皇位継承問題

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皇位継承問題(こういけいしょうもんだい)は、1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王誕生以降、長く皇室に男子が誕生しなかったため、将来的に皇室典範に定める皇位継承資格者が存在しなくなる恐れが生じた、2000年代に入って表面化した問題である。皇位継承資格者の不足という問題を解決するために、史上前例のない女系天皇を容認すべきか否か、あるいは皇位継承について定める「皇室典範」を改正すべきか否か、皇位継承順位をどのように定めるべきかという問題でもあるため、女系天皇問題皇室典範問題などともいわれる。

2004年(平成16年)末に当時の内閣総理大臣小泉純一郎の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が設置されたことにより関心が高まった。2006年(平成18年)に41年ぶりの皇族男子として悠仁親王が誕生したものの、依然として皇位継承資格者の不足という問題は残ったままである。

本項では特に、皇位継承資格者の不足問題の解決策として、旧皇族皇籍復帰などによって男系継承を維持すべきとする論と、皇位継承原理を改変して女系天皇を容認すべきとする論との対立を中心に取り扱う。

皇位継承問題の背景

皇室典範第1条には皇位継承に関し次のように定められている

  • 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

特に平成時代になってから皇位継承問題について盛んに議論がされるようになってきた最大の理由は、皇室に30歳代以下の若い男子がなく、このままでは近い将来、皇位を継ぐべき男系男子が絶えて皇室典範に定める皇位継承資格者が存在しなくなり、皇統が断絶する可能性が現実味を帯びてきたためである。

皇族男子の不足については、主に3つの原因が指摘されている。

  1. 終戦後のSCAPの政策による伏見宮系皇族の大量の皇籍離脱により、皇族の数が減少したこと。
  2. 大正天皇側室を廃止して以来、皇室は現在まで一夫一妻制を採っていること(1947年(昭和22年)5月3日に施行された現在の皇室典範においては、天皇および皇族男子の子であっても、施行日以降に出生した非嫡出子は皇族の身分を与えられない。皇室典範第5、6条、附則2項)。
  3. 秋篠宮文仁親王が誕生した後、悠仁親王誕生までの間に誕生した皇族9人は全て女子であり、約40年9か月もの期間、皇室に男子が生まれなかったこと。

推移

日時 増減 人数 概要
1947年10月14日 -26 6人 10宮家 皇籍離脱
1948年02月11日 +1 7人 宜仁親王 誕生
1953年01月04日 -1 6人 雍仁親王 薨去
1954年12月29日 +1 7人 憲仁親王 誕生
1960年02月23日 +1 8人 皇太子徳仁親王 誕生
1965年11月30日 +1 9人 文仁親王 誕生
1987年02月03日 -1 8人 宣仁親王 薨去
1989年01月07日 -1 7人 今上天皇 即位
2002年11月21日 -1 6人 憲仁親王 薨去
2006年09月06日 +1 7人 悠仁親王 誕生
2012年06月06日 -1 6人 寛仁親王  薨去
2014年06月08日 -1 5人 宜仁親王 薨去
参考:「皇室典範に関する有識者会議」が設置された2005年1月26日時点の皇位継承順位
順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日/当時の年齢 今上天皇から見た続柄
 
1位 皇太子徳仁親王 なるひと 男性 1960年02月23日
(昭和35年)
44歳 親等1/第1皇男子
2位 秋篠宮文仁親王 あきしののみや ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
39歳 親等1/第2皇男子
3位 常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
69歳 親等2/皇弟 / 昭和天皇の第2皇男子
4位 三笠宮崇仁親王 みかさのみや たかひと 男性 1915年12月02日
(大正04年)
89歳 親等3/叔父 / 大正天皇の第4皇男子
5位 寛仁親王 ともひと 男性 1946年01月05日
(昭和21年)
59歳 親等4/従兄 / 三笠宮崇仁親王の第1男子
6位 桂宮宜仁親王 かつらのみや よしひと 男性 1948年02月11日
(昭和23年)
56歳 親等4/従兄 / 三笠宮崇仁親王の第2男子

なお、日本国憲法は天皇の地位について第2条で「世襲のもの」とのみ規定し、詳細を皇室典範の定めに委ねている。そのため、本項にいう皇位継承問題は立法上、皇室典範の改正問題に帰着する。

皇位継承資格者の不足解消策

皇位継承資格者の不足解消策として、現在のところ主に2つの対策が考えられている。

  • 男系のみならず女系子孫にも皇位継承資格を認める。
  • 皇籍離脱した男子(あるいはその男系子孫)を皇籍復帰させ、男系継承を維持する。

女系天皇」案は、皇位継承資格者数の安定確保、および昨今の男女同権意識や民間における婿養子皇配)による女系相続等の理由から主張されている。皇位継承は歴代天皇の子孫であれば男系である必要はなく、前例がないことは絶対のタブーに当たらないとする。

「皇籍復帰」案は、日本の皇位継承が一度の例外もなく男系継承によって行われてきたことを第一の論拠とする、「女系天皇」案への対案である。かつて臣籍降下した皇子が皇籍に復帰して皇位を継承した宇多天皇の例や、その宇多天皇の皇子で臣籍において誕生した醍醐天皇(宇多天皇が臣下であった時期に儲けた子)の例があり、万世一系の伝統と皇位継承の安定とを調和させる方策として主張されている。皇籍離脱して一般の国民となった人間が皇族に復帰することは絶対のタブーに当たらず、必ずしも皇族の高貴性を揺るがせることにはならないとする。

皇位継承資格者の安定的な確保について、現在の皇室典範においては、男系相続・永世皇族制を採用している。男系相続のみの場合と、女系相続をも認めた場合を比較した場合には、男子の誕生数に依存される前者より、後者のほうが皇位継承資格者の増減の度合いが小さくなる。女系継承による場合、従来であれば民間人(非皇族)との婚姻にともなって皇籍離脱していた内親王女王が婚姻後も皇族身分にとどまって宮家を設立することになるため、皇位継承資格者がねずみ算的に増加し、国の経済的な負担が大きくなるとの予測もなされている。しかし、一定の世数を経た系統を皇籍離脱させる世数限定制を採用すれば、皇族数の調節は可能である。

女系天皇をめぐる議論

概説

女系天皇とは、その天皇自身の性別とは関係なく、臣下(非皇族)出身の父と皇統に属する母との間に生まれた天皇およびその子孫たる天皇をいう。つまり父系のみで辿って、初代とされる神武天皇に行き着かない天皇をいう。語句の類似から、単に女子の天皇を指す女性天皇と混同されることも多いが、両者はまったく異なる概念である。

皇室はこれまで一貫して「万世一系」の男系による家系で皇位継承を行ってきたとされている。「万世一系」が真実かどうかは論争があるが(詳しくは万世一系の項を参照)、男系とは簡単に言うと「歴代天皇の父親の父親の……」と辿っていくと、(実在の真偽はともかく原理としては)初代天皇である神武天皇に行き着くことを意味する。後述する理由から、「女系天皇」はおろか「女系皇族」すら過去に例がなく、皇室においては存在しえない概念であった。

例えば敬宮愛子内親王ないし眞子内親王が女性天皇となり、そして歴代天皇の男系子孫以外の男性との間に産まれた子が践祚すれば、神武天皇以来の皇室の男系血統は「天皇愛子」ないし「天皇眞子」を最後に断絶し、次代から新王朝が誕生することになるとする見方がある。

歴史上に8人10代の女性天皇が存在したが、そのうち5代4人の女性天皇は皇女でかつ皇后あるいは皇太子妃であり、その夫が亡くなったのちに践祚したもので、残りの5代4人は生涯未婚の皇女(内親王)であった。このことから、「女系天皇」、「女系皇族」が誕生することはあり得なかった。また、女性天皇は「中天皇」とも呼ばれ、ほとんどが次期天皇が成長するまで、あるいは皇子たちの皇位継承争いの終結までの中継ぎとして践祚した(詳しくは女性天皇を参照)。

女系反対論者によれば、「女系容認論の最終的な目的は天皇制廃止である」という過激な意見もあるが、その根拠について示されたことはない。他方、女系容認論者からは「男系維持派の目的は皇位継承資格者を減らし、皇統を断絶させることである」「一度、一般の国民となった旧皇族の皇籍復帰を通して、皇室の神聖性をおとしめ、皇室の価値を低めようとしている」といった反論がなされることもある(ただし、臣下として生まれながらも皇籍に列し即位したこと例があるという再反論もある)。

王室をめぐる環境は国際的に変化しつつあるが、日本の皇室を歴史的背景が大きく異なる欧州諸国の王室と単純に比較することはできない。日本でも皇室のあり方や女性天皇及び女系天皇の是非などについて、新しい問題を投げかけ始めている。

