多摩テック
| 多摩テック Tama Tech |
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|---|---|
多摩テック正面入口
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| 店舗概要 | |
| 所在地 | |
| 開業日 | 1961年10月1日 |
| 閉店日 | 2009年9月30日 |
| 施設所有者 | モビリティランド |
| 施設管理者 | モビリティランド |
| 営業時間 | 9時30分~17時30分 |
| 外部リンク | 多摩テック |
多摩テック(たまテック、Tama Tech)は過去に東京都日野市に存在したモータースポーツをテーマにした遊園地および温泉施設である。遊園地については同じ経営主体による鈴鹿サーキットとともに「モートピア」と呼ばれていた。
本田技研工業株式会社子会社の株式会社モビリティランド(旧ホンダランド→(株)鈴鹿サーキットランド)が経営していたが、2009年9月30日をもって営業を終了し、閉鎖された。
目次 |
[編集] 概要
1961年に、本田技研工業系列のモータースポーツセンターとしてオープン。初代所長は、当時ロードレース世界選手権(WGP)の250ccクラスで日本人として初優勝を遂げたばかりの高橋国光。その後、運営会社は鈴鹿サーキットの運営も行うようになった。
[編集] 1960年代
当初は、「オートゲレンデ」と称して、オートバイ愛好者向けに本格的なモトクロスコースを含むバイク用のダートコースを設置し、様々なタイムトライアルなどが可能な施設という位置づけであった[1]。しかし、この構想が明らかになると、当時社会問題になっていたカミナリ族向けの施設であるとして「カミナリランド」といった形で批判的な報道がなされ、警視庁交通部が「カミナリ族の養成所みたいなものだと思うが、事故でも起こったらどうするのかが心配だ」という理由から「非常に好ましくない計画」として「近く申し入れをする」とも報じられた。これに対して、運営会社側は、「オートバイ・ファンに正しい技術をくんでもらおうというもので、指導もしっかりやる。ただ取り締まりを叫ぶだけでは彼らの気持ちを満たすことはできない」と述べている[2][3]。開園後の1962年9月16日に、来園者の男性の乗ったオートバイが転倒して死亡する事故が起きた際には、「「カミナリ天国」初の死者」という嫌がらせ的な見出しで報じられた[4]。
その後、1962年4月に第二期工事が完了して、ホンダエンジンを搭載したゴーカートやミニバイクが遊具として設置され、「自動車遊園地」としても営業がおこなわれる[5]。このうちミニオートバイは好評を博し、これをベースとした「ホンダ・モンキー」が商品化された。こうして、当初のバイク主体のスポーツ施設から、次第にファミリー向けの遊園地へと移行することになった。1964年には、学校団体を対象として、実物のエンジンを分解・組み立てて動かす「エンジン教室」という催しをスタートさせている[5]。
[編集] 1970年代から1990年代
1970年代に入ると、「タイヤカー(1980年に『UFO』へ換装)」や「水陸両用車(のちの『外輪船』)」、エンジン動力で係員が運転するジェットコースターである「ジェットスレー(後にレールの大部分を再利用した巻き上げ式コースターの『カナディアンジェットライダー』に改造)」のような、多摩テックならではの乗り物の他「観覧車」などの一般的なアトラクションも数多く設置され、よみうりランド・西武園の中間に位置する多摩地域の「遊園地」へと変貌した。また、手塚治虫作によるキャラクターコチラも1979年に登場している(詳細は後述)。
1980年代にはモノレール型アトラクションの「スーパージェットライダー」や劇場型アトラクション「マッハセブン」が新設されると共に、「トライアルパーク」・ゴーカート「ザ・カートG400」「ロックガーデンプール」のオープンなど、本格的な開発も行われた。
1991年には懸垂式モノレール型アトラクションの「ガリオン」、1995年には大型水車がライドごとを持ち上げるギミックで国内最大級の水上型絶叫マシンを謳った「ワイルドリバーアドベンチャー」と大観覧車「トップキャビン」、1997年には「スペースショット(インタミン製。浅草花やしき・よみうりランド設置機と同系統)」と、大規模なアトラクションが新設された。また、子供向けのゴーカート「フォーミュラGP」や、本格的なバッテリーカー「電気自動車MUU(ムウ)」もカート系アトラクションを入れ替わらせる形で設置されている。
