ブローニングM1918自動小銃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ブローニングM1918自動小銃(BAR)
Browning ar001.jpg
ブローニングM1918A2自動小銃
概要
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
設計・製造 ブローニング・アームズ
コルト
ウィンチェスター
IBMなど
性能
口径 7.62mm
銃身長 610mm
使用弾薬 .30-06スプリングフィールド弾(7.62x63mm)
装弾数 20発(着脱式箱型弾倉
作動方式 ガス圧利用
オープンボルト
全長 1,214mm
重量 7.2-8.8kg
発射速度 300-650発/分
銃口初速 805m/s
有効射程 548m
テンプレートを表示

ブローニングM1918自動小銃(Browning M1918 Automatic Rifle)は、アメリカ合衆国で開発された自動小銃である。アメリカ軍をはじめとする各国軍において、20世紀を通して使われた。

「Browning Automatic Rifle」の頭文字を取ってBAR(バー)と呼ばれることがあるが、正しくはB.A.R.(ビーエーアール)と一字ずつ発音する。現在のブローニングの民間用猟銃にも「BAR」という製品があるが、本銃とは完全な別設計である。

概要[編集]

BAR自動小銃を持つジョン・ブローニングウィンチェスター社のライフル専門家バートン氏

BARは、ガスオペレーション方式、空冷弾倉装弾式の銃器である。アメリカ軍用に製造されたものは、.30-06(7.62x63mm)弾を標準採用していた。重さは形式により異なるが、無装填の時7.3-8.6kgである。弾倉の装弾数は20発。

1917年、銃器設計技師のジョン・M・ブローニングにより設計された。フルオートとセミオート射撃を選択でき、軽機関銃のようにも使え、一人で運搬できて歩兵分隊の移動に追従する分隊支援火器の始祖とも言える存在である。1917年採用にも関わらず「M1918」という名称が与えられているのは、先立って採用されていたブローニングM1917重機関銃との混同を避ける為だった。

設計と歴史[編集]

第一次世界大戦[編集]

M1918の射手。右腰に金属カップのある突撃射撃用の弾倉入れベルトを着用している(1918年11月9日)

1917年4月6日にアメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦した時点で、アメリカ軍は決して十分な装備を有していなかった。M1903小銃M1911ピストルのような優れた(当時最新式の)火器は不足し、それ以外は旧式あるいは性能で劣るものばかりだった。とりわけ軽機関銃の不足が深刻で、これを補うべく同盟国フランスからショーシャ機関銃(アメリカ兵は名の発音を面白がり「ショーショー」と呼んだ)を輸入したものの、信頼性が低い上に性能も十分ではなく、前線での評判は芳しいものではなかった。同時期、ブローニングはコルトにて新型自動小銃の設計を行っていた[1]

1917年5月1日、陸軍長官により招集された兵器委員会において、ブローニングが設計した自動小銃の採用が決定した。現在よく知られるブローニング自動小銃(Browning Automatic Rifle, BAR)という名称が広まるまで、この銃はブローニング・マシン・ライフル(Browning Machine Rifle, BMR)と呼ばれていた[2]。軍部はBARの早急な大量生産を要請したが、当時コルトの生産力は限界に達していた上、新たな工場を準備する時間的な余裕も残されていなかった。その為、アメリカ政府はコルトおよびブローニングと戦時特許権に関する契約を結ぶこととなる。1917年9月、マーリン=ロックウェル英語版ウィンチェスター・リピーティングアームズがBARの製造契約を結ぶ。コルトを含むこれらの3社は既にあらゆる兵器製造に関わっていたが、BARの生産は特に優先して実施された。また、この時点でBARはブローニング自らが手がけたオリジナルの1丁以外に存在せず、詳細な仕様や設計図などは用意されていなかった。ウィンチェスターはコルトからレンタルしたオリジナル銃を元に図面や設計図をわずか1週間で作り上げ、マーリンの生産ライン準備にも協力した。ウィンチェスターからの出荷は1917年12月に始まり、コルトとマーリンはそれぞれ1918年2月および1918年1月から出荷を開始した。前線での支給が始まったのは1918年夏頃からである[1]

1918年9月、ムーズ・アルゴンヌ攻勢英語版の際に第79歩兵師団英語版によって初めて実戦に投入された。かつて投入されたショーシャ機関銃とは対照的に、BARは戦闘の中で非常に高い評価を受けることとなったが、何らかの理由から一般的な装備供給の枠組みから外されていた。配備が実施された部隊はアメリカ遠征軍(AEF)のうち4個師団のみで、他師団では終戦までショーシャ機関銃が使用された[2]。1918年11月にはドイツと連合国の休戦協定のもとで戦闘が停止するが、BARの製造は引き続き行われた。休戦までに52,238丁のBARが出荷され、1919年末に生産が停止した時点の出荷数は102,125丁だった[1]

