M1ガーランド

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M1ガーランド
Garand.jpg
M1ガーランド
M1ガーランド
種類 小銃
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
設計・製造 ジョン・ガーランド
スプリングフィールド造兵廠
ウィンチェスター・リピーティングアームズ
年代 第二次世界大戦
仕様
種別 セミオートマチックライフル
口径 7.62mm
銃身長 610mm
ライフリング 4条右転
使用弾薬 .30-06スプリングフィールド弾(7.62x63mm)
7.62x51mm NATO弾
装弾数 8発
作動方式 ガス圧利用(ロングストロークピストン式)、ターンロックボルト
全長 1,108mm
重量 4,300g
銃口初速 848m/秒
有効射程 500 yd (457 m)
歴史
設計年 1932年
製造期間 1936年-1957年
配備先 アメリカ軍など
関連戦争・紛争 第二次世界大戦など
バリエーション M1C
M1D
製造数 約625万挺
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M1ガーランド英語: M1 Garand)は、アメリカ合衆国スプリングフィールド造兵廠が開発した半自動小銃である。歩兵用の主力小銃として全面的に採用された初めての半自動小銃とされる。アメリカ軍での制式名称は当初United States Rifle, Caliber .30, M1とされていたが、後にRifle, Caliber .30, M1と改められ、 US Rifle, Cal. .30, M1という略記も用いられた。

1936年ボルトアクションM1903小銃に替わり採用され、1957年M14小銃が採用されるまで、米軍の主力小銃であった。

同じ.30口径で同じM1という形式名を持つ「M1カービン」が存在するが、使用弾薬、設計者、運用方法などは異なった別種の銃である。

概要[編集]

M1ガーランド

19世紀末から第二次世界大戦終戦まで、枢軸国軍、米国を除く連合国軍を問わず、歩兵用主力小銃は、九九式短小銃Kar98kにみられるような装弾数5-10発のボルトアクションライフルであった。このボルトアクションライフルは、装弾から排莢までを手動で行うため速射性に乏しく、各国部では、火力を増大することのできる歩兵用の自動小銃の開発を進めていた。しかし、歩兵用の自動小銃を作る際、どうしてもネックとなるのが「コスト」と「技術」、「弾薬の供給」であった。

比較的高威力の小銃弾を使用する自動装填式小銃の製造には高い製造技術が要求され、1挺当たりの製造コストはボルトアクションライフルに比べ増大する。当時、ソ連を除くほとんどの国では、試作品や少数の量産品が配備された例以外では、主力小銃を自動化した例はなかった。また、ソ連における半自動歩兵銃(シモノフAVSトカレフSVT)は、生産数こそかなりまとまった量が作られはしたものの設計に未熟な面があり、実用性は概して低くボルトアクションライフルを更新するに至らなかった。

また、小銃を自動化した際には弾薬を大量に消費することになり、前線に展開する部隊補給するには、米軍のようにジープ小型トラックといった輸送手段が必要となる。そのため、馬匹や人力に頼る原始的な兵站能力では、自動小銃を装備してもすぐに弾薬不足に陥ることは明白であった。第二次大戦中にM1ガーランドで使用された.30-06スプリングフィールド弾は、標準のM2 ボール弾で1発約27g(416gr)であり、通常200発で1カートン、これだけで5kgを超えた。これを2kgを超える金属製の弾薬箱(Ammunition box)で輸送していた。

即ち、このM1ガーランドは、「持てる国」「資本主義の合理性」「大量生産大国」「モータリゼーション」「銃器大国」というアメリカ合衆国ならではの自動小銃であったといえる。

M1ガーランドを指して、ジョージ・パットン将軍は「これまで考案された物の中では最も偉大な武具」(the greatest battle implement ever devised)、ダグラス・マッカーサー将軍は「我が軍に対する最も偉大な貢献の1つ」(one of the greatest contributions to our armed forces)などと賞賛したと伝えられている[1]

開発[編集]

陸軍の将官にM1ガーランドの解説を行うジョン・ガーランド(左)