[編集] クア・ガーデン開業
長らく遊園地だけの施設であったが、1995年に園内のキャンプ場を掘削専門業者が掘削したところ温泉(黒湯)が湧出したため、1997年から温泉施設「クア・ガーデン」がオープンした(鈴鹿サーキットにおいても同名称で1994年に開業している)。
開業に当たっては多摩地域随一の湯量を誇るリゾート型のクア施設として、露天風呂・サウナ・飲食施設・休憩所に加えてフィットネススタジオや水着着用の温水プール(25m×4コース、子供用プール、ジャグジーなど。追加料金750円が必要)も設置し、水泳などの運動も可能であった。
周囲に超高層ビルが存在しないため、内風呂からは日野・立川、2階レストランからは八王子駅方面の眺望が見渡せる。2003年に東京ドームによるラクーアと、としまえんによる庭の湯が開業するまで、関東での天然温泉併設型のテーマパークは当地が唯一であった。
「クア・ガーデン」は、モートピアの高台側(でんでん虫II・旧UFOアトラクションホーム寄り)に所在し、モートピア開園中は連絡口で往来が可能であった。しかし、モートピアの正面ゲートは丘陵の中腹にあり、モートピアに入園しない場合は、一旦坂を下り都道155号線を左折して、「多摩テック・温泉入口」バス停を過ぎた信号機のある交差点を左折して坂を上る必要がある。そのため、1時間に2・3本程度、モートピアとクア・ガーデンの正面玄関間および多摩動物公園駅(18時以降は高幡不動駅)を結ぶ無料送迎バスを京王自動車(専用マイクロバス)、南大沢京王バス(路線バス車両)によって運行されていた。
[編集] 2000年代・終焉へ
ユニバーサルスタジオジャパン、東京ディズニーシーという大規模なテーマパークが開業し、日本各地の遊園地の入園者数が減少しつつあった2001年に「マッハセブン」を「4-Dモーションシアター」に改装する形でオープン。2002年から2004年にかけては「キッズドライブ」「キッズバイク」など子供向けのゴーカート系アトラクションを、「外輪船」などを廃止させて跡地に設置する形でオープンさせた。しかしながら、園内随一の絶叫マシンである「ワイルドリバーアドベンチャー」が2004年春頃に僅か9年で終了し、「UFO」・「カナディアンジェットライダー」も程なくして運行終了となり、れっきとした絶叫マシンは「スペースショット」のみとなる[6]。
2006年に「ACRO(アクロ)-X」、2007年に「ドリームX」と新型のゴーカートアトラクションを導入。カード系アトラクションの充実を図り、施設名称通りの『モートピア(モーターのユートピア)』への回帰と再興を図る趣きも見られたが、どちらも幼児・小児の家族連れ向きのアトラクションであり、テーマパークの客層である若年層(中高生以上)やカップルの多摩テック離れが進んだ。
1990年代以降は一般に向けた割引券の頒布に加え、朝日メイト(朝日新聞友の会)・読売ファミリーサークル(読売新聞)・UFJカード会員・ホンダ車ディーラー得意客などに向けた招待デーを設け、廉価でフリーパスを販売するなどして集客を図っていた時期もあったが、実際には1999年以降、営業利益を出せずに経常損失ばかり計上していた。
2002年に入場者が100万人を超えたのをピークにその後は減少を続けたことや、2007年から2008年にかけて発生した世界金融危機の影響による不況が大きかったことから、モビリティランドの親会社・本田技研工業が経営見直しの一環により不採算事業から撤退することを2009年2月に発表。2009年9月30日(モートピアは19時)を以って営業を終了し、閉鎖となった。
閉園を前に、同年の春休み・ゴールデンウィーク・夏休み・シルバーウィークと9月最終週は、別れを惜しむ来場客が大勢詰め掛けたため、人気アトラクションは3時間待ち状態で大変混雑していた。
多摩テックとしての最終営業は「クア・ガーデン」であり、特別編成のロビーコンサート(招致している音楽家や従業員による生演奏・歌唱)を昼間から閉館まで立て続けに実施し、通常通り22時を以って閉館した。但し、来館者数が多く、送迎バスの最終便はクア・ガーデンとモートピアで数十人の利用客を取りこぼす事態となったため、臨時便が数本増発された。