女系容認論の主張

  • そもそも、皇祖神である天照大神が女性であり、天壌無窮の神勅にもアマテラスの子孫であることが、天皇になる条件とされている。よって、日本の皇室は女系から始まっていると言っても過言ではない。
  • 現在の皇室典範制定時に比べ、皇統の意義を男系に限らず女系にも広げてよいと考える国民が増加している。男系と女系とをことさらに区別するのは現代の社会になじまず、英国王室の如き王配(プリンス・コンソート)の制度は現代の日本でも同様に認められるだろう。
  • 日本の一般における家督相続、あるいは明治以降の近代における皇位継承から見ても、男系優先より直系優先の方が一般国民になじみやすい。
  • 皇位継承のルールが単純であり、かつ皇嗣の確保が比較的容易である。現在の晩婚化、一夫一妻制を前提とすれば、たとえ旧皇族皇籍復帰によって、一時的に皇位継承資格者たる男系男子を確保しても、3代程度で再び男系男子が絶えて、男子皇族を確保できなくなる可能性が高いことが、確率論的に明らかである。よって、男系継承の維持は制度的安定性が低く、女系による継承も認める方が制度的安定性に優れる。
  • 男系を安定的に維持するには、側室制度や、性別による産み分け、人工授精を認めるしか方法がない。しかし、現在の国民世論の状況を見れば、皇室においてそのようなことを認めることは国民の支持を得ることはできない。無理に強行すれば、皇室は国民の支持を失い、結局は天皇制度の廃止につながるだろう。
  • 欧州の各王家では、女系継承した国王は歴史的にも広く認められている。英国のチャールズ皇太子も即位すれば女系継承した国王となる。これは、イングランドおよびスコットランドサリカ法典圏外であったためである。サリカ法典圏下にあったルクセンブルクでは1815年の大公国成立以来、オラニエ=ナッサウ家のオランダ国王が大公を兼ねる同君連合が組まれていたが、1890年にオランダでウィルヘルミナ女王が即位すると、女系継承の規定がないルクセンブルクは同君連合を解消し、遠縁に当たるナッサウ=ヴァイルブルク家アドルフを大公に迎えた。だが2代で男系が絶えてしまったため、継承法を改定して女子の継承を認めることとなり、女大公が2代続いた。オーストリアハプスブルク家はサリカ法典を採って女系継承を禁じていた。しかしハンガリー王国はサリカ法典圏外であったため同家の女子の継承を認めていた。
  • 女性皇族の婿は婚姻とともに姓がなくなる。女性天皇に皇室の男系血統を持たない婿を迎えて次代から女系天皇になっても易姓革命にはあたらない[1]
  • 保守派論客として知られる松本健一は、有識者会議などのあり方に疑問を投げかけた上で、現代的男女平等の考えとは違った立場の上で女系天皇を容認すべきと説いた。松本によれば古来より日本の天皇は「女性格」で人間の生物学的な性、男女が対になるという概念を超越した存在であるとし、男系男子重視は儒教、仏教、西洋近代の皇帝制度を模倣した男性重視主義にすぎず日本の伝統的な天皇概念とは全く別の思考の上にあるとした。よって生物学的概念で男性による遺伝子の継承を重視する男系男子派の主張は意味をなさず、また生物学的根拠によって正当化をなそうとすれば、唯物史観派から天皇御陵を開いてDNA鑑定をするよう逆手を取られるだけであるとしている。そして日本民族が皇室を必要とし守りたいと考える限り、男系女性天皇であろうが女系天皇であろうが存続は図られるとしている。[1][2]

男系維持論の主張

  • 皇室とはもともと代々男系で継承されてきており、一度たりとも例外は存在しない。天皇の正統性は歴史と伝統によってのみ保証される。もし女系天皇が即位すれば、神武天皇以来男系で連綿と継承されてきたとされる、男系による皇統は断絶し、全く別の家系による天皇が誕生することになる。このような女系天皇には歴史的正統性が無いため、国民統合の象徴たりえず、皇位は安定するどころか極めて不安定なものとなる。
  • 世間一般にも男系継承の正統性の意識は根強い。例えば、時の実力者が息子を皇女と結婚させ、その子孫が皇位を継いだ場合、入り婿による皇室乗取りと考えるだろう。
  • 皇位の男系継承が維持されてきたのは、「民間男性が皇女と結婚して皇室に入ること」を絶対禁忌としてきたことの結果であるとも言える。逆に言えば、女系継承を認めることは「民間男性の皇室入り」を解禁することが前提であり、時の実力者が皇室入りすることで皇室の乗っ取りも不可能ではなくなる。絶大な権力をほしいままにした平清盛や足利義満でさえも皇室の外にいた(皇族になれなかった)ことを考えると、女系継承の容認=時の実力者の皇室入りを認めることは、わが国が安定的に歴史の歩みを進めていく上で大変なリスクを抱えることになる。
  • 女系による皇室の相続は、皇室の伝統を否定する点で全く正統性がなく、実質的な天皇制度の否定であるから、天皇の地位が安定的に継承できたところで全く意味がない。
  • 国民の親近感や社会通念は時代により変化する。伝統の維持は時代によって変化しない点でより重要である。一時の国民感情だけを理由に軽々しく伝統を変革すれば、日本国民としての永遠の拠り所を失うことになる。天皇・皇室の制度は、諸外国の君主制とは異なり、チベットダライ・ラマの転生と同様に、極めて特殊なものであるため、科学的な立場からの批判は受け付けない。
  • 欧州の各王家の全てが、女系継承を認めているわけではない。フランス王国ユーグ・カペー以来、最後の国王シャルル10世にいたるまで、男系継承を維持してきた。またドイツにおいても、バイエルン選帝侯家の男系が途絶えた際、遠縁の同族であるプファルツ選帝侯家がバイエルンを継承した。デンマークにおいても王家であるオルデンブルク家の男系が途絶えた際、遠縁の傍系であるグリュックスブルク家が継承した。オーストリアハプスブルク家は男系断絶に際してマリア・テレジアへの継承を決定したが、バイエルンザクセンなど、ハプスブルク家の皇女を君主の妃に迎えた諸国から継承権を主張され、プロイセンにはシュレージエンを強奪される事態となった。昨今の諸外国の王室の改革例についても、長期的には王室自体の存在意義を失わせしめ、王室廃止につながると考えられる。
  • 女系容認論は、民間から皇室に入り、皇族女子の婿となる男性の存在が前提となる。現代においてそのような男性を見つけるのは困難であり、配偶者を得られないことによる皇統断絶の恐れがある。これまでの歴史において、8人(10代)の女性天皇は、皇位についてからは譲位した後であれ全て独身であった。
  • 臣籍降嫁した内親王、王女とその子孫は全て夫の姓となっている。故に、姓は父方で継承されるため、内親王の子である女系天皇の代からは父方の姓を名乗ることになり易姓革命が成立する。
  • 男系維持の可能性がある中で、歴史上一例も存在しない男系を切断しての女系に皇位を移すなど絶対にありえない。
  • 皇室の継承で何よりも重視されるのは「血の継承」であり、それは一定の約束事を守ることで初めて「守られた」ということになる。日本の皇室の場合は、「天照大神の子供」の血が「父親に必ず入っていること」という約束事を守ることで初めて達成されたとされている。

フェミニズムの視点

フェミニズムの立場からは女性天皇・女系天皇に一律賛成していると考えられがちだが、実際には多様な立場からの意見があり一枚岩ではない。女帝待望論を述べる者もいれば、母性主義的フェミニズムの立場から男子優先がよいとする考え、女性が「産む性」である限り、「産まない」選択肢のない世襲制は女性の身体に多大な負担を与え男女平等は達成されないという立場、皇室における近代的な性別役割規範に則ったジェンダーの非対称性を指摘し家父長制を固定化する性差別制度だとして、天皇制そのものの存続に反対する立場などさまざまな意見がある[3]

皇族女子と女系継承決定の時期

現在の皇室典範は天皇から2世以内(すなわち歴代天皇の皇子、皇孫)の皇族男子が減少することを避けるため、第11条第2項で「親王皇太子及び皇太孫を除く)」の皇籍離脱を「やむを得ない特別の事由があるとき」「皇室会議の議により」と制限している。したがって、もし女性天皇および女系天皇を容認することになれば、男女平等を期するため、内親王の皇籍離脱も親王と同様に制限せざるを得なくなる。

有識者会議の報告書でも、「内親王に関する制度を親王に関する制度に合わせ、共に意思による離脱ができないこととすることが適当である」と提言している。

女系による継承を容認するのであれば、その決定はなるべく早期であることが望ましい。

理由は、第1に皇族女子が結婚し、皇籍離脱する前でなければならないこと、第2に早期に教育方針を変更し、「終生皇族」となることに備えさせるためである。教育方針の変更が遅くなれば、これに適応できなくなるおそれがある。

過去に存在した10代8人の女性天皇は、践祚前に11年間皇太子を経験している孝謙天皇を除くと、成人後に践祚することは予定されていなかった(これは女性天皇が、当代天皇ないし次期皇位継承予定者の急逝により、中継ぎとして践祚したケースが多いことを示している)。しかし、これを現代に当て嵌めるのは酷であり、人権侵害ともいえる。

寬仁親王によると、(同年代の男性皇族が存在しないため)自分は娘の彬子女王瑶子女王を将来皇籍離脱することを前提に教育してきており、本人たちもこの改革案について「自分たちはそんなつもりで生きてきたのではない」と語ったという(『正論』2006年3月号)。高円宮家承子女王千家典子絢子女王秋篠宮家眞子内親王佳子内親王にも既に、将来は降嫁し皇室を離れる身としての教育がなされている。

その他、全ての内親王・女王に結婚と同時に宮家創設を認めると、皇族費の増大が懸念される。また、大正天皇の曾孫という三世女王が終身皇族となり、今上天皇の皇女(一世の内親王)でありながら降嫁・民間人となった黒田清子(紀宮清子内親王)との境遇差への違和感も否めない。