BARは当時としては比較的軽量な自動火器であった。従来の歩兵用小銃の役割を兼ねることも期待され、射撃精度を確保するためM1903小銃と同等の長銃身やM1917小銃と同型の照準器を備えていた[2]。また、BAR射手用の弾倉入れベルトは突撃射撃(marching fire)に用いることを想定した特殊なもので、BAR用弾倉8個とM1911ピストル用弾倉2個を収納できたほか、右腰にあたる箇所には腰だめにBARを構えた際に銃床を引っ掛けて固定する為の金属製カップが取り付けられていた[1]。射撃はもっぱらセミオートで行われ、フルオート射撃は支援射撃が必要な場合や緊急時のみ実施された[2]

戦間期[編集]

1920年代から1930年代にかけて、アメリカ軍が世界各地で実施した小規模な軍事作戦でもBARは使用された。また、州兵の武器庫などから強奪されたBARが犯罪者によって使用された事例もある。特に有名なのはボニーとクライドである。クライド・バローは州兵の武器庫から盗んだBARの銃身を切り詰めたものを使っていた。1922年、騎兵向け軽量化モデルが試作されるが、生産には至らなかった。1937年、M1918を改良したM1918A1が設計される[1]

第二次世界大戦[編集]

第二次世界大戦参戦直前、M1918A2が設計された。M1918やM1918A1は1940年代初頭を通じてM1918A2へと改修されたが、一部は未改修のままレンドリース法のもとイギリスへと送られたり、アメリカ兵によって前線で使用されることもあった。真珠湾攻撃を受けて第二次世界大戦へ参戦すると需要が増し、IBMおよびニューイングランド・スモールアームズ英語版の2社が新たにM1918A2の製造契約を結んだ。これら2社によって208,380丁のBARが製造された。太平洋戦線でもBARは人気のある装備の1つだったが、一方で最新型のM1918A2は初期型に比べてあまりにも重い為に苦情が相次いだ[1]

この頃にはBARよりも軽量な自動火器が既に普及していたため、重量があるBARは軽機関銃的に取り扱われることが多くなり、かつて想定された用途よりも分隊支援火器としての役割が主に期待されるようになっていた。二脚などの追加が行われたのもこうした運用方法の変化を踏まえてのことであった。しかし、M1917M1919といった本格的な機関銃と比較した場合、弾倉装填式であるために射撃の持続性で劣る上、銃身交換が容易に行えない点は大きな欠点とみなされた。これを改善するべく弾帯装填や交換可能な銃身といった機能を追加する設計も試みられたが、機関部の大きさから不可能と判断された[1]

第二次世界大戦後[編集]

朝鮮戦争期に撮影されたM1918A2射手(1951年2月23日)

第二次世界大戦を経てBARの設計は旧式化しつつあったが、その後の朝鮮戦争でもBARは使用され、1950年代初頭にはロイヤル・マクビー英語版社による再生産が行われた。この時期に生産されたBARは第二次世界大戦末期のモデルと類似しており、銃身にキャリングハンドルが追加されていた。1950年代後半にM60機関銃が採用されると、BARは徐々に更新されていった[1]

しかしベトナム戦争が始まった時点でも多数のBARが残されており、その多くは南ベトナム軍に支給された。小柄なベトナム兵にとってはM60機関銃よりも扱いやすく、BARは南ベトナム軍の主力軽機関銃となった。アメリカ陸軍特殊部隊群(グリンベレー)によって山岳民族(Montagnard)の民兵に供給された例もある。また、第一次インドシナ戦争の際にベトミンフランス軍から多数のBARを鹵獲しており、ベトナム戦争時にはこれらがベトコンによって使用されていた[3]

大戦中に大量生産されたBARは、M1ガーランドなどとともに多数の国・組織に供与され、国によっては1990年代まで使われ続けた。日本に対しても供与され、警察予備隊が装備した。陸上自衛隊に改編されたあとでも使われ続けたが、1960年代後半には62式7.62mm機関銃64式7.62mm小銃と交代し、予備装備品となっていった。ポーランドスウェーデンベルギーはBARの発展型として、ピストル式グリップの採用と、素早く交換できる銃身に改修したモデルを製造した。

アメリカの銃器メーカーで、第2次世界大戦当時の銃火器の整備と修理を手掛ける銃器整備会社でもある、オハイオ・オードナンス・ワークス((Ohio Ordnance Works(OOW)社では、1918A3 SLRという製品名でセミオート射撃のみ可能なBARのほか[4]、H.C.A.R.(Heavy Counter Assault Rifle)というBARの近代化モデルを製造している[5]

BARは、開発者ジョン・ブローニングと協力関係のベルギーFN社でも製造された。FN社はBARのメカニズムを基礎として、ベルト給弾機構と交換可能の銃身を持つ、広く採用されている傑作汎用機関銃FN MAGを開発した。さらに、FN MAGを元に分隊支援火器として使用されるミニミ軽機関銃を開発した。

