メッサーシュミット Me262

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メッサーシュミット Me 262

ドイツ博物館に展示されているMe 262A-1a

ドイツ博物館に展示されているMe 262A-1a

メッサーシュミット Me262 (Messerschmitt Me 262)は、第二次世界大戦末期にドイツ空軍が使用したジェット戦闘機爆撃機である。愛称は「シュヴァルベ(Schwalbe、ドイツ語ツバメの意[1] )」。世界初の実戦配備および実戦を行ったジェット機である。

開発[編集]

ドイツ博物館のMe 262
Me 262 A(1944年)
Me 262の操縦席
激しい空襲の為地下工場で生産されるMe 262

ジェット戦闘機の開発は開戦前の1938年から始まっていたが、実用化されたのは終戦直前の時期となった。1939年にはハインケル社がジェット機の初飛行に成功し、本機に先んじてターボジェットエンジンの製作がBMW社及びユンカース社で始まっていた。

1939年6月7日、メッサーシュミット社からP1065計画が立案されたが、以下のような様々な設計変更を余儀なくされ、後に実用化された機体とは外見が大きく異なっていた。

エンジン

搭載を予定していたBMW003ジェットエンジンが大型化し、当初の設計通りには配置できなくなった。 その解決策としてエンジン外側の主翼を後方に18.5度曲げて後退角を付け、エンジン設置位置も翼桁の間から主翼下に変更された。

後退翼

本機は最初から後退翼機の実現を目的として設計された訳ではなく、度重なる設計変更の結果として後退翼に帰結した機体である。 浅い後退角は後述の重心位置改善のために採用されたもので、後退翼としての効果は不十分である。

胴体形状

正面から見た形状は、楕円形から鉛直上向きの三角形に変更された。

武装

20mm砲3門から30mm砲4門へ変更された。

試作機[編集]

試作1号機 Me 262 V1

1941年4月18日に試験飛行が実施された。BMW 003が未完成だったため、ユンカース社製Jumo 210Gレシプロエンジンおよびプロペラが機首に設置された。機体の操縦性は極めて良好であった。後にBMW 003が設置された後も、信頼性の高いJumo 210Gは機首に残された。

1942年3月25日、BMW 003を用いての初飛行中、エンジンが2つとも停止し、機首のJumo 210Gの出力のみで緊急着陸した。信頼性の極めて低いBMW 003が撤去され、ユンカース社のJumo 004Aジェットエンジンに換装された。機首のJumo 210Gも撤去され、MG 151/20機関砲3門が搭載された。

本機は1944年6月7日の試験飛行で損傷して飛行不能となった。

試作2号機 Me 262 V2

当初からJumo 004 Aが設置され、1942年10月1日に初飛行に成功した。翌年4月18日に事故で失われた。

試作3号機 Me 262 V3

1942年7月18日、ドイツ南部のギュンツブルク地区・ライプハイム空軍基地においてフリッツ・ヴェンデルの操縦により初飛行に成功した。

試作4号機 Me 262 V4

後述のアドルフ・ガーランドによる評価が存在する。

その後

更なる改良が加えられた。エンジン内側の主翼にも後退角が付き、前縁スラットが追加された。

当初は尾輪式だった降着装置は試作5号機Me 262 V5からP.1065案同様の前輪式に変更された。尾輪式への固執は三車輪式が「アングロアメリカの発明品であるから」というナチ的イデオロギーに由来していた。このため離陸速度に達しても迎角が大きく離陸できず、ブレーキを軽く踏み込み機を水平にする必要性が生じた。

機体の調整は1942年中に完了していたがJumo 004エンジンの信頼性は向上せず、量産後においても本機の欠点となった(後述)

軍首脳部の評価[編集]

1943年に試作4号機が空軍首脳部に披露され、同年5月22日にアドルフ・ガーランド少将(当時)がMe 262 V4に試乗。これを「天使が後押ししているようだ」と絶賛し、レシプロ機からの転換を言明した。さらにJumo 004B-0を搭載し前輪式降着装置を油圧引込式に改良した試作6号機Me 262 V6が、7月25日に航空相ヘルマン・ゲーリング元帥とエアハルト・ミルヒの前でデモンストレーション飛行を行った。

