航空艦隊
航空艦隊(こうくうかんたい)とは、海軍または空軍の編制単位の一つ。日本海軍では空母機動部隊または基地航空部隊を指す。ドイツ国防軍ではドイツ空軍直下にある最大の部隊編成であり、ドイツ語ではルフトフロッテ (Luftflotte) 。
日本海軍の航空艦隊
1941年1月、大日本帝国海軍連合艦隊の下位艦隊として基地航空部隊を統一した第十一航空艦隊が、同4月に航空母艦(空母)を集中運用する第一航空艦隊が創設された。それぞれ数個の航空戦隊で構成されていた。第一航空艦隊はミッドウェー海戦のあと解隊されるが、1943年7月1日に大本営直属の基地航空隊として再編成された(1944年になって再び連合艦隊の指揮下に入る)。
第一航空艦隊
- 空母部隊:1941年4月10日新編、1942年7月14日解隊。
- 基地航空部隊:1943年7月10日新編、1945年6月15日解隊。
- 編制
- 1941年9月1日 太平洋戦争開戦直前の編制(連合艦隊所属)
- 1942年4月10日 第10戦隊新編時の編制(連合艦隊所属)
- 第1航空戦隊:赤城、加賀
- 第2航空戦隊:飛龍、蒼龍
- 第4航空戦隊:龍驤、祥鳳
- 第5航空戦隊:翔鶴、瑞鶴
- 第10戦隊:長良
- 1943年7月1日 基地航空隊発足時の編制(大本営直属)
- 直属:第261海軍航空隊、第761海軍航空隊
- 1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制(連合艦隊所属)
- 第61航空戦隊
- 第121海軍航空隊、第261海軍航空隊、第263海軍航空隊、第321海軍航空隊、第341海軍航空隊
- 第343海軍航空隊、第521海軍航空隊、第523海軍航空隊、第761海軍航空隊、第1021海軍航空隊
- 第62航空戦隊
- 第141海軍航空隊、第221海軍航空隊、第265海軍航空隊、第322海軍航空隊、第345海軍航空隊
- 第361海軍航空隊、第522海軍航空隊、第524海軍航空隊、第541海軍航空隊、第762海軍航空隊
- 附属:摂津
- 1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(南西方面艦隊所属)
- 直属:第153海軍航空隊、第201海軍航空隊、第761海軍航空隊、第1021海軍航空隊
- 第22航空戦隊:東カロリン海軍航空隊
- 第23航空戦隊:濠北海軍航空隊
- 第26航空戦隊:菲島海軍航空隊
- 第61航空戦隊:マリアナ海軍航空隊、西カロリン海軍航空隊
- 1945年3月1日 菊水作戦直前の編制(南西方面艦隊所属)
- 直属:第132海軍航空隊、第133海軍航空隊、第205海軍航空隊、第634海軍航空隊、第765海軍航空隊、第1021海軍航空隊
- 第26航空戦隊
- 北菲海軍航空隊、中菲海軍航空隊、南菲海軍航空隊、西カロリン海軍航空隊
- 第141海軍航空隊、第153海軍航空隊、第201海軍航空隊、第221海軍航空隊
- 第341海軍航空隊、第761海軍航空隊、第763海軍航空隊、第37警備隊
- 1945年6月1日 最終時の編制(連合艦隊所属)
- 直属:第132海軍航空隊、第133海軍航空隊、第205海軍航空隊、第765海軍航空隊
第二航空艦隊
1944年6月15日新編、1945年1月8日解隊。フィリピン防衛のため台湾各地に展開したが、台湾沖航空戦で消耗したため、フィリピンに前進できた機体は僅かだった。早くも11月には機体を台湾に撤退させ、基地要員は陸戦に従事した。
- 編制
- 1944年7月10日 新編時の編制(大本営直属)
- 直属
- 1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(連合艦隊所属)
- 直属
- 第141海軍航空隊、第221海軍航空隊、第341海軍航空隊
- 第762海軍航空隊、第1022海軍航空隊、九州海軍航空隊
- 第21航空戦隊:台湾海軍航空隊
- 第25航空戦隊:南西諸島海軍航空隊
- 附属:第148、150防空隊
- 司令長官
- 福留繁中将(全期間)
- 歴代参謀長
第三航空艦隊
