U.S.M1カービン

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M1カービン
M1 Carbine.jpg
M1カービン
M1カービン
種類 軍用小銃
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
設計・製造 ウィンチェスター・リピーティングアームズ
スプリングフィールド造兵廠
年代 第二次世界大戦
仕様
種別 セミオートマチックライフル
口径 7.62mm
銃身長 458mm
ライフリング 4条右転
使用弾薬 7.62x33mm
.30カービン弾
装弾数 15発/30発(箱形弾倉
作動方式 作動:ショートストロークピストン式
閉鎖:ロータリーボルト式
全長 904mm
重量 2,490g
発射速度 850-900発/分(M2/M3)
銃口初速 600m/秒
有効射程 300m
歴史
設計年 1938年-1941年
製造期間 1941年9月-1945年8月まで
民間用 戦後-現在
配備期間 1942年-1973年(アメリカ軍)
配備先 アメリカ軍
警察予備隊自衛隊
ベトナム共和国軍
関連戦争・紛争 第二次世界大戦
朝鮮戦争
第一次インドシナ戦争
ベトナム戦争
カンボジア内戦
製造数 650万挺以上
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M1カービン英語: M1 Carbine)は、1941年アメリカ合衆国で開発された自動小銃である。代表的な自動式カービンの1つ。拳銃よりも射程や威力に優れた補助火器として、後方要員をはじめとする歩兵銃を携行しない兵士に対して配備された。アメリカ軍ではベトナム戦争頃まで使用されたほか、第二次世界大戦中から戦後にかけてアメリカの友好国に多数供給された。また、1960年代頃からは警察用・民生用ライフルとしても普及した。

開発[編集]

背景[編集]

1930年代アメリカ陸軍では、飛行場・前線基地・占領地の警備などを主とする後方部隊用の警備用火器として、拳銃小銃短機関銃が使用されていたが、小銃では重く取り回しが容易ではないこと、短機関銃は重い上に射程が短く、拳銃は軽便だが射程が短く威力も低い上に、安全で正確な取り扱いに熟練するのに時間がかかるという問題を抱えていた。そのため、警備用火器、また、下士官用の強力な自衛用火器として、軽量で長時間持ち歩いても疲れず、小銃と短機関銃の中間に位置するクラスの銃が求められるようになった。

また、陸軍では第一次世界大戦の戦訓のもと、以前から拳銃より射程の長い補助火器が求められていたものの、予算面の都合などもあって長らく計画の承認を得られないままでいた[1]

1938年、陸軍歩兵総監(Chief of Infantry)だったジョージ・アーサー・リンチ少将(George Arthur Lynch)から陸軍武器科に対し、支援兵科向けの「軽小銃」(light rifle)の開発が提案された[2]。この提案も当初は受け入れられなかったが、1939年に第二次世界大戦が勃発したことで状況が変わり、1940年6月15日に再提案された後に陸軍長官の承認を受けることとなった。10月1日、武器科は多数の銃器メーカーや銃器設計者に対して新型軽小銃の設計要件として以下の事項を示した[1]

  • 重量5ポンド以内。
  • 有効射程は300ヤード以上。セミオート射撃機能は必須。フルオート射撃も可能とすることが望ましい。
  • 携行のために負革または同等の器具を取り付けられること。
  • 弾薬は市販の.32ウィンチェスター・セルフローディング弾英語版と類似した同形式の.30口径弾を使用する。
  • 設計案の提出期限は1941年5月。

5月に行われた第1回審査では、複雑な構造を有する銃が排除され、ジョン・ガーランドの設計案が高く評価された。しかし、機関部の右上45度の位置に弾倉口を設けたレイアウトが問題視され、この点を修正し再設計された新型銃は元々の設計案よりも信頼性が劣ると判断された。結局、第1回審査に提出された設計案はいずれも採用されなかった。

ウィンチェスター社の試作歩兵銃[編集]

ウィンチェスター社は第1回審査に設計案を提出しなかったメーカーの1つである。当時、同社は.30-06スプリングフィールド弾(M2普通弾)を用いる新型歩兵銃の設計を行っており、これに集中するため軽小銃計画への参加は見送られていた。しかし、さらなる設計案を求めていた武器科はウィンチェスター社に接触し、新型歩兵銃を軽小銃計画の要件に沿って再設計するように求めたのである[2]