女性天皇をめぐる議論

女系容認論者は「兄弟姉妹間男子優先」か、「兄弟姉妹間長子優先」かの意見に分かれるものの、まず直系優先で皇位を継承すべきだとする者が多い。女性天皇については現状のまま男系でも女系でも認めないという意見は見られない。

男系維持論者の間では、女性天皇の是非について意見が分かれている。一方の男系維持論者は、女性天皇に賛成したことが「女性・女系天皇に賛成」と誤解され、女系天皇容認のための皇室典範改正を加速させるのではないかと危惧しているのである。しかし他方には、歴史や伝統を女系天皇に反対する最大の理由としながら、過去に10代8人の前例がある女性天皇にまで反対するのは自己矛盾である、男女平等の社会情勢からいって、女系天皇のみならず女性天皇にまで反対するのは国民世論の反発を受ける、また「女性天皇に賛成、女系天皇に反対」との方針を打ち出すことで、両者が別物であることを強調させられる、とする意見も存在する。

しかし、男系継承を維持した場合、女性天皇をどのように位置付けるかは複雑な問題である。

過去の女性天皇はすべて皇女(男系女子)であり、未婚(生涯独身)か、男性天皇・皇太子の配偶者でその夫を失った未亡人であった。つまり、在位中は独身であった(譲位後も結婚、再婚の例は無い)。

この先例を参照すると、現代において生涯独身を強要するのは、皇族女子の人権を全く顧みない論であるため、未婚での即位はあり得ない。とすると、男性天皇・皇太子・親王などの男系男子と婚姻した皇族女子(内親王・女王)に、その夫を失った後に再婚を禁じ、皇位継承資格を付与するということが考えられる。例えば、昭和天皇の皇后で、久邇宮邦彦王の娘であった香淳皇后に、昭和天皇崩御後に皇位継承資格を認めるということになる。しかし、これは皇位継承資格者を確保するという問題の解決策にはならないため、過去の先例を踏まえた男系維持での女性天皇容認は難しい。

なお、旧皇室典範・現皇室典範では、親王妃・王妃を除く成年女性皇族には摂政就任資格がある(詳細は摂政を参照)。

女性天皇・女系天皇容認後の皇位継承順序

女性天皇・女系天皇を容認した場合、皇位継承順序として、「直系優先・兄弟姉妹間男子優先」「直系優先・兄弟姉妹間長子優先」「男系男子優先」「男子優先」の4つのうちどれを採用するかが問題となる。

直系優先・兄弟姉妹間男子優先
直系を優先するものの、兄弟姉妹間では男子を優先するものである。女子・女系継承を認めている王室の例を挙げると、英国スペインなどで採用されている継承方法である。
直系優先・兄弟姉妹間長子優先
直系を優先し、兄弟姉妹間では男女関係なく長子(第一子)を優先するものである。女子・女系継承を認めている王室の例を挙げると、スウェーデンノルウェーベルギーオランダデンマークなどで採用されている継承方法である。なお、後述の皇室典範に関する有識者会議の最終報告書において提言された継承方法でもある。
男系男子優先
直系であることよりもまず男系男子であることを最優先する方法であり、男系男子の中では直系を優先するものである。例えば天皇に娘しかいない場合でも、天皇の実弟が優先される。この方法だと、男系男子が不在(旧皇族男子など皇籍の無い男系男子を除く)になったときに初めて女子・女系が継承することとなる。
男子優先
直系であることよりもまず男子を最優先する方法であり、男子の中では直系を優先するものである。例えば天皇に娘しかいない場合でも、天皇の実弟が優先されるが、娘しかいなくても、仮に娘に男の子供(天皇から見て孫息子)がいる場合は直系なので孫息子が優先される。ただ、これは直系においても母より息子が優先されるというものであり、単に男子を優先するので傍系の男系男子よりも直系の女系男子が優先され、男系女子よりも女系男子が優先される点が特徴である。
  • 女子・女系の継承を認めている外国王室において、「男系男子優先」と「男子優先」は、現在それを採用している例がない。
  • 「男系男子優先」と「男子優先」では、兄弟間や従兄弟間など傍系の皇位継承によって、天皇の系統が入れ替わった時に、それまで皇位継承順序が上位にあった先帝の娘と、下位にあった新帝の娘の継承順序が逆転する。例えば、皇位が兄から弟に移ることにより、兄の娘は「皇女子」(当代天皇の娘)から「皇兄弟の女子」(当代天皇の兄の娘)と変動する一方で、弟の娘が「皇兄弟の女子」(当代天皇の弟の娘)から「皇女子」(当代天皇の娘)に変動するためである。このことは、後述の皇室典範に関する有識者会議最終報告書の参考資料において図を用いて指摘されている。なお、現在の皇室典範における内親王や女王の摂政就任順序においても兄弟間、従兄弟間など傍系の皇位継承が行われた際、先帝に皇女がいる場合は同様のことが生じる。
  • 「長系優先・兄弟姉妹間男子優先」・「男系男子優先」・「男子優先」に共通する問題として、皇位継承順序で姉よりも弟の方が優先されるため、女子皇族が皇位継承順第1位であっても皇太子になれない点がある(女子皇族は弟が誕生する可能性がある限りは次期天皇に確定しないため。但し明治天皇の庶子であった大正天皇は嫡出の弟が生まれる可能性があり次期天皇に確定していなかったが明治天皇の生前から皇太子となっている)。

いずれにせよ、皇位継承順序は明快で万人が納得できるものであることが望ましく、単に女子・女系の継承を認めても、どの方途を採用するかで大きな違いがあり、課題が残されている。

なお、読売新聞社2005年(平成17年)12月に行なった世論調査によると、女性・女系天皇を容認する場合の皇位継承順位について、「男子を優先すべき」と回答した者が41%、「性別にかかわらず長子を優先すべき」と回答した者が37%だった。

皇籍離脱者の皇籍復帰問題

概説

現在は皇族でない天皇の男系子孫を皇籍復帰させ、皇位継承資格者の不足を解決すべきとの主張が提起されている。しかし、この方法については賛否両論がある。

旧皇室典範では、「皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス」(同増補6条)として、増補の条項により臣籍降下した元皇族の皇籍復帰を認めないこととなった。しかし、後で詳述する旧皇族は現行皇室典範の下での皇籍離脱者およびその男系子孫であり、現皇室典範では皇籍離脱者やその男系子孫の復帰禁止規定は明文されていない。その解釈の限りにおいては、現行皇室典範でも広義の解釈は可能であるとされるが、充分な議論と、慎重な選択が必要となっている。

しかし、現行のままでは将来的に皇室が先細りすると見られるのは前掲の通りであり、速やかな結論と準備が急がれる側面もある。

皇籍復帰の候補者としてまず挙げられているのが、旧皇族(正確には旧皇族とその男系子孫)である。旧皇族とは、敗戦後の1947年(昭和22年)、SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の指令によって皇室財産が国庫に帰属させられたため、経済的に従来の規模の皇室を維持できなくなったことから、現行皇室典範11条の規定に則って、皇籍を離脱した男子26名とその男系子孫を指す。

旧皇族が挙げられる理由は以下の2点である。

  • 最近に皇籍離脱した男系男子である。
  • 旧皇族の皇籍離脱はSCAPの指令によるものであった。

なお、第2点について、もしSCAPの指令がなかった場合または指令の実施が不完全の場合、それでも旧皇族のうち、宮家を継承する予定のなかった王(次男以下の王)は、1920年(大正9年)の「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」(詳細は別項「旧皇族」を参照)によって臣籍降下するかもしれなかった。実際、1906年(明治39年)の竹田宮家、朝香宮家、東久邇宮家を最後に伏見宮系の新宮家は全く創設されず、1910年(明治43年)から1943年(昭和18年)にかけて計13名の男子(各宮家の長男以外の王、つまり次男以下の王)が、臣籍降下し侯爵または伯爵として華族に列せられた(ただし、この降下は準則によるものではなかった。詳細は別項「臣籍降下」を参照)。

世襲親王家は4家あったが、桂宮家は江戸時代に淑子内親王を最後に断絶、有栖川宮家は大正時代に威仁親王で断絶、閑院宮家は現皇室が出た宮家だが、江戸時代に愛仁親王で断絶したが、明治時代に伏見宮家の載仁親王がこれを継ぎ、その後皇籍離脱となった。伏見宮家系のみ現代まで続いている。つまり、旧皇族はすべて伏見宮家の系統である。皇統としては、現在から6世紀近く遡る北朝第3代崇光天皇の曾孫後花園天皇の男系子孫が今上天皇をはじめとする現皇室に続く系統で、後花園天皇の実弟の伏見宮貞常親王の男系子孫が旧皇族になる。つまり、両者の実父である第3代伏見宮貞成親王(後崇光院)が現皇室と旧皇族の男系での共通の先祖にあたる。

なお、霊元天皇の皇女・福子内親王伏見宮邦永親王へ1700年代初期に嫁ぎ、その後の伏見宮家系全ての先祖となった。1700年代終わり頃、東山天皇の男系の曾孫で、閑院宮家から鷹司家に養子に出た鷹司輔平の娘達子(光格天皇の父系の従妹)も伏見宮邦頼親王に嫁ぎ、その後の伏見宮家系全ての先祖となった。明治天皇の皇女である4人の内親王が、竹田宮恒久王北白川宮成久王朝香宮鳩彦王東久邇宮稔彦王に、昭和天皇の皇女・成子内親王東久邇宮盛厚王にそれぞれ嫁いでいるため、伏見宮系の男系男子であって、かつ明治天皇及び昭和天皇の子孫に当たるなど、現皇室と血縁の近い者も存在する。また、昭和天皇の皇后で今上天皇の生母である香淳皇后は、久邇宮邦彦王の娘(女王)なので、現皇室の中で昭和天皇系統の人々は伏見宮系との血縁が近い。

