することに重点を置く方向に転換。1997年から政府は、支援部隊への戦闘部隊の割合を増やし、戦闘効果を向上させるため、ADFの部隊構成に変更を実施した。

1999年の東ティモール展開における経験は、オーストラリアの防衛政策に大きな変化をもたらすとともに、国外での作戦能力向上につなががる大きな契機となる。ベトナム戦争以来初めて大規模な部隊がオーストラリア国外で作戦を展開したものであり、大規模作戦を実施・維持する能力に大きな課題があることを露呈した。その事から、2000年、政府は新たな防衛白書『Defence 2000 – Our Future Defence Force』を発表、海外派遣に備えたADFの準備をさらに重視し、即応態勢と装備の強化、国防軍の拡大、実質国防費の年間3%増加を通じて国防軍の能力向上を向けた計画を開始する。実際に2012年、2013年に年間2.3%の国防費の増加が見られ、2003年と2005年の防衛アップデートは遠征作戦への注力を強調し、ADFの拡大と近代化につながった。

イラクとアフガニスタン

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2001年9月11日に起きたアメリカ合衆国へのテロ攻撃を受けて、オーストラリアは特殊部隊のタスクグループと空中給油機をアフガニスタンでの作戦に派遣、ペルシャ湾には海軍艦艇を派遣し「パース作戦(スリッパー作戦)」を実施。2003年には、特殊部隊の任務群、3隻の軍艦、14機のF/A-18ホーネットを含む約2,000名のADF要員がイラク侵攻に参加した。

その後、ADFはイラク復興にも関わり、2003年から2005年までは主にオーストラリア大使館の警備部隊、多国籍司令部への職員の配属、輸送機や海上哨戒機、航空管制官や医療スタッフのチームを派遣した。2005年から2008年まで、大隊規模のオーストラリア陸軍戦闘群(当初はアル・ムサナ・タスクグループ、後にオーバーウォッチ・バトルグループ(西部)と指定))が南イラクに駐屯。さらに、ADFの人員チームがイラク軍部隊の訓練のために派遣された。ラッド政権は2007年の選挙公約に従い、2008年半ばにイラクから戦闘関連部隊を撤退させ、残存するオーストラリア部隊の大半は翌年に帰国した。

ADFは2000年代にオーストラリアの直近地域でもいくつかの作戦を実施した。2003年には、陸・海・空軍がソロモン諸島への地域支援ミッションの一環として派遣され、島々への展開は2017年まで続いた。2004年にはインド洋地震に対するオーストラリア政府の対応の一環として、12月から翌年3月までの間に1,400名の要員がインドネシアでスマトラ支援作戦に参加、2006年5月には約2,000名が東ティモール防衛軍のクーデターに対するアストゥート作戦に参加、2013年3月に部隊を帰国させた。

2006年から2013年まで、大隊規模のオーストラリア陸軍タスクフォースがアフガニスタンのウロズガン州で活動。主に復興支援とアフガン軍の訓練を担当しながら、戦闘にも関与した。さらに、特殊部隊タスクグループは2005年から2006年、2007年から2013年まで展開された。CH-47チヌークヘリコプターの分遣隊やRAAFのレーダー・航空管制部隊など、ADFの他の専門部隊も定期的に同国に展開し、 2002年から2013年の間にアフガニスタンで合計40名の兵士が死亡し、262名が負傷。2013年の戦闘部隊撤退後も、訓練チームは引き続きアフガン軍の訓練のために駐留を続けた。

2007年から2013年にかけて政権を担ったオーストラリア労働党(ALP)は、2009年と2013年に2つの防衛白書を作成。2009年の文書『アジア太平洋世紀におけるオーストラリア防衛:フォース2030』は、急速に拡大する中国の影響力への対応に焦点を当て、12隻の潜水艦を導入することや、実質的に年間3%の防衛費増加を含むRANの拡大を明記したが、この計画は実現しなかった。2013年の防衛白書も同様の拡大方針であったが、政府の財政悪化により、小規模な防衛支出プログラムが示された。2016年に、自由党・国民連合政権のアボット政権は、選挙公約として、さらなる防衛白書を発表。これには、ADFの規模と能力の拡大が明記された。1970年代半ば以降、ALPと自由国民連合の間でADFの役割について、超党派で意見を統一しており、現在もADFの遠征作戦への注力と、2016年の防衛白書で掲げられた国防費を目指している。ADFの広範な部隊構造も1980年代以降ほとんど変化おらず、例えば、この期間を通じて陸軍の主な戦闘編成は3個旅団であり、RAAFは約100機の戦闘機を配備し、装備、機材の更新及び導入を続けている。

