四式自動小銃

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四式自動小銃
Type 4 rifle.png
四式自動小銃
種類 半自動小銃
製造国 日本の旗 日本
設計・製造 横須賀海軍工廠、ワシノ製機
仕様
口径 7.7mm
使用弾薬 九九式普通実包
装弾数 10発(固定式弾倉
有効射程 最大照尺 1,200m
歴史
関連戦争・紛争 太平洋戦争
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四式自動小銃(よんしきじどうしょうじゅう)は、1944年昭和19年, 皇紀2604年)に大日本帝国海軍が開発した半自動小銃である。しばしばType 5(五式)などとも呼ばれる。

概要[編集]

四式自動小銃は、アメリカ合衆国製のM1ガーランド日本海軍がコピーしたものである。主に以下のような差異がある。

  • M1ガーランドは.30-06スプリングフィールド弾を用いるが、四式は7.7mm弾を用いる。
  • M1ガーランドは特徴的なエンブロック・クリップを用いる8連発固定弾倉を備えていたが、四式の固定弾倉には5連発ストリッパー・クリップ2つを用いて10発装填できる。
  • M1ガーランドのリアサイトはダイヤルを回して上下左右の調整を行う方式だが、四式は従来の日本製軍用小銃と同じく、標尺を前後にスライドさせて上下(射距離)を調整するタンジェント・サイトであった。ただし、四式でもリアサイトでの左右調整が可能。

元々は落下傘部隊に配備することが想定されていたが、設計時期が太平洋戦争末期だったこともあり、試作後に本格的な生産が行われることはなかった。最終的には250丁分の生産が行われたものの、そのうち実際に組み立てられたのは125丁程度だったと言われている[1]

歴史[編集]

日本軍における半自動小銃の開発は第二次世界大戦前から始まっていた。1931年、南部麒次郎が創業した南部銃製造所が軽機関銃と半自動小銃の設計および試験に関する契約を軍部と結んだ。この際に南部は複数の設計案を提出したものの、十分な性能を備えたものはなかった。同時期、2種類の6.5mm口径のガス圧作動方式半自動小銃が試作されている。陸軍東京砲兵工廠や日本特殊鋼が手がけたモデルは、アメリカ製ピダーセン自動小銃を模倣したものだった。一方、東京瓦斯電気工業が手がけたモデルは、チェコ製ZH-29半自動小銃を模倣したものだった。しかし、このうち前者はオリジナルのアメリカ製ピダーセンと同様の装弾機構の不良に悩まされ、後者は命中精度に問題があるとされた。また、従来のボルトアクション式小銃に比べて高価だったこと、日本の工業力では部品や弾薬の十分な供給が難しいこと、銃弾が無駄になると考える将校が多かったことなどから、軍部の半自動小銃に対する関心は薄れつつあったが、1936年の日中戦争勃発がこれを決定づけた。主力歩兵銃だった三八式歩兵銃の生産が最優先されたため、半自動小銃に関する計画は1941年頃まで凍結されることとなる[2]

1943年頃、日本海軍では落下傘部隊の火力強化を検討するにあたり、アメリカ製のM1ガーランドを再設計して配備することを計画した。以後、1945年4月まで各種改良および試作が続けられた[1]

戦後、日本に進駐したアメリカ陸軍部隊が、安城市にあったワシノ製機の工場にて100丁ほどの四式自動小銃を回収した。これらを用いて行われた性能試験では良好な成績を残したとされる。また、横須賀海軍工廠からも一部が回収されている[1]

登場作品[編集]

漫画[編集]

『最後の狙撃兵』

ゲーム[編集]

バトルフィールドシリーズ
BF1942
日本軍工兵装備として「五式」の名前で登場する。装填方式がマガジン式になっている。
BF1943
日本軍の小銃兵装備として「Type 5 Semi-Automatic Rifle」の名前で登場する。
BFBC2
シングルプレイにのみ登場する。

脚注[編集]

  1. ^ a b c RIFLE, MILITARY - JAPANESE RIFLE TYPE 5 (COPY OF U.S. M1) 7.7MM SN# 53”. Springfield Armory Museum. 2016年7月31日閲覧。
  2. ^ Japanese Garand WWII Semi-Automatic Rifle”. NRA Museums. 2016年7月31日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]