ただし、この案への賛成論者の間にも、皇籍復帰した旧皇族に直ちに皇位を継承させるべきとする意見はほとんどなく、復帰後に生まれた男系男子に皇位継承資格を付与するという考え方が主流である。これは、皇統に属するにしても、一般国民として生まれて20 - 30年以上も民間で生活した人物が天皇となることへの国民感情に配慮したものである。また、継体天皇光格天皇(但し、光格天皇と皇后の子は全て早世し、次代仁孝天皇は皇后の実子ではない)など遠い傍系から継承した天皇に対しては、先帝の姉(妹)や娘を皇后とすることで血縁を近づけた前例もあり、現在の皇族女子と旧皇族男子が婚姻して生まれた男系男子にのみ皇位継承資格を与えるとする意見もある。

なお、旧皇族以外にも現在は皇族でない天皇の男系子孫として、皇別摂家なるものが存在する。例えば、この家系にはいずれも首相経験者で、後陽成天皇の男系12世孫である近衛文麿東山天皇の男系6世孫である西園寺公望などが挙げられる。祖先が臣籍降下している点では旧皇族と同じであり、男系で現皇室と枝分かれした時点が伏見宮家より後なので、男系での血筋は近い。

多くの皇籍復帰賛成論者が皇別摂家を斥ける理由は、以下の2点である。

  • 鷹司輔平など皇別摂家の男系先祖たる皇子が臣籍降下したのは、約260年前の昔のことである。
  • 嗣子のない摂家養子となったのだから、藤原氏の子孫であって皇別とは言えない。藤原氏および中臣氏は神別であり、藤原氏には皇位継承資格はない。皇族となるには、血筋が皇胤かどうかだけでは駄目で、家柄、家格も必要であるが、摂家や清華家は臣下の家柄である。

以下、旧皇族の皇籍復帰についてその賛成論・反対論の主張を挙げる。

旧皇族の皇籍復帰賛成論の主張

  • 天皇が皇子をもうけなかった場合は、宮家の親王が即位するのが皇室の伝統である。過去にも系譜を遡れば、閑院宮から出た光格天皇伏見宮家から出た後花園天皇等、幾度となく傍系継承を行うことで皇統断絶の危機を回避し、万世一系の伝統を守ってきた。また伏見宮家から出た載仁親王は閑院宮家を継承するなど、宮家間の繫がりも深い。したがって、傍系であっても1947年まで歴とした皇位継承資格があった旧皇族など男系男子を皇籍に復帰させ、男系継承の伝統を守るのは、皇室の歴史を考えれば極めて自然なことである。これら皇胤を排除して女系天皇天皇氏でない者が天皇になる)を容認するのは、先人から受け継いできた歴史と伝統を無視する行為に他ならない。
  • 過去にも第59代宇多天皇は、一度臣籍降下しているものの、後に皇籍復帰して皇位を継承している。また、その皇子である第60代醍醐天皇も出生時は臣籍であったが、父とともに皇籍に復帰し、即位したなどの前例がある。
  • 醍醐天皇の皇子である兼明親王920年延喜20年)に臣籍降下したが977年貞元2年)に親王宣下となり、57年を経て皇籍復帰した例がある。
  • 順徳天皇の曾孫である忠房親王は出生時に臣籍であったが、1319年(文保3年)に親王宣下となり、出生から約34年後のに皇籍復帰した例がある。
  • 皇籍を離脱した後も皇室の親戚という立場に変わりはなく、皇室親族の親睦団体「菊栄親睦会」に所属して現在でも皇室と親しく交流を続けている
  • 旧皇族の全員が皇室入りするのではなく、皇室会議が認めた数人の若い男子(とその妻)だけが皇籍取得すればよい。
  • 神武天皇につながる男系男子で、明治天皇昭和天皇との血縁関係も深いということを説明すれば、国民も納得する可能性がある。
  • 我が国の平均出生率は約1.3となるが、これは独身者も含めてのことだ。夫婦間の出生率は2人以上、所得額が多いほど出生率は増加する傾向にある。皇室という安定的生活が確保されている環境では出生率2 - 3人を想定することは、世間一般の夫婦間の出生率と同じである。出生率2 - 3人ということは、男子が誕生する確率は75% - 87.5%。仮に出生率2人で4宮家という計算で、まったく男子が誕生しない確率を出すと、0.5の10乗で、0.00098。つまり0.1%未満となる。宮家4家体制を維持すれば、皇室でまったく男子が誕生しない可能性は、数千年に一度あるかないかということになる。
  • 世襲親王家を設けて、どんなに世代が離れていても皇位を継承させるという制度が、敗戦による占領軍の不当な圧力を受けるまで540年以上も続いてきた。世襲親王家の制度を否定するのは、占領政策を現在においても甘受し追随する歴史否定以外のなにものでもない。

旧皇族の皇籍復帰反対論の主張

  • いったん皇籍離脱した傍系宮家の者の皇位継承が実現するとしても、その者は近代以降の直系からは外れるものである。そのため、国民が現在の皇室に寄せる親近感をこのまま確保することはできない。
  • 旧皇族とはあくまで天皇の男系男子というだけの人たちである。皇族としての品位は、年に数回菊栄親睦会皇族と接していれば自然と身に付くというものではない。そのため、男系継承の維持に固執すれば皇室の品位を貶め、国民からの尊崇の念を失うようなことにもなりかねない。
  • 過去に即位した傍系宮家出身の天皇は、男系でせいぜい3代遡れば天皇に達する皇族であった。最も遠い継体天皇ですら、男系で5代前に分かれた血筋である。旧皇族のように、男系で20代近く遡らなければ天皇にたどり着かないような傍系の者が即位した例はない。
  • 宇多天皇醍醐天皇は一時期は臣籍にあったが、これは3年程度であり、危篤状態であったとはいえ、宇多天皇の実父である光孝天皇在世中の復帰である。旧皇族は皇籍から離れて既に60年近く経過しており、その男系男子は一般の国民として生まれて20 - 30年以上も民間で生活している。そのような人物が皇族となるのは皇籍「復帰」ですらなく、国民が皇族として、天皇の父としての親近感や尊崇の念を抱くことはないであろう。
  • 兼明親王が57年を経て皇籍復帰したのは大臣職を退かせることが目的であり、皇位継承問題とは関係がない。
  • 忠房親王が出生から約34年を経て皇籍復帰したが、皇位継承問題とは関係がない。
  • 旧皇族が皇籍離脱してからすでに60年近く経過しているため、もし皇籍復帰するとすれば20 - 30代の男子(とその妻)であり、その父母や父方の祖父母までは復帰しないであろう。皇統譜に、その方たちが皇族として記載されないのでは断絶したことと同じになる。
  • 仮に皇籍復帰したとしても、その後に男子が誕生するとは限らないので、皇統維持の安定性に欠ける。また、このような前例を作ると、復帰に応じなかった者、復帰をしなかった者の男系子孫が後年になって皇室入りを主張した場合、収拾がつかなくなる。
  • 男系であろうとなかろうと、国民は将来の天皇も現皇室の血統を継承することを期待している。また、旧皇族男子と未婚の現皇族女子とは既に菊栄親睦会などを通じて面識があるだろうが、結婚には当人たちの合意が必要である。
  • 旧皇室典範では、「皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス」(同増補6条)として、臣籍降下した元皇族の皇籍復帰さえ認めなかった。その子孫の皇籍取得は旧典範ですら想定しないことである。

旧皇族自身の意見

現在、旧皇族は法的には一般の国民と同じ立場であり、この問題に関する彼ら自身の意向は巷間にあまり伝わってこない。しかし、「皇室典範に関する有識者会議」が女性天皇および女系天皇容認の姿勢を明確に打ち出したことに合わせ、一部の旧皇族はマスコミ等を通じて同会議の結論への明確な反対意見を表明した。ただ、旧竹田宮家の子孫の竹田恒泰は、『現代』(平成18年2月号)のなかで、『旧宮家の当主たちが「皇室典範問題については一切意見を述べない」ことで意見を一致させ、この問題についてメディアの取材を受けないよう、父を通じて私にも通達があった』と述べている。

竹田は、皇位継承の歴史や宮家皇族の役割に言及した著書(『語られなかった皇族たちの真実』)を出版した。この中で、「男系でない天皇の誕生は『万世一系の天皇家』の断絶」と指摘し、旧皇族の男系男子は皇籍復帰の覚悟を持つべきだとしている。また、男系継承の伝統の重要性を強調し「皇室の存在意義を守り抜くために、旧皇族の男系男子は責任を果たさなくてはならない」と主張する。竹田が同書で自身の意見を表明する際には、一部の皇族や旧皇族の当主らにも相談したとのことである。

自身が皇籍復帰する意思の有無については「現時点では、あくまでも『旧皇族の子孫』という立場でメッセージを発していくのが私なりの責任の果たし方だと思っています」とし、さらに「一般論として」と前置きした上で「その〔皇統断絶の危機に皇位を継承するという〕お役目の歴史的な重さに比べたら、個人的な欲望や野望など、取るに足らないちっぽけなものにすぎないと思っています」と述べている(『SAPIO』2006年2月8日号)。

