婦人倶楽部
婦人倶楽部 | |
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Fujin club | |
ジャンル | 月刊婦人雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 | 講談社 |
編集部名 | 婦人倶楽部編集部 |
編集長 | 田中 忠宏 |
雑誌名コード | 01303-xx |
刊行期間 |
1920年10月(第1巻第1号) - 1988年3月(第69巻第4号) |
姉妹誌 | 『別冊婦人倶楽部』 |
特記事項 |
旧誌名『婦人くらぶ』 (第1巻第1号 - 同第3号、1920年) |
『婦人倶楽部』(ふじんクラブ)は、かつて存在した日本の雑誌[1][2][3][4]。講談社が編集出版した[1][2][3][4]。1920年(大正9年)10月創刊、1988年(昭和63年)4月終刊[1][3]。戦前・戦後を通じて「四大婦人雑誌」に数えられた[5]。当初の誌名は『婦人くらぶ』[1][2]。キャッチコピーは「女のよろこび 妻のしあわせ」。紫明社から発行されていた『婦人くらぶ』とは関係ない[6]。
略歴・概要
[編集]1920年(大正9年)10月1日、大日本雄辯會(のちの大日本雄弁会講談社、現在の講談社)が創刊した[1][2][3][4]。当初の誌名は『婦人くらぶ』であったが、それも同年内の第1巻第3号(12月号)までで、翌1921年(大正10年)の1月号(第2巻第1号)からは『婦人倶楽部』に変更している[1][2][3]。当初の執筆者は、三宅雪嶺、有島武郎、芥川龍之介、吉岡弥生ら[7]。『主婦の友』『婦人公論』『婦人画報』と並ぶ「戦前の四大婦人雑誌」とされた[5]。
1933年(昭和8年)、初めて「家計簿」を付録にした[8]。1937年(昭和12年)2月号から翌1938年(昭和13年)5月号まで、川口松太郎の小説『愛染かつら』を同誌に連載、同作を原作に松竹大船撮影所が製作、野村浩将が監督、上原謙・田中絹代が主演して映画化され、同年9月15日に前篇・後篇ともに公開され、大ヒットしている[9]。
第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)も第26巻第3号(昭和20年3月号)までは定期刊行されていたが、その後一時休刊。同年7月に第26巻第4号が「7月号戦時緊急版」として一色刷り全32頁で発行。同年8月15日に第二次世界大戦が終結し、同年9月に第26巻第5号が「8・9月合併号」として一色刷り全32頁で発行。大森洪太「新しき時代に處する 再建日本の女性」、山脇百代「原野を拓く妻の手記 鍬もちて盡くさむ」、山本實「秋から冬へかけての 家庭菜園心得帳」、小林完「冬にそなへて乾燥野菜、野草の作り方、貯へ方、頂き方」、下村湖人「食糧難を知らぬ 完全咀嚼の有難み」、筒井政行「おいしくて消化しやすい大豆、たうもろこしの節米料理」「どんぐりの榮養と頂き方―どんぐりを盛んに食べませう」、山本周五郎「日本婦道記 文鎭」を掲載した[10]。同年10月に発行された第26巻第6号(昭和20年10月号)から多色刷りの表紙が復活し、同年12月に第26巻第6号が「11・12月合併号」として発行された後、1946年(昭和21年)から定期刊行が復活した。
同誌は、1952年(昭和27年)には『主婦の友』『主婦と生活』『婦人生活』と並ぶ「戦後の四大婦人雑誌」と呼ばれ、発行部数も50万部を超えていた。『婦人公論』『婦人画報』は2024年現在も存続しているが、この時点で戦前から続いてメインストリームにあるとされたのは『主婦の友』と同誌のみである。「戦後の四大婦人雑誌」の時代は、以降40年続く[11]。
1973年(昭和48年)、同年夏号から『別冊婦人倶楽部』を創刊する[12]。
1987年(昭和62年)、同年夏号をもって『別冊婦人倶楽部』を休刊する[12]。