2016年の国防白書には、オーストラリアの安全保障環境の変化がオーストラリア国防軍に新たな要求をもたらすと述べられている。オーストラリアが他国からの直接攻撃の脅威に直面するとは予想されていないが、東アジアにおける国家間の緊張関係やテロ組織の活動は、オーストラリアの安全保障に脅威をもたらしており、より広く見れば、オーストラリア政府は世界的なルールに基づく秩序の維持に貢献する必要があると考えられている。また、気候変動、経済成長の弱さ、社会的要因が南太平洋諸国で不安定を引き起こすリスクもあります。

ADFはオーストラリアの変化する戦略環境に対応するための戦略を策定しています。2016年の防衛白書には「政府はオーストラリアが地域的に優れたADFを維持することを確実にします」と記されています 最高レベルの軍事能力と科学技術的高度さを備えている」と述べた。この目的のために、政府はADFの戦闘力を強化し、軍人数を増強する意向です。これには新しい技術や能力の導入が含まれます。ADFは情報能力の向上と各軍種間の協力も模索しています。

2014年8月から、RAAFの戦闘部隊、陸軍特殊部隊、陸軍訓練部隊がオクラ作戦中に中東に展開し、イスラム国との国際戦争の一環となりました。RAAFの航空機はイラクとシリアで空爆を行い、連合軍に対して空中指揮統制や空中給油を提供しました。特殊部隊はイラク軍に助言を行い、訓練部隊はイラク兵を訓練しました。RAAFの戦闘機は2018年1月に運用を完了し、他の機体は2020年9月に退役しました。軍の訓練2020年半ばに撤退しました。

2020年以降

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オーストラリア政府は、中国の脅威により同国の戦略的状況が悪化していると考えています。これにより、ADFの拡充と高強度戦闘への参加能力強化の決定がなされました。2020年の防衛戦略アップデートでは、ADFの取り組みをインド太平洋地域に集中させるよう求めました。また、オーストラリアが大規模な戦争に関与できるまでの10年間の戦略的警戒期間はもはや存在しないと結論づけた。文書には、ADFの資金が拡大され、遠距離からの目標攻撃能力が強化されると記されていました。2021年9月、オーストラリアは英国および米国と共にAUKUS三国間安全保障パートナーシップを締結しました。このパートナーシップの一環として、オーストラリアはオーストラリア海軍の能力を大幅に向上させるために原子力攻撃型潜水艦を取得します。これは、フランスと協力して通常動力のアタック級潜水艦12隻を取得する計画に代わるものです。AUKUSの3か国はまた、さまざまな軍事技術分野で協力することにも合意しました。

アフガニスタンにおけるオーストラリアの戦争犯罪疑惑に関する調査は2020年11月に完了しました。ブレレトン報告書は、25人のオーストラリア特殊部隊員が25回にわたり戦争犯罪を犯し、39人が死亡し、2人が虐待された証拠があると指摘しました。アンガス・キャンベル将軍は報告書に記載された143の勧告すべてを受け入れました。政府は2024年に139の勧告を実施し、残りは新設された特別捜査官局による継続中の刑事捜査に関するものであると発表しました。事務所は2023年3月に最初の兵士を戦争犯罪で起訴しました。

2021年8月、RAAFの航空機はアフガニスタンのカブールがタリバンに陥落した後、人々を避難させるための国際空輸に参加しました。この作戦の一環として陸軍歩兵中隊がカブールに展開されました。RAAFは3,500人以上を避難させました。 2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻後、オーストラリアはウクライナに軍事支援を提供しました。2023年4月現在これには、ADFから4億7,500万$Aドル相当の軍事装備の移管や、ウクライナ兵の訓練のためにイギリスに派遣された陸軍訓練チームの派遣が含まれていました。

2022年5月のALPアルバニーズ政権の選出は、オーストラリアの防衛姿勢に大きな変化をもたらしませんでした。なぜなら、ALPと連立政権はほぼ同じ防衛政策を持っているからです。これには、中国がオーストラリアの安全保障に脅威をもたらすという合意も含まれています。主な違いは、ALPが気候変動を重要な安全保障問題と見なしていることです。 アルバニーズ政権は政権を握った後、防衛戦略レビューを委託し、2023年4月に公表しました。レビューでは、オーストラリアが直面する安全保障上の課題が悪化し続けていることが判明し、ADFの再編成が求められました。これには、ADFを従来の「バランスの取れた部隊」から、主に軍事攻撃や強制からオーストラリアを守ることを目的とした「集中部隊」へと移行することが含まれます。この変更の一環として、見直しは陸軍の機械化部隊の計画規模を縮小し、長距離火力を拡大することを推奨しました。また、気候変動がオーストラリアへの脅威であると指摘し、ADFを超えた「国全体の努力」を求めました。政府はレビューのほとんどの勧告を受け入れました。