1943年11月26日、インスターブルク航空センターで地上展示されたMe 262 V6を見たアドルフ・ヒトラーは、ゲーリングに対しこれは爆弾の搭載が可能であるかと質問した。ゲーリングは理論的に可能であると解答した(回答は事前にメッサーシュミット博士に打診して用意された)。

ヒトラーは「電撃爆撃機が誕生した!」と宣言し、Me 262を高速爆撃機として生産するよう命じた。これはMe262の高高度での優位性を無視した指令であった。連合国軍の大規模爆撃がドイツ各地に被害を与え、ヒトラーはそれらへの報復と、ヨーロッパ大陸への侵攻に備え集結していた連合軍への攻撃を考えていた。当時、世界の戦闘機の主任務用途は空対空戦闘から地滑り的に戦術支援への転移を生じており、ヒトラーはこの動向を認識していたという考察も存在する[2]。ゲーリングの回答は機種全体の開発計画推進を目的としたものだったが、戦闘機としての実戦投入を遅滞させる結果となった。

ガーランドはジェット機開発計画の初期段階である1942年春の会議ではMe 262を戦闘機とするか爆撃機とするか、一面的に開発を進めるべきではないと発言し、メッサーシュミット博士も同意見であったという。彼はMe 262を本土防空用戦闘機と位置づけて編成を進めていた。ヒトラーは戦闘機型のみ生産されていることをミルヒの報告から知って激怒し、1944年5月23日の会議で、Me262を戦闘機と呼ぶ事を禁じ、爆撃型のみ生産させた(ただし1944年6月の会議の記録では、それはジェット爆撃機であるAr 234の生産が軌道に乗るまでの暫定的なものとされている)。空軍上層部との対立が激しくなったガーランドは後に戦闘機隊総監の地位を解任されたが、大戦末期の1945年2月にはMe262が優先的に配備された第44戦闘団の司令官となった。

兵装[編集]

機関砲

MK 108 30mm機関砲を4門装備していた。強力であり、連合軍側爆撃機を容易に撃墜することができた。

ロケット弾

戦争末期にはR4M ロケット弾を搭載した機種が配備された。このR4Mはヒトラーの「空での戦い自体は第一次大戦の時代と同様、機銃で互いに撃ち合う方法からまったく進歩がない」なる主張に基づき開発された。R4Mは12発ずつ木製ラックに収められ、両方の主翼下に1ラックずつ、一機あたり計24発が飛行性能を阻害しないように取り付けられた。

R4Mの直進性は低く運用上のリスクが生じた。高い命中率を得るためには編隊飛行中の4発重爆撃機に800メートルの距離まで接近する必要があった。命中から爆発までにタイムラグを設け、敵機内部で爆発する仕様で破壊効果を高めた。1、2発が命中すれば爆撃機を撃墜することができたとされる。

R4Mを搭載したMe262の活躍により、終戦直前の約1か月間に500機もの連合国軍機を稼動不能に追い込むことができたとされる。当時最高の速度が出せたMe262の存在と、短時間で一度に発射できる装置の発明により、末期におけるドイツ側の数少ない効果的な攻撃方法となった。

利点[編集]

高高度における一方的優位性

想定上の戦域では性能を十分に発揮することができた。高度6,000mにおける水平飛行で870km/h、緩降下においては900km/h以上の飛行速度は同時代の航空機より150km/h以上も速かった。当時の空戦では速度が敵機より30km/h速いだけで一方的に優位を維持できたため、まさに桁外れの性能だった。フランス空軍のエース・パイロットとして知られるピエール・クロステルマンは、片方のエンジンが停止した状態のMe262をテンペストで追跡したが、まったく追い着けなかったと語っている。Me262で飛行中に嵐に巻き込まれた際、偶発的に音速を超えて飛行したと主張するパイロットすら現れた。[要出典]

特徴的な運用

熟練したパイロットが操縦した場合、敵の護衛戦闘機を回避し爆撃機を集中的に攻撃することが可能となった。

当時のアメリカ陸軍航空隊最新鋭戦闘機であったP-51よりも遙かに速く、従来の連合国側レシプロ戦闘機ではMe262の攻撃から爆撃機を十分に護衛できなかった。

イギリス空軍の高速爆撃機偵察機デ・ハビランド モスキートに対しても優位に立つことができた。

欠点[編集]