すでに、JR豊田駅側から見えた観覧車は、すべて解体された。
[編集] 跡地利用への動き
多摩テック跡地を明治大学が買収し、明治大学ラグビー部等の同大学体育会各部の練習場および合宿所等の拠点「(仮称)明治大学スポーツパーク」として利用する構想がこの程明らかになった[7]。明治大学の構想では、世田谷区八幡山にあるラグビー部グラウンド等の売却等といった事項が大学評議員会の承認が得られ、地元自治体などとも協議の上2014年からの利用を目指して多摩テック跡地への移転及び整備等を行う意向であることが伝えられている[8]。
[編集] 所在地・アクセス
所在地:東京都日野市程久保5-22-1。
よみうりランドと同様、丘陵地を開発し、中腹に位地するゆうえん地「モートピア」は所どころ勾配がやや急な坂(斜面)が有り、その勾配の斜面や高低差を軌道に生かしたライド型アトラクション(UFO・ガリオン・外輪船など)も置かれた。高台にはクア・ガーデン、駐車場、キャンプ場などが置かれている。
- 最寄り駅は京王電鉄京王動物園線と多摩都市モノレールの多摩動物公園駅である。駅からは神奈川県道・東京都道503号相模原立川線・東京都道155号町田平山八王子線を通り2km少々で着く。
- 営業期間中は駅前からモートピア経由クア・ガーデン行きの無料送迎バスが出ていて、所要時間は約5分であった。
- 送迎バスの他にも高幡不動駅や多摩動物公園駅と「多摩テック」バス停を結ぶ京王バス(高12系統、動22系統)の路線バスが朝と夕方の時間帯に数本運行されていた。
- 多摩都市モノレールの開業に伴い、立川駅(特に青梅線沿線)や西武新宿線・拝島線沿線地域からの乗り換えは容易となった。一方、京王動物園線の運行本数が縮小(1時間3本程度)した為、高幡不動駅での京王線からの乗り換えで最大20分程度までの時間ロスが生じ、やや不便となった(モノレールは通常10分間隔で運行されるが、高幡不動駅の京王とモノレールの改札口間は徒歩5分程度離れている)。
- もうひとつのアクセス手段として、JR中央線の豊田駅北口と京王相模原線・小田急多摩線の多摩センター駅を結ぶ京王電鉄バス(豊32系統)があり、同路線にはモートピア・クアガーデンの玄関が位置する丘陵地の坂下を通る都道155号線上に「多摩テック・温泉入口」バス停(現・「程久保5丁目」バス停)が置かれていた。
[編集] ロケ地
テレビドラマやテレビ映画などの撮影地としても多摩テックがよく使われていた。例を挙げるとTBSの特撮テレビ映画『ウルトラQ』の「2020年の挑戦」、フジテレビの『花嫁とパパ』やテレビ朝日の金曜ナイトドラマ『雨と夢のあとに』最終話などに、多摩テックでのロケーション撮影シーンが登場した。
[編集] 主な施設
[編集] 遊園地「モートピア」
- 遊園地エリア (2009.9.30現在)
- フォーミュラプラス
- ドリームR
- ロードスター
- 大観覧車トップキャビン
- スペースショット
- アクロエックス
- りき丸の電気自動車「ムウ」
- スーパースカイライダー
- でんでんむし
- ガリオン
- デンタのちんちん電車 「テックン」
- ロボウォーカー
- コチラちゃんのプッチタウン
- キッズドライブ
- ピピラのピンキードライブ
- キッズバイク
- プートののりものけんきゅうじょ
- ピピラのピンキーバイク
- ドリフトキッズレーサー
- コチラちゃんのプチプレーン
- バットのパワーマシン
- ピピラのボールパラダイス
- バイクパレード
- チララちゃんのフラワーカップ
- メリーゴーランド
- トライアルパーク(中学生以上)
- キャンプ場(チララちゃんのホリデーロッジ)
- アドベンチャープールズ(夏期のみ)
- 幼児エリアプール
- 円形プール
- プートのウォーターファクトリー
- ウォーター・メガキャノン
- ウォーターキャノン
- マジカルウォーターメイズ
[編集] 天然温泉「クア・ガーデン」
[編集] 沿革
「モビリティランド」も参照
- 1961年
- 1962年
- 6月:株式会社テクニランドに商号変更。
- 9月:鈴鹿サーキット完成。
- 6月:株式会社テクニランドに商号変更。
- 1968年4月:株式会社ホンダランドに商号変更。
- 1987年6月:株式会社鈴鹿サーキットランドに商号変更し、三重県鈴鹿市に本店移転。
- 1997年9月:天然温泉「クア・ガーデン」、中国レストラン「楼蘭」オープン。
