ワン・プラス・ワン

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ワン・プラス・ワン
One Plus One
監督 ジャン=リュック・ゴダール
脚本 ジャン=リュック・ゴダール
製作総指揮 エレニ・コラード
出演者 ザ・ローリング・ストーンズ
音楽 ザ・ローリング・ストーンズ
主題歌 ザ・ローリング・ストーンズ『悪魔を憐れむ歌
撮影 アンソニー・B・リッチモンド
編集 ケン・ラウルス
アニエス・ギュモ
製作会社 キューピッド・プロダクションズ
配給 フランスの旗 イマージュ・ディストリビュシオン
日本の旗 フランス映画社
公開 イギリスの旗 1968年11月30日
フランスの旗 1969年5月7日
アメリカ合衆国の旗 1970年4月26日
日本の旗 1978年11月1日
上映時間 100分
製作国 イギリスの旗 イギリス
言語 英語
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ワン・プラス・ワン』(One Plus One、「1たす1」の意)は、1968年(昭和43年)に製作・公開されたジャン=リュック・ゴダール監督によるイギリスドキュメンタリー映画である。アメリカ合衆国等ではSympathy for the Devil(『悪魔を憐れむ歌』、「悪魔への同情」の意)のタイトルで公開された。

概要[編集]

本作は、ザ・ローリング・ストーンズのスタジオでのレコーディングについてのドキュメンタリーと、社会運動にかかわるドキュメンタリーめいたフィクション部分が交差する映画である。

ザ・ローリング・ストーンズのアルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディング自体は、1968年3月17日 - 7月25日に行われており、本作の撮影は、その途中、同年6月4日 - 同11日に行われた[1]ブライアン・ジョーンズはセッション中に頼りない存在感しか見せられない姿をカメラに捉えられている。撮影の対象となった楽曲『悪魔を憐れむ歌』は、同アルバムの1曲目に収録され、同アルバムは同年12月6日に発売された。ストーンズのメンバーとしての存在感が決定的に薄くなったジョーンズは、翌1969年(昭和44年)6月8日にバンドを正式に脱退し、そのおよそ1か月後の7月3日に満27歳で死去する。

1968年のゴダールは、5月19日には第21回カンヌ国際映画祭を粉砕、中止に追い込み、アメリカにわたってD・A・ペネベイカーとの共同監督作『ワン・アメリカン・ムービー』のために、ブラックパンサー党エルドリッジ・クレヴァー、ヴェトナム反戦の戦闘的活動家トム・ヘイデンにインタヴューしたあと、ロンドンに入って本作の撮影を行っている。取材後、クレヴァーはアルジェリアに亡命、ヘイデンは「シカゴ・セブン」として逮捕された。

日本では、ロンドンで公開されたちょうど10年後の1978年(昭和53年)11月1日、フランス映画社の配給で公開された。さらに19年後の1996年(平成8年)4月、コムストックの配給で再映された。DVDは、『ワン・プラス・ワン/悪魔を憐れむ歌』のタイトルで、2006年7月5日、2009年4月22日にいずれもキングレコードから発売されている。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

ノンクレジット アルファベット順

ストーリー[編集]

1968年(昭和43年)6月、ザ・ローリング・ストーンズのメンバーたちが、ロンドンのスタジオで、アルバム『ベガーズ・バンケット』の1曲目の楽曲『悪魔を憐れむ歌』をレコーディングする。

「ブラック・パワー」の闘士たちは闘争の準備をし、革命のヒロインであるイヴ・デモクラシー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)はテレビ局のインタヴューを受けている。ポルノ書店の店主(イェーン・クォーリア)はファシストで、ヒトラーの主著『わが闘争』を朗読している。「ブラック・パワー」のアジトでは、ブラックパンサー党幹部エルドリッジ・クリーヴァーの主著『氷の上の魂』を朗読している。「ブラック・パワー」指導者のフランキー・ダイモン(フランキー・ダイモン)がインタヴューに答える。

ザ・ローリング・ストーンズがレコーディングを終えるころ、撮影用クレーンが海の上を延々と伸びていく。

関連事項[編集]

関連書籍[編集]

上巻 ISBN 404322401X、下巻 ISBN 4043224028

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  1. ^ 『<ジャンピング・ジャック・フラッシュ>から<地の塩>まで – 1968年の出来事』、『ロックジェットvol.20』所収、シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年 ISBN 4401619404

外部リンク[編集]