エンジンの信頼性の低さ

ジェットエンジン黎明期であり、特に過酷な運用が求められる戦闘機向けの導入は時期尚早だった。性能および信頼性の両面に多数の技術的課題が未解決のまま残されており、それはそのままMe262の欠陥となった。

エンジン寿命は最大でも70時間、実際の運用においては平均で25~30時間で、戦闘中の片方または両方のエンジン故障が頻発した。戦闘で破壊されるより耐用時間を超えて稼動不能となる機体が遥かに多かった。離陸時に大きな推力を得るためにスロットルを開き、燃料を過大に燃焼させても機体を劇的に加速させる事はできなかった。また、その状態ではエンジンのバーナー室が熱で溶融し、エンジンの大きな損傷を招いた。離陸後も上昇性能に乏しく、高度を獲得するために時間を必要とした。

燃費の悪さ

当時のプロペラ機と比較して燃費が劣悪だった。Me262は機体内前部と後部に主燃料タンク及び補助燃料タンクを持ち燃料搭載容量は合計2,570リットルと比較的多く、さらに機体外前部のラックに300リットル増槽を2個搭載できたが、それでも不足した。

航続距離は高度6,000m~9,000mで飛行して約850km~1,050km程度であり、わずか30分程度の作戦でも機体のあらゆる燃料タンクを活用する必要に迫られた。この制約により、会敵した時点で既に充分な速度に達していると言う理想状態を作り出す為に運用上の制約が生じた。

速度を得る為には戦場からなるべく遠い場所から出発しなければならないが航続可能距離が短い。また、補給を短時間で終わらせたいが着陸のリスクが過大に高まるなど、基本的な性能不足から幾つものトレードオフが生じた。

着陸のリスク

貧弱な推力と機体構造は着陸のリスクを増大させた。三角形断面の機体形状が影響して操縦席から下方が見えにくく、エンジンの反応が鈍いため滑走路へのアプローチ中に何か問題が生じても臨機応変な対処ができなかった。連合軍パイロットはこの弱点を利用し、着陸時を攻撃するようになった。その為、ドイツ空軍はMe262の出撃・帰還時に滑走路周辺に護衛の戦力を展開させる必要に迫られた。

滑走路の制約

運用上、コンクリート舗装の滑走路が必要だった。ジェットエンジンは異物が混入すると破損し、アスファルト舗装滑走路ではジェット噴流によって路面が傷つけられてしまう為であった。前輪式降着装置は強度不足のため折れ易く、不整地の野戦飛行場での運用は不可能だった。

戦況が悪化した大戦末期ではコンクリート舗装の滑走路を持つドイツ本土の飛行場からしか出撃する事が出来ず、結果的にこの欠点はあまり問題にならなかった。

実戦での使用[編集]

夜間戦闘機仕様のMe 262B-1a/U1

当初、ドイツ空軍の精鋭パイロットが搭乗を許された。速度があるため、編隊飛行も距離をとっての編隊となる。操縦の前提として、ドッグファイト(格闘戦)は禁止された。細かい操舵をすると速度と高度を容易に失うためである。低速からの加速力が低いMe262においては戦闘中に最高速度まで戻すのは不可能だった。また、ジェット機といえどもやはり双発機であり、旋回性能そのものは単発のレシプロ戦闘機より劣っていた。速度の優位性を保つために熟練したパイロットはゆるやかに旋回し、爆撃機の編隊を一撃離脱戦法で攻撃した。

R4Mが装備されてからは、まず爆撃機を護衛する戦闘機群を高速で振り切り、爆撃機の上方から緩降下して増速しつつ防御砲火をくぐり抜け、敵編隊に接近してロケットを発射し爆撃機に命中させて撃墜させる戦法となった。

Me262の特性と存在意義を理解した熟練パイロットは、爆撃機を選択的に攻撃する事ができた。しかし戦争末期には未熟なパイロットも搭乗するようになった。彼らは連合国側のパイロットに本機の運用上の禁忌であるドッグファイトに誘引され、速度と高度の優位を失い撃墜されていった。

評価[編集]