- 2000年5月:本社東京事務所を三重県鈴鹿市へ移転。
- 2006年
- 3月:本田技研工業の完全子会社となる。
- 6月:株式会社ツインリンクもてぎと合併し、株式会社モビリティランドとなる。
- 2009年
- 2月8日:9月30日付けでの閉園を決定。
- 9月30日:閉園。
[編集] コチラと「コチラファミリー」
マスコットキャラクターである「コチラ」は、多摩テックと鈴鹿サーキットのオリジナルキャラクターとして1979年10月に誕生した。後から追加されたコチラの仲間として「チララ」、「ピピラ」、「バット」、「プート」等のキャラクターがおり、それらをまとめて「コチラファミリー」と称している。キャラクターの版権は手塚プロダクションが保有している(元々から手塚プロダクションが有しているキャラクター版権は「コチラ」のみだったが、1985年以降「チララ」が追加され、1994年以降一般公募のデザインを原案として「バット」「プート」「ピピラ」が追加され以降、コチラファミリー全てのキャラクター版権を手塚プロダクションが有する事となった)。
最初に「コチラ」をデザインするにあたって参考としたのは、ホンダの常務である藤沢武夫だった。当時の資料によれば、手塚がコチラのキャラクターデザインを起こすため、藤沢の表情や顔かたちを観察し、ラフスケッチを描き上げた[要出典]。また「コチラ」のネーミングは東宝映画「ゴジラ」のもじりであり、恐竜をベースデザインにする構想から得られたネーミングとされる。「コチラ」の現時点でのキャラクター設定としては「宇宙恐竜」(宇宙から地球に飛来した恐竜)とされているが、1979年から1989年頃の約10年間は「恐竜」という設定だけだった。
1980年・1982年・1985年・1989年・2000年・2003年に「コチラ」の着ぐるみはリニューアルされ、1985年以降「チララ」がキャラクターとして追加された。
1989年に「コチラちゃん誕生10周年記念」1999年に「コチラちゃん誕生20周年記念」が祝われ、記念グッズが鈴鹿サーキットと多摩テックで販売された。その後2004年に「25周年」2009年に「30周年」のお祝いイベントが行われている。
「コチラ」と「チララ」の設定は、当初は「兄と妹」だったが2003年以降は「恋人同士」に変更された。また、2003年以降「バット」「プート」「ピピラ」が登場し、現在のコチラファミリーを形成するに至った(「ピピラ」の登場当初は赤ちゃんで、園内で行われたショーではチララがピピラのぬいぐるみを抱いて出演していた)。
東京ディズニーランド(R)が開園した1983年以前から、お正月(三が日)に紋付袴の着物を着てグリーティングを行っていたのは鈴鹿サーキットと多摩テックの「コチラ」であり[要出典]、遊園地の純和製キャラクターが正装で正月イベントに出演していた事は特筆すべき事実である。
多摩テック限定で1989年から二年間ほど、当時のコチラファミリーの歌などが収録された「タマテックドリームズ」というCDアルバムが限定枚数で発売された。(現在は廃盤・入手困難)同アルバムには「コチラちゃんのうた」「チララちゃんのうた」など、各キャラクターのテーマソングや多摩テック園内のアトラクションテーマソングが収録され、一部の楽曲は鈴鹿サーキットのアトラクションと多摩テックのアトラクションBGMとして長年使用された。
2006年にツインリンクもてぎとの経営統合によりモビリティランドが発足してからは、ツインリンクもてぎにおいてもコチラファミリーが登場し、とちぎテレビの朝番組「朝生とちぎ」内の1コーナー『コチラdeダンス』において、とちぎテレビのマスコットキャラクター「てれすけ(やなせたかし作)」とタッグを組んで活躍している。同局はTOKYO MX、首都圏トライアングル各局とは異なり、東京での直接受信は微弱電波で困難であり、CATVによる域外再送信もほぼ行われていないため、栃木県内のご当地キャラクターになりつつある。
鈴鹿サーキットと多摩テックには、1999年頃まで「コチラ」「チララ」以外の動物キャラクターも存在し園内で行われるショーやグリーティングに出演していた。鈴鹿サーキットには、リス、ウサギ、アライグマ等が存在し、多摩テックにはウサギのウサ美ちゃん、ウサ吉くん、カモノハシ、リス、マジカルティガー(タイガー)、カバの警察官(ヒッポ)、オオカミ等がいた。これらのキャラクターは鈴鹿・多摩両パーク共に現在の「コチラファミリー」登場とともに姿を消した。
