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南ベトナム共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南ベトナム共和国
Cộng hòa Miền Nam Việt Nam
(共和沔南越南)
ベトナム共和国 1969年 - 1976年 ベトナム
南ベトナムの国旗 南ベトナムの国章
国旗国章
国の標語: Độc lập - Dân chủ - Hòa bình - Trung lập
(ベトナム語:独立・民主・平和・中立)
国歌: Giải phóng miền Nam(ベトナム語)
南部解放
南ベトナムの位置
公用語 ベトナム語
首都 サイゴン
臨時革命政府顧問評議会議長
1975年4月30日 - 1976年7月2日 グエン・フー・ト
臨時革命政府首相
1975年4月30日 - 1976年7月2日フイン・タン・ファット
面積
1973年173,809km²
人口
1973年19,370,000人
変遷
成立 1975年4月30日
消滅1976年7月2日
通貨解放ドン
時間帯UTC +7
現在 ベトナム
ベトナム
(越南)
ベトナム社会主義共和国の国章

ベトナムの歴史


主な出来事
仏領インドシナ成立
東遊運動 · 日仏協約
仏印進駐 · 大東亜戦争
マスタードム作戦
ベトナム八月革命
第一次インドシナ戦争
ディエンビエンフーの戦い
ジュネーヴ協定 · 南北分断
トンキン湾事件 · ベトナム戦争
パリ協定 · 西沙諸島の戦い
サイゴン解放
カンボジア・ベトナム戦争
中越戦争 · 中越国境紛争
ドイモイ
スプラトリー諸島海戦


ベトナム共産党
南ベトナム解放民族戦線
共産主義
ホー・チ・ミン思想
中央執行委員会書記長


「国家」
大越
ベトナム民主共和国
ベトナム国
ベトナム共和国
南ベトナム共和国
ベトナム社会主義共和国


人物
ファン・ボイ・チャウ
グエン・タイ・ホック
ホー・チ・ミン
ヴォー・グエン・ザップ
レ・ドゥク・ト
レ・ズアン
グエン・ミン・チエット
グエン・タン・ズン
ノン・ドゥック・マイン
グエン・フー・チョン
トー・ラム


言語
ベトナム語 · チュノム · チュハン
チュ・クオック・グー

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南ベトナム共和国(みなみベトナムきょうわこく、ベトナム語Cộng hòa Miền Nam Việt Nam / 共和沔南越南)は、南ベトナムに存在していた社会主義国家ベトナム共和国に対抗する国家としてベトナム戦争下の1969年に樹立され、1975年サイゴン陥落後は名目的に南ベトナム全域を統治していた。ベトナム民主共和国(北ベトナム)の傀儡国家とされており、北ベトナムによる併合によって1976年に消滅した。

政府

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南ベトナム共和国の政府は、1969年に地下政府として樹立された南ベトナム共和国臨時革命政府ベトナム語Chính Phủ Cách Mạng Lâm Thời Cộng Hòa Miền Nam Việt Nam / 政府革命臨時共和沔南越南英語: Provisional Revolutionary Government of the Republic of South Vietnam、略称PRG)であった。臨時政府は、「南ベトナムのみを統治する政府」としての立場を主張し、ベトナム統一に関しては北ベトナムに一任していた。そのため、南ベトナム共和国には正式な政府は存在せず、1976年の消滅まで、あくまでも臨時政府でしかなかった。

歴史

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南ベトナム共和国臨時革命政府は、アメリカに支援された反共国家であるベトナム共和国に対抗するため、南ベトナム解放民族戦線(NLF、ベトコン)、民族民主平和勢力連合ベトナム語版人民革命党英語版が主体となって、1969年6月8日に樹立した地下政府であった。名目上は無党派の政府であり、多くの政治的観点を内包するとされていたが、実際は、臨時政府を支援するベトナム労働党政府(北ベトナム)の制御下にあった。そのため、今日では北ベトナムの傀儡政権と見なされている。

1969年から1970年までの間、臨時政府の閣僚は、カンボジアとの国境に近い南ベトナムの「鉄の三角地帯」と呼ばれた地域に隠れ家を設け、そこを中心に活動をしていた。1973年調印のパリ協定でベトナム共和国と同等の「政治主体」として認められると、臨時政府はタイニンを本拠地として活動するようになった。

臨時政府は「平和・民主・中立の南ベトナムを実現」することなどを基本政策とし、東側陣営非同盟諸国の一部の国々から国家承認を受けており、1970年から非同盟諸国のオブザーバー、1973年から非同盟諸国の正式な一員となっていた。

1972年イースター攻勢英語版で占領したビンロン省(現ビンフオック省ロックニンに拠点を置いた[1]1975年サイゴン陥落により臨時政府は南ベトナム全土を掌握し、南ベトナム唯一の政府となった。しかし臨時政府の主要閣僚職はいずれもNLF内の労働党員に占められており、ベトナム共和国政府消滅後は北ベトナムの・労働党関係者が本格的に進駐し始めたため、南ベトナムにおける臨時政府の影響力は限定的であった。

結局、臨時政府は正式な政府に発展すること無く、1976年7月2日ベトナム社会主義共和国樹立(事実上の北ベトナムによる南ベトナムの併合)によって、南ベトナム統一から1年余りで消滅した。

閣僚

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臨時政府の閣僚は、皆南ベトナム解放民族戦線の一員であった。

役職 氏名 就任 退任 備考
首相[注 1] フイン・タン・ファットHuỳnh Tấn Phát 1969年6月8日 1976年7月2日 なし
副首相[注 2] フン・ヴァン・クンPhùng Văn Cung 1969年6月8日 ?
副首相 グエン・ヴァン・キエトNguyễn Văn Kiết 1969年6月8日 ?
副首相 グエン・ドアNguyễn Đóa 1969年6月8日 ?
顧問評議会議長[注 3] グエン・フー・トNguyễn Hữu Thọ 1969年6月8日 ?
国防部部長 チャン・ナム・チュンTrần Nam Trung 1969年6月8日 ?
外交部部長 グエン・ティ・ビンNguyễn Thị Bình 1969年6月8日 ?
内務部部長 フン・ヴァン・クン(Phùng Văn Cung 1969年6月8日 ?
司法部部長 チュオン・ニュー・タンTrương Như Tảng 1969年6月8日 ?
経済財政部部長 カオ・ヴァン・ボンCao Văn Bổn 1969年6月8日 ?
通信文化部部長 ルー・フー・フォクLưu Hữu Phước 1969年6月8日 ?
教育青年部部長 グエン・ヴァン・キエト(Nguyễn Văn Kiết 1969年6月8日 ?
傷兵社会部部長 ズオン・クイン・ホアDương Quỳnh Hoa 1969年6月8日 ?

脚注

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注釈

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  1. ^ 原語はChủ tịch Chính phủで、逐語訳をすると「政府主席」。
  2. ^ 原語はPhó Chủ tịch Chính phủで、逐語訳をすると「政府副主席」。
  3. ^ 原語はChủ tịch Hội đồng Cố vấnで、逐語訳をすると「顧問会同主席」。

出典

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  1. ^ John F. Votaw (2011), “Loc Ninh, Military Operations near”, in Spencer C. Tucker, The Encyclopedia of the Vietnam War: A Political, Social, and Military History, 2nd Edition, ABC-CLIO, pp. 672-674 

参考文献

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  • Truong Nhu Tang, David Chanoff, Doan Van Toai, A Viet Cong Memoir (Harcourt Brace Jovanovich, New York, 1985)

関連項目

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外部リンク

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