九八式柄付手榴弾

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九八式柄付手榴弾(きゅうはちしきえつきてりゅうだん)は1939年昭和14年)に日本陸軍で開発された手榴弾である。

概要[編集]

開発経緯としては、日中戦争時に中国国民党軍から鹵獲した柄付手榴弾を元に開発された物とされる。

外見は当時ドイツ軍で使用されていたM24型柄付手榴弾と同じく、木製の柄の先に円筒型の弾殻が装着されており、柄には3本のビスで留められている。内部構造に関しては、ドイツ製柄付手榴弾とほぼ同じく、柄の内部には弾殻まで繋がる発火用の紐が収められ、底部は鉄製のキャップが施されていた。ただ炸薬にはTNT火薬ではなくピクリン酸が使用されていた。

九八式柄付手榴弾のバリエーションとしては、1938年(昭和13年)にのみ試作された「九八式柄付手榴弾-甲」と旧型の著発型手榴弾の信管部を改造し内部を摩擦発火式に改造した「九八式柄付手榴弾-乙」の二種類が存在し発火方式は「摩擦発火式」を採用。使用方法はM24型と同様に底部の安全キャップを外し発火用の紐を引っ張ることで、炸薬まで繋がる導火線部に摩擦発火させ投擲を行う。爆発までの遅延時間は4秒で有効殺傷範囲は7mと威力も高かったことから、後に九八式は防御型手榴弾とされる。

機能面では西洋人に比べ小柄だった日本軍兵士にとって、非常に投げやすく遠投に適していた手榴弾であった。しかしそれまで帝国陸軍で使用されていた手榴弾と比べ物理的に大きく、なおかつ重かった九八式は徒歩による行軍が多かった日本軍兵士にとって非常に不便であったとされる。

九八式柄付手榴弾は1939年(昭和14年)~1940年(昭和15年)の間、中国大陸に展開していた関東軍を中心に配備が続けられ、太平洋戦争末期には本土決戦に備えて各地の防衛部隊に対しても配備された。終戦までに約10万個ほど製造された。

関連項目[編集]