1944年7月10日新編、1945年10月15日解隊。本土防衛のため当初は関東、硫黄島陥落後は南九州を中心に展開し、硫黄島および沖縄への積極迎撃・艦船や機動部隊への攻撃・特攻及び本土防空を担当した。
- 編制
- 1944年7月10日 新編時の編制(連合艦隊所属)
- 直属
- 第210海軍航空隊(紫電/明治)、第343海軍航空隊(紫電改/松山。のちに第五航空艦隊に編入)
- 第131海軍航空隊(艦爆、艦攻/松山)、第601海軍航空隊(艦上機部隊)、第1023海軍航空隊(輸送機)
- 第27航空戦隊
- 1945年3月1日 菊水作戦直前の編制(連合艦隊所属)
- 直属
- 第131海軍航空隊、第210海軍航空隊、第252海軍航空隊、第343海軍航空隊、第601海軍航空隊
- 第722海軍航空隊、第752海軍航空隊、第1023海軍航空隊、関東海軍航空隊
- 第27航空戦隊:南方諸島海軍航空隊、硫黄島警備隊
- 1945年6月1日 最終時の編制(連合艦隊所属)
- 直属
- 関東海軍航空隊、筑波海軍航空隊、第131海軍航空隊、第252海軍航空隊
- 第601海軍航空隊、第706海軍航空隊、第722海軍航空隊、第752海軍航空隊
- 第13航空戦隊
- 第53航空戦隊
- 歴代司令長官
- 歴代参謀長
- 三浦艦三 大佐:1944年7月10日 - 1944年8月1日戦病死
- 田口太郎 大佐:1944年8月1日 - 1944年12月25日
- 山澄忠三郎 大佐:1945年1月1日 -
- 高橋千隼 大佐:1945年8月26日 - 1945年10月1日
第五航空艦隊
1945年2月10日新編、1945年10月20日解隊。本土防衛のため九州を中心に展開し、沖縄への積極迎撃・艦船や機動部隊への攻撃・特攻及び本土防空を担当した。終戦の詔勅が発表された直後に、宇垣長官が独断で特攻自決した。
- 編制
- 1945年2月10日 新編時の編制(連合艦隊所属)
- 直属
- 南西諸島海軍航空隊、九州海軍航空隊(基地防衛)
- 第203海軍航空隊(艦戦/笠之原)、第701海軍航空隊(陸攻/国分。九州沖航空戦直前に、彗星の2個攻撃飛行隊と天山の1個飛行隊からなる航空隊に変更)
- 第721海軍航空隊(桜花/鹿屋)、第762海軍航空隊(陸爆=銀河)
- 第801海軍航空隊(飛行艇/横浜)、 第1022海軍航空隊(輸送機)
- 1945年6月1日 最終時の編制(連合艦隊所属)
- 直属
- 西海海軍航空隊、山陰海軍航空隊、南西諸島海軍航空隊、詫間海軍航空隊
- 第171海軍航空隊、第634海軍航空隊、第701海軍航空隊、第721海軍航空隊
- 第762海軍航空隊、第801海軍航空隊、第931海軍航空隊
- 第12航空戦隊
- 第72航空戦隊
- 第203海軍航空隊、第332海軍航空隊、第343海軍航空隊、第352海軍航空隊
- 九州海軍航空隊
- 内海海軍航空隊
- 附属:第12、23陸上輸送隊
- 歴代司令長官
- 歴代参謀長
- 横井俊之 大佐(のちに少将):1945年2月10日 - 1945年10月10日
第十航空艦隊
1945年3月1日新編、1945年10月10日解隊。航空要員練成のために連合練習航空総隊を拡張して設置した。所属部隊はすべて練成航空隊で、即戦力は持たない。
- 編制
- 1945年3月1日 新編時の編制(連合艦隊所属)
- 第11連合航空隊
- 第12連合航空隊
- 第13連合航空隊
- 1945年6月1日 最終時の編制(連合艦隊所属)
- 直属
- 歴代司令長官
- 前田稔 中将:1945年3月1日 - 1945年10月1日
- 歴代参謀長
第十一航空艦隊
1941年1月15日新編、1945年9月6日解隊。
- 編制
- 1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(連合艦隊所属)
- 第21航空戦隊:鹿屋海軍航空隊、東港海軍航空隊、第1航空隊、葛城丸
- 第22航空戦隊:美幌海軍航空隊、元山海軍航空隊、富士川丸
- 第23航空戦隊:高雄海軍航空隊、台南海軍航空隊、第3航空隊、小牧丸