構造

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オーストラリア国防軍と国防省はオーストラリア国防機構(ADO)を構成しており、しばしば「防衛」と呼ばれます。防衛軍司令官(CDF)と国防省長官の二部制がADOを管理しています。国防省は文民および軍人の職員で構成されており、防衛情報機構(DIO)や防衛科学技術グループ(DSTグループ)などの機関を含みます。

任務

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日本の2014年版の防衛白書によると、オーストラリア軍の任務(2013年)は以下の通りである [2]

  • 「自国に対する武力攻撃の抑止および撃破」[2]
  • 「南太平洋および東ティモールの安定と安全に対する貢献」[2]
  • 「東南アジアを優先したインド洋・太平洋地域における有事への貢献」[2]
  • 「国際的な安全保障に資する有事への貢献」[2]

組織

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指揮構造

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オーストラリア軍の指揮権は憲法68条にはオーストラリア国王の代理の統治者である総督にあると定められているが、これには二通りの憲法解釈が議論されてきた。1つは総督には最高司令官としての独自的な指揮権が認められているというものであり、もう一つは憲法上の指揮権はイギリス国王のように実質的な指揮権を示すものではないというものである。

実際の国防政策の運用では、例えば第二次世界大戦において戦時内閣が設置され、首相、国防大臣、国防次官を含む文官、参謀長を含む武官から構成された。この戦時内閣の決定に沿って参謀長が各部隊に対して指揮権を用いていた。

オーストラリア国防軍の指揮系統は、1903年国防法およびその下位法令に規定されている[3] 。この法律では、国防大臣は「国防軍の統制および運営を統括する」こと、また国防軍司令官と国防次官は「大臣の指示に従わなければならない」ことが定められている[4]

結局、1975年に国防法 (Defense Act) が改定されて指揮権は国防軍司令官(Chief of the Defence Force)が持っていると明確に定められることとなる。ただし政軍関係における文民統制を保持するために国防次官が国防軍司令官と共同して軍隊の軍事行政を掌握し、国防大臣は国防軍の軍令と軍政の両方を一元的に管理する位置づけとなった。従って国防大臣の指示に従って国防軍司令官は作戦部隊を指揮するものであるというのが現在の通説である。

国防軍の幹部たちは、国防の特定分野を管理するために任命された下級大臣に対しても責任を負う[3]アルバニージー内閣の下では、2022年5月以降、2人の閣僚が国防分野の責任を負っている。リチャード・マーレス副首相が国防大臣を務め、マット・キーオが国防人事大臣(Minister for Defence Personnel)兼退役軍人問題大臣(Minister for Veterans' Affairs)を務めている。それに加えて、さらに2名の下級大臣がおり、マット・シスルスウェイトが国防副大臣(Assistant Minister for Defence)兼退役軍人問題副大臣(Assistant Minister for Veterans' Affairs)、パット・コンロイが国防産業大臣(Minister for Defence Industry)を務めている[5]

国防大臣の管理下にあるオーストラリア国防軍はオーストラリア国防省と合わせてオーストラリア国防機関 (Australian Defence Organisation, ADO) を構成する。国防大臣には補佐組織があるが、シンクタンクや補佐官は存在していない。国防次官と国防軍司令官こそが国防政策の政策過程において重要であり、国防次官は戦略と軍事行政について国防大臣に対して責任を持つ。一方で国防軍司令官は明確な指揮権をオーストラリア軍部隊に対して持っているが、国防大臣に対する責任を有しているわけではない。

国防軍司令官はオーストラリア国防軍における最高位の役職であり、部隊の指揮を執る[3]。国防軍司令官は国防軍で唯一の四つ星将校であり、陸軍大将、海軍大将、空軍大将のいずれかである。部隊指揮の責任に加え、国防軍司令官は国防大臣の主任軍事顧問でもある[6] 。著名な学者で元国防省副次官のヒュー・ホワイト(Hugh White)は、オーストラリア国防軍の現在の指揮系統を批判している。ホワイトは、国防大臣が軍事上の意思決定において過大な役割を果たしており、オーストラリア国防機関(ADO)を効果的に管理するために必要となる十分な権限を国防軍司令官と国防長官に与えていないと主張している[7]

現在の国防軍の指揮系統では、国防軍の日常管理と軍事作戦の指揮は区別されている[8]。各軍種はオーストラリア国防機関(ADO)を通じて、各軍種の本部長(陸軍本部長、海軍本部長、空軍本部長)により管理される。各軍種の本部は戦闘部隊の募兵、訓練、維持に責任を負う。各軍種の本部長は、所属軍種の責任に関する事項について、国防軍司令官の主任顧問でもある。国防軍司令官は、各軍種の本部長、国防軍副司令官(Vice Chief of the Defence Force)、統合作戦本部長(Chief of Joint Operations)で構成される本部長会議(Chiefs of Service Committee)の議長を務める[9][10]