男系による皇位継承の根本問題

上記の通り、皇位継承資格者の不足の原因は、

  1. 終戦後のSCAPの政策による伏見宮系皇族の大量の皇籍離脱により、皇族の数が減少したこと
  2. 大正天皇が側室を廃止して以来、皇室は現在まで一夫一妻制を採っていること

が指摘されている。

単一の夫婦だけで世継ぎの男子を恒久的に多数確保し続けることは、事実上不可能である。1人の女子が生涯に出産できる子の数は限られており、また妻や夫の身体的問題で不妊症の可能性などにより、そもそも子ができないこともある。すべての出産が女子であることも、統計的には起こりうる。医療や衛生知識の乏しかった時代には、女王や世継ぎが出産時あるいは幼年期間に早死する可能性が高かったし、現時点でも過去ほどではなくともその可能性は依然存在する。

このため、宗教的立場から一夫一妻制をとったヨーロッパの中世の王室では、后妃が出産適齢期以内に男子を出産しなかった場合は離婚、そして新しい若い女性と再婚することで男子の世継ぎの確保に務めた。イギリスなどではそれでも立ち行かなくなり、女子継承を認めたりするが、結婚しなかったエリザベス1世のように、ヨーロッパでは王朝そのものが男子・女子の世継ぎが生まれず、断絶した例が数多く存在する。また現在では、現存する全てのヨーロッパの王室で女子・女系による王位継承権を認めている。

一方で、日本の皇室(あるいは多くの非キリスト教系の王室)においては、側室または多妻をとることで皇位継承者を維持してきた。日本の皇室において、明治天皇の代までは側室を設けるのが慣例であり、例えば第119代光格天皇から第123代大正天皇まで、正室以外の女性からの所生が5代続いている。しかし、日本は明治維新後に皇位継承における争いを避ける目的で、プロイセンの世襲制度である男子直系のみの制度を導入し、皇位継承権の範囲を著しく限定した[要出典]。大正天皇の代からは、日本の近代化のさらなる一環として、天皇本人の意思により側室が廃止され、一夫一婦制が導入された。しかしその一方で、継承制度の見本としたヨーロッパに反して、それまで通りに皇室の配偶者の離婚を事実上認めなかった。

さらに、日本の皇室は宮家の親王に皇位継承権を認めてきた。これは複数の宮家がお互いに、男子が出産しないというリスクを補填するという方法であり、天皇が皇子をもうけなかった場合は宮家の親王が即位することで男系継承を維持してきた。しかし前述の通り、終戦後のSCAPの政策による伏見宮系皇族の皇籍離脱により、宮家の数が大量に減少した。

結果として、現在では全ての皇室成人男子の配偶者が出産適齢期を過ぎている中で、次の世代の男子は悠仁親王ただ一人という状態であり、このままでは皇統そのものが断絶する可能性が無視できない程度に高い。

当然であるが、側室復活には現行法の改正が必要であるが、離婚および再婚による男系子孫の増加策には現行法の改正は必要ない。しかし側室の再導入あるいは、不妊を理由にする強制的離婚は、皇室の男性および彼らの配偶者の人権を著しく侵害するものであり、皇室男子の意向だけでなく、日本国民の理解が得られるとは到底考えられず、日本の近代国家としての品位さえも疑われるものである。

よって、皇位継承資格者の不足解消策として現実的な選択肢としては、

  1. 男系のみならず女系子孫にも皇位継承資格を認める。
  2. 皇籍離脱した男子(あるいはその男系子孫)を皇籍復帰させ、男系継承を維持する。

上記の通り、主にこの2つの対策が考えられている。

側室制の復活に対する反対論

  • 離婚すれば良いだけの問題である。ただし、跡継ぎを産めなければ離婚、さらに跡継ぎのために新しい女性と再婚という制度は側室と同じように現代社会の価値観から逆行するとも言える。
  • 現在の日本、及び他の先進国の倫理観から見て、問題がある。
  • 国民の間では一夫一婦制が定着しており、天皇・皇族のみが国民から更に乖離することになる。
  • 側室制度が復活した場合、現代において側室になろうという女性がいるかどうか、また将来側室をとることになっている男性のもとに正妃として嫁ごうという女性がいるかどうか、という点まで視野を広げれば、側室制度を復活させたがために肝心の正妃をも得ることができなくなる危険性をはらんでいる。
  • 全ての先進国で一夫一婦制が採用されている現在の国際社会において、側室を復活させれば、一部の国を除いて日本の近代文明国としての品位が疑われかねない。
  • 現在では、医学の進歩によって乳幼児の死亡率は下がっており、側室制を復活させずとも、一夫一婦制でも男系による皇位継承は十分に可能である。
  • 不妊症を患っていたり、性的指向が女性を対象としていないなどの要因で、たとえ側室を娶っても子に恵まれない場合もある。

天皇・皇族の意向

日本国憲法第3条第4条には「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とあり、天皇の政治発言は認められていない。皇族(皇族とは皇室に属する天皇以外の人を指す)が発言することについて規定している法律はないが、憲法第4条の規定は皇族にも及ぶとの解釈が一般であり、皇族自身も戦後は政治へ介入することを極力避けてきた。そのため、天皇や皇族が皇位継承問題についてどのような意見を持っているかは、なかなか明らかになっていない。

天皇

2005年(平成17年)12月19日、今上天皇は自身の誕生日に際して記者会見を行なった。そこでは記者から「これまで皇室の中で女性が果たしてきた役割を含め、皇室の伝統とその将来」について事前質問があり、天皇は「皇室の中で女性が果たしてきた役割については私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思います」と述べたが、「皇室典範との関係で皇室の伝統とその将来」については回答を控えた[4]

なお、その後に記者からの関連質問が予定されていたが、宮内庁は「時間の都合」を理由に会見を打ち切った。これに対して記者会は22日に抗議文を提出し、宮内庁は「思い違い」で会見を打ち切ってしまったことを謝罪する一幕があった。

このように、天皇と皇后は皇位継承問題について一切態度を明らかにしていない。これまでに橋本明をはじめとする、今上天皇のいわゆる「ご学友」たちが、週刊誌上やワイドショーに登場し、「学生時代から開明だった陛下は女性・女系天皇にも賛成しているだろう」などのコメントをしているが、いずれもあくまで部外者による推測の域を出ない。

  • 武部勤(当時自由民主党幹事長)は、2006年(平成18年)1月17日全国都道府県議会議長会自由民主党三役との懇親会で、皇室典範改正法案に関して、「(皇室典範改正は天皇)陛下のご意思だ」「こんなことを国会で議論すること自体、不敬な話なんだ」と発言した。
  • 宮内庁総務課報道室は「天皇陛下におかれては、記者会見で、皇位継承制度は法律に基づく制度の問題で、国会で議論されることであり、発言を控えたいとお答えになっています」と発表している。
  • 記者の質問に対し天皇は「国会の議論に委ねることになる」のあとに、必ず逆接的表現で、「意見を聞いてもらいたい」と付け加えられている。

皇后

2006年(平成18年)10月20日皇后は72回目の誕生日を迎えた。これに先立って、宮内記者会は「次々代を担う女性皇族にどのような役割や位置付けを期待するか」という質問を寄せたが、皇后は文書による回答で「皇室典範をめぐり、様々に論議が行われている時であり、この問に答えることは、むずかしいことです」と述べ、回答を控えた[5]

皇太子

2006年(平成18年)2月21日皇太子徳仁親王は46歳の誕生日に際しての記者会見にて、記者からの「皇室典範に関する有識者会議が最終報告書を提出し、女性・女系天皇を容認する方針が示されました。今後の皇室のあるべき姿に関する考えや敬宮愛子様の将来について、父親としてのお気持ちをお聞かせください」という質問に対して、「皇室典範に関する有識者会議が最終報告書を提出したこと、そしてその内容については、私も承知しています。親としていろいろと考えることもありますが、それ以上の発言は控えたいと思います」と述べた。

寬仁親王

寛仁親王は、自身が会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報『ざ・とど』2005年(平成17年)9月30日号の「とどのおしゃべり」というコラム欄で、「プライヴェート」な形式と断った上で「歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と女系天皇への反対姿勢を表明した。同誌は会員向けの非売品であるが、『WiLL』2006年1月号がこのエッセイの全文を転載している。

寬仁親王は「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張し、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んで、女系天皇容認の動きにこれまでの歴史と伝統を尊重しないとする強い懸念を表明した。

また、男系継承を維持するための方法として、歴史上実際に取られたことのある以下の4つを挙げている。

  1. 皇籍離脱した旧皇族を皇籍に復帰させる。
  2. 皇族女子(内親王および女王)に旧皇族の男系男子から養子を取れるようにし、その方に皇位継承資格を与える。
  3. 廃絶になった秩父宮高松宮の祭祀を、伏見宮家の子孫である旧皇族の男系男子が継承し、宮家を再興する。これは、明治時代に現皇室の祖先である光格天皇の実家である閑院宮家が絶えた際、伏見宮家から養子を迎え継承した先例があり、何も問題がなく、最も順当な方法である。
  4. 昔のように「側室」を置く。自分(寬仁親王)としては大賛成だが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思う。
    • 以上、同年11月3日に『讀賣新聞』が初めて報道した。国内の大手新聞やテレビなどは寬仁親王が「側室制の復活」を提案したことについてあまり言及しなかったが、これと正反対に日本国外のマスメディアは「日本の皇族がconcubine(側室、妾)の復活を提案した」ということに重点を置いて報じた。また、国民を「民草」と呼んだことも批判を浴びた。