- 附属:りおん丸、慶洋丸、加茂川丸(特設航空機運搬艦)
- 1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制(連合艦隊所属)
- 第22航空戦隊:美幌海軍航空隊、元山海軍航空隊、富士川丸
- 第24航空戦隊:千歳海軍航空隊、神威、第1航空隊、第14航空隊、五州丸
- 第25航空戦隊:横浜海軍航空隊、台南海軍航空隊、秋津洲、第四航空隊、最上川丸
- 第26航空戦隊:三沢海軍航空隊、木更津海軍航空隊、第6航空隊
- 附属:りおん丸、慶洋丸、名古屋丸
- 第34駆逐隊:羽風、秋風、太刀風
- 1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制(南東方面艦隊所属)
- 1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(南東方面艦隊所属)
- 附属:第958海軍航空隊、第105航空基地隊、第18、20、26、28、32、34、211、212設営隊
- 1945年3月1日 菊水作戦直前の編制(南東方面艦隊所属)
- 附属:第958海軍航空隊、第105航空基地隊、第18、28、211、212設営隊
- 1945年6月1日 最終時の編制(南東方面艦隊所属)
- 附属:第958海軍航空隊、第105航空基地隊、第18、28、211、212設営隊
第十二航空艦隊
1943年5月18日新編、1945年11月30日解隊。第五艦隊とともに北東方面艦隊を編制し、千島・樺太・北海道防衛のため千歳飛行場を中心に展開した。1943年末には一部がマーシャル諸島に前進したものの玉砕。北東方面艦隊解散後は連合艦隊直属となり大湊警備府司令部が兼任した。
- 編制
- 1943年8月5日 北東方面艦隊新設時の編制(北東方面艦隊所属)
- 第24航空戦隊:第531海軍航空隊(艦爆/千歳)、第752海軍航空隊(陸攻/ミレ島)
- 第27航空戦隊:第281海軍航空隊(艦戦/幌莚)、第452海軍航空隊(水戦/幌莚)、第801海軍航空隊(飛行艇/横浜)
- 第51航空戦隊:豊橋海軍航空隊(陸攻/練成)、厚木海軍航空隊(艦戦/練成)
- 1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制(北東方面艦隊所属)
- 第27航空戦隊:第252海軍航空隊、第452海軍航空隊、第752海軍航空隊、第801海軍航空隊
- 第51航空戦隊:第203海軍航空隊、第502海軍航空隊、第553海軍航空隊、第701海軍航空隊
- 千島方面根拠地隊
- 附属:第41航空基地隊
- 1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(北東方面艦隊所属)
- 直属:第51航空戦隊:第203海軍航空隊、第502海軍航空隊、第553海軍航空隊、第701海軍航空隊
- 千島方面根拠地隊
- 第1駆逐隊:野風、波風、神風
- 国後、八丈、第3魚雷艇隊
- 第51~53警備隊、占守通信隊、第15輸送隊
- 附属:第452海軍航空隊
- 1945年3月1日 菊水作戦直前の編制(連合艦隊所属)
- 1945年6月1日 最終時の編制(連合艦隊所属)
- 直属:北東海軍航空隊
- 千島方面根拠地隊
- 第3魚雷艇隊
- 第51~53、57警備隊、占守通信隊、第15特設輸送隊
- 司令長官
- 戸塚道太郎 中将:1943年5月18日 -
- (兼)戸塚道太郎 中将:1943年8月5日 - ※本務は北東方面艦隊司令長官
- (兼)後藤英次 中将:1944年9月15日 - ※同上
- 後藤英次 中将:1944年12月5日 -
- (兼)後藤英次 中将:1945年2月15日 - ※本務は大湊警備府司令長官
- (兼)宇垣完爾 中将:1945年3月15日 - 1945年10月1日 ※同上
- 歴代参謀長
- 一宮義之 少将:1943年5月18日 -
- (兼)一宮義之 少将:1943年8月5日 - ※本務は北東方面艦隊参謀長
- 松本毅 少将:1945年2月6日 -