最初にアメリカ陸軍武器省が自動小銃の開発に着手し、スプリングフィールド造兵廠に設計要件の策定を命じたのは1909年のことである。続く数年間で多くの自動小銃が試作され、M1903小銃に自動装填機構を組み込んだものも複数あった。ほとんどは注目に値しないものと見なされたが、デンマーク出身のR・M・H・バン技師(R.M.H. Bang)の設計案は高く評価された。彼の名を取ってバン小銃(Bang rifle)と呼ばれた試作自動小銃は、1912年に武器科での性能試験が行われている。バン小銃はガス圧作動方式・回転ボルト方式の自動小銃で、試験自体は成功したものの、性能上の不安と過剰なコストが問題点として指摘されていた。以後、1914年末頃まではバン小銃の改良が進められた。

1914年から1918年までの第一次世界大戦では、フルオート射撃を行える自動火器のボルトアクション小銃に対する優位性が明確に示された。この戦訓のもと、各国ともフルオート射撃能力を有する重機関銃や自動小銃(現代の軽機関銃に相当)の配備を進めたが、一方で半自動小銃にはあまり関心が払われていなかった。半自動小銃自体は戦前から主に民生用市場で普及していたものの、.30-06弾などの軍用小銃弾は非常に強力なため、安定して射撃することが難しいと考えられていた。しかし、歩兵用小銃としての有用性を認めていたアメリカ陸軍武器省では、大戦末期頃からこの種の小銃に着目していた[2]

当時の新型半自動小銃に関する軍部からの要求は、「自動装填式、.25口径から.30口径の範囲で軍用に適した銃弾を使用(.30-06弾を使うことが望ましい)、単純かつ頑丈な構造を備え、生産性に優れること。平均的な兵士が手にする標準軍用小銃であることに留意すること」というものだった[3]

1918年6月、大戦中から標準局にて軽機関銃の改良を行っていたジョン・ガーランド技師が、マシンライフル(machine rifle)と称する設計案のプロトタイプを完成させた。この試作小銃が高く評価されたことで、1919年11月4日以降はスプリングフィールド造兵廠に雇用され、半自動小銃の設計に携わっていくこととなった。当初、ガーランドの自動小銃にはプライマー作動方式(primer-actuated)が組み込まれていた。1920年5月、ガーランドの設計したT1920、コルト製小銃、ベルティエ設計案(フランス製)、改良型バン小銃の4種の自動小銃による比較試験が行われたが、いずれの小銃も性能不十分とされた。翌1921年に行われた試験でも結論は変わらず、さらなる改良が進められた。そして1924年の試験において、前回の試験を踏まえて設計されたT1921が提出された。この試験を以って、ガーランドの自動小銃は新型半自動小銃の有力候補の1つと見なされるようになった。その後、1924年の試験を踏まえて細部を改良したT1924が設計された。

同時期、陸軍では.25レミントン弾英語版を用いる民生用自動小銃の試験を行い、反動や過熱が起こりにくいという利点を認め、.30-06弾よりも低威力かつ小口径な新型銃弾の開発を模索し始めていた。これを受けて新型銃弾.276弾英語版を提案したのが、レミントン社の製品や大戦中の秘密兵器ピダーセン・デバイスの設計に携わったジョン・ピダーセン英語版技師である。彼が手がけたピダーセン自動小銃はガーランドの自動小銃と並行して開発されることとなり、1925年から1926年までの試験を経て仮名称T1が与えられた。1926年には、新式の.30 M1普通弾を使えるように改良されたガーランドの自動小銃に仮名称T3が与えられた。この際にプライマー作動方式が廃止され、一般的なガス圧作動方式が採用されている。1927年12月、武器省が.30-06弾を.276弾に更新する方針を発表したため、ガーランドは.276口径仕様への再設計を行った。1929年、半自動小銃委員会(Semiautomatic Rifle Board)が新設され、各種.276口径自動小銃の比較試験が行われたが、候補はすぐにピダーセンT1とガーランドT3の2つに絞られた。

ピダーセンT1とガーランドT3は共に一長一短があり、ガーランドT3は生産性に優れ、部品の互換性の高さが長所であった。また、弾薬に潤滑油を塗布する必要が無いこと、エンブロック・クリップに上下の区別が無く装填し易いことの2点は、T1と比較した際に特に有利な点とされた。最終的にはガーランドT3が優れていると判断され、ピダーセンとの契約は打ち切られた。.276口径のガーランド小銃には、改良を加えた上で仮名称T3E1(後にT3E2)が与えられた。一方、.30-06弾仕様のモデルも少数調達され、仮名称T1が与えられている。