戦争末期になると稼動機体も燃料も枯渇し、極めて大きな数的優位を保つ連合軍の航空戦力を前にドイツ空軍自体が有名無実化していた。

1945年3月18日、37機のMe262が1,221機の爆撃機とそれを護衛する632機の戦闘機からなる大編隊を迎撃した。その結果、12機の爆撃機と1機の戦闘機を撃墜したものの、自らも3機失った。この4対1という比率はドイツ空軍が想定した数字そのものだったが、敵側からすると全体の1%程度の損害でしかなかった(故障で失われた数の方が多かったという)。

最終的に、Me262はその撃墜数が被撃墜数を上回った枢軸国側の数少ない戦闘機の1つとなった。性能面においては当時の最新鋭のレシプロ機を凌駕していたが、数多の欠点や運用上の重大なリスクを抱え、ドイツ軍の戦況に大きな影響を及ぼす事は無かった。

第二次世界大戦後、ドイツの他の先進技術とともにMe262もソビエト連邦によって接収された。機体の研究から得られた知見はソ連におけるジェット戦闘機の初期開発に反映された。

機種[編集]

大戦中[編集]

Me 262 A-1a
A-0
戦闘機型Aシリーズの先行生産型
A-1a
生産型、MK 108 30mm機関砲×4門装備。イェーガーJäger、戦闘機)、ヤーボJabo、戦闘爆撃機)がある
A-1a/U1
先端に2門、全部で6門の機銃を装備した試作機(1機)
A-1a/U2
全天候に対応するための航空電子機器を搭載した試作機(1機)
A-1a/U3
短距離偵察機型、Rb50/30カメラとMK 108 30mm機関砲1門装備
A-1a/U4
機首にMK214A 50mm 機関砲を装備した試作機(2機)
A-1a/U5
機首の武装をMK 108機関砲4門から6門にし、携行弾数を100発が2門、85発が2門、65発が2門とした。
A-1b
エンジンがBMW 003に換装された以外は、A-1aと同型、少数のみ生産
A-2a
機銃を2門のみ装備した爆撃機型
A-2a/U1
改良された爆撃照準器を設置した試作機(1機)
A-2a/U2
高速爆撃機型。機首に爆撃手席を新設し、1号機はロトフェ 7 H3爆撃照準器を装備、2号機はロトフェ・カンツェルII照準器を装備
A-3a
地上攻撃機型
A-4a
偵察機型
A-5a
偵察機型の最終型、戦争末期に少数のみ生産
Me 262 B-1a
B-1a
二人乗りの訓練機
B-1a/U1
夜間戦闘機型。FuG218ネプトゥーンレーダーを装備
B-2
胴体を伸ばした夜間戦闘機型
C-1a
尾部にヴァルター・ロケットを取り付けた迎撃戦闘用の試作機(1機)
C-2b
エンジンのナセル(エンジンの収納筒)にBMWのロケット・ブースターを取り付けた迎撃戦闘用の試作機(1機)
C-3a
胴体にヴァルター・ロケットを組み込んだ迎撃戦闘用の試作機(1機)
D-1
上向きに取り付けられ、センサーにより爆撃機を感知し自動で発射される5センチ無反動砲 SG500 Jagdfaustを装備する特殊型
E-1
A-1a/U4を基に機関砲を装備した特殊型
E-2
R4M ロケット弾を24発搭載する特殊型で、活躍したのは敗戦直前の1ヶ月間と短いが、恐るべき戦果を上げた

計画機[編集]

Lorin
直径1.15m、全長5.9mのラムジェットエンジンをJumo004の上に積んだ高速型
Schnellbomber 1
高速爆撃機案。4,050リットルの燃料を搭載し1,000kgの爆弾を搭載できる。
Schnellbomber 1a
コクピットを機首に移動させ胴体に5個の燃料タンクを設けた高速爆撃機
Schnellbomber 2
胴体を新たに設計し4,450リットルの燃料を搭載し1,000kgの爆弾を胴体内に搭載
Aufklärer 1
写真偵察機。A-1a/U3の機首の武装を撤去し500リットルの燃料タンクとRb75/30カメラ及びRb20/30カメラを搭載
Aufklärer 1a
Schnellbomber 1aの胴体を流用し、Rb75/30カメラ2基を胴体中央に装備
Aufklärer 2
Schnellbomber 2の胴体を流用し、5,450リットルの燃料を搭載、機種にRb75/30カメラ2基、Rb20/30カメラを1基搭載
HG1
レーシングキャノピーと呼ばれる小型の流線型キャノピーにし、水平尾翼に後退角を付け、水平尾翼を大きくした高速計画1段階
HG2
HG1と同程度の改造と平行して主翼を25%弦長35度の後退角付きに変更した高速計画2段階
HG3
Me262の胴体を利用し大幅な設計変更をした夜間戦闘機型。主翼は新設計の45度後退角付き、エンジンはHeS011の2基を主翼付け根に収納、主脚を主翼付け根に取り付け、尾翼・キャノピーはHG1と同等のものに変更。機首にはFuG240ベルリンレーダーを収納し、乗員は3名。機首にMK 108機関砲を4門、コクピット最後尾席左右にシュレーゲムジークMK 108機関砲2門装備

