メッサーシュミットMe210/410

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メッサーシュミットMe 210/410

Me 210A-1

Me 210A-1

メッサーシュミット Me 210/410第二次世界大戦前にドイツで開発された双発プロペラの重戦闘機である。

概要[編集]

Bf 110の後継機として開発された、Bf 110と同じく双発二人乗りの駆逐戦闘機である。Me 210の改良型であるMe 410は、当初はBf 110を上回る性能を発揮し連合国爆撃機の迎撃に活躍した。

しかし後期になるにしたがい、爆撃機護衛の単発戦闘機の高性能化により活躍の場を失い、その後は本来の戦闘機としての任務よりも航続距離の長さを生かした偵察機や、戦闘爆撃機として英本土に対するゲリラ的な夜間爆撃などの任務に活躍した。

開発[編集]

ドイツ航空省1937年、Bf 110の前生産型A-0型が完成したばかりにも拘らず、Bf 110よりも長い航続距離を持つ戦闘機で更に高性能な機体を求めた開発計画を発足した。それは戦闘機としての能力に加えて偵察、急降下爆撃にも使用でき、遠隔操作する後方機銃2挺を装備するものであった。その要求に対するメッサーシュミット社の回答がMe 210であった。

Me 210は1938年設計が開始され、機首下面に最大1,000 kgまでの爆弾や偵察機器など各種装備を収容できるよう兵装ベイを設けるなど、多用途性のための斬新な設計がなされていた。武装は機首に20mm MG151/20機関砲2門と7.92mm MG 17 機関銃2挺、胴体の両側面に遠隔操作式の13mm MG 131 機関銃を装備した。 ウィリー・メッサーシュミット博士とナチス党との政治的関係と、Bf 110の成功もあり、原型機が完成する前にドイツ空軍から1,000機の発注がなされて、試作機はドイツ軍がポーランド侵攻した直後の1939年9月に初飛行した。

だがMe 210の機体設計に、根本的なミスがあることが原型機によるテスト中に判明する。飛行機の主翼は機体水平軸に対してある角度(=迎角)をもって取り付けられており、前方から風を受けると翼の下面では気流は翼の抗力を受けながら流れる。それに対し翼の上面を流れる気流はコアンダ効果によって翼に引き寄せられて沿って、下面の気流よりも速く流れることで負圧となり、下面の圧力が正圧であるため、結果、翼が上方に引っ張り上げられることで揚力が発生する。飛行中の機首上げなどで迎角が大きくなるほど揚力も大きくなるが、ある範囲を超えると主翼上面の気流が剥離し、失速してしまう。翼端部で失速が起きると一気に主翼全体に失速域が拡がり、これが片翼で発生すると機体はスピンし錐揉み状態となってコントロール不能に陥り、着陸に差しかかっていたら墜落、空戦中なら被撃墜につながる。テーパーの強い高翼面荷重の主翼と軽量化のため短くされた胴体のMe 210は、操縦性が非常に悪く安定性が不良で、しかも飛行中にこのスピン状態に陥りやすいという致命的欠陥を持っていた。

バトル・オブ・ブリテンでBf 110の性能不足が明らかになると軍は後継機を強く欲して、Me 210は根本的な欠陥を持っていることが判っていたのに量産化が強行され、1941年末から量産型が東部戦線に送られた。生産中にもメッサーシュミット社ではMe 210の改良を続けたが、小手先の手直しでは問題点は改善せず前線部隊ではトラブルが続出したため、生産総数約350機で1942年4月に発注残は全てキャンセルされて生産中止となり、代わってBf 110の生産ラインが再開された。事の重大さからメッサーシュミット博士は軍事裁判にかけられたが、それまでの功績とナチス上層部の取り計らいにより、有罪にはならなかった。

急遽、Me 210の機体をベースに新たな戦闘機Me 310Me 410を開発することになり、この内、胴体と主翼を再設計し、より馬力アップしたエンジンを搭載したMe 410が改良型として生産されることになった。Me 410ではMe 210で問題であった操縦性とスピン傾向が改善され、最大速度や上昇性能も大幅に改善した。

運用[編集]

元々は重戦闘機として開発されたMe 410だが、空軍では当初高速爆撃機として1943年5月から本機を部隊配備し、Me 210の設計から受け継いだ機首下面の兵装ベイに爆弾を積む他に主翼にも爆弾を懸架して活動した。また、兵装ベイに偵察用カメラを設置した高速偵察機型、大口径の50mm BK 5機関砲を装備した対爆撃機型、レーダーを装備した夜間戦闘機型、雷撃機型なども使用され、満足な作戦などこなしきれないため殆ど実戦配備されていなかったMe 210から改造された分も含めて、Me 410は各型合計で1,160機が生産された。

1943年1月、同盟国の日本に対して研究用に1機のMe 210A-1が輸出された。同機は川崎航空機明石工場で組み立てられ、日本陸軍による審査が行われたが、実用性がさほど評価されずライセンス生産には至らなかった。試験中に脚支柱とエンジン架を破損し、その後は川崎の研究機材として用いられた[1]

スペック[編集]

Me 210 w trzech rzutach.jpg

(Me 210 A-1)

(Me 410 A-1)

  • 全長:12.75 m
  • 全幅:16.38 m
  • 全高:4.28 m
  • 翼面積:36.2 m2
  • 全備重量:10,650 kg
  • エンジン:ダイムラー・ベンツDB 603A 1,750 hp ×2
  • 最大速度:620 km/h
  • 実用上限高度:8,900 m
  • 航続距離:2,330 km
  • 武装
    • 20mm MG151/20機関砲×6
    • 13mm MG 131 機関銃×4
    • 爆弾 最大2,000 kg
  • 乗員 2名

出典[編集]

  1. ^ 野沢正 『日本航空機総集 輸入機篇』 出版協同社、1972年、172頁。全国書誌番号:69021786

関連項目[編集]