試験運用を行った部隊でもガーランドT3E2および.276弾の評判は高く、本格的な調達も始まろうとしていた。しかし、1932年に陸軍総参謀長ダグラス・マッカーサー将軍が、既に大量の.30-06弾が備蓄されており、現時点の新型銃弾への移行は多大な混乱を引き起こす恐れがあると指摘し、また財政上の問題もあったことから、.276弾への更新は見送られることとなった。こうして仮名称T1に改良を加えたT1E1が設計され、試験および改良を経てT1E2となる[2]。同年3月には試験運用のために80丁分のT1E2と生産設備の予備部品の調達が行われ、8月3日、名称が.30口径半自動小銃M1(Semi-Automatic Rifle, Caliber 30, M1)に改められた。1934年8月からは80丁のM1半自動小銃による性能評価および改良が繰り返し行われ、1936年1月9日に制式小銃として採用され、制式名称は.30口径小銃M1(U.S. Rifle, Caliber .30, M1)とされた。

当時、平時における軍用銃の需要不足と予算不足のため生産インフラの整備は遅々として進まず、以後数年に渡って生産の規模は非常に限られていた。1937年8月に最初の生産分がラインを出て、翌9月から出荷が始まったが、当初の生産ペースは1日あたり10丁ほどだった。1937年度の生産数は945丁のみで、1938年度は5,879丁だった。以後、生産ペースは少しずつ向上し、1938年3月には1日あたり20丁、1939年7月には1日あたり80丁となり、1940年1月には1日あたり200丁が生産されていた[4]。また、1940年にはヨーロッパでの戦いの激化と太平洋の情勢緊張を背景に、ウィンチェスター・リピーティングアームズでも生産が始まった。1941年12月、真珠湾攻撃を経て太平洋戦争が勃発すると、M1ガーランドは優先順位が最も高い製品と位置づけられた[5]

改良[編集]

M1ガーランドの特許図の抜粋。右が新型、左が旧型のガスシステム

元々の設計では、動作に必要な発射ガスを取り入れるためにガストラップ式と呼ばれるシステムを採用していた。これは銃口近くにスリーブを設け、そこからガスを取り入れる仕組みで、他の方式より低い圧力のガスで動作させられるため、機関部への負荷が軽減されることが期待されていた。しかし、構造上ガスシリンダー部とマズルプラグが銃身に固定されておらず、着剣時に強度の不安があったほか、照星が左右にズレることもあった。また、銃口とマズルプラグの間の清掃が困難でススが溜まりやすい点も動作の信頼性を損ねうる欠陥として指摘された。「7発目の弾づまり」(seventh-round stoppage)として知られる問題も多発した。この問題は試験運用向けに製造されたモデルでは発生しておらず、量産時に製造上の都合から一部部品を変形させたことによって引き起こされていたため、オーバーホール時に部品を溶接することで対処された。1939年10月26日、武器省はガストラップ式の廃止を要求した。1940年秋頃からこれらの欠陥を解消したモデルの出荷が始まった。

それ以外にも様々な改良が行われた。1937年時点では全ての部品に図面番号が割り振られていたが、やがて生産性を向上させるために省略されるようになった。1940年後半、クリーニングキットを収めるためのスペースが銃床内に設けられた。オペレーションロッドの形状も同時期に変更されている。初期型のガーランドも、定期的なオーバーホールの際に同様の改修が施された[4]

特徴[編集]

長所[編集]

クリップ
クリップを装填する様子

の長所は、発射時のガス圧を利用した自動装填機構にある。ロータリーボルトロッキングというボルトアクションライフルの手動発射過程を自動化したような機構を使用している。この機構により本銃は、ボルトアクションライフルに匹敵する高い薬室の閉鎖性と、自動銃としては比較的高い命中率を完成させている。