新型歩兵銃の前身は、ジョナサン・エドモンド・"エド"・ブローニング技師(Jonathan Edmund "Ed" Browning, ジョン・ブローニングの異母弟)がM1ガーランドの後継装備となることを想定して設計したG30小銃である。ウィンチェスター社は1938年11月30日にG30の設計案を購入し、翌年3月にはブローニングを雇用したが、わずか2ヶ月後の5月16日に彼は死去してしまう。その後、G30小銃とブローニングの設計室をそのまま引き継いだのがデイヴィッド・マーシャル・ウィリアムズ英語版技師である。ガスシステムを改良したG30Mが1940年3月から4月頃に完成し、海兵隊にてM1ガーランドおよびジョンソン小銃との比較が行われたものの、評価は3丁中最下位だった。ただし、この審査では最終的な結論が示されなかったため、以後も改良が続けられた。そして武器科研究開発部長ルネ・スタッドラー大佐(René Studler)からの打診を受けた時点で、7.5ポンドまで軽量化を図ったG30Rが設計されていた[3]

歩兵銃から軽小銃へ[編集]

ウィンチェスター社は2度目の審査に向けて軽小銃の設計を開始した。スタッドラー大佐の打診から13日後、G30Rを原型とする最初の試作銃が完成した。ただし、開発主任エドウィン・パグスレー(Edwin Pugsley)との衝突があったため、ウィリアムズはこの時点の試作銃開発に参加していなかった。試作銃はおおむねブローニングの設計を引き継いでいたが、M1ガーランドと同様の回転ボルト閉鎖機構、そしてウィリアムズが考案したショートストロークピストン式(玉突き式)を取り入れていた。1941年8月9日、パグスレーの許可を得たウィリアムズがスタッドラー大佐のもとアバディーン性能試験場にて行われる試作銃の予備試験に参加する。この時の良好な試験結果を受けて軽小銃としての開発継続が決まり、9月15日までに最終的な設計案を提出することとされた。そして改良のために設計チームが再編された際、ウィリアムズは開発主任となる。しかし、ある技師がショートストロークピストンのアイデアを盗もうとしていると考えたウィリアムズが周囲と対立したため、パグスレーが呼び戻され、彼は再びチームを外れることとなった。9月12日、次の試作銃が完成するが、未解決の問題が残されていた。パグスレーから相談を受けたウィリアムズが対策にあたり、無事15日の試験に提出された。1941年9月30日、ウィンチェスター製軽小銃は制式名称United States Carbine, Caliber .30, M1として陸軍に採用されることとなった[3]。また、海軍および海兵隊でも、真珠湾攻撃の直前に350,000丁分の契約を結んでいる[4]

なお、ウィリアムズはかつてノースカロライナ州の刑務所に殺人容疑で服役していた。このときひそかに考案していた自動カービン銃の設計を行い、のちに刑務所所長の許可を得てカービン銃の試作から試射まで行っている。そのためウィリアムズは「刑務所でカービン銃を作った男、カービン・ウィリアムズ」と新聞メディアに取り上げられ、後にこの事が話題になり、再審で無罪を勝ち取り釈放されている。ウィリアムズは釈放後にウィンチェスター社へ入社し、M1カービンの開発に携わる事になった。

特徴[編集]

M2カービンの分解図
M1カービンとM1ガーランドの全長比較

M1カービンの特徴として、ボルトの閉鎖機構はM1ガーランドと同じく回転ボルト閉鎖を採用していたが、ガス圧でボルトを解放する機構にはショートストロークピストン式(玉突き式)を採用していた(この後、ショートストロークピストンは多くのアサルトライフルの設計に取り入れられ、AR-18G36といったモデルに採用されている)。

M1カービンの使用弾薬である.30カービン弾は、当時の標準的小銃弾に比してはるかに腔圧が低いという特性を持っていたため、これを活かした非常に短いガスピストンが用いられている。この小さなガスピストンは多くの弾数を発射する過程で徐々に変形・腐食して行くため、専用のレンチを用いて交換する事が前提で設計されており、年代物のM1カービンを使用する際にはガスピストンの交換が必要な場合があるので注意が必要である。

