ノート:南ベトナム共和国

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臨時政府閣僚の肩書について[編集]

私が編集する前、2010年6月21日 (月) 17:41(UTC)以前の版の、この記事の記載内容や、他の英語版記事のいくつかから、

  • グエン・フー・ト=「顧問会同主席」=首相
  • フイン・タン・フアット=「政府主席」=国家元首

と解してきました。しかし、いくつかの日本語文献の記述から、これが違うのではないかと考えるようになりました。

まずは、いくつか紹介いたします。

  1. 南北ヴィエトナム政治協議会共同コミュニケ」(グエン=諮問評議会議長、フィン=首相)
  2. 松岡完『ベトナム戦争』中公新書、2001年、88頁(グエン=顧問評議会議長、フィン=首相)
  3. 小倉貞男『ドキュメント ヴェトナム戦争全史』岩波書店、1992年、232頁(グエン=顧問評議会の議長、フィン=首相)
  4. 福田忠弘『ベトナム北緯17度線の断層』成文堂、2006年、216頁(フィン=首相)

このように、異なる執筆者が、それぞれフイン氏を首相と記述しています。
また、「政府主席」は、ホー・チ・ミン在任時の北ベトナム首相の肩書でもあり、それを当時の人々が知らなかったはずもありません。
おそらく「顧問会同」(顧問会議)は議会的な機関であり、また国家元首職は置かれなかったもの推測します。

そこで、「政府主席」「政府副主席」「顧問会同主席」を、「首相」「副首相」「顧問評議会議長」と翻訳表記し、前者は注釈で説明すること提案いたします。--Ashtray 2010年9月14日 (火) 15:22 (UTC)

Ashtrayさんが提示された#「南北ヴィエトナム政治協議会共同コミュニケ」に、南北統一後の国会について、「会期の議長団選出前の共通の国会の召集と国会第一会期の議長はヴィエトナム民主共和国国会常任委員会議長と南ヴィエトナム共和国臨時革命政府諮問評議会議長によつて引き受けられる(原文ママ)」とあり、南ベトナム政府の「顧問会同(顧問会議)」は、Ashtrayさんの仰るとおり議会的な機関かもしれません。
また、我々の感覚からすると「政府主席」は国家元首と捉えがちですが、坪井善明『ヴェトナム現代政治』(東京大学出版会、2002年)および『ヴェトナム新時代 ― 「豊かさ」への模索』(岩波書店〈岩波新書〉、2008年)によると、「政府」は日本の内閣のような閣僚組織を指すということですので、「首相」と捉えたほうが良いでしょう。
南ベトナム共和国に国家元首職が存在しなかったかについては、当否は留保したいと思います。ただ、私見を申せば、国家主席廃止期の中華人民共和国や東ドイツ末期は国会議長が元首職を務めていたことを考えれば「顧問会同主席」が元首と看做されていたとしてもあながち間違いではないと思います。一方で、南ベトナムは北ベトナムの傀儡政権で、早晩北ベトナムに併合されることが予定されていたでしょうから、南ベトナムはあくまで臨時政府で、ベトナムの元首は北ベトナムの国家主席だと南ベトナム指導者は考え、南ベトナムにあえて元首職を設置しなかったのではないかとも考えてしまいます。想像は膨らむ一方ですが、全く確証がないため、当否は留保ということで。ただ、そうすると国家の基礎データに関するテンプレに元首が記入できなくなりますが、どうすればいいのでしょうか?あえて記入しないという方法もありますが。
以上、愚見を申し上げましたが、結論としてはAshtrayさんのご提案を支持する次第であります。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年9月15日 (水) 16:26 (UTC)
ご賛同いただき有難うございます。
そういえば、坪井氏の本に、「政府」の説明がありましたね。
また国家元首の件も、言われてみれば確かに、その線はありうると思います。
フアット氏が「国家元首兼首相」といった、何処かの独裁者並みの権限があったとは思えず、「国家元首はいない」と結論付けました。しかし、代わりにト氏が国家元首級であった、という可能性はあると思います。
解放戦線の対外的な"顔"を担ったト議長と、戦線内の実務を担ったフアット書記長が、臨時政府でもそのように役割分担していたのは間違いないでしょうし。臨時政府発足時の古い新聞でも見れれば、何か分かるかもしれませんね。
テンプレートにつきましては、幸いにして「元首等」とあるので、「顧問会同主席」は、この「等」に含めてしまいましょう。
では、後ほど修正するとともに、フアット氏の記事もこの線に沿って後々作りたいと思います。
貴重なご意見、ありがとうございました。--Ashtray 2010年9月16日 (木) 11:00 (UTC)