なお、寬仁親王は、保守系政治団体である「日本会議」(会長・三好達元最高裁長官)の機関誌『日本の息吹』2006年2月号に掲載された「皇室典範問題は歴史の一大事である―女系天皇導入を憂慮する私の真意」と題するインタビューで、皇位継承問題について「三笠宮一族は、同じ考え方であるといえる」と、父・三笠宮崇仁親王と母の百合子妃も歴史と伝統に反する皇室典範の改正に反対していることを初めて明らかにした。この中で寬仁親王は、崇仁親王が前年10月、宮内庁風岡典之次長を呼んで、皇室典範改正に向けた拙速な動きに強く抗議したことを紹介した。

また、皇室典範改正は「郵政民営化や財政改革などといった政治問題をはるかに超えた重要な問題だ」と指摘するとともに、自身の発言に対して宮内庁の羽毛田信吾長官らが「正直、困ったな」「皇族の立場を改めて説明する」などと重ねて憂慮を表明していることに関しては、「私がこういうインタビューに応じたり、かなり積極的に発言しているのは国家の未曾有の大事件と思うので、あえて火中の栗を拾いに行っているような嫌いがあります」と述べ、女系天皇容認の動きに対抗する意思を明確にした。

高松宮妃喜久子

高松宮宣仁親王妃喜久子敬宮愛子内親王誕生のおり、女性天皇の即位を「不自然な事ではない」と容認する意見を雑誌『婦人公論』に寄稿した。しかし、女系天皇については明言しなかった。

彬子女王

寬仁親王の長女、彬子女王2010年(平成22年)10月25日発売の季刊誌『皇室 Our Imperial Family』第48号(平成22年秋号)インタビューにおいて、「男系継承の伝統を大事にしていかねばならない」という意見を表した。

政府・民間での動き

現行の皇室典範第1条では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と定められており、女性天皇女系天皇を認めていないが、皇族男子は不足しており、さらに2001年平成13年)に東宮家敬宮愛子内親王が誕生したことから、その後、2006年(平成18年)に秋篠宮妃紀子悠仁親王懐妊を発表するまでの間、女性天皇を認めるように皇室典範を改正しようとする論議が活発に行われた。

「皇室典範に関する有識者会議」

2004年(平成16年)12月27日、政府は皇室典範を改正して女性天皇及び女系天皇を認めるべきかどうかを審議するため、有識者による懇談会の設置を決め、翌年の2005年(平成17年)1月26日小泉純一郎首相私的諮問機関皇室典範に関する有識者会議」(以下、「有識者会議」)を設置し、同会議は独立行政法人産業技術総合研究所理事長を務める吉川弘之を座長に互選し、議論を始めた。会合では、皇位継承原理の案として(1)第一子優先、(2)兄弟姉妹間で男子優先、(3)男系男子優先、(4)男子優先、の4つが提示された。(1)の場合、男女に関わらず天皇直系の長子が皇位を継ぐ。(2)の場合、例えば愛子内親王に弟が生まれた場合、その子が皇位を継ぐ。産まれなかった場合は愛子内親王が皇位を継ぐ。(3)の場合、父親が皇族である男子が優先される。(4)の場合、男系女系に関わらず、男子が優先される。現行典範は男系男子限定を規定している。

同年3月18日、全国約8万社の神社で組織する神社本庁は有識者会議が皇位継承のあり方について検討していることを受け、神社本庁としての考えを「皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢」としてまとめ、各都道府県の神社庁に送付した。神社本庁はここで「歴史的に、皇位は男系男子によって継承された」と指摘し、政府や有識者会議には「男系男子による継承の歴史的な意義と重みを明確にした上で、将来にわたって安定的に皇統を護持するための具体的な論議がなされるべきだ」との立場を明確にした。また、天皇、皇族は憲法基本的人権の「例外」とされることから、男女平等の観点から女性天皇を論じるのは不適切と主張。皇位継承のあり方に関し「海外の例を安易に取り入れることは、国柄の変更をもたらす恐れがある」としている。

同年7月、有識者会議は中間報告を発表し、皇位継承範囲の拡大を提唱するとともに「女性天皇及び女系天皇の容認」案及び男系継承の伝統を守る立場から「旧皇族の皇籍復帰による男系男子継承の維持」の2案を具体案として提示した。有識者議会はあくまで「私的諮問機関」であり法的効力は無いに等しいが、小泉首相がその最終報告を尊重すると表明していたため動向が注目された。

同年10月、有識者会議は女性・女系天皇容認の最終指針を打ち出すための調整に入った事が明らかになった。10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を皇族女子と「女系皇族」へ拡大することを決めた。吉川座長は同日の記者会見において「現行の皇室典範で安定的な皇位継承ができるかどうかを議論したが、将来、後継者不足が生じることは明らかだ。憲法で定められた皇位の世襲を守るのが、女子、女系への拡大だ」とその理由を説明。ただこの時点では、皇位継承順位は男子優先か長子優先かについて意見がまとまっていない。また、小泉首相は同日夜の記者会見で、皇室典範改正の方向ですでに準備に着手していると述べた。

11月24日、有識者会議は、象徴天皇制の安定的な維持のため、皇位継承資格を女性や天皇・皇族の女系子孫に拡大することなどを求める最終報告書をまとめ、首相に提出した。同会議では旧宮家の男系男子を皇族の養子とする案について「どの方の養子となるかにより継承順位がかわることになるので、当事者の意思により継承順位が左右されることになる」「どうしても当事者の意思が介在してしまい、一義性に欠けることになる」など皇位継承の安定性の観点から否定的な意見が強く、また、男系の血統の保持についても「男系男子だけによる継承が行き詰るということははっきりしている」などの消極的意見が大勢を占めていた。この報告書の背景には女性天皇女系天皇を容認して皇位継承者の範囲を拡大すべきとする考えがある。

それに対して神社本庁は12月2日、「皇室典範改正問題に関する神社本庁の基本見解」を発表し、「女系継承の大前提となる女子皇族の配偶制度をはじめとする諸課題についての具体的議論を経ないままに、新制度を「安定的」と断ずることは甚だ疑問としなければならない」と述べた。

ただし、2006年(平成18年)2月秋篠宮妃紀子に第3子懐妊が明らかになり、この問題についての議論はその出産まで先送りされた。2006年(平成18年)9月、秋篠宮妃紀子が悠仁親王を出産し、41年ぶりの皇族男子の誕生となり、直系長子優先継承・女系継承容認の議論は沙汰止みとなった。

小泉首相の後任の安倍晋三首相は、「直系長子優先継承、女系継承容認」の有識者会議の報告を白紙に戻し、静かに慎重に論議していくことが大切と述べた。

宮内庁

2006年平成18年)に悠仁親王が誕生する以前、前述の有識者会議とは別に、宮内庁においても皇位継承者の不足を解決するために女性天皇女系天皇を容認する皇室典範改正が検討されていた。宮内庁案では、男系男子をもって継承することを原則とするが、やむを得ない場合のみ女性天皇・女系天皇を容認するという内容であった。

言論界での議論

有識者会議の結論に対して、言論界の一部からは強い反発があり、特に女系天皇も容認しようとする同会議の姿勢に対しては、「なし崩し的である」との強い疑問の声も上がった。有識者会議には単なる男女平等論調の観点から意見を述べた委員が複数いることも判明し、また結論を急ぎすぎていると同指針に対する批判も相次いだ。女系による皇位継承の容認は、日本の建国以来神武天皇の男系の血統を連綿と継承してきたとされている「万世一系」と称される皇統の断絶を意味するとし、有識者会議が否定した旧皇族の復籍を、特別法の制定などの方法によって実現させ、男系の皇位継承を維持するべきとする意見が表明されている。2005年10月6日には、小堀桂一郎東大名誉教授を代表とする「皇室典範問題研究会」が結成され、「男系継承の皇室の伝統を維持するために旧皇族の復帰を検討するべき」「現在の皇族の方や旧皇族の方からも意向を伺うことが大事」等の声明を発している。同年10月21日には女系天皇の容認に反対する「皇室典範を考える会」(代表:渡部昇一)が結成された。

世論調査

この数年間、皇位継承問題についての世論調査全国紙通信社テレビ局によるものだけでも計10回以上実施されている[いつ?]。その結果によると、ほぼ常に2/3以上の国民が女性天皇女系天皇に賛成し、女性天皇への賛成は75%以上にもなる。女性・女系天皇を容認する場合に男子と長子といずれを優先すべきかについては、前述のように意見が分かれている。

ただし、国民が女性天皇と女系天皇との違いをどれほど理解しているかについては疑問が残る。皇位継承問題は21世紀に入ってから注目を集めるようになったが、当初マスコミはこれを「女帝問題」「女性天皇問題」と呼称し、現在でも「女性・女系天皇問題」と呼ぶなど、誤解や混乱を招きやすい傾向にある。

前述したように、女性天皇や女系天皇の是非についての世論調査は何度も行なわれているが、両者の相違の理解度についての統計調査はほとんど実施されていない。日本テレビが2006年1、2月に実施した世論調査では以下の結果となった。これによれば、半数以上の国民が両者の違いを理解していないようである。ただし、質問文で「女性天皇の子どもが天皇になる『女系天皇』」と女系天皇の概要を説明してしまっているため、実際には違いを理解していなかった人まで「知っている」と答えたおそれもある。125代続く伝統を一時の国民感情で変更するのは軽率だという見方も依然として強く、伝統にこだわるべきではないという見方[誰?]の間で対立が続いている。

