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新垣渚

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新垣 渚
福岡ソフトバンクホークス #18
2012年5月23日、福岡Yahoo!JAPANドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県那覇市
生年月日 (1980-05-09) 1980年5月9日(44歳)
身長
体重
190 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 自由獲得枠
初出場 2003年3月31日
年俸 3,300万円(2012年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

新垣 渚(あらかき なぎさ、1980年5月9日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手投手)。「渚」の字は正字体(渚、「日」の右上に点がつく)が正しい。

来歴

プロ入り前

1998年沖縄県立沖縄水産高等学校の主力投手として第70回選抜高等学校野球大会第80回全国高等学校野球選手権大会出場を果たし、松坂大輔横浜高等学校)と共に注目を集めた。全国大会史上初の151km/hを記録したが、どちらも初戦敗退。特に夏季大会は大島裕行埼玉栄高等学校)に逆転本塁打を浴びた。

ドラフト会議ではオリックス・ブルーウェーブ福岡ダイエーホークスが1位指名で競合。オリックスが交渉権を獲得したが、新垣は「ダイエー以外なら進学」と決めており、新垣の実家を訪れたオリックス編成部長(スカウト)の三輪田勝利を門前払いするなど頑なに入団拒否の姿勢を見せ、交渉は難航した。その後、三輪田が自殺を図るなど大騒動となったが、新垣は入団拒否の姿勢を貫いて九州共立大学へ進学した[1]。ダイエーは外れ1位で吉本亮九州学院高等学校)を獲得した。

九州共立大学では1999年に明治神宮野球大会で優勝するなど、大学球界を代表する右腕として活躍。2002年ドラフト会議でおいて、福岡ダイエーホークスに自由獲得枠で入団した。

プロ入り後

2003年は新人ながら先発ローテーションに定着し、4試合連続で2桁奪三振を記録するなど7月末までに8勝を挙げるが、8月にくるぶしを痛めて離脱。2003年の日本シリーズ(対阪神タイガース戦)には中継ぎとして復帰した。同年オフの契約更改では新人ながら掲示金額を保留したことで話題となった。

2004年は先発の軸としてチーム最多の11勝を挙げ、チームのシーズン1位通過に貢献。177奪三振で最多奪三振を獲得した。2005年には10勝、2006年には自己最多の13勝を挙げて3年連続の2桁勝利を達成するが、同年9月29日に虫垂炎からの急性腸炎により入院、プレーオフ第2ステージではベンチ入りしたが登板機会はなかった。

2007年は直球とスライダーを生かすためにシュートを習得。オープン戦では好投したものの、シーズンに入ると多くの暴投を記録したため、スポーツ新聞や当時監督だった王貞治から「暴投王」と呼ばれた(後述)[2]

2008年スラーブの習得と、力まない「7割投法」を目標に掲げ[3]調整したが暴投の多さは相変わらずで、8月20日の対埼玉西武ライオンズ戦ではプロ野球タイ記録の1イニング3暴投、プロ野球新記録となる1試合5暴投を記録する。8月28日の対オリックス・バファローズ戦でシーズン初勝利。しかしシーズン4勝は自己最低だった。

2009年は4試合に登板したが、その後昇格すること無くくシーズンを終えた。同年12月30日、杉内俊哉の妻の妹と入籍した[4]

2010年は肩と腰の故障もあり、プロ入り後初の一軍出場無しに終わった。二軍でも3勝5敗と振るわなかった。翌2011年も一軍公式戦には出場できなかったが、同年11月に開催された2011年のアジアシリーズでは久々に主力メンバーに混じって登板。統一セブンイレブン・ライオンズ戦で5回無失点と好投し、勝利投手となった。

2012年は同学年の和田毅と杉内、D.J.ホールトンがチームを去り再び先発ローテーション入りし、4月1日のオリックス戦に約3年振りの一軍のマウンドで先発。2008年10月6日以来1273日ぶりの勝利を1失点無四球完投で飾った[5]

プレースタイル

長身で投げ下ろすゆったりとしたスリークォーターから最速156km/h(プロ入り後の最速は155km/h)のストレートと縦・横のスライダーを投げ分ける。特に縦のスライダーのキレは球界随一とされ、「バニッシュボール(vanish=消える)」とも称される[6][7]。他にツーシーム・ファストボールカット・ファストボールカーブも投げ、通算の奪三振率8.85と奪三振が多い。

試合終盤にも150km/hオーバーをマークするスタミナも武器だが、課題は制球力で、山崎武司東北楽天ゴールデンイーグルス)は、「今まで対戦してきた中で最高のスライダーを投げる投手。彼(新垣)は強引にスライダーを曲げてくるので暴投が多いが、決められれば伊藤智仁斎藤雅樹より凄いスライダーを投げる。潜在能力を全て出し切れていない」と語っている。[要出典]2010年5月15日すぽるとのプロ野球選手100人が選ぶスライダーNo1投手で4位に選ばれた。