また.30カービン弾には当時の軍用銃としては世界で初めて低腐食性のプライマー(雷管)が採用され、高温・高圧のガスにさらされるガスピストン(更に耐食性を高めるため後期にはステンレス製となった)や銃身内部を始めとする各部の腐食を減らし、耐用年数を大幅に増やす事に成功した。

当初、M1カービンはフルオート射撃を可能とする設計だったが、全長の短さと軽量さからフルオート射撃時のコントロールが難しく、量産型ではセミオート射撃(半自動)のみとなった。

銃口にM8グレネードランチャーを付けたM1カービンを持つアメリカ海兵隊員。1945年 硫黄島にて

製造が始まった後、ボルト、バレルバンド、銃床、安全装置、マガジンキャッチ、照門の設計が変更された。また、実戦経験を踏まえてフラッシュハイダー、グレネードランチャー、着剣装置が追加された。1945年以降に新仕様での新造が始められ、平行して初期生産型の改装も行われた。

M8グレネードランチャーを装着することで、22mmライフルグレネードを発射することができる。これはM1ガーランド用のM7グレネードランチャーをもとにしたソケット型のアダプターであり、蝶ねじで銃身に固定することになっていた。この時期にアメリカ軍が採用していたライフルグレネードは、いずれも空砲発射式であったので、これを発射するときには1発だけ空砲を装填する必要があった。

一方、威力の不足はM1/M2カービンの欠点としてしばしば指摘される。本来、M1カービンは.45口径拳銃などの代替品となることが想定されており、開発時にも精度や射程、威力は歩兵銃ほど重視されていなかった。しかし、普及につれて歩兵銃と同等の運用が行われるようになったことで、これらが新たな欠点として注目されることとなったのである。朝鮮戦争における長津湖の戦いの後にジョセフ・フィッシャー海兵中尉(Joseph Fisher)が報告したところによれば、25ヤードの距離で中国兵の胸を撃ったのに足止めできなかったという。また、彼の部下にも同様の経験をした者が多数あり、3発ないし4発続けて命中させてさえ足止めできなかったと語る者もいたとしている。さらに朝鮮半島の厳しい気象条件下では故障や不良が相次ぎ、信頼性も疑われるようになっていた。このため、朝鮮戦争時のM1/M2カービンの印象は非常に悪く、当時の標準的な歩兵火器の中では最も嫌われていた。ただし、威力不足の指摘に関しては、単に弾が命中していなかっただけに過ぎないとも言われている[5]

運用[編集]

第二次世界大戦[編集]

硫黄島の戦いの最中、摺鉢山にて星条旗を掲揚する海兵隊員(硫黄島の星条旗

採用からおよそ2ヶ月後、アメリカは真珠湾攻撃によって第二次世界大戦に参戦した。

1942年5月12日、空挺部隊からの要求を受けた陸軍武器科の命令に基づき開発されたM1A1カービンが採用された。これは折畳式のワイヤー製銃床を取り付け全長を短縮したモデルで、同年11月から生産が始まった [6]

1942年6月、M1カービンの生産が始まった[1]。製造契約を結んだ主なメーカーとしては、ゼネラルモーターズ社国内製造部(Inland Manufacturing Division)、ウィンチェスター社、アンダーウッド・エリオット・フィッシャー英語版社、ロック=オーラ英語版社、アーウィン・ピダーセンアームズ英語版社(Irwin-Pedersen Arms)、クオリティ・ハードウェア&マシン社(Quality Hardware & Machine)、ナショナル・ポスタル・メーター社(National Postal Meter)、スタンダード・プロダクツ社(Standard Products)、GM社サギノー・ステアリング・ギア部英語版(Saginaw Steering Gear Division)、IBM社があった。

この際にウィンチェスター社はM1カービンをロイヤリティフリーと位置づけた上で各メーカーによる製造および契約を認め、また同時にウィンチェスター社に対して開発費用として$886,000がアメリカ政府から支払われた。過剰生産や不足を避けるため、下請け業者による各部品の製造およびメーカーへの割当は、政府が設置したカービン産業調整委員会(Carbine Industry Integration Committee)によって指示された[4]

ヨーロッパ戦線にて最初の配備が行われた。当初は後方要員向けの装備とされていたが、間もなく前線の士官や下士官にも愛用されるようになった[2]