また、エンブロック・クリップ装弾方式という装弾方式をとっているのも特徴である。これは、弾丸8発の束を挿弾子(クリップ)に填めておき、銃のボルトを引いて上部からクリップごと差し込み装弾する方法である。発射し終わると、最終弾の排莢と同時にクリップも排出され(特徴的な金属音がする:下項参照)、ホールドオープン状態となる。着脱式弾倉では空になった弾倉を外す操作を要するのに対して、このシステムはその必要が無く、即座に装填操作に移行できることになる。銃自体の装弾数は8発と少ないものの、再装填に掛かる時間そのものは着脱式弾倉よりシンプルで素早いシステムでもあった。

これ以前の挿弾子は、5発なりのカートリッジのリム部分を挟んで一列に並べたものが代表的で、これを、開放した機関部の仮に挟み、上から手で押し込むことによって二列弾倉に押し込むという仕掛けだった。通常、装填後は挿弾クリップ自体は再使用せず、使い捨てにする。この装弾方式はM1ガーランド以降は採用されず、着脱式箱型マガジンに移行するまでの過渡的なものであった。

本銃では、同じ銃の間での部品交換が確実に可能であったことも長所として挙げることができる。同製品間での「規格」が確立したのは第二次世界大戦中の米国である。米国資本主義の「合理性」の概念と「大量生産体制」の確立、そして、「製品保証」の考え方が、このような銃器にも反映されている。

日本軍三八式歩兵銃などでよく聞かれる話であるが、複数の職人が同時に同じ銃を完成させた場合、当時の日本工業製品は規格が確立されておらず、銃職人がその場で部品のサイズなどを個別に微調整せざるを得なかった。そのため、同機種の銃器の部品であっても完全な互換性がないという現象が起きていた。これは、日本に限らず、当時の諸外国でも同様で、兵器武器の部品の互換性は大きな問題点として各国も認めていた。それを世界で最初に解消したのは米国であり、小銃ではこのM1ガーランドが最初といわれている。

短所[編集]

上記で記述した長所でもある装弾のシステムは、短所ともなっている。

M1ガーランドでは、ボルトを後方へ固定するための独立した機構はないため、射撃途中に弾薬を追加装弾することが事実上不可能となっている。ボルトを手で後方へ保持しながら弾薬を追加装弾することは不可能ではないが、これを行うには両手操作が必要であり、射撃再開までに時間を要したり、機関部の異物障害の原因となるため、追加装弾は実際にはほとんど行われなかった。このような機構により、戦場では新しい挿弾子を装填するために、弾倉内の残弾を適当に撃ち尽くす「ムダ弾撃ち」が発生したともいわれる。また、装填時にボルトで指を挟み潰す危険が常に伴った。

エンブロック・クリップ式のもうひとつの欠点として、弾倉に装填し薬室を空けておくことができない点が挙げられる。弾倉底のバネを押しながら8発クリップを装填すると、後退停止していた遊底は解除されて前進する。クリップには8発が隙間なく入っているので、最上部のカートリッジを指で押さえて遊底だけを前進させることはできず、初弾は薬室に装填されてしまう。着脱式弾倉であれば、遊底を先に閉鎖してから弾倉を取り付けることで薬室を空けておくことは可能である。直ちに射撃する攻撃的な用途であれば問題とならないが、守備的用途では問題となる(8発装填後に一回遊底を引いて初弾を排出し、次弾を指で押さえながら遊底を前進させて7発装填、薬室は空という操法は不可能ではないが、のマニュアルではそのような操作方法は存在しない)。

では、最終弾発射後には排莢と同時にクリップも排出されるが、その排出の際にクリップにより「ピーン」という甲高い金属音が発生する(上記動画参照)。これにより、敵には最終弾発射が判別できるということで、兵士の間では不評であったといわれる。

装填操作[編集]

に弾が無い時にボルト(オペロッド)をいっぱいに引くと常にオペロッドキャッチが動作し、ボルトはホールドされたオペロッドを介してオープン状態となる。弾を込めずにボルトを閉じる場合は、マガジンフォロワーを押し込みかつオペロッドをわずかに引くと、オペロッドキャッチが外れてボルトが前進する。クリップが無い場合は弾を一発だけ薬室に差し込んだうえで上記操作を行えば、単発銃としての運用は可能ではある。