- (兼)鹿目善輔 少将:1945年2月15日 - 1945年10月1日 ※本務は大湊警備府参謀長
第十三航空艦隊
1943年9月20日新編、1945年9月12日解隊。防空部隊を持たなかった南西方面艦隊の航空支援を担うために編制した。インドシナはツダウム、マレー半島はペナン、西インドネシアはスラバヤ、東インドネシアはアンボンを拠点として分散配置された。1945年2月5日に第十方面艦隊が編制されると、そのエアカバー部隊となって終戦まで細々と運用された。
- 編制
- 1943年9月20日 新編時の編制(南西方面艦隊所属)
- 直属:第732海軍航空隊(陸攻/豊橋)
- 第23航空戦隊:第202海軍航空隊(艦戦/ダバオ)、第381海軍航空隊(混成/バリクパパン)、第753海軍航空隊(陸攻/ケンダリー)
- 第28航空戦隊:第331海軍航空隊(艦戦/ビルマ)、第551海軍航空隊(艦攻/スマトラ)、第851海軍航空隊(飛行艇/マレー)
- 1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制(南西方面艦隊所属)
- 直属:第732海軍航空隊、第102~104航空基地隊
- 第23航空戦隊:第153海軍航空隊、第381海軍航空隊、第75海軍航空隊
- 第28航空戦隊:第331海軍航空隊、第705海軍航空隊、第851海軍航空隊
- 1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制(南西方面艦隊所属)
- 第28航空戦隊:第331海軍航空隊、第705海軍航空隊、第851海軍航空隊
- 附属:第381海軍航空隊、第102、104航空基地隊
- 1945年3月1日 菊水作戦直前の編制(第十方面艦隊所属)
- 1945年6月1日 最終時の編制(第十方面艦隊所属)
- 直属:第31海軍航空隊、第381海軍航空隊、第936海軍航空隊
- 第28航空戦隊:馬来海軍航空隊、東印海軍航空隊、印支海軍航空隊
- 司令長官
- (兼)高須四郎 中将:1943年9月20日 - ※本務:南西方面艦隊司令長官
- (兼)三川軍一 中将:1944年6月18日 - ※同上
- (兼)大川内伝七 中将:1944年11月1日 - ※同上
- 田結穣 中将:1945年1月8日 -
- 福留繁 中将:1945年1月13日 -
- (兼)福留繁 中将:1945年2月15日 - ※本務:第十方面艦隊司令長官
- 歴代参謀長
- (兼)多田武雄 少将:1943年9月20日 - ※本務:南西方面艦隊参謀長
- (兼)西尾秀彦 少将:1944年3月15日 - ※同上
- (兼)有馬馨 少将:1944年11月1日 - ※同上
- (兼)朝倉豊次 少将:1945年2月5日 - ※本務は第十方面艦隊参謀長、第一南遣艦隊参謀長を兼任。
第十四航空艦隊
1944年3月4日新編、同年7月18日解隊。第四艦隊とともに中部太平洋方面艦隊を編制し、テニアン島を拠点として内南洋各地に展開した。すでにトラック環礁やパラオ諸島は空襲のために基地機能は壊滅しており、ほとんどテニアンに貼り付けの状態であった。5月にはマリアナ海戦に備えて第一航空艦隊がテニアンに進出。その増強のためにすべての稼動機を譲渡し、僅か2ヶ月でテニアンの地上戦を待たずに戦闘力を完全に失った。サイパン島の陥落によって中部太平洋艦隊司令部が玉砕したことを機に、正式に解散した。
- 編制
- 1944年3月4日 新編時の編制(中部太平洋方面艦隊所属)
- 第22航空戦隊
- 第202海軍航空隊(艦戦/トラック)、第301海軍航空隊(艦戦/硫黄島)、第503海軍航空隊(艦爆/ヤップ)
- 第551海軍航空隊(天山/テニアン)、第755海軍航空隊(陸攻/テニアン)、第802海軍航空隊(飛行艇/ヤルート)
- 第26航空戦隊
- 附属:秋津洲
- 司令長官
- 歴代参謀長
航空機類別
