「ナンカー・フェルジ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
{{出典}}、デフォルトソート、カテゴリ
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{独自研究|date=2014年12月}}
{{出典の明記|date=2014年6月27日 (金) 06:40 (UTC)}}
{{出典の明記|date=2014年6月27日 (金) 06:40 (UTC)}}
'''ナンカー・フェルジ'''は[[イギリス]]の[[ロックバンド]]、[[ローリング・ストーンズ]]のメイン・クリエイターである[[ジャガー/リチャーズ]]と他のメンバーとが共作した場合に使われるストーンズのソングライティング・チーム。この名義での楽曲はあまり多くなく、1965年を境に使われなくなった。
'''ナンカー・フェルジ'''(Nanker Phelge)は[[イギリス]]の[[ロックバンド]]、[[ローリング・ストーンズ]]のメイン・クリエイターである[[ジャガー/リチャーズ]]と他のメンバーとが共作した場合に使われるストーンズのソングライティング・チーム。この名義での楽曲はあまり多くなく、1965年を境に使われなくなった。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[ローリング・ストーンズ]]は結成直後から1960年代半ば頃まで、自分たちが影響を受けた黒人ミュージシャンたちの楽曲を主に演奏していたが、[[1964年]]より徐々に自身によるオリジナル楽曲の制作を行い始めた。その過程で組まれたのが[[ミック・ジャガー]]と[[キース・リチャーズ]]の二人によるソングライティング・チーム「[[ジャガー/リチャーズ]]」だった。ストーンズのオリジナル楽曲のほとんどはこのチームにより生み出されたが、中にはこのチーム以外のバンドメンバーが関わることがあった。そうした際につけられた変名がナンカー・フェルジである。また、ナンカーとは日本語で「あかんべぇ」などといった人を茶化す類の意味で、フェルジとはメンバー共通の友人のことを差していると言われ、メンバーたちによる造語である。
[[ローリング・ストーンズ]]は結成直後から1960年代半ば頃まで、自分たちが影響を受けた黒人ミュージシャンたちの楽曲を主に演奏していたが、[[1964年]]より徐々に自身によるオリジナル楽曲の制作を行い始めた。その過程で組まれたのが[[ミック・ジャガー]]と[[キース・リチャーズ]]の二人によるソングライティング・チーム「[[ジャガー/リチャーズ]]」だった。ストーンズのオリジナル楽曲のほとんどはこのチームにより生み出されたが、中にはこのチーム以外のバンドメンバーが関わることがあった。そうした際につけられた変名がナンカー・フェルジである。また、ナンカーとは日本語で「あかんべぇ」などといった人を茶化す類の意味で、{{誰範囲2|フェルジとはメンバー共通の友人のことを差していると言われ|date=2014年12月}}、メンバーたちによる造語である。


メンバー自身(特にメインの二人)から多くが語られていないため詳細は不明で、名義については諸説ある。メンバーたちによるジャムから発展したものがそのままアイデンティティとなって録音されたとする説、他のメンバーのアイディアを[[ジャガー/リチャーズ]]が改変したとする説などであるが、[[ブライアン・ジョーンズ]]の変名、あるいはブライアンのアイディアなのではないかとする説が根強い。この説が有力視されるのは、名義にブライアンの名がないにも関わらず、毎年遺族に印税が支払われているというのがその説を裏付けていると考えられるためである。
{{要出典範囲|メンバー自身(特にメインの二人)から多くが語られていないため詳細は不明で、名義については諸説ある。メンバーたちによるジャムから発展したものがそのままアイデンティティとなって録音されたとする説、他のメンバーのアイディアを[[ジャガー/リチャーズ]]が改変したとする説などであるが、[[ブライアン・ジョーンズ]]の変名、あるいはブライアンのアイディアなのではないかとする説が根強い|date=2014年12月}}{{誰範囲2|この説が有力視される|date=2014年12月}}のは、{{誰範囲2|名義にブライアンの名がないにも関わらず、毎年遺族に印税が支払われているというのがその説を裏付けていると考えられる|date=2014年12月}}ためである。


== 楽曲 ==
== 楽曲 ==

2014年12月15日 (月) 13:57時点における版

ナンカー・フェルジ(Nanker Phelge)はイギリスロックバンドローリング・ストーンズのメイン・クリエイターであるジャガー/リチャーズと他のメンバーとが共作した場合に使われるストーンズのソングライティング・チーム。この名義での楽曲はあまり多くなく、1965年を境に使われなくなった。

概要

ローリング・ストーンズは結成直後から1960年代半ば頃まで、自分たちが影響を受けた黒人ミュージシャンたちの楽曲を主に演奏していたが、1964年より徐々に自身によるオリジナル楽曲の制作を行い始めた。その過程で組まれたのがミック・ジャガーキース・リチャーズの二人によるソングライティング・チーム「ジャガー/リチャーズ」だった。ストーンズのオリジナル楽曲のほとんどはこのチームにより生み出されたが、中にはこのチーム以外のバンドメンバーが関わることがあった。そうした際につけられた変名がナンカー・フェルジである。また、ナンカーとは日本語で「あかんべぇ」などといった人を茶化す類の意味で、フェルジとはメンバー共通の友人のことを差していると言われ[誰によって?]、メンバーたちによる造語である。

メンバー自身(特にメインの二人)から多くが語られていないため詳細は不明で、名義については諸説ある。メンバーたちによるジャムから発展したものがそのままアイデンティティとなって録音されたとする説、他のメンバーのアイディアをジャガー/リチャーズが改変したとする説などであるが、ブライアン・ジョーンズの変名、あるいはブライアンのアイディアなのではないかとする説が根強い[要出典]この説が有力視される[誰によって?]のは、名義にブライアンの名がないにも関わらず、毎年遺族に印税が支払われているというのがその説を裏付けていると考えられる[誰によって?]ためである。

楽曲

  • 「ナウ・アイヴ・ゴット・ア・ウィットネス」(1964年)
  • 「エンプティ・ハート」(1964年)
  • 「南ミシガン通り2120」(1964年)
  • 「ウエストコーストの宣伝屋」(1965年)
  • 「プレイ・ウィズ・ファイア」(1965年)
  • 「アイム・オールライト」(1965年)

関連項目