日本テレビ世論調査(2006年1、2月)
  1月 2月
天皇制は、伝統として父方の天皇の血筋を継ぐ「男系」が維持されてきました。政府の有識者会議では、女性が天皇になるのみでなく、女性天皇の子どもが天皇になる「女系天皇」を認めています。あなたは、「女性天皇」と「女系天皇」の違いについてご存知ですか、ご存知ではありませんか?(1、2月に共通)
知っている 36.7% 41.7%
知らない 53.2% 52.1%
わからない、答えない 10.2% 6.2%

また、女系天皇への賛成世論には「男女平等」を理由としているものが多い。しかしそのような賛成世論に「皇族女子の待遇を悪化させてでも、あるいは本人たちの希望に反してでも女系天皇を容認すべきだ」という意見は少なく、多くはあくまで「女系天皇を容認しても皇族女子の待遇は悪化せず、それどころか改善されるため、本人たちも望むところだろう」という観測に基づいている。

女系継承の容認は、一般に皇族女子にとって以下のような利点があると考えられている。

  1. 后妃は男子出産を期待する重圧から解放される。
  2. 皇族女子は結婚しても皇籍を離脱しなくともよくなり、家族が末永く同居できる。

このような観測に対しては以下のような反論がある。

  1. 女系天皇が容認されることによって、后妃が「男子出産を期待する重圧から解放された」と感じるか、それとも「自分が男児を出産しなかったために、男系の伝統が崩れてしまった」と感じるかは本人にしか分からない。
  2. 皇族女子は、皇族男子と同様に一部の基本的人権が制限される、また、皇籍にとどまる皇族女子が、配偶者を見つけるのは困難が予想される(詳細は本項の節「#皇族女子と女系継承決定の期限」を参照)。

有識者会議の報告書提出を受けて、『毎日新聞』が2005年(平成17年)12月10日、11日の両日に行なった全国世論調査(電話)でも、皇位継承原理について「女系も認めるべきだ」が「男系を維持すべきだ」を大きく上回っていた。ただし、この世論調査は悠仁親王誕生以前のものであり、次世代の皇族8名(当時)が全て女性だった状況の上での調査結果であることを留意する必要がある。またこの世論調査では、「女性皇族は結婚後も皇族にとどまるべきだと思いますか、自分の意思で皇族から離れられるようにすべきだと思いますか」との質問については「自分の意思で離れられるようにすべきだ」が、「皇族にとどまるべきだ」を大きく上回り、賛否の割合がほぼ逆転している。

毎日新聞全国世論調査(2005年12月10、11日)
  全体 男性 女性
これまで天皇は、父方が天皇の血筋を継ぐ「男系」で維持されてきました。皇室典範に関する有識者会議の報告書は、母方天皇の血筋を継ぐ「女系天皇」も認めており、歴史的な転換となります。男系を維持すべきだと思いますか、女系を認めるべきだと思いますか。
男系を維持すべきだ 22% 26% 19%
女系も認めるべきだ 71% 68% 74%
女性皇族は結婚後も皇族にとどまるべきだと思いますか、自分の意思で皇族から離れられるようにすべきだと思いますか。
皇族にとどまるべきだ 15% 16% 14%
自分の意思で離れられるようにすべきだ 80% 78% 81%

天皇や皇族の意見表明について、JNN2005年(平成17年)1月15月 - 1月16日に実施した世論調査では76%の人が「天皇や皇族の意見を聞くべきだと思う」と答え、「聞くべきだとは思わない」と答えた19%を大きく上回った。しかし1年後の2006年(平成18年)1月14月 - 1月15日の調査では、「皇族が意見を表明することに賛成」「反対」がほぼ拮抗している。これは、その間に寬仁親王が福祉団体「柏朋会」の会報『ざ・とど』2005年(平成17年)9月30日号、毎日新聞2006年(平成18年)1月3日付、雑誌『文藝春秋』同年2月号、政治団体「日本会議」の機関誌『日本の息吹』同年2月号、オピニオン誌『正論』同年3月号で、女系天皇への反対姿勢を強く打ち出したことが影響していると考えられる。寬仁親王の一連の発言は、「天皇や皇族がこの問題について沈黙を守っているのは、政府や有識者会議の方針に満足しているからだ」という風説を打ち消すことに成功した。しかし、当事者とはいえ皇族の1人が政治問題について、それも国民の多くが賛成する問題について強く反対したことは極めて異例であり、国民世論に少なからぬ動揺を与えたようである。

JNN世論調査(2005年1月15、16日)
天皇や皇族は一般的に政治的発言をしませんが、女性天皇を認めるには、皇室典範の改正が必要です。改正にあたって天皇や皇族の意見を聞くべきだと思いますか?
聞くべきだと思う 76%
聞くべきだとは思わない 19%
答えない・わからない 5%
JNN世論調査(2006年1月14、15日)
天皇や皇族は一般的に政治的発言をしませんが、この問題について皇族が、意見を表明することにあなたは賛成ですか、反対ですか?
賛成 48%
反対 45%
答えない・わからない 7%


2010年、今上天皇即位20年に当たってNHKが実施した皇室に関する意識調査(2009年10月30日 - 11月1日電話調査)では、2043人の回答者のうち、女性天皇に賛成77%、反対14%で、2006年2月の調査に比べて賛成がやや増加した。年齢別では若年層ほど賛成の比率が多かった。また女系天皇の意味を知っているかという質問に対しては「よく知っている」8%、「ある程度知っている」43%、「あまり知らない」33%、「全く知らない」12%で、このうち「よく/ある程度知っている」人を対象に女系天皇を認めることの賛否を質問したところ賛成81%、反対14%であった。[6]

昨今の動向

2006年(平成18年)9月6日秋篠宮妃紀子悠仁親王を出産したことにより、絶対に皇室典範を改正しなければ皇位継承資格者が存在しなくなるという状況は脱したが、皇位継承問題が完全に解決したわけではない。

  • 皇族女子は皇統を引き継がず、また皇室以外の男性と結婚をしたら皇籍離脱しなければならない。
  • 悠仁親王が誕生するまでは、秋篠宮文仁親王以来約41年間、皇室に男子が産まれず、皇太子妃雅子や秋篠宮妃紀子の出産も年齢的に難しくなりつつあった。

以上の理由により、皇族男子の誕生が難しい現状では、何らかの形で改正しなければ、皇位継承資格者どころかすべての皇族が途絶える危険性がある。そのため女系容認派論客・旧皇族皇籍復帰派論客ともに、いかにして皇室典範を改正すべきかに問題が集中している。一方、女系容認論、旧皇族皇籍復帰論、共に欠点を持つため、現行の皇室典範維持やむなしと見る向きもある(#男系維持論の主張#旧皇族の皇籍復帰反対論の主張参照)。

2006年(平成18年)2月に秋篠宮妃紀子の懐妊が発表され、同年9月6日に悠仁親王を出産したため、改正が事実上先送りされているが、いずれにせよ今の典範のままで今後皇室に男子誕生がない場合、将来皇族が悠仁親王1人だけになってしまう可能性がある。とはいえ悠仁親王の誕生により状況が大きく変わり、また、旧皇族の復帰を考慮に入ると思われる議論を深める時間的猶予が生じた。

