Office of Strategic Services
戦略諜報局(1942年6月13日 - 1945年9月20日)は、第二次世界大戦中のアメリカ軍の特務機関で、諜報機関である。OSSの定訳はなく、戦略諜報局、戦略情報局[1]、戦時情報機関や特殊戦略部隊、戦略事務局、戦略任務局など多数ある。
1941年7月に設立された情報調査局(COI)の後身で、後の中央情報局(CIA)の前身。ウィリアム・ドノバン少将によって設立された[2]。
概要[編集]
草創期は陸軍の将兵を機関員に充てていた。しかし、第二次世界大戦に参戦してからは大学生等を多数徴募し、彼らを機関員として育成した。戦中は主に戦略情報の収集や分析、諜報及び特殊活動を担当した。ヨーロッパ戦線、太平洋戦線に多数の機関員をおくり、枢軸国支配地域の全域に現地人によるレジスタンスの設立、及び破壊・撹乱工作を行ってきた。
機関員が良家ばかりであったので、「Oh So Social(オー・ソー・ソーシャル)」などと揶揄された。M・M・ヴァールブルク&COのジェームズ・ウォーバーグやモルガン家の者が在籍した[3]。2008年8月14日、米国立公文書館が公開した資料によって、日本で活躍した野球選手のモー・バーグや、俳優のスターリング・ヘイドン、映画監督のジョン・フォードらが工作員であったことがわかった[1]。
第二次世界大戦の終結後、海外に派兵していたアメリカ軍の復員とともに組織自体も徐々に縮小した。SSU(戦略諜報部隊)、CIG(中央情報グループ)等の数次の変遷を経て1947年にCIAに改組した。
アメリカに亡命したドイツの知識人フランクフルト学派も、OSS顧問として戦後の日本の統治の基本方針を築いたといわれる[4]。 同学派のフランツ・ノイマンはOSSのドイツ課で辣腕を発揮したが、ヴェノナ計画でソ連のスパイであったことが後に判明している。
主な活動[編集]
1942年にはオリビア計画[5]を策定、中国・満州・米国在住の朝鮮人をカナダの諜報学校で訓練し、対日戦線に送り込む計画であった。しかしこの秘密工作は、既に重慶で朝鮮人を支配下に置いていた蒋介石の情報機関「戴笠機関」と衝突し、ジョセフ・スティルウェルの反対もあって実現しなかった。
一方、タイ王国はイギリスから爆撃されてピブン政権が枢軸国の一員として宣戦布告した。しかし駐米大使セーニー・プラーモートが宣戦布告の通達を拒否した上、合衆国政府と計って留学生らを組織し抗日運動「自由タイ運動」を展開した。留学生の内21名がOSSに入隊し、タイ国内における諜報活動等の準備をすすめ、地下活動の訓練を受けた後、タイ国内に潜入し、終戦時には5万人以上のレジスタンスを組織するまでにいたった。なお、現在、タイ・シルクの有名ブランドである『ジム・トンプソン』の創立者ジム・トンプソンは、OSSのバンコク支局長としてタイに入国したのが、その後のビジネスを興す契機となった。
日本の真珠湾攻撃を受けたときは、寺崎英成が一家で訪れていたバージニア州アレクサンドリアのコリングウッドレストランを日系一世・二世要員の詰め所にした。このレストランは1974年に廃業した。3年後にフリーメーソンの米軍人支部が取得し、現在の Collingwood Library & Museum に改装された。一家は連邦捜査局(FBI)に引き離され、監視された[6]。
二世部隊は、ビルマ周辺の山岳民族を組織してゲリラ部隊と協力して日本軍と戦い、海南島の捕虜収容所で捕虜を解放。その後香港へ向かい1945年9月16日、ペニンシュラホテルでの降伏調印式を見守った。ラルフ円福(Ralph Yempuku)もその一人だった。ハワイの興行プロモーターで、日米の橋渡しも果たした斯界の大物として知られる[7]。弟のドナルドは、日本で職を得て帰化してから、同じ場所で日本軍将校の通訳をしていた。そのとき敵である兄に声をかけられなかった[8]。
WCC[編集]
World Commerce Corporation (WCC) は、1946年に設立された。発起人はen:William Stephenson。後援者はネルソン・ロックフェラー、en:John J. McCloy、Lester Armour、en:Richard King Mellon、Sir Victor Sasoon、Russel Forgan[9]、他数名。ドノバンの自伝によれば、これはコンサルタント会社だという[10]。前身のBritish American Canadian Corporationでは、OSS設立に影響をもった4人のうちマウントバッテンを除く3人やジョセフ・グルーらが役員だった。
参考文献[編集]
- 田中英道『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」―二段階革命理論と憲法』展転社、2011年7月。
- 加藤哲郎『象徴天皇制の起源―アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社〈平凡社新書 281〉、2005年7月。
脚注[編集]
- ^ a b 読売新聞 2008年8月15日「J・フォード監督の名も、米CIA前身の工作員名公開」記事
- ^ もっとも、ドノバンの陰で次の4人が強く影響したといわれる。
参考文献は以下。
- Richard Smith The Secret History of America's First Central Intelligence Agency Rowman & Littlefield, 2005/08/01 p/29. p.157. pp.265-268.
- Douglas Waller Wild Bill Donovan Simon and Schuster, 2012/02/21 pp.141-143.
- ^ R. Harwood Nuremberg and other War Crimes Trials Historical Revew Press, 1978 p.9. ; Donald Gibson The Kennedy Assassination Cover-up Nova Publishers, 2000 pp.228-229.
- ^ 田中(2011)
- ^ 英: Project Olivia
- ^ 春名幹男 『秘密のファイル CIAの対日工作 上』 共同通信社 2000年 pp.9-51.
- ^ 野地秩嘉『ビートルズを呼んだ男―伝説の呼び屋・永島達司の生涯』
- ^ トミ・カイザワ・ネイフラー『引き裂かれた家族』NHK出版
- ^ FRBの連邦諮問委員会初代総裁。James B. Forganの甥。
- ^ Peter Dale Scott American War Machine Rowman & Littlefield Publishers, 2010/11/16 p.55.
関連項目[編集]
- ドナルド・キーン
- 特殊作戦執行部
- アレン・ウェルシュ・ダレス(OSSベルン支局長 のちCIA長官)
- 民航空運公司
- クラヴ・マガ
- ヒトラー女性化計画
- スロバキア民衆蜂起
- 自由フランス/自由フランス軍
- フェアフィールド 元OSSでアメリカ対日協議会メンバーのケイ・スガハラが育てたグローバル企業
- en:Crane Brinton 歴史家であり、OSS職員であり、セント・ポール大聖堂のFire Marshalであった。
外部リンク[編集]
- CIA公式サイトのOSSの歴史(英文)
- 国立国会図書館が所蔵するOSS機密文書マイクロフィルムの情報。