マガジンフォロワーを底まで目いっぱい押し込むと、オペロッドキャッチに内蔵されたアクセラレーターという部品により、オペロッドキャッチが強制的に解除される、と同時にクリップキャッチがクリップを機内に保持する。ボルトストップ解除と同時にクリップキャッチが動作するとも言える。8連クリップを装填する時、はじめのうちはオペロッドを常に抑えている必要はなく、ホールドオープン状態を維持する。アクセラレーターによるクリップキャッチおよびオペロッドキャッチ動作直前までは特にオペロッドを押えておく必要はない。新品のようなテンションのしっかり効いた8連クリップを使用する限りにおいては、クリップを押し込むと同時にオペロッドキャッチは強制解除されるが、ボルトの前進はクリップ上部の一発目に引っかかって止まる。ボルトのストッパーを、クリップ上部の一発目の弾が肩代わりするとも言える。その後オペロッドを手で前進させて、クリップ上部の一発目をクリップから押し抜きながら装填するという感じになる。

米軍で初期に作られた操作マニュアルでは、8連クリップを押し込む時、小指の付け根ではオペロッドを押えておらず、手は握りしめたままであった。しかしながら、クリップのテンションを頼りにしたこの方法では、再使用などでテンションの緩んだクリップを使った場合はボルトは即時に前進し、親指が入っていれば当然のことながら挟まれることとなる。逆に言えばクリップテンションが効いた8連クリップを使用する限りにおいては、親指を挟む可能性は低いと言える。

多くの文献では、あらかじめオペロッドを少し引きした状態でクリップを押し込むとも取れる操作方法が紹介されている。一応可能ではあるが、その間前進しようとするボルトをなんとか開放状態で保持し続ける必要がある。

M1の装填要領を整理すると次のとおりとなる。

1.最初はオペロッドは引かず、クリップを押し込む。
2.アクセラレータが動作する直前(ここで抵抗が大きくなる)で初めて小指付け根でオペロッドを少し引くが、同時にクリップキャッチがクリップをホールドするまで押し込む(ここがポイント)。
3.ボルト前進が一発目で止まったら、オペロッドを前方に押し込む。

小指付け根でオペロッドを少し引くと、アクセラレーター動作に要する力が不要となる分、クリップキャッチがかかるまでの抵抗が軽くなる。また、アクセラレーターでオペロッドキャッチが強制解除された場合は急激にボルトが前進するが、小指付け根でオペロッドを抑えていればボルトの急激な閉鎖をある程度防止でき、クリップテンションによるボルトの即時閉鎖が防げる。すなわち、親指を挟む恐れがなくなる。

また、射撃、狩猟用として作られている2連クリップまたは5連クリップは、マガジンフォロワーが下がりきらないので、目いっぱい押し込んでもアクセラレーターが動作しない。アクセラレーターが動作しないと言う事は、クリップキャッチも掛からずオペロッドキャッチも解除しない。また、クリップテンション自体も8連用と比べるとはるかに弱いので、一発目がホールドオープン肩代わりという8連クリップの要領は期待できない。クリップをいっぱいに押し込んでボルトを少し引いたら、ボルト前進を阻むものは何も無いと考えるべきで、2連および5連クリップを使用する場合は、十分な注意が必要である。

運用[編集]

タラワに上陸する海兵隊員

1936年に採用された後、1937年にはスプリングフィールド造兵廠での生産が始まり、1938年から部隊への配備が始まった[5]第二次世界大戦を通じてアメリカ軍の主力歩兵銃として運用された。半自動小銃自体は各国で開発されていたものの、標準的な歩兵銃として配備することに成功したのはアメリカのみだった[1]

最初の実戦投入は、1941年12月に始まったフィリピンの戦いにおいてであった。ただし、ほとんどのアメリカ兵およびフィリピン兵はM1903小銃を支給されていた。1942年8月に始まったガダルカナル島の戦いでは、最初に上陸した海兵隊では依然としてM1903小銃が使われていたが、2ヶ月後の10月に上陸した陸軍部隊にはM1ガーランドが配備されていた。ヨーロッパ戦線では、1942年11月の北アフリカ侵攻(トーチ作戦)に参加した陸軍部隊によって初めて使用された[6]

