He 112 (航空機)

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試験中のHeinkel He 112

ハインケル He112第二次世界大戦前にドイツハインケル社で開発された単発のレシプロ戦闘機である。ハインケル社独特の楕円翼を持ち、逆ガルタイプの全金属製機で当時としては近代的な機体だったが、メッサーシュミットBf109との比較審査に敗れドイツ空軍での制式採用はならなかった。その後密閉式の増加試作型が輸出用として少数生産され、日本海軍でも12機購入し九六式艦上戦闘機との比較審査を行っている。

開発[編集]

1933年ドイツ航空省はハインケルHe51の後継戦闘機の仕様書を提示したが、これに対してハインケル社が開発したのがHe112であった。He112は全金属製の単発・単葉機で、主翼は逆ガルタイプのハインケル社独特とも言える楕円翼を持っていた。また地上滑走時の取り扱いを容易にするため、外側引き込み型の主脚ながら車輪間隔を広く取っていた。コックピットはパイロットの視界を重視して開放型とした。エンジンについては、イギリス製のロールス・ロイス ケストレルを搭載した。

1935年に完成した試作1号機は、同じ仕様に応募したBf109、Ar80Fw159と比較審査された。その結果、同じエンジンを搭載するBf109V-1より30km/h以上も速度が遅く上昇性能も劣ることが判明した。この結果を踏まえてハインケル社では改良型の製作に取り掛かるが、航空省ではHe112がBf109よりも重量が重く、主翼を始めとする機体形状が量産に適しないことと、座席が密閉式でなかったことを理由に、Bf109の量産を決定してしまった。しかし、全般的には当時の水準としては優れた性能を有していたことから、ハインケル社ではHe112の制式採用を目指して引き続き改修を続けていくことにした。

その後の展開[編集]

その後、エンジンをJumo210Daに換装、コックピットを密閉式にし主翼形状を改修した増加試作型V4が最高速度485km/hを記録するが、航空省の反応は鈍かった。さらにエンジンを強力なJumo210Eaに換装、機体を再設計し軽量コンパクト化したV-9が、He112B-0の原型機として製作された。1937年に初飛行したこの機体はBf109Bを40km/h上回る最高速度を出し、その他の性能でもほとんどの部門でBf109より優れていた。元々本機は速度性能重視で作られたBf109に比べて運動性や地上での運用にも配慮した設計となっており、これでHe112がドイツ空軍に採用されるものとハインケル社では期待した。

しかし、形状が短期間の大量生産に向くという理由で主力戦闘機はBf109となり、審査に敗れたHe112は輸出用として生産されることになった。本機を最初に購入したのは日本で、日本海軍が中国戦線用に30機購入の契約をした。日本海軍における名称はハインケル112型陸上戦闘機(略符号A7He1)。まず12機のHe112B-0が輸出されテストされたが、固定脚の九六式艦上戦闘機に比べ速度は大幅に勝っていたものの運動性・上昇力も劣ったため、結局前線へ送られることはなかった。その後、これらの機体は練習戦闘機や教材として用いられたほか、テーパー翼や発動機・引込脚・付帯技術などの研究に利用された。なお、うち1機は東京帝国大学第二工学部に払い下げられている。

残りの対日輸出分は引き渡しの遅れからキャンセルとなり、代わりにスペイン動乱に参戦していたドイツ義勇軍コンドル軍団によって使用された。またルーマニアにも20機以上輸出されたが、この内11機はエンジンを強力なJumo210Gに換装したB-1型だった。ルーマニアに輸出された機体は、第二次世界大戦時後に対ソ連戦に使用された。この他ハンガリーにも極少数機が輸出されている。

結局生産機数は各型合計100機前後で、メッサーシュミット社の政治力に敗れる形でドイツ空軍への制式採用が無いまま生産は1939年に終了した。ハインケル社ではHe112での無念を晴らすため、He100の開発に注力していった。

なお、He112Uが1939年3月10日746.66km/hの世界記録を樹立したと発表されたが、実際はHe100V-8型でありHe112シリーズとは関係がない機体だった。

諸元[編集]

(V9・or・B型)

参考文献[編集]

  • 原田敏英「知られざる謎の翼 ハインケルが生んだ未完の戦闘機 He112」
デルタ出版『ミリタリーエアクラフト』1997年1月号 No.30 147 - 163頁。

関連項目[編集]