1944年5月、セレクティブ・ファイア機能をM1カービンに追加するための研究が始まった。武器科が1940年に示した要件に含まれていたこともあり、元々はウィンチェスター社でも新型小銃にセレクティブ・ファイア機能を設けることを想定していたが、開発の段階でセミオート射撃のみ可能な半自動小銃に方針を転換していた。しかし、小銃弾というよりは拳銃弾に近い.30カービン弾はストッピングパワーに欠けるとされ、前線ではフルオート射撃機能の追加が求められるようになっていたのである。ウィンチェスター社はスプリングフィールド造兵廠と共に他の問題の修正も含めた改良を進めていたが、その後GM社国内製造部に所属するフレデリック・サンプソン(Fredrick Sampson)とポール・ハーミッシュ(Paul Hamish)が、既成のM1カービンに組み込むことで簡単にフルオート機能を追加できる部品セットを開発した。部品セットにはT17カービンキット(Kit, Carbine, T17)、T17を組み込んだM1カービンにはT4カービンという名称がそれぞれ与えられた。前線での性能試験結果は良好で、10月26日にT4はU.S. Carbine, Caliber .30, M2として制式採用された。第二次世界大戦中にはほとんど配備されなかったが、1945年4月に始まった沖縄戦では相当数が使用された。T17と並行して30連発の大型弾倉の開発も進められており、この弾倉は湾曲した形状から「バナナクリップ」(banana clip)と通称された。その後の改良でボルトストップ機能も追加された。以後、支給されていなかったM1カービンの在庫は順次M2カービンへと改良されることとなった[7]

1943年末、T120狙撃眼鏡(Sniperscope, T120)が開発された。これは1930年代から行われてきた実験を踏まえて設計された赤外線照射式の暗視装置であり、アメリカにおける最初の実用的な暗視照準器である。夜間照準可能距離は400フィートほどだった。M2カービンにT120を取り付けるレールとラッパ型消炎器を追加したものがT3カービンで、それぞれ後にM1狙撃眼鏡とM3カービンという制式名称が与えられた。第二次世界大戦中はほとんど配備されなかったが、沖縄戦には投入されている[8]

アメリカ国内ではウィンチェスターをはじめとする複数の企業によって生産が行われた。正確な記録は残されていないものの、主要な10企業によって1942年6月から1945年8月までの期間に少なくとも各モデル合わせて6,117,827丁が製造された[1]

第二次世界大戦後[編集]

1945年8月、終戦によってM1カービンの製造は終了した。各地に展開したアメリカ軍部隊の復員に伴い、M1カービンを含む多数の兵器は一時回収され、オーバーホールを受けることとなった。ほとんどのM1カービンは分解の後にM2カービンと同等の後期型の部品(着剣装置付きのバレルバンド、30発弾倉用マガジンキャッチ、調整可能な照門など)を組み込まれ、一部はセレクティブ・ファイア機能も追加された[9]

1950年に勃発した朝鮮戦争でもM2カービンは使用されたが、前線の部隊、とりわけ海兵隊からは酷評されることとなった。フルオート機能を追加したために構造が複雑化し、朝鮮半島の過酷な自然環境の中で動作不良が相次いだためである。また、共に配備されていたM1ガーランドがほとんど不良を起こさなかったことも、前線の将兵がM2カービンの信頼性を疑う要因の1つとなった[7]。750発/分という高すぎる発射速度も制御が非常に難しいとされたほか、弾倉が開口部から錆びやすく、その欠片が弾薬と共に薬室へと入り込むことが多かったという。威力不足の指摘も多数あり、ある海兵隊員は「25ヤードの距離で中国兵の胸を撃ったのに足止めできなかった」と報告している[10]

1957年、アメリカ軍における標準的な歩兵用小火器、すなわちM1ガーランド、M1/M2カービン、M3/M3A1短機関銃M1918自動銃の全てを更新する銃器とされたM14小銃が採用される。翌1958年までの間に武器科によってM1カービンは予備装備と指定され、大部分は部品ないし屑鉄として民間企業に売却された。ただし、その後もアメリカ軍における正式な退役の宣言はしばらく行われず、M1カービンはM14やM16小銃に更新されつつもベトナム戦争を通じて使用された。空軍の基地警備隊では少なくとも1970年代を通じて使用されたという[1]