レンドリース法などに従い、アメリカと共に戦う連合各国にもM1ガーランドが供給された。1941年3月27日にはイギリスに対する供給が決定し、1942年6月までに38,001丁のM1ガーランドがイングランドへと送られた。これらのM1ガーランドにはイギリス軍で非標準装備を意味する赤い帯状の塗装が施されていたほか、銃床などにも刻印が行われていた。しかし、同時期にドイツ軍の英本土侵攻が頓挫したことで早急な配備の必要性が薄れたため、M1ガーランドは一部がホーム・ガードや空軍の基地警備隊に配備されるに留まり、大部分は配備されないままアメリカへと送り返された[7]。1945年末までに、スプリングフィールドおよびウィンチェスターによって4,000,000丁以上のM1ガーランドが製造された[5]

1945年、終戦にともない新規調達が中止されたものの、1950年に勃発した朝鮮戦争の影響で備蓄分の装備が枯渇し始めたため、1951年から再生産が始まった[8]。スプリングフィールドのほか、インターナショナル・ハーベスター英語版およびハーリントン&リチャードソン英語版でも生産が行われた[5]。新しい生産ラインが構築されるまでは、在庫として残されていたM1C狙撃銃などの余剰部品を使ったM1ガーランドが製造された[8]。1957年までに1,500,000丁のM1ガーランドが製造された[5]

第二次世界大戦中の1944年頃から、M1ガーランドにセレクティブファイア機能や着脱式箱型弾倉などを追加する改良計画が進められていた。その結果として設計されたのがM14小銃である。1957年、M1ガーランドだけではなく、アメリカ軍における標準的な歩兵用小火器、すなわちM1/M2カービンM3/M3A1短機関銃M1918自動銃の全てを同時に更新する装備としてM14が採用された[9]

派生型[編集]

狙撃銃[編集]

M1C(M84 スコープ付き)
M1D(M84 スコープ、T37消炎器付き)

1941年12月の真珠湾攻撃の時点で、アメリカ軍は狙撃銃を制式採用していなかった。開戦後、M1ガーランドの狙撃銃仕様を求める声が大きくなっていたが、従来のボルトアクション小銃のように機関部真上にスコープを取り付ける事が構造上不可能で、プリズム型スコープなど様々な解決方法が模索された。1943年には暫定的な措置として、M1903A3小銃を改良した狙撃銃がM1903A4狙撃銃(U.S. Rifle, Caliber .30, M1903A4, Snipers)として制式採用された。M1903A4はM1ガーランド狙撃銃仕様の開発の遅れも相まって、大戦を通じて広く配備されることとなる。

最終的には機関部の左側面にオフセットしたスコープマウントを、また銃床にチークパットを取り付けるデザインが最適と判断された。これに従ってGriffin & Howe英語版社が設計したM1E7は、マウントベースを取り付けるためのネジ穴を機関部に設けた以外には、基本的に変更が加えられていなかった。1944年7月27日、M1E7はM1C狙撃銃(U.S. Rifle, Cal. .30, M1C, Snipers)として制式採用された。一方、ジョン・ガーランド自身が手がけたM1E8は、銃身後部にマウントベースが直接組み込まれており、素早くスコープを取り外すことができる構造になっていた。M1E8はM1D狙撃銃(U.S. Rifle, Cal. .30, M1D, Snipers)として制式採用された。ただし、M1Dは制式代替(Substitute Standard)と位置づけられ、主に製造されたのはM1Cだった。

1944年10月、M1C向けにM72スコープが採用される。これは市販されていたレイマン社(Lyman Co.)製のアラスカン型全天候型スコープを制式採用したものである。M72に対物レンズ側の日避けなどの改良を加えたのがM81スコープで、倍率は2.2倍だった。その後、さらに改良を加えたM82が採用されている。1945年1月25日、狙撃手用の消炎器としてM2消炎器(Hider, Flash, M2)が採用された。M2消炎器は着剣装置を用いて固定した。終戦後に開発されたT37消炎器もあったが、いずれも効果が限られており、射撃精度にも悪影響を及ぼすとして広くは使用されなかった。