大戦後[編集]

アビア S-92
A-1aと同型、チェコスロバキアが生産
アビア CS-92
B-1aと同型、チェコスロバキアが生産

2003年より、アメリカ・テキサス州の Texas Airplane Factory が Me262のレプリカを作成中で、現時点で2機が完成、飛行可能の状態。発動機はゼネラル・エレクトリックJ85 エンジンで、安全装置の追加、脚の強化などが行われている。名称はメッサーシュミット社(現 EADS)の承認を得て A-1c (単座型)と B-1c(複座型)が当てられている。

橘花[編集]

Me262 の資料と図面が、Me163の資料と共に、日独間の連絡潜水艦便(遣独潜水艦作戦)で日本に送られ、これを参考に中島飛行機海軍向けに独自設計した特殊攻撃機「橘花」を製作、敗戦間近の1945年8月7日、初飛行に成功した。しかし2度目の飛行で離陸前にオーバーランして故障、修理中に敗戦となった。また陸軍向けの戦闘襲撃機である火龍も計画されていた。

スペック (Me 262A-1a)[編集]

Me 262の三面図
  • 乗員:1名
  • 全長:10.58m
  • 翼長:12.5m
  • 全高:3.83m
  • 翼面積:21.7m²
  • 自重:3,800 kg
  • 最大離陸重量:6,400 kg
  • 動力:ユンカース Jumo 004B-1 ターボジェットエンジン ×2
  • 推進力:18 kN
  • 最高速度:870km/h
  • 航続距離:1,050km
  • 上昇限度:11,450m
  • 上昇率:1,200m/分
  • 武装
    • 固定武装:30mmMK 108機関砲×4 装弾数360発
    • ロケット砲:55mm R4M ロケット弾×24

Me262が登場するメディア作品[編集]

音楽[編集]

本機をアルバムジャケットアートワークに採用し、アルバム内の楽曲 "ME262" も制作された。

漫画・アニメ[編集]

同シリーズの複数作品に登場しており、なかでも「ベルリンの黒騎士」や「双発の騎士」では主人公の乗機となっている。
航空自衛隊が使用。
Me262をモデルとした試作型ジェットストライカーユニット「Me262v1」が登場。第4話にてゲルトルート・バルクホルン大尉が乗機し実戦で使用した。
Me262をモデルとした宇宙戦闘機DWG262 ツヴァルケ」が登場する。
「電光の鷹」に登場。モスキートやタイフーン、P-51を圧倒するも、バードストライクで墜落する。
主人公が所属するB-17爆撃機部隊を攻撃する。

ゲーム[編集]

  • 『War Thunder』
A-1a・C-1a・C-2b・A-1a/U4型が登場。プレイヤーが操縦可能。
  • 『蒼の英雄』
A-1aが型登場。プレイヤーが操縦可能。
  • 『ブレイジングエンジェルⅡ:シークレットミッションオブWWⅡ』
特定のミッションでの操縦が可能。

文献[編集]

  • Robert Forsyth: 『第44戦闘団 ザ・ガーランド・サーカス』、岡崎 淳子訳、大日本絵画、ISBN 4-499-22840-9
  • 渡辺洋二: 『ジェット戦闘機Me262 ドイツ空軍最後の輝き』、光人社、ISBN 978-4769823100
  • 『世界の傑作機 No.115 メッサーシュミットMe262』、文林堂、ISBN 978-4893191366

脚注[編集]

  1. ^ Schwalbeは「一飲みにしろ」という意味にもなる。
  2. ^ 別冊歴史読本 『ヒトラー神話の復活』、新人物往来社、2000年、190頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]