1960年代初頭には民間射撃プログラム(Civilian Marksmanship Program)の一環としておよそ250,000丁が民間に放出された[4]。同時期には民間企業でも交換部品やコピー銃の製造が始まり、民生用・警察用ライフルとしての普及が進んでいくこととなる。

アメリカ軍で長らく使用されていたことや様々な戦争映画に小道具として登場すること、また軽量で低反動という特性がいわゆるホームディフェンス用途に適していることから、アメリカ合衆国における民生用ライフルとしての人気は根強い。レジェンダリー・スポーツ・インターナショナル社(Legacy Sports International)、オート・オードナンス社(Auto-Ordnance)、インランド・マニュファクチャリング社(Inland Manufacturing Inc.)などが民生用モデルの製造を行っており、インランド製のM1スカウトカービン(M1 Scout Carbine)のように、基本的な設計を踏襲しつつ、ピカティニー・レールを設けるなどの近代的な改良を加えたモデルもある[11]

外国での運用[編集]

第二次世界大戦中、レンドリース法に基づく給与、あるいは戦略諜報局(OSS)やイギリス特殊作戦執行部(SOE)による現地抵抗運動への支援工作などを通じて、130,000丁以上のM1カービンが外国軍へと供給された。また、終戦後には300万丁以上が50カ国以上の友好国に給与ないし売却されている[12]

ドイツ[編集]

第二次世界大戦中のナチス・ドイツにおいて、鹵獲品のM1カービンがSelbstladekarabiner 455(a)などの名称で運用されたと言われることがある。しかし、この名称は諸外国の火器の識別を目的にドイツ側で作成されていた『外国火器の手引』(Kennblätter fremden Geräts)の中で与えられた識別名であり、準制式装備などの形で運用されたことを示すものではない[13]

1945年10月、連合軍軍政下ドイツアメリカ占領区域にて軍政当局が警察組織の再建を開始した。11月6日に連合国管理委員会英語版が承認したドイツ警察再武装に関する命令では、警察官の武装を拳銃と警棒に制限していたが、田舎や辺境の警察に限り例外としてカービン銃の配備を認めるとしていた。また、警察に配備する銃火器はドイツの戦力を制御するために外国製でなければならないとされていた。1946年2月、アメリカ占領区域における警察組織の業務が始まる。この時、装備としてビクトリー・リボルバーM1911A1、そしてM1カービンが支給された。軍政下の警察向けに支給されたM1カービンは合計21,892で、このうちバイエルン州で支給された14,647丁は1955年に西ドイツ政府が買い上げ、それ以外は1949年末までにアメリカ側へと返還された[14]

1955年に設立されたドイツ連邦軍でも、多数のアメリカ製兵器とともにM1カービンが使用されていた。1961年からG3小銃への更新が始まり、1967年から1968年頃までに完了した。一線を退いたM1カービンは予備兵器として保管されていた[15]

日本[編集]

演習中の保安隊隊員。写真右端の指揮官がM1カービンを携行している(1953年)

1950年警察予備隊創設時には米国から新品のM1カービンが貸与され、警察予備隊の初めての制式小銃となった[16]。警察予備隊が設置された8月からの2ヶ月間、幹部・火器・通信・施設・武器・車両各課の教育を行うため設置された江田島学校以外の駐屯地はまったく武装されていなかった。10月、特別米極東軍事予備計画(Special FECOM Reserve Program, SFRP)のもと、連合国軍最高司令官総司令部の警察予備隊編成・訓練担当部局である民事部別室(Civil Affairs Section Annex, CASA)は在日米軍兵站司令部(Japan Logistic Command)から7万4000丁のM1/M2カービンを受領した。これらは各駐屯地に派遣された米軍顧問に対し支給され、訓練など使用の度に警察予備隊隊員へ貸与された。1954年に日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(MSA協定)が結ばれたことで、SFRPで引き渡された物品は日本政府に無償譲渡が認められ、1955年1月をもって実施された[17]。また、軍事援助計画(Military Assistance Program, MAP)の記録によれば、1963年には3,994丁が無償供与されている[18]。これらのM1カービンは、64式7.62mm小銃が採用された後も自衛隊で使用され続け、小口径弾を使用する89式5.56mm小銃が採用されるまでの訓練用として用いられるなど、日本人には馴染みの深い銃のひとつとなり、「カービン銃」は自衛隊の装備する銃器の代表となった。