当初、M1Cは21,158丁調達される予定だったが、狙撃銃という性質上、高い精度での部品製造や組立が求められたため、終戦までの調達数は7,971丁に留まっていた。M1Cは太平洋戦争末期から朝鮮戦争頃まで使用されたが、1951年頃からは実戦を通じてM1Dの方が優れた設計と考えられるようになった。以後、M1Dの本格的な製造と調達が始まり、退役したM1CはM1ガーランドに再改修された後、友好国への軍事援助などに用いられた。また、朝鮮戦争中には海兵隊の要望を受け、M1Cにコルモーゲン・オプティクス社(Kollmorgen Optical Co.)製の4倍スコープを取り付けたUSMC 1952狙撃銃(USMC 1952 Sniper’s Rifle)が開発されている[10]

タンカー・ガーランド[編集]

M1ガーランドの短小銃モデルとして試作されたM1E5およびT26は、戦車兵用を意味するタンカー(Tanker)の通称で知られる。ただし、実際には小型火器を求める空挺隊員や、ジャングルの特殊な環境の中で戦う兵士の要望にもとづいて設計されたと言われている。

1943年頃から各戦線にてM1ガーランドのカービンモデルを求める声が上がり始め、1944年1月には第93歩兵師団にて試作された短小銃の性能試験が行われ、その結果を受けてスプリングフィールド造兵廠にて短小銃の開発が始まった。数ヶ月後に設計されたM1E5は24インチから18インチまで短縮した短銃身、開発者ガーランドが提案した金属製の折畳式銃床を備えていた。その後の性能試験を受けて折畳式のピストルグリップも追加された。短銃身化による射撃精度への直接の影響は少なかったものの、大きな銃声や発砲炎、反動が問題視され、新たなマズルブレーキを設計する必要があるとされたほか、銃床も強度や構えやすさに問題があるとされた。結局、並行して開発されていたT20ライフルに人員を集中させるため、M1E5の計画は放棄された[11]

同年秋、太平洋戦線委員会(Pacific Warfare Board)の指令により、少数のM1ガーランドが短小銃に改造された。この際の改造は各部隊にて手作業で行われた。太平洋戦線ではジャングルが戦場となることも多く、M1カービンよりも強力で「ブラッシュ・カッティング」(brush cutting, 生い茂った草木を安定して貫通する能力)に優れた短小銃が求められていたのである。これらは第6軍指揮下の部隊や第503落下傘歩兵連隊英語版に配備され、戦線各地にて実戦試験が行われた。その後、太平洋戦線委員会は試験結果と共に改造短小銃をサンプルとして本国に送り、本格的な短小銃の設計を行うよう求めた。これを受けたスプリングフィールド造兵廠が開発したT26は、固定銃床を備えるほかはM1E5とほとんど同一の設計だった。問題点も変わらず、銃声、発砲炎、反動がM1ガーランドに比べて非常に大きかった。2丁のT26が1945年7月に試作され、その後15,000丁が製造される予定だったが、8月には日本が降伏して太平洋戦争が終結したため、計画そのものが放棄された。

M1E5およびT26は極めて少数しか製造されなかったが、一線を退いたM1ガーランドの民間放出が始まった1950年代末から1960年代に掛けては同様に短小銃化するカスタムが流行したこともあり、その存在はタンカー・ガーランドという通称と共に広く知られることとなった[12]

M14[編集]

T20E2
M14

第二次世界大戦中の1944年頃から、M1ガーランドにセレクティブファイア機能や着脱式箱型弾倉などを追加する改良計画が進められていた。多くの設計者がこの計画に参加し、多数の設計案が試作された。そのうち、M1ガーランドの設計者であるガーランド自身が手がけたモデルがT20である。性能試験の後に改良を加えたモデルがT20E2で、1945年には100,000丁の調達が予定されたものの、まもなくして日本の降伏により第二次世界大戦が終結したため、実際の製造数は100丁程度に留まった[9]

その後もT20E2をベースに設計が進められ、最終的にM14として制式採用されることとなった。。多弾数ボックスマガジンを採用し、フルオート射撃が可能になった。民生型の「M1A」、狙撃銃型の「M21」などのバリエーションが存在する。ベトナム戦争中にM16自動小銃に更新された。

Mk 2[編集]