主なバリエーション[編集]

軍用モデル[編集]

M1918、M1918A1、M1918A2
M1918
1917年に設計された最初期モデル。フル/セミオート射撃を切り替えられるセレクティブファイア機能を備える。銃身長は24インチで、ネジが切られた円筒形の消炎器が取り付けられていた。機関部などにはブルーイング処理を施した高級な商用等級の金属が、チェッカリングが施されたハンドガードや銃床にはクルミ材が用いられていた。照門と台尻はM1917エンフィールドと同型だった。以後のモデルと異なり、二脚は取り付けられていなかった。給弾は着脱式の20発箱型弾倉から行う。より多弾数の弾倉を用いる試験も行われたといわれている[1]
M1918A1
1937年に設計されたM1918の改良型。スパイク付きのヒンジ式二脚がガスシリンダー部に設けられ、フルオート射撃時に用いる肩当てプレートが追加された。また、銃身の冷却効率を向上させる為にハンドガードは低く切り詰められた。既存のM1918からの改修のみで、新規調達は行われなかった[1]
M1918A2
最終改良型。二脚はA1とよく似た形状だが、ガスシリンダー部ではなく消炎器上に設けられている。肩当てプレートの形状が改められ、銃床下に短脚が追加された。ハンドガードはさらに小型化され、照門はM1919A4機関銃と同型のものに改められた。弾倉を装填しやすくする為のマガジンガイドがトリガーガード前に追加された。セミオート射撃は不可能となり、代わりに発射速度をおよそ300 - 450発/分と500 - 650発/分のいずれかから選択するようになった。重量が16ポンド程度だったM1918に比べ、M1918A2は20ポンド程度と重く、これを嫌って二脚などを取り外したまま運用する兵士も少なくなかった。M1918およびM1918A1からの改修が行われ、第二次世界大戦参戦後には新規調達も行われた[1]

民生用モデル[編集]

コルト・モニターを構えるFBI捜査官。
R75A。コルト製民生用モデルの1つ
モニター
民生用・警察用モデル。当時、アメリカの法執行機関ではトンプソン・サブマシンガンが広く使用されていたが、自動車を射撃する場合.45ACP弾では貫通力が不足することが多く、より貫通力のある自動火器の需要が生まれていた。これを受け、コルト社は1931年に短銃身、ピストルグリップ、制退器を備えたBARを発表した。このモデルの社内名称は「R80」で、製品としてはコルト・モニターの名で広く知られた。
生産数は少なく、連邦捜査局(FBI)のほかには海兵隊の特殊部隊、刑務官、銀行警備員などが使用したという。また、アルゼンチン陸軍7.65x53mm英語版仕様のモニターを購入していたとも言われている[6]
1918A3-SLR
オハイオ・オードナンス・ワークス社(Ohio Ordnance Works(OOW)がM1918A2を基に製造した、セミオートのみの民生用モデル。“SLR”とは「Self Loading Rifle」の略。
銃床の素材による「1918A3-SLR Bakelite」と「1918A3-SLR Walnut Stock」の2種類が発売されている。
H.C.A.R
2013年にOOW社によって開発された、BARの近代化モデル。H.C.A.R.とは 「Heavy Counter Assault Rifle」(対突撃重ライフル)の略。
機関部をそのままに、銃身長をオリジナルの2/3程度に短縮し、ピストルグリップを持つ直銃床型のデザインに変更、伸縮式の銃床とピカティニー・レールに対応した新たな外装としたもので、弾倉は30発装填の拡大型となっている。

外国製モデル[編集]

FN Mle 1930
ベルギー陸軍向けモデル。銃身交換機能やピストルグリップなどにより、分隊支援火器的な設計となっている。
FNハースタル製。
使用弾薬:7.65x53mm ベルギーマウザー弾
Kg m/21
スウェーデン向きモデル。
後年、改良型のKg m/37と改修型のKg m/21-37が開発される。
wz.1928
ポーランド1928年に登場。
使用弾薬:7.92x57mmモーゼル弾

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k John Browning's Automatic Rifle”. American Rifleman (2012年2月22日). 2015年10月29日閲覧。
  2. ^ a b c d John Browning’s Automatic Rifle”. American Rifleman (2015年8月25日). 2015年10月30日閲覧。
  3. ^ The BAR in Vietnam: Legacy of the French”. SmallArmsReview.com. 2015年10月31日閲覧。
  4. ^ 1918A3-SLR”. Ohio Ordnance Works. 2015年10月29日閲覧。
  5. ^ ohio ordnance works H.C.A.R (PDF)”. Ohio Ordnance Works. 2015年10月29日閲覧。
  6. ^ The Colt Monitor B.A.R.”. SmallArmsReview.com. 2015年10月31日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • アメリカ陸軍が作成したマニュアル