アフリカ社会主義

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アフリカ社会主義(アフリカしゃかいしゅぎ)は、古典的な社会主義とは別に、伝統的なアフリカの流儀で経済資源を共有するといった思想。1950年代1960年代の多くのアフリカの政治家は、アフリカ社会主義に対する支持を明言する。この用語の定義と解釈は後に大幅な変化を見せる事となる。

概要[編集]

1960年代における、大部分のアフリカ諸国の独立の後、新しく創られたアフリカの体制は、全ての帝国の体制が主に資本主義であった時から、たとえ彼らの自由市場に対する固執が絶対でなかったとしても、アフリカ人の指導者達がそれらの圧政者が設計した同じシステム、すなわち資本主義を使用し続けるならば、彼らがヨーロッパ人に対する大勝を簡単に主張することができないと仮定した。それが帝国の支配的な伝統から脱却を意味したので、社会主義はアフリカの指導者達に人気があった。

同時に、アフリカ社会主義の主唱者は、それが資本主義に対する正反対の反応によるものではなく、完全に異なる何かであると主張した。国家主義者達はそれが完全にアフリカ人であると主張し、反資本主義よりさらに強かったアフリカ人のアイデンティティに訴えた。彼らの社会主義思想や要求は、単にアフリカ人である事が何であったかという精神を取り戻そうとしたものだった。

理由の多数は、アフリカ社会主義の支持によって示された。大多数は、アフリカが経済発展に関して、資本主義国家と公正に争うのは、あまりに非現実的であると考えていた。一部の識者からは、競争的資本主義体制によって提供される事の無い一体感に訴えたり、アフリカの開発は不十分な資源を浪費する事や、将来の階級闘争を避けるために計画されなければならない、といった主張も聞かれた。

アフリカのアイデンティティと社会主義は、しばしば絡み合っていた。一部のリーダーは、アフリカが常に“社会主義的”で、アフリカ人を統一する文化的な要素として社会主義に訴えたと主張した。これは決して、彼らが訴えたアフリカのアイデンティティの唯一の形ではなかったのだが、社会主義とアフリカのアイデンティティの組合せは、帝国の体制の時代を終える事に二重に効果的だった。社会革命は、社会主義と手に手をとった様になった。

しかし、アフリカ社会主義のプログラムの後の大部分の体制は、自足・繁栄・平等といった公約を果たす事が出来ず、その結果、多くの民衆はアフリカ社会主義に幻滅する事となった。

著名なアフリカ社会主義者[編集]

社会主義者を公言するリーダー中でも、アゴスティニョ・ネトクワメ・エンクルマメンギスツ・ハイレ・マリアムモハメド・シアド・バーレ等は、各々の国を土着であるより非常にソ連を指向した国家体制を創り上げる事を考慮した。

アフリカ社会主義に基づく組織[編集]

アフリカ社会主義と同一視される最も顕著な組織は、アパルトヘイト体制下の南アフリカ共和国における黒人解放運動であった。これら運動の中でも最大の組織は、人種平等を訴えるアフリカ民族会議(ANC)と、“アフリカ人の為のアフリカ”を訴える汎アフリカ主義者会議(PAC)で、アパルトヘイトの撤廃により、ANCは南アフリカの主要な政党となった。