本土復帰前の沖縄(琉球政府)でも、琉球警察米国軍政府から拳銃とともにM1カービンが支給されており、暴動などの集団的事件の鎮圧や銃器などを使用した凶悪事件の警備などに使用された。機動隊の編成・非殺傷性装備の充実とともに暴動対策用としては次第に使用されなくなったが、暴力団抗争事件などの銃器犯罪対策用としては本土復帰まで使用されていた。

豊和工業では1946年から1949年頃、日本政府からの認可を受けてアメリカ軍が使用するM1/M2カービンおよびM1ガーランドの整備および交換部品の生産を行った。アメリカ本土のメーカーは終戦を受けてM1カービンの生産を終了しており、製造設備も既に解体されていた。残された設備は連合軍軍政下ドイツのアメリカ占領区域でドイツ人警察部隊向けの交換部品を製造するためエルマ・ヴェルケ英語版社が買い上げていた。その後、アメリカ陸軍武器科では本国と同等の品質で部品を製造できるように豊和工業側の要員を訓練・監督し、設備の提供も行った。その後も米軍向けの部品生産を続けていたが、進駐軍撤退後は自衛隊で配備されるM1カービンおよびM1ガーランドの整備や製造について責任を負うこととなった。M1カービンはU3 M1という製品名で5,000丁が自衛隊向けに製造されたほか、M1カービンを狩猟用に改良したM300、通称「ホーワカービン」も製造されていた[18]

豊和製M1カービンがタイ王国国家警察向けに輸出されたとされることがあり、実際に豊和製を示す文字とタイ警察の印章が共に刻印されたM1カービンも複数確認されている。ただし、豊和側はこれを否定し、民生用に販売されたM300のうち10,000丁が1965年から1966年にかけてタイ王国へ輸出されたことのみを認めている[19]

先代:
警察予備隊の創設
保安隊への移行
自衛隊制式小銃
1950-1989
次代:
89式5.56mm小銃

韓国[編集]

射撃訓練中の韓国兵。左端の兵士がM1カービンを携行している(1950年)

1960年代中頃から1970年代初頭にかけて、MAPなどを通じ少なくとも1,015,558丁のM1/M2カービンがアメリカ政府から韓国政府へと引き渡されている[20]

1968年4月、朴正煕大統領は郷土予備軍の設置に際し、M1/M2カービンを主力小銃として配備するように命じた。これによって多くの韓国人がM1/M2カービンでの訓練および射撃を経験することとなり、全国射撃大会(전국사격대회)にも「予備軍カービン」部門が新設された。一方、予備軍は軍や警察に比べて武器庫の管理がずさんだったため、1970年代には予備軍から盗まれたM1/M2カービンによる犯罪も多発した。犯罪者らが好んだ銃床を切り詰めて拳銃程度まで小型化したM1/M2カービンは「凶銃」(흉총)として恐れられた。また、1982年には元海兵隊員の警官、禹範坤が警察の武器庫から盗み出したM2カービンを使って銃乱射事件を起こし、住民およそ60人を殺害した[21]

予備軍では長らく使用されていたが、2015年3月にはM1/M2カービンによる訓練が中止され、同時に2016年末までにM16小銃への更新を完了させる方針が国防部から発表された[21]

ベトナム[編集]

南ベトナム陸軍特殊部隊の隊員。後列両端は米軍のグリーンベレー。(1968年

第一次インドシナ戦争中、フランス軍によってM1/M2カービンがベトナムへと初めて持ち込まれ、対するベトミン側もこれらを大量に鹵獲して使用した。

ベトナム戦争中の1956年、ベトナム共和国(南ベトナム)に対するアメリカの軍事顧問団派遣が始まった。この際、M1/M2カービンが顧問団の装備として持ち込まれ、ベトナム共和国軍(南ベトナム軍)でも採用されることとなった。当初は海兵やレンジャーといった特殊部隊のみに支給されていたが、後に一般部隊や国家警察でも使用された。威力不足は否めなかったものの、小柄なベトナム兵にとって軽量かつ反動も小さいという点は重要な利点だった。

一方の南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)では、ベトミンから引き継いだものに加え、南ベトナム軍から鹵獲あるいは強奪したもの、闇取引で入手したものが使用されていた。多くは銃床や銃身を切り詰めるなどの改造が施されていた[22]

