文郎国

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文郎国の推定領域(黄色)。緑色は蜀泮の治めたNam Cương国
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ベトナムの歴史






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文郎国(ヴァンランこく、ベトナム語: Văn Lang / 文郞、紀元前2897年 - 紀元前257年[1][注 1])は、半ば伝説とされるベトナムの国家。フォンチャウ(峰州、現在のフート省ヴィエトチ市)を都とした[2]。文郎国はベトナム史上初の国家と言われている[2]

考古学的背景[編集]

ベトナム北部では、紀元前3世紀から2世紀のものとされるヘーガーⅠ式銅鼓に代表される青銅器文化が栄えた(ドンソン文化[3]。ドンソン文化の繁栄を経て、石器や青銅器が発掘されているフングエン文化(vi:Văn hóa Phùng Nguyên)がおこり、その中で文郎国が形成されていったと推定される[4]。文郎国の中心は現在のフート省(富壽省)付近と推定されている[注 2]。紀元前2879年建国という考えから、ベトナム人の間では「ベトナム5千年の歴史」という言い回しが存在する。

鴻龐氏と雄王[編集]

文郎国は鴻龐氏(ホンバン氏、Hồng Bàng Thị)という氏族が治めたとされ[5][注 3]、雄王(フンヴォン)(vi:Hùng Vương, en:Hùng king)と呼ばれる代々の支配者(雄王は称号であり固有名ではない)によって統治されてきた[2]。伝説によれば、炎帝神農の3世孫である帝明の子、禄続が南方の統治者(涇陽王)となり「赤鬼国」を治め、禄続と神龍の間に貉龍君が生まれ、貉龍君と嫗姫の間に百越のもととなる100人の子が生まれ、そのうちの長男が雄王の名を受けた[2]。初代雄王はベトナム人の間では建国王としての扱いを受けている[2]

歴代雄王[編集]

18代が雄王として文郎国を治めた。グエン・カック・トゥアン(Nguyễn Khắc Thuần)の『Thế thứ các triều vua Việt Nam[注 4]では、雄王18代は涇陽王を初代と数えた下記とされている[6]。なお『ベトナム史略』では、涇陽王から数えると20人の王がいたとしている[5]

  1. Kinh Dương Vương (涇陽王)、紀元前2879年 - ?。諱はLộc Tục(禄続)。
  2. Hùng Hiền vương(雄賢王)、Lạc Long Quân(貉龍君、雒龍君、駱龍君)とも。 諱はSùng Lãm(崇纜)。
  3. Hùng Lân vương(雄麟王)
  4. Hùng Diệp vương(雄曄王)
  5. Hùng Hi vương(雄犧王)
  6. Hùng Huy vương(雄暉王)
  7. Hùng Chiêu vương(雄昭王)
  8. Hùng Vĩ vương(雄暐王)
  9. Hùng Định vương(雄定王)
  10. Hùng Hi vương(雄曦王)
  11. Hùng Trinh vương(雄楨王)
  12. Hùng Vũ vương(雄武王)
  13. Hùng Việt vương(雄越王)
  14. Hùng Anh vương(雄英王)
  15. Hùng Triêu vương(雄朝王)
  16. Hùng Tạo vương(雄造王)
  17. Hùng Nghị vương(雄毅王)
  18. Hùng Duệ vương(雄璿王)、? - 紀元前258年

領土[編集]

文郎国は15部に分かれていたとされる[5]。諸説あるが、『ベトナム史略』では南はクアンチ省から北はカオバン省までの広がりがあったとしている[5]

滅亡[編集]

紀元前257年[1]、文郎国は18代雄王の時代に蜀泮の西甌(タイオウ)によって滅ぼされる[7][注 5]。文郎国併合後に蜀泮は安陽王と称し、国名を甌雒とした[7] [注 6]

参考文献[編集]

  • チャン・チョン・キム. ベトナム史略. ベトナム政府教育部 出版学寮センター(Trung tâm học liệu xuât bản, Bộ giao dục). 
  • 小倉貞夫 (1996). 物語ベトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム. 中公新書. ISBN 4-12-101372-7. 
  • 桃木至朗 (1996). 歴史世界としての東南アジア. 山川出版社. ISBN 978-4-63-434120-3. 
  • グエン・カック・トゥアン (2008). Thế thứ các triều vua Việt Nam. 教育出版社(Nhà xuất bản Giáo dục). 

※日本語文献でベトナム語の綴り・漢字表記が示されていないものは、中国語版Wikipedia及びベトナム語版Wikipediaを参考に補った。

出典[編集]

  1. ^ a b チャン・チョン・キム, p.245(付属歴史年表)
  2. ^ a b c d e 小倉, pp.14-16
  3. ^ 桃木, pp.11-12
  4. ^ 小倉, pp.28-29
  5. ^ a b c d チャン・チョン・キム, pp.8-10
  6. ^ グエン・カック・トゥアン、pp.14-15
  7. ^ a b 小倉, p.21

注釈[編集]

  1. ^ 西暦と農歴によりずれがある。『ベトナム史略』の本文では、西暦258年の前年である癸卯の年に滅んだとされ、小倉(1996)では西暦258年滅亡としている
  2. ^ 小倉(1996)では「ヴィンフー省のフングエン、ドンダウ、ゴムンの遺跡から(中略)雄王はこのヴィンフー省でヴェトナムの建国を行ったと推測されている」となっている。ヴィンフー省は1996年11月26日にヴィンフック省とフート省に分割されている。フングエン(Phùng Nguyên)は現在のフート省Lâm Thao県Kinh Kệ社に、ドンダウ(vi:Văn hóa Đồng Đậu)はヴィンフック省Yên Lạc県Yên Lạc市社、ゴムン(vi:Văn hóa Gò Mun)は現在のフート省Phong Châu県Tứ Xã社にあたる
  3. ^ 小倉(1996)ではホンバンに「鴻厖」の字を当てている
  4. ^ 『越南各王世庶』の意か
  5. ^ 西甌はこのころ Nam Cương国となっていたともされる
  6. ^ 小倉(1996)は雒の字を「貉」としている