家族・エピソード

  • 父方の祖父がアメリカ出身のため、本人はクォーターである。
  • 渾名・キャッチフレーズは「なんくる渚」。「なんくる」とは出身地である沖縄の方言で「自然に」という意味で、慣用句である「なんくるないさ」に掛けたもの([1])。
  • 読売ジャイアンツ所属の杉内俊哉とは、両者の夫人同士が姉妹のため義兄弟の間柄である。
  • 幼稚園時代はキャプテン翼の影響でサッカーをしていたが、小学2年生から兄の影響で野球を始めた。当初は同世代より一回り長身である体格を見込まれて捕手を任されていたが、相次ぐ脚の怪我により投手へ転向。
  • 小学校時代の交通事故で右足に人工骨を埋める手術を受けて以降、右脚を3回、左脚を1回骨折した。特に那覇市立真和志中学校時代はほぼ3年間金属製のプレートを外せず、まともに走れなかった。そのため野球を辞めて兄も在籍した興南高等学校ボクシング部へ入部する段取りを進めていたが、書類上の不備で興南高等学校を受験出来ず、沖縄水産高等学校へ進学して野球を続けた。現在でもボクシングの試合を観戦している。
  • 2006年、一部ネット掲示板およびマスコミの報道で押切もえとの交際が囁かれた。しかし同年9月イベントの席上で、押切が交際を完全否定する発言をした。なお、同郷である沖縄アクターズスクール出身の女性芸能人と年来の交友があることは認めており、SPEEDのメンバー島袋寛子とは幼馴染。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003 ダイエー
ソフトバンク
18 18 8 1 1 8 7 0 -- .533 505 121.1 110 10 30 0 6 132 5 0 52 45 3.34 1.15
2004 25 25 9 2 1 11 8 0 -- .579 807 192.1 173 14 73 0 11 177 8 0 75 70 3.28 1.28
2005 22 21 3 2 0 10 6 0 0 .625 600 136.2 146 13 54 1 9 130 7 1 73 70 4.61 1.46
2006 23 23 5 2 1 13 5 0 0 .722 641 155.1 132 10 46 0 7 151 10 0 60 52 3.01 1.15
2007 21 21 2 1 0 7 10 0 0 .412 581 137.1 128 7 51 0 4 132 25 0 62 55 3.60 1.30
2008 15 15 0 0 0 4 6 0 0 .400 411 92.2 89 7 39 0 6 105 15 2 55 43 4.18 1.38
2009 4 4 0 0 0 0 2 0 0 .000 95 19.1 31 5 10 0 1 15 3 0 17 17 7.91 2.12
通算:7年 128 127 27 8 3 53 44 0 0 .546 3640 855.2 809 66 303 1 44 842 73 3 394 352 3.71 1.30
  • 2011年度シーズン終了時。
  • 各年度の太字はそのシーズンにおけるリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高。
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更。

タイトル

表彰

  • 月間MVP:4回 (2003年7月、2004年7月、2005年9月、2006年4月)- 4シーズン連続受賞はパ・リーグの投手としては史上初
  • JA全農Go・Go賞 (2007年5月度、最多奪三振賞)

記録

投手記録
打撃記録
その他の記録

暴投に関する記録

新垣は2007年にシーズン25暴投を記録したほか、2008年には1試合5暴投・1イニング3暴投を記録するなど、暴投に関する記録が残されている。以下、新垣の暴投に関する主な記録。

  • シーズン25暴投(日本記録):2007年
  • 1試合5暴投(日本記録):2008年8月20日、対埼玉西武ライオンズ18回戦(西武ドーム
  • 1イニング3暴投(日本タイ記録):同上

その他、2007年シーズンでの暴投の記録は以下の通りである。

その後、新垣自身の故障離脱はあったものの、最終的にこの年は25暴投まで伸びた[8]

背番号

  • 18 (2003年 - )

登場曲

関連情報

書籍

  • 渚 NAGISA (2007年5月11日、講談社ISBN 978-4062139687
    • ビジュアルノンフィクション。写真はスエイシナオヨシ撮影。

CM

  • フタタ 『プライス真っ二つ編』
  • 四季工房『ベストを尽くす編』 『子供の頃から編』

脚注

  1. ^ 新垣は後のインタビューで、「自分が活躍することが、最初に評価してくれた三輪田さんへの恩返し」と語っている。
  2. ^ nikkansports.com 「王語録」 2007年5月31日
  3. ^ 西日本スポーツ 2008年2月12日記事
  4. ^ 毎日jp(毎日新聞) 2009年12月25日記事
  5. ^ サンケイスポーツ 2012年4月1日記事
  6. ^ アメーバニュース2007年6月15日記事
  7. ^ 週刊ベースボール 2004年6月7日号記事
  8. ^ 日本プロ野球機構オフィシャルサイト 歴代最高記録 暴投

関連項目

外部リンク