ハル・アシュビー
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ハル・アシュビー Hal Ashby | |||||||||
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生年月日 | 1929年9月2日 | ||||||||
没年月日 | 1988年12月27日(59歳没) | ||||||||
出生地 | ユタ州オグデン | ||||||||
死没地 | カリフォルニア州マリブ | ||||||||
国籍 |
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配偶者 | Joan Marshall | ||||||||
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ハル・アシュビー(Hal Ashby, 1929年9月2日 - 1988年12月27日)は、アメリカ合衆国ユタ州出身のフィルムエディター、映画監督である。
略歴[編集]
映画編集者として映画界に入り『夜の大捜査線』(1967年)ではアカデミー編集賞を受賞した。主にノーマン・ジュイソンの下で編集をしていた。
1970年代から監督となり『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(1971)、『さらば冬のかもめ』(1973年)、『シャンプー』(1975年)、『帰郷』(1978年)などの作品を監督し、『帰郷』ではアカデミー監督賞にノミネートされた。カンヌ国際映画祭においてパルム・ドール候補になったことが4回あるが、受賞はしなかった。
1988年12月27日、がんのためカリフォルニア州マリブの自宅で死去。59歳没。
キャメロン・クロウ著の「ワイルダーならどうする?」(宮本高晴訳 キネマ旬報社発行 ISBN 4873762367)でアメリカン・ニューシネマについてビリー・ワイルダーが言及している。「私はハル・アシュビーを全面的に支持していた。もうこの世にはいないがね。(略)…でも彼は優れた監督だった」
フィルモグラフィー[編集]
監督作品[編集]
- 真夜中の青春 The Landlord (1971)
- ハロルドとモード 少年は虹を渡る Harold and Maude (1971)
- さらば冬のかもめ The Last Detail (1973)
- シャンプー Shampoo (1975)
- ウディ・ガスリー/わが心のふるさと Bound for Glory (1976)
- 帰郷 Coming Home (1978)
- チャンス Being There (1979)
- Second-Hand Hearts (1981)
- 大狂乱 Lookin' to Get Out (1982)
- レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー Let's Spend the Night Together (1983)
- Solo Trans (1984)
- スラッガーズ・ワイフ (1985)
- 800万の死にざま 8 Million Ways to Die (1986)
- Jake's Journey (1988) (TV)
編集作品[編集]
- シンシナティ・キッド The Cincinnati Kid (1965)
- アメリカ上陸作戦 The Russians are Coming,The Russians are Coming (1966)
- 夜の大捜査線 In The Heat of The Night (1967)
- 華麗なる賭け The Thomas Crown Affair Thomas Crown and Company (1968)
脚注[編集]
関連文献[編集]
- Senses of Cinema: Great Directors Critical Database
- The Director's Director – discussion by directors Ashby influenced
外部リンク[編集]
- ハル・アシュビー - allcinema
- ハル・アシュビー - KINENOTE
- Hal Ashby - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- Hal Ashby - Find a Grave
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