主なバリエーション[編集]

M1A1カービン
M3カービン(M3スコープキット付き)

軍用[編集]

M1
最初期モデル。後方部隊だけではなく、前線の下士官などにも配備された。
M1A1
1942年から量産が始まったモデル。空挺部隊向けに設計されたモデルで、M1カービンをピストルグリップ化し、折り畳めるワイヤー銃床を取り付けたものである。
M1A2
M1A1とは別に他社で提案された折り畳み銃床モデル。M1A1カービンの照準調整部分などが改良されていたが計画のみで量産はされなかった。
M1A3
パンタグラフ型と呼ばれる折りたたみストックと15発の箱型弾倉を採用した物。M1A1の後継として計画されたが量産はされなかった。M1A1の折りたたみ銃床に比べて、パンタグラフ型銃床は折りたたみが非常に硬いという欠点があった。
M2
M1カービンに30発の箱型弾倉を採用すると共にフルオート射撃機能を復活させたモデル。総生産数は約600,000挺。
M3
M2カービンに夜間暗視装置を装着するためのレール、夜間活動を想定したT23消炎器(T23 flash hider)を取り付けたモデル。1943年に最初の暗視照準器M1が開発され、これを取り付けた500丁弱が沖縄戦に投入された。M1は赤外線の照射距離、すなわち夜間照準可能距離が70ヤードと短く、照射装置自体も破損しやすかった。M1の改良型として、照射距離を100ヤードまで拡大したM2、125ヤードまで拡大したM3がある。朝鮮戦争期には主にM3が使用された。M3カービンの生産数は2,100丁程度だった[23][24]

民生用[編集]

チアッパ製カービン
チアッパ・ファイアアームズ英語版では、M1カービンを原型とする民生用小銃を製造している。M1-9は9mmパラベラム弾を使用するモデルで、ブローバック方式に変更されており、専用の弾倉のほかベレッタ 92の弾倉を使用できる。M1-22は22LR弾を使用するモデルである。大きさはM1カービンとほぼ同等で、機関部には各種照準器を取り付けるためのネジ穴が設けられている[25]
豊和M300
豊和工業製の民生用モデル。ホーワカービンの通称で知られる。

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Introduction”. The Carbine Club. 2016年10月2日閲覧。
  2. ^ a b c Cutaway of the Day: M1 Carbine”. Historical Firearms. 2016年10月2日閲覧。
  3. ^ a b David Marshall Williams”. The Carbine Club. 2016年10月2日閲覧。
  4. ^ a b c U.S. Underwood Elliot Fisher M1 Carbine”. NRA National Firearms Museum. 2016年10月17日閲覧。
  5. ^ Arms of the Chosin Few”. American Rifleman. 2016年10月17日閲覧。
  6. ^ The U.S. Carbine Caliber .30 Model M1A1”. The Carbine Club. 2016年10月3日閲覧。
  7. ^ a b The U.S. M2 Carbine”. SmallArmsReview.com. 2016年10月5日閲覧。
  8. ^ U.S. Carbine Caliber .30, M1, M2, and M3”. Small Arms Defense Journal. 2016年10月5日閲覧。
  9. ^ Post World War II U.S. Army Ordnance Operations”. The Carbine Club. 2016年10月3日閲覧。
  10. ^ M2 And M3 Carbines”. SmallArmsReview.com. 2016年10月5日閲覧。
  11. ^ An M1 Carbine for Home Defense?”. American Rifleman. 2017年8月23日閲覧。
  12. ^ U.S. Carbine Imports & Exports”. The Carbine Club. 2016年10月3日閲覧。
  13. ^ Use of the U.S. M1 Carbine by Axis Powers during WWII”. The Carbine Club. 2017年8月6日閲覧。
  14. ^ Germany and the U.S. M1 Carbine”. The Carbine Club. 2016年10月3日閲覧。
  15. ^ The M1 Carbines in West Germany The Bundeswehr”. The Carbine Club. 2016年10月3日閲覧。
  16. ^ 「エリートフォーセス 陸上自衛隊編[Part1]」p72
  17. ^ 第2次世界大戦後の韓国・日本の再軍備と在韓・在日米軍事顧問団の活動”. 防衛研究所紀要 第16巻第2号. 防衛研究所. 2016年10月12日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]