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ハーフナー・マイク

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ハーフナー・マイク
名前
愛称 マイク
ラテン文字 HAVENAAR Mike
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-05-20) 1987年5月20日(37歳)
出身地 広島県広島市
身長 194cm
体重 86kg
選手情報
在籍チーム オランダの旗 フィテッセ
ポジション FW
背番号 14
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2009
2008
2009
2010-2011
2012-
日本の旗 横浜F・マリノス
日本の旗 アビスパ福岡(loan)
日本の旗 サガン鳥栖(loan)
日本の旗 ヴァンフォーレ甲府
オランダの旗 フィテッセ
26 0(0)
26 0(7)
33 (15)
63 (37)
150 (5)
代表歴2
2005-2007
2011-
日本の旗 日本U-20
日本の旗 日本
3 (1)
6 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月7日現在。
2. 2012年2月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハーフナー・マイク(Mike Havenaar, 1987年5月20日 - )は、広島県広島市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワードエールディヴィジフィテッセ所属。日本代表

来歴

日本リーグマツダSC(現サンフレッチェ広島)監督だったハンス・オフトの勧誘を受け来日した父ディド・ハーフナーが、マツダSCでコーチ兼任選手としてプレーしている時に広島で生まれた。

コンサドーレ札幌U-15では西大伍とツートップを組み多くのゴールを奪った。中学生時に既に同学年で一番の高身長であったが、そこから短期間でさらに身長が伸びたためランニングフォームが成長に追い付かず苦しんだ。父の移籍に伴って横浜F・マリノスユースに移り、2006年にマリノスのトップチームに昇格した。同年にはU-18日本代表に招集され背番号9番のエースストライカーを任された。

マリノスではレギュラーポジションを獲得することができず、U-20日本代表でも2007年U-20ワールドカップでは森島康仁の控えに甘んじた。

2008年アビスパ福岡期限付き移籍[1]、26試合で7得点を挙げた。翌2009年に横浜へ復帰したが[2]、新加入の渡邉千真の活躍もあり5月にサガン鳥栖へレンタル移籍し[3]、同じくマリノスからレンタル移籍した山瀬幸宏と共に2トップを組んでゴールを量産し、シーズン15得点を上げチームに貢献した。

2009年シーズン終了後に複数のJ1、J2クラブから勧誘を受けた中でヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。20得点を挙げてJ2得点王に輝き、エースストライカーとして甲府のJ1昇格に大きく貢献した。

2011年シーズンも甲府に残留。リーグ戦では得点王となったジョシュア・ケネディの19得点に次ぐ日本人トップの17得点を挙げJリーグベストイレブンに選出された。クラブでの活躍を受けて、2011年8月に行われた日本代表合宿に初招集され[4][5]、9月2日のワールドカップアジア3次予選北朝鮮戦(埼玉)でA代表初出場を果たした。10月11日タジキスタン戦(長居)では代表初ゴールを含む2得点を挙げ、チームの大勝に貢献した。

2011年12月21日に甲府の降格と契約満了に伴い、オランダフィテッセに2年半契約で完全移籍した[6]。2012年1月27日のPSV戦でエールディヴィジでの初ゴールを挙げた。

私生活

ディド・ハーフナー名古屋グランパスエイトジュビロ磐田で活躍した元Jリーガーで、現在は清水エスパルスのコーチを務めている。ハーフナー親子はジーコジュニオールに次いで史上2組目、日本人としては史上初の親子Jリーガーである。母ギッダもアスリートで陸上7種競技オランダチャンピオンになった経験がある。ハーフナー家2男1女の長男で、弟ハーフナー・ニッキは現在名古屋グランパスのユースチームでセンターバックを務めており、U-17日本代表にも選出されている[7]1993年に一家で日本国籍を取得した[8]FIFAのインタビューに対し、父とはサッカーについてよく話すが、自身のキャリアや移籍などの決断について父から特別な影響を受けたことはないと語っている[9]

子供の頃は家庭ではオランダ語、インターナショナルスクールでは英語、日常生活とサッカーでは日本語を使用したためトライリンガルとなった。日本語が母語で[6]、頭で考える時は日本語を使う。

2011年5月16日に一般女性と結婚し[10]、8月5日に第一子となる長女が誕生した[11]

サポーターには自身を「マイクと呼んで欲しい」と呼びかけている。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2006 横浜FM 20 J1 9 0 6 0 0 0 15 0
2007 15 0 4 1 0 0 19 1
2008 福岡 J2 26 7 - 0 0 26 7
2009 横浜FM 39 J1 2 0 0 0 - 2 0
鳥栖 35 J2 33 15 - 2 2 35 17
2010 甲府 14 31 20 - 1 0 32 20
2011 J1 32 17 2 1 0 0 34 18
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2011-12 フィテッセ 14 エールディヴィジ 15 5 - 1 0 16 5
通算 日本 J1 58 17 12 2 0 0 70 19
日本 J2 90 42 - 3 2 93 44
オランダ エールディヴィジ 15 5 - 1 0 16 5
総通算 163 64 12 2 4 2 179 68

経歴

タイトル

個人タイトル

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 6試合 2得点 (2011 - )


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2011 5 2
2012 1 0
通算 6 2

ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2011年10月11日 日本、大阪 タジキスタンの旗 タジキスタン ○8-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
2.

脚注

関連項目

外部リンク

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