国防軍司令官と各軍種の本部長は、各軍種ごとに独立した軍種司令部に代わって、2017年7月1日に設置された統合されたオーストラリア軍司令部により支援されている[11]

各軍種の個々の隊員は最終的には各軍種の本部長に属しているが、本部長は軍事作戦を統制することはない。国防軍の作戦指揮は、国防軍司令官に直属する統合作戦本部長が率いる正式な指揮系統を通じて行われる。統合作戦本部長は、統合作戦司令部(HQJOC)に加えて臨時的な統合任務部隊をも指揮する。これらの統合任務部隊は、作戦や訓練演習に参加するために各軍から割り当てられた部隊で構成される[12][13]

  • 国防大臣(国防省)(Minister for Defence)
  • 国防次官(Secretary of the Department of Defence)
    • 副次官
    • 国防科学部長
  • 国防軍司令官(Chief of the Defence Force,CDF)
    • 海軍本部長(Chief of Navy,CN)
    • 陸軍本部長(Chief of Army,CA)
    • 空軍本部長(Chief of Air Force,CAF)

国防軍司令官

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国防軍司令官, Chief of the Defence Force (CDF)

兵員数

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オーストラリア軍は59,095人の現役と28,878人の予備役から成り、オーストラリア空軍 (Royal Australian Air Force, RAAF) 、オーストラリア海軍 (Royal Australian Navy, RAN) 、オーストラリア陸軍 (Australian Army) の三軍制を採用している。

ハワイなどのアメリカ軍を別にすればオセアニア最大の組織である。

東ティモールアジア太平洋地域では平和維持活動も行っている。

陸軍30,235人、海軍14,215人、空軍17,375人有している。

予備役は陸軍29,396人、海軍2,150人、空軍2,800人である。

活動内容

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不祥事

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  • 2020年11月29日、国防軍は2009〜2013年にアフガニスタンに駐留していた特殊部隊の一部が民間人、捕虜39人を不法に殺したことを示す「信用できる証拠」があるとする報告書を発表した。報告書では現役と退役した軍人計19人が警察の調べを受けるべきだとした[14]。2023年3月20日、特殊空挺部隊連隊(SAS)に所属していた元兵士が、アフガニスタンでの戦争犯罪容疑で逮捕された[15]

日本との関係

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脚注

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  1. ^ Max Blenkin (2023年5月9日). “Australian budget: Historic defense spending, plus AU$1.2B on US-made missiles” (英語). breakingdefense.com. 2024年3月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e オーストラリア - 安全保障・国防政策”. 平成26年度版防衛白書. 防衛省. pp. 第I部第1章第7節1-2 (2014年). 2015年10月15日閲覧。
  3. ^ a b c Khosa 2011, p. 2.
  4. ^ Template:Cite Legislation AU
  5. ^ Department of Defence Ministers”. Department of Defence. 2020年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月8日閲覧。
  6. ^ Khosa 2011, p. 3.
  7. ^ White, Hugh (2006年5月25日). “The real battle is far from the battlefield”. The Sydney Morning Herald. オリジナルの2018年1月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180108175620/https://www.lowyinstitute.org/sites/default/files/pubfiles/White%2C_The_real_battle_1.pdf 2018年1月8日閲覧。 
  8. ^ Khosa 2011, p. 13.
  9. ^ Khosa 2011, pp. 12–13.
  10. ^ Who we are and what we do”. オーストラリア政府国防省. 2017年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月7日閲覧。
  11. ^ “Joining the forces”. Army (Department of Defence): p. 2. (2017年6月29日). オリジナルの2018年1月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180126012654/http://armynews.realviewdigital.com/?iid=153871#folio=2 2018年1月25日閲覧。 
  12. ^ Khosa 2011, p. 14.
  13. ^ Thomson 2017, p. 35.
  14. ^ オーストラリア精鋭部隊員、アフガンで民間人39人殺害=軍報告書」『BBCニュース』。2023年3月22日閲覧。
  15. ^ オーストラリアの元特殊部隊員、アフガニスタンでの戦争犯罪容疑で逮捕」『BBCニュース』。2023年3月22日閲覧。
  16. ^ 日豪防衛協力・交流)”. 防衛省・自衛隊. 2015年10月21日閲覧。
  17. ^ 日豪ACSA(日・豪物品役務相互提供協定)”. 防衛省・自衛隊. 2015年10月21日閲覧。
  18. ^ 日豪首脳「円滑化協定」に署名 安全保障や防衛面での協力拡大”. NHK NEWS WEB (2022年1月6日). 2022年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月7日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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