連山 (航空機)
連山(れんざん)は1943年(昭和18年)に日本海軍から試作発注を受け、中島飛行機が開発した4発陸上攻撃機。記号はG8N、連合軍コードネームはRita。試作のまま終戦を迎えたので厳密には「試製連山」と称するのが正しい。試作年次については資料により「十八試陸上攻撃機」とするものと「十七試陸上攻撃機」とするものがある。(「試作年次について」参照。)
目次 |
概要 [編集]
連山は大型の新型機開発としては異例の速度である発注後1年ほどの1944年(昭和19年)10月に試作一号機が完成し、初飛行に成功した。1945年(昭和20年)1月に海軍に引き渡された。高性能を期待されていたものの実際の試験飛行はほとんど行われなかったため、実性能は不明瞭なままで終わっている。
当時の日本軍用機に比べて生産性・整備性・速力・爆弾搭載量に優れる、空力的に洗練され武装も強力な機体となるものであった。 また、アルミニウム資源枯渇対策としての鋼製機体(連山改)を終戦時点で設計中だった。
連山は鹵獲したアメリカ陸軍航空隊のB-17爆撃機を解体・調査して得られた情報や技術を参考に設計されている。海軍の銀河や陸軍の飛龍を4発機にした様な機体のデザインであるが、機銃配置はB-17と同一となっている。視・射界が極めて良好で空力的にも洗練されており、降着装置も前車輪式を採用していた点は技術的な特徴となっている。
昭和20年は空襲の激しくなった年で中島飛行機(現在のスバル自動車工場)がある群馬などの地方空港に疎開させて爆撃から守った。 終戦後アメリカ合衆国に接収された機体(4号機)はアメリカでの数回の飛行試験後に博物館に保管される予定であったが、保管スペースが確保できなかったことに、同時期に朝鮮戦争が勃発した影響が重なり実現せず、結局、全機が廃棄処分となり、現存する機体はない。
仕様 [編集]
- 型式:4発中翼単葉陸上攻撃機
- 構造
- 全金属製、応力外皮構造、引き込み脚、前輪式
- 全長:22.93 m
- 全幅:32.54 m
- 全高:7.20 m
- 主翼面積:112.00 m²
- 発動機:中島「誉」24 — ル型(NK9K-L)空冷式複列星型18気筒(2,000馬力1,490kW)4基
- プロペラ:VDM定速4翅
- プロペラ直径:4.00 m
- 自重量:17.4 t
- 全備重量:32.15 t
- 最大速度:593 km/h(1t爆弾を搭載した状態で高度:8,000 mの場合)
- 巡航速度:370 km/h(高度:4000 m)
- 最小速度:149 km/h
- 実用上昇限度:10,200 m
- 航続距離:3,700~7,470 km(装備の重量によって変化)
- 乗員:7人
- 武装
試作年次について [編集]
試作年次については資料により「十八試陸上攻撃機」とするものと「十七試陸上攻撃機」とするものがある。本機の試作の進行は以下のようなものであったとされる。
- 1942年(昭和17年)の12月末に海軍から中島飛行機に「実用機試製計画番号N-40」として大型陸上攻撃機の開発が「内示」された。
- 中島飛行機はそれに基づいて計画を進め、翌1943年(昭和18年)9月14日に正式な発注が行われた。
通常、試作の内示はあくまで内示に過ぎず、正式な発注の年次によって「○○試」が冠せられる。したがって連山については以上の経緯から見れば「十八試」であるとするのが妥当である。しかしながら
とする資料もあり、通常の内示とは異なるものであった可能性もある。また、前述のように本機は試作発注からわずか1年で初飛行するという異例の速さで開発されており、その点も「内示」が通常の内示と異なる可能性をうかがわせるが、「内示」の内容については手がかりが無く、憶測の域を出ない。
本項ではさしあたって正式発注の日付を根拠として「十八試」を用いる[2]。
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
画像
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||