小泉首相の私的諮問機関であった有識者会議の案が、電光石火で白紙に戻された経過、及び案の節足・不明瞭さが暗に認められた状況から、一からの仕切り直しとなっている。

経緯

2001年(平成13年)12月1日
東宮家に敬宮愛子内親王誕生。
2003年(平成15年)12月3日
皇太子妃雅子帯状疱疹で宮内庁病院に入院。その後の診察で適応障害と診断され、以後宮中祭祀らを長期欠席。
2004年(平成16年)5月10日
皇太子徳仁親王による「人格否定発言」(浩宮の乱)。
2004年(平成16年)12月27日
小泉純一郎首相の諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議(座長:吉川弘之産業技術総合研究所理事長)」が発足した。これにより皇位継承問題に対する関心が高まることとなったが、会議メンバーには皇室問題の専門家はほとんどおらず、恣意的な人選が批判を浴びた。
2005年(平成17年)7月26日
有識者会議、中間報告書を提出。
2005年(平成17年)11月3日
読売新聞の報道によって、寛仁親王が女系天皇に反対の立場を表明する寄稿をしていたことが判明。
2005年(平成17年)11月24日
有識者会議が、皇位継承の安定を図るため女性・女系天皇を容認し、皇位継承順位は男女に拘らず長子を優先させるという内容の最終報告書を小泉首相に提出した。このためメディアで様々な議論が起こる。
2006年(平成18年)1月10日
寬仁親王、月刊誌『文藝春秋』2月号で櫻井よしこと対談し、改めて女系天皇に反対の立場を表明。
2006年(平成18年)1月12日
宮内庁の羽毛田信吾長官、定例記者会見で寬仁親王の発言に対し、「正直困ったな」と懸念を表明。
2006年(平成18年)1月20日
小泉首相、第164回通常国会施政表明演説で、今国会での皇室典範改正に強い意欲を表明。以後、政界で様々な議論が起こる。
2006年(平成18年)1月28日
小泉首相は「女系を認めないということは愛子内親王の子供が男でも駄目なのか。それをわかっているのか」と女系反対派を批判する発言。
2006年(平成18年)2月7日
NHKの報道によって、秋篠宮妃紀子が第3子の懐妊1カ月余、9月末の出産予定であることが明らかに。典範改正賛成・反対両派の国会議員から、出産まで改正を見送るべきとの意見が続出する。
2006年(平成18年)2月11日
小泉総理、第164回通常国会での皇室典範改正案の提出を断念。これによって当面の政治日程から外れる。
2006年(平成18年)2月17日
産経新聞の報道によって、2004年5月、政府の非公式検討会が女性・女系天皇容認を決定していたことが判明。
2006年(平成18年)2月23日
皇太子徳仁親王、誕生日記者会見で秋篠宮妃紀子の懐妊を「大変喜ばしい」と話し、さらに皇室典範改正問題に対し「親としていろいろと考えることもありますが、それ以上の発言は控えたいと思います」と発言。
2006年(平成18年)3月10日
有識者会議のメンバーである岩男壽美子武蔵工業大学(現・東京都市大学)教授が日本国外向け雑誌『ジャパンエコー』に発表した論文で、寬仁親王の発言を「時代錯誤」と批判。さらに有識者会議の結論が、すでに政府内で非公式に設置されていた研究会での方針に沿ったものであったことを認める。
2006年(平成18年)6月13日
自民党内閣部会(木村勉部会長)が皇室典範改正問題についてまとめた中間報告を発表。男系維持と女性・女系天皇容認の両論を併記したものの、「男系維持が望ましい」との文言を盛り込み、男系維持派に配慮した内容となる。
2006年(平成18年)7月2日
政府が同月の各省庁人事に合わせ、内閣官房の「皇室典範改正準備室」を縮小する方針を固める。
2006年(平成18年)9月6日
秋篠宮妃紀子が悠仁親王を出産。皇位継承順位は第3位となる。
これに伴って小泉首相が記者会見で「次期(第165回)通常国会で議論される問題ではない」と発言し、皇室典範改正の議論を急ぐ必要はなくなったとの認識を示す。
2006年(平成18年)9月12日
羽毛田信吾宮内庁長官が定例記者会見で、悠仁親王誕生に関連し、「今回親王さまがお生まれになったので皇位の安定的な継承に課題がなくなったかといえば、そうではない。皇位の継承という意味では、まだまだ課題は残っている」とコメント。
2006年(平成18年)9月30日
下村博文官房副長官が皇室典範改正問題について、「法律改正せずにこれからも男系男子の伝統が大丈夫だということではない」と改正の必要性を強調しつつも、「内閣が代わったのだから、有識者会議の結論に拘束される必要はない」と、実質上、改正議論を繰り延べする考えを示す。
2006年(平成18年)10月17日
男系による伝統的かつ安定的な皇位継承を目指す超党派の議員連盟「皇室の伝統を守る国会議員の会」(会長・自民党島村宜伸元農水相)が発足。
2008年(平成20年)12月26日
麻生太郎首相の決裁により「皇室典範に関する有識者会議」が廃止となる。

皇位継承順位

凡例:太字は存命人物、数字は現行順位、背景赤は女性

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正天皇
 
貞明皇后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇
 
香淳皇后
 
 
 
秩父宮
雍仁親王
 
勢津子
 
 
 
 
高松宮
宣仁親王
 
喜久子
 
 
 
三笠宮
崇仁親王 5
 
百合子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今上天皇
 
美智子
 
常陸宮
正仁親王 4
 
華子
 
島津貴子
 
寛仁親王
 
信子
 
桂宮
宜仁親王
 
高円宮
憲仁親王
 
久子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇太子
徳仁親王 1
 
雅子
 
秋篠宮
文仁親王 2
 
紀子
 
黒田清子
 
彬子女王
 
瑶子女王
 
 
 
承子女王
 
千家典子
 
絢子女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
愛子内親王
 
眞子内親王
 
佳子内親王
 
悠仁親王 3
 

一覧

  • デフォルトでは現行の皇室典範における順位(現行順位)で配列。
  • 現行順位の列の右3列、(1) (2) (3) の定義は以下の通り。
(1) - 女性・女系天皇を容認(直系優先・兄弟姉妹間長子優先)した場合の皇位継承順位
(2) - 女性・女系天皇を容認(直系優先・兄弟姉妹間男子優先)した場合の皇位継承順位
(3) - 女性・女系天皇を容認(男系男子優先または男子優先)した場合の皇位継承順位
それぞれ (1) (2) (3) のソートボタンで、上記のように改正された場合の順位に再配列される。
  • 今上天皇から見た続柄の列は、親等順に再配列される。
  • 現行順位の列および (3) の列のソートボタンで元の順序に戻る。
  • 皇族は2014年現在のものである。
読み 性別 生年/現年齢 現行順位 (1) (2) (3) 今上天皇から見た続柄
 
皇太子徳仁親王 なるひと 男性 1960年2月23日
(昭和35年)
64歳 01位 01位 01位 01位 親等1/第1皇男子
秋篠宮文仁親王 ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
58歳 02位 03位 03位 02位 親等1/第2皇男子
悠仁親王 ひさひと 男性 2006年9月6日
(平成18年)
17歳 03位 06位 04位 03位 親等2/皇孫 / 秋篠宮文仁親王の第3子(第1男子)
常陸宮正仁親王 まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
88歳 04位 07位 07位 04位 親等2/皇弟 / 昭和天皇の第6皇子(第2皇男子)
三笠宮崇仁親王 たかひと 男性 1915年12月2日
(大正4年)
108歳 05位 08位 08位 05位 親等3/叔父 / 昭和天皇の皇弟 / 大正天皇の第4皇子(第4皇男子)
敬宮愛子内親王 あいこ 女性 2001年12月1日
(平成13年)
22歳 07/ 02位 02位 06位 親等2/皇孫 / 皇太子徳仁親王の第1子(第1女子)
眞子内親王 まこ 女性 1991年10月23日
(平成3年)
32歳 08/ 04位 05位 07位 親等2/皇孫 / 秋篠宮文仁親王の第1子(第1女子)
佳子内親王 かこ 女性 1994年12月29日
(平成6年)
29歳 09/ 05位 06位 08位 親等2/皇孫 / 秋篠宮文仁親王の第2子(第2女子)
彬子女王 あきこ 女性 1981年12月20日
(昭和56年)
42歳 10/ 09位 09位 09位 親等5/従姪(従弟の子)/ 従弟寬仁親王(2012年薨去)の第1子(第1女子) / 大正天皇の皇曾孫
瑶子女王 ようこ 女性 1983年10月25日
(昭和58年)
40歳 11/ 10位 10位 10位 親等5/従姪(従弟の子)/ 従弟寬仁親王(2012年薨去)の第2子(第2女子) / 大正天皇の皇曾孫
承子女王 つぐこ 女性 1986年3月8日
(昭和61年)
38歳 12/ 11位 11位 11位 親等5/従姪(従弟の子)/ 従弟高円宮憲仁親王(2002年薨去)の第1子(第1女子) / 大正天皇の皇曾孫
絢子女王 あやこ 女性 1990年9月15日
(平成2年)
33歳 14/ 12位 12位 12位 親等5/従姪(従弟の子)/ 従弟高円宮憲仁親王(2002年薨去)の第3子(第3女子) / 大正天皇の皇曾孫

脚注

  1. ^ a b (松本 2007, pp. 242–253)
  2. ^ (松本 2007, pp. 171–188)
  3. ^ 菊池妃呂子「皇位継承問題の脱-構築:ジェンダー論からの考察」(PDF)『神戸大学紀要 海港都市研究』、神戸大学学術成果リポジトリ、2007年3月、2016年2月13日閲覧 
  4. ^ 天皇陛下お誕生日に際し(平成17年)”. 宮内庁. 2013年10月20日閲覧。
  5. ^ 皇后陛下お誕生日に際し(平成18年)”. 宮内庁. 2013年10月20日閲覧。
  6. ^ この段落の出典。世論調査部(意識調査)加藤元宜. “平成の皇室観〜「即位20年 皇室に関する意識調査」から」〜”. NHKオンライン. 日本放送協会. 2016年2月13日閲覧。

参考文献

  • 荊木美行「戦後の記紀批判をめぐる覚書――最近の皇室典範改正問題に関聯して」『皇学館論叢』第39巻第4号、皇学館大学人文学会、2006年(平成18年)8月、pp. 18-31、ISSN 0287-0347 
  • 笠原英彦『象徴天皇制と皇位継承』筑摩書房〈ちくま新書〉、2008年(平成20年)5月。ISBN 978-4-480-06417-2 
  • 所功『皇位継承のあり方 "女性・母系天皇"は可能か』PHP研究所〈PHP新書〉、2006年(平成18年)1月。ISBN 4-569-64805-3 
  • 松本, 健一『昭和天皇 畏るべき「無私」』(第1刷)ビジネス社、2007年2月5日。ISBN 978-4-8584-1331-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  • 寛仁親王『皇室と日本人 寛仁親王殿下お伺い申し上げます』加瀬英明櫻井よしこ小堀桂一郎ほか聞き手、明成社、2006年(平成18年)3月。ISBN 4-944219-41-5 
  • 百地章ほか 著、日本会議編 編『皇位継承の伝統を守ろう! 皇室典範に関する有識者会議の問題点』明成社、2006年(平成18年)2月。ISBN 4-944219-40-7 

関連項目

外部リンク