1988年(昭和63年)、3月17日に発売された第69巻第4号(4月号)をもって終刊する[1][3]。68年弱の歴史の幕を下ろした[1][3]。同号では「終刊特別企画」として「祖母・母・娘三代の主婦に支えられて婦人倶楽部の六十八年をふり返る」、「いつの時代もリード役は主婦の知恵だった」、「愛惜『婦人倶楽部とわたし』」の記事を掲載している[13]。編集後記は「最終刊号の編集を終えて」[13]。
おもな連載小説・エッセイ
[編集]- 菊池寛『蝕める春』(1931年1月号 - 同年12月号)
- 川口松太郎『愛染かつら』(1937年 - 1938年)
- 原一司『ヨウちゃん』(1948年4月号 - 1955年5月号)
- 三島由紀夫『永すぎた春』(1956年1月号 - 同年12月号)
- 松本清張『黒い樹海』(1958年10月号 - 1960年6月号)
- 三島由紀夫『社会料理三島亭』(1960年1月号 - 同年12月号)
- 三島由紀夫『愛の疾走』(1962年1月号 - 同年12月号)
- 松本清張『塗られた本』(1962年1月号 - 1963年5月号)
- 松本清張『葦の浮船』(1966年1月号 - 1967年4月号)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『婦人倶楽部』国立国会図書館書誌ID:000000020717、国立国会図書館、2012年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e 『婦人くらぶ』NCID AA11435135、国立情報学研究所、2012年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『婦人倶楽部』NCID AN10268878、国立情報学研究所、2012年6月26日閲覧。
- ^ a b c 講談社の歴史、講談社、2012年6月26日閲覧。
- ^ a b 戦前期四大婦人雑誌目次集成 全36巻、ゆまに書房、2012年6月26日閲覧。
- ^ 『婦人くらぶ』国立国会図書館書誌ID:000000020719、国立国会図書館、2024年7月17日閲覧。
- ^ “創刊号コレクション大正1収録雑誌一覧”. 大宅壮一文庫. 2024年7月17日閲覧。
- ^ “講談社100周年”. Amazon.co.jp. 2024年7月17日閲覧。
- ^ 愛染かつら 前篇、愛染かつら 後篇、日本映画データベース、2012年6月26日閲覧。
- ^ 『婦人倶楽部』第26巻第5号、大日本雄辯會講談社、1945年8月。doi:10.11501/2210716 。
- ^ 石崎裕子「女性雑誌『VERY』にみる幸福な専業主婦像」『国立女性教育会館研究紀要』第8号、国立女性教育会館、2004年8月1日、63頁、CRID 1050001337832139264、2012年6月26日閲覧。
- ^ a b 『別冊婦人倶楽部』。国立国会図書館書誌ID:000000021463 。
- ^ a b 『婦人倶楽部』第69巻第4号、講談社、1988年4月。doi:10.11501/2210349 。
関連項目
[編集]- 1952年の日本の女性史
- 主婦の友 - 主婦の友社(1917年 - 2008年)
- 主婦と生活 - 主婦と生活社(1946年 - 1993年)
- 婦人画報 - 婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)(1905年 - )
- 婦人之友 - 婦人之友社(1908年 - )
- 婦人公論 - 中央公論新社(1916年 - )
- 婦人生活 - 婦人生活社(1947年 - 1986年)
- ミセス (雑誌) - 文化出版局(文化服装学院、1961年 - 2021年)
- 家庭画報 - 世界文化社(1958年 - )
- 女性 (雑誌) - プラトン社(1922年 - 1928年)
- 婦人サロン - 文藝春秋(1929年 - 1932年)
- 婦女界 - 婦女界社(1910年 - 1950年)
参考文献
[編集]- 『戦前期四大婦人雑誌目次集成4「婦人倶楽部」』 全9巻、監修:与那覇恵子・平野晶子、ゆまに書房〈書誌書目シリーズ77〉、2006年3月。ISBN 4-8433-2066-8。