[編集] 過去に行われたイベント・ショー
- 多摩テック春・夏・秋のカーニバル(各毎年3月・7月・9月から開催)
- ぬいぐるみコチラちゃんワールド(コチラファミリーによる園内グリーティング)
- ぬいぐるみコチラちゃんワールドのお正月(毎年正月に書初めやカルタ取りなどのイベントを開催)
- コチラちゃんワールド スケートグリーティング(1994年頃まで冬に園内プールを使用して開催)
- 中川喜弘とデキシーDIXショー(1996年頃までの毎年秋に開催)
- ひらけ!ポンキッキショー(1992年秋に開催)
- ホンダ モータースポーツ トラアルスクール
- ホンダ スポーツライディングスクール
- YFCフェスティバル(2005年頃までの毎年秋に開催)
- 朝日メイトフェスティバル(2000年頃までの毎年秋に開催)
- 多摩テックプール開き(毎年夏に開催)
[編集] 遊具での事故
- 1971年2月14日、ゴーカートに乗っていた13歳の男子中学生が、首に巻いていた長さ1.5mのマフラーの端が走行中に車軸に巻き付き、マフラーが引っ張られる形で首が絞まって即死した。この事故の後、当園の遊具ではマフラーやスカーフを着用しての利用を規制することになった。
- 1984年1月6日、「ミニポッポ周遊列車」が下り坂でブレーキが利かずに横転し、運転手1名と乗客18名が負傷した。その後の警察の調べではブレーキ整備と運転手の操作の2つのミスが重なったために起きた事故と推定されている[9]。多摩テックは同年3月8日付の主要新聞に、事故のお詫びならびに再発防止に向けた全施設の総点検・安全確認を実施した旨を「謹告」として掲載した。なお、多摩テック側の責任ではないが、「ミニポッポ周遊列車」の前身に当たる「ぞうさん列車」では1976年に、走行中に車両を乗り移ろうとした小学生が転落して負傷する事故が起きている。
- 1996年1月4日夕方、「大観覧車トップキャビン」において従業員が乗客の残存確認を怠り、閉園時間に運転を停止して帰宅してしまう。このため、搭乗中であった夫婦と女子中学生4名のグループがそれぞれゴンドラの中で12時間に亘って取り残され、翌朝に救出されるアクシデントとなった。なお、施設側の刑事責任は問われなかった。
[編集] ホンダの類似施設
同様のホンダの遊園地には、かつては奈良県生駒市に「生駒テック」、埼玉県朝霞市に「朝霞テック」があり、いずれも多摩テックとほぼ同時期に建設された。生駒テックは1965年3月、朝霞テックは1973年に閉鎖され、生駒テック跡地は生駒山麓公園、朝霞テック跡地は本田技術研究所朝霞研究所となっている。多摩テック開業当初には佐賀、高松、広島、名古屋、仙台など[10]日本全国60ヶ所に同様の施設の建設が計画されていた[11]。
なお、同じ「テック」という名前の施設ではあるが「与那原テック」(1980年代に閉園)は関係がない(東陽バス経営)。
また、IT関係や人材派遣業で使われるシーテックとも関係は無い。
[編集] 脚注
- ^ 開園間もない1961年11月に公開された日活映画『カミナリお転婆娘』(清水まゆみ主演)には、その当時のモトクロス場が舞台として登場している。
- ^ 1961年7月11日付読売新聞。実際に警視庁からの申し入れが行われたかどうかは不明。
- ^ モビリティランドウェブサイトの「モビリティランド50年の歩み」にも、「カミナリ族に走る場を提供し、正しい運転マナーと技術を学ばせる」ことでカミナリ族問題を解決することが開設の目的であったと記載されている。
- ^ 1962年9月17日付読売新聞
- ^ a b モビリティランド50年の歩み 第一章モビリティランドウェブサイト
- ^ 「スペースショット」はその後も存続したが、2009年夏に「修理する資材の調達に時間を要する」という理由で使用を休止し、そのまま閉園となった。
- ^ 明大、聖地八幡山から移転…… サンケイスポーツ 2010年6月2日閲覧
- ^ スポーツ関連施設統合化等に係る計画推進について明治大学公式サイト 2010年6月2日閲覧
- ^ 1984年5月4日付読売新聞夕刊
- ^ 1961年10月30日付日刊スポーツ(2009年8月7日、多摩テック事務所前の掲示を閲覧)
- ^ 1961年10月14日付朝日新聞(2009年8月7日、多摩テック事務所前の掲示を閲覧)。1961年7月11日付の読売新聞記事では「全国62ヶ所」とある。