M14とM60機関銃の採用によってアメリカ軍の標準小銃弾は7.62x51mm NATO弾へと移行したが、いくつかの問題からM14の生産に遅れが出ていたため、一部の部隊では引き続きM1ガーランドが使用された。陸軍武器省ではM14の不足を補うため、M1ガーランドを7.62x51mm弾仕様に改造することを提案したが、陸軍および海兵隊ではこれに反対し、M14が十分供給されるまでは.30-06弾仕様のM1ガーランドをそのまま使う方針を取った。一方、海軍では主要武装ではないこともあって、陸軍や海兵隊に比べて装備更新時の優先度が低く、当面M14が配備されないことが明らかだった。そのため、7.62x51mm弾仕様のM1ガーランドを調達する方針を選んだのである。1959年、ペンシルベニア州のヨーク海軍兵器廠にて7.62x51mm弾仕様M1ガーランドの設計が始まった。1964年、スプリングフィールド造兵廠が海軍の要求に従った7.62x51mm弾仕様M1ガーランドを試作し、仮名称M1E14を与えた。M1E14の性能試験の結果は芳しいものではなかったが、海軍はこの計画をさらに推し進めていった。その後、7.62x51mm弾仕様M1ガーランドには海軍式の命名規則が適用され、例えばMK 2 MOD 0(バレルブッシングを取り付けたモデル)、MK 2 MOD 1(新型銃身を取り付けたモデル)などと呼ばれるようになった。設計が難航したこともあり、MK 2シリーズは比較的少数しか使用されず、M14やM16に更新されるまで.30-06弾仕様のまま使われたM1ガーランドも多かった[13]

四式自動小銃[編集]

四式自動小銃

日本軍によるコピー。「五式」だったとも言われる。

BM59[編集]

BM59

第二次世界大戦後イタリアにて、M1ガーランドを元に設計された自動小銃。着脱式箱型弾倉を使用する。

オプション[編集]

M7グレネードランチャーを装着することで、22mmライフルグレネードを発射することができる。ソケット型のアダプターで、銃剣固定用の金具に固定する。 グレネードを発射するときには、一発だけ空包を装填する必要がある。

M1ガーランドの銃剣には、M1905E1M1942M1M5が対応している。

主力装備として採用された主な国、組織[編集]

先代:
U.S.M1カービン
自衛隊制式小銃
1951-現在
次代:
64式7.62mm小銃

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b U.S. Springfield M1 Garand Semi Automatic Rifle”. NRA Museums. 2017年3月23日閲覧。
  2. ^ a b Garand Vs. Pedersen (PDF)”. American Rifleman. NRA (2009年6月17日). 2017年3月23日閲覧。
  3. ^ The M1 Garand: Recent Developments in Auto Loaders”. American Rifleman. NRA (2011年6月10日). 2017年3月23日閲覧。
  4. ^ a b The Unknown M1 Garand”. American Rifleman. NRA (2015年9月15日). 2017年3月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e History of the M1 Garand Rifle”. Garand Collectors Association. 2017年6月8日閲覧。
  6. ^ RIFLE, MILITARY - U.S. RIFLE M1 .30 SN# 2723026”. Springfield Armory Museum. 2017年3月23日閲覧。
  7. ^ Garands In The King's­ Service”. American Rifleman. NRA (2016年6月30日). 2017年3月24日閲覧。
  8. ^ a b Post-World War II M1 Garand Rifles”. American Rifleman. NRA (2016年5月17日). 2017年3月23日閲覧。
  9. ^ a b The M14 Rifle: John Garand’s Final Legacy”. American Rifleman. NRA (2016年4月28日). 2017年3月23日閲覧。
  10. ^ The M1C Garand Sniper Rifle”. American Rifleman. NRA (2014年8月29日). 2017年3月23日閲覧。
  11. ^ M1E5: Folding Stock Garand Carbine”. Historical Firearms. 2017年4月1日閲覧。
  12. ^ RIFLE, MILITARY - U.S. RIFLE T26 .30 SN# 2291873 (AKA: "TANKER GARAND")”. Springfield Armory Museum. 2017年3月23日閲覧。
  13. ^ 7.62x51 mm NATO U.S. Navy Garand Rifles”. American Rifleman. NRA (2013年12月23日). 2017年3月23日閲覧。
  14. ^ 「エリートフォーセス 陸上自衛隊編[Part1]」p72

関連項目[編集]

外部リンク[編集]