日本海軍は制空と味方機の護衛を担当するものを「戦闘機」、急降下爆撃が可能なものを「爆撃機」と称し、それ以外の水平爆撃・雷撃(魚雷攻撃)を主任務とした航空機は「攻撃機」と称した。九九式艦上爆撃機(略称、九九艦爆または九九式艦爆)は、急降下爆撃を任務とし、九七式艦上攻撃機(略称、九七艦攻または九七式艦攻)は、水平爆撃、雷撃を任務とした。零式艦上戦闘機(略称、零戦または零式艦戦)はこれら爆撃機と攻撃機の護衛や基地や艦隊の防空を任務とした。なお、「艦上」とは、航空母艦から運用することを前提とした機種のことであるが、艦上機を陸上基地から運用することは可能なため、実際には空母のみからでなく陸上基地からも運用された。零式、九九式、九七式とは、各機種が制式採用となった神武天皇即位紀元(皇紀)の年の下二桁である(零式=皇紀2600年=昭和15年=西暦1940年の制式採用を示す)。
急降下・水平爆撃
急降下爆撃は水平爆撃に比して、急降下(急接近)によって高い命中率が期待出来る反面、低空から爆弾を投下するため貫徹力に乏しく、また水平爆撃に対し比較的小型の爆弾(250kg~500kg)を使用するため、戦艦等の装甲の厚い大型艦に対しては一般的に威力不足であった。
急降下爆撃に対して、水平爆撃は高空から大型爆弾(攻撃機は最大800kg)を投下できるため装甲の厚い艦でも撃破できたが、急降下爆撃に比して、高空からの投下は着弾に時間がかかることから対象や対象艦が移動すればたちまち命中率が落ちた。それを解決するために水平爆撃は精密な照準を要求され、精密な照準を行おうとすればするほど滞空時間が延びるため、敵方の迎撃を受ける危険性は高くなる。さらに、少しでも命中率を上げようと低空から水平爆撃を行えば、威力の問題よりも照準を行っている最中に高射砲や機関砲などの対空砲の射撃を浴びやすくなってしまう。
そのため、真珠湾攻撃では奇襲を行うことで真珠湾に停泊する戦艦(静止目標)に水平爆撃を実施でき、戦艦アリゾナの撃破に成功した。しかし、ミッドウェー海戦ではアメリカ海軍の艦隊(移動目標)に対して攻撃を決断した際、アメリカ軍の空襲を受けているにも関わらず、水平爆撃用の800kg爆弾を装備した攻撃機から爆弾を外して魚雷に積み替える作業を行い、アメリカ艦隊への攻撃をあくまで雷撃で実施しようと企図した。これは、いかに移動する艦船に対して水平爆撃の効果が薄かったかを物語っており、装備の積み替えが原因で敗北したと言われることもあるが、それだけ効果に対する被害が割りに合わなかったと推測できる。
ドイツ空軍の航空艦隊
第二次世界大戦時のドイツ空軍において、航空艦隊 (Luftflotte)は最大の編制であり、空軍最高司令部(OKL)の直接指揮を受ける[1]。
ドイツ再軍備宣言後、1939年2月に第1から第3航空艦隊がそれぞれ航空集団司令部(Luftwaffengruppenkommando)から改編・編成された[2]。 大戦勃発時には第1航空艦隊から第4航空艦隊までが編成されており[1]、それぞれ国土の北東、北西、南西、南東に配置されていた。バトル・オブ・ブリテンには第2航空艦隊と第3航空艦隊が参戦し、北欧侵攻にともなってノルウェーをドイツ国防軍が占領すると、第5航空艦隊が配置された。また、東部戦線では第1航空艦隊と第4航空艦隊が陸軍支援を行った。1944年には本土防空を担当する帝国航空艦隊(Luftflotte Reich)が編成されている。
艦隊編成
- 第1航空艦隊(Luftflotte 1)
- 第2航空艦隊(Luftflotte 2)
- 第3航空艦隊(Luftflotte 3)
- 第4航空艦隊(Luftflotte 4)
- 第5航空艦隊(Luftflotte 5)
- 第6航空艦隊(Luftflotte 6)
- 第10航空艦隊(Luftflotte 10):訓練部隊[2]
- 帝国航空艦隊(Luftflotte Reich)[2]
脚注
- ^ a b 攻撃型空軍から防空型空軍へ ドイツ空軍はいかに変容を遂げたか,佐藤俊之,ドイツ本土防空戦 (欧州戦史シリーズ (Vol.19)),P136-144,学習研究社,2002年,ISBN 9784056027686
- ^ a b c German Luftflotte 1939-1945,アメリカ陸軍資料
関連項目
外部リンク
- ドイツ空軍基本講座, web1.aaacafe.ne.jp