山本寛斎

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山本寛斎
生誕 1944年2月8日(71歳)
日本の旗 日本 神奈川県横浜市
著名な実績 ファッションデザイナー
イベントプロデューサー
受賞 第21回「装苑賞」
「ファッション・エディターズ・クラブ賞」
第7回「日本イベント大賞・審査員特別賞」
第7回「東京クリエイション大賞・国際賞」
第21回「民俗衣装文化功労者・国際文化大賞」
2004年「ベストジーニスト賞
公式サイト
KANSAI YAMAMOTO,Inc.
www.kansaiyamamoto.jp

山本 寛斎(やまもと かんさい、本名の読み:やまもと のぶよし、1944年2月8日[1] - )は、日本ファッションデザイナーイベントプロデューサーである。寛斎スーパースタジオ会長。太田プロダクション所属。通名で、やまもと寛斎と表記することもある。

神奈川県横浜市生まれ。岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜工業高等学校を経て、日本大学文理学部英文科中退。

1971年に、日本人として初めて、ロンドンファッションショーを開催したことでも知られる[2]。このロンドンのショーがデビューとなり、1974年にパリコレクション、1979年にはニューヨークコレクションに参加[3]フランス・パリイタリア・ミラノ米国・ニューヨークスペイン・マドリードなど世界各地の主要都市に「ブティック寛斎」を出店しファッションデザイナーとしての地位を確立、ほかタレントや俳優としての活動や、観光立国懇談会(VISIT JAPAN)、2005年「日・EU市民交流年海外事業」など、各種日本政府諮問事業の委員なども務めている[4]

経歴[編集]

幼少期に両親が離婚、3人兄弟で父方に引き取られ高知県に移る。しかし父親の育児放棄により児童相談所に収容される。その後、父に引き取られ、父方の祖母がいた岐阜市に落ち着く。この間、高知や大阪などで10数回の転校を繰り返す。父が洋服縫製業を始め、寛斎も縫製の手伝いをするようになった。そのうちに中学の友人から制服の改造を頼まれ、中学生にしてミシンを踏むようになり[5]、のちにお針子を目指すようになった。[2]そのきっかけとなったのが、映画『太陽がいっぱい』のファッションセンスに惹かれたからであった。[2]また、応援団長となり、さまざまな応援の振り付けを考えるようになった。[5]

高校へ通う折、建築科に通いたかったもののその学校にはなく、建築科と課程が同じだろうと思って土木建築科に通った。[2]実際に通ってみると、建築の基礎となる土木工事に関するものが中心とする課程で、かつ現場では賄いのおばさんしかいなかったので、挫折する経験をした。[2]

ある時、電信棒に貼ってあった第2回日本アマチュアシャンソンコンクールのポスターを見て、これに応募。[2]オクターブ違いの「愛の讃歌」で出場するも結果は鐘一つだった。[2][6]この時の優勝者が加藤登紀子で、のちに所属事務所との縁で彼女と一緒に仕事することになり、「あの時寛斎さんが受からなくてよかったね。だから今、私たちの舞台に来て、挨拶ができるようになりました。」と感謝されており、以後親しい友人となっている。[2]

大学進学のため、上京。横浜で洋裁教室をしていた実母と再会し、ここで装苑賞の存在を知り応募に至る。その後コシノジュンコ、細野久などのデザイナーの下で働いた後、1971年に独立して、株式会社「やまもと寛斎」を設立した。同年、ロンドンで、日本人初となるコレクション 『Kansai in London』を実施した。1973年には、デビッド・ボウイのステージ衣装も手がけ、1975年にはパリで既製服のコレクションを発表した。

また、山本は2010年に開業した日本の京成電鉄成田スカイアクセス新AE形の車輌デザインを担当したが、車体色の選定は候補の7色を直接車両に塗って行ったという[7]

家族[編集]

  • 娘 - 山本未來(女優)
  • 婿 - 椎名桔平(俳優)
  • 弟 - 山本斎彦(やまもと よしひこ、寛斎スーパースタジオ副社長)

(他、実弟が一人)

主なデザイン作品[編集]

著書[編集]

  • スーパーファッション(講談社、1974年
  • 寛斎完全燃焼(新潮社、1983年
  • 寛斎 鉄丸全行動-未来へ向けて(筑摩書房、1987年
  • 山本寛斎 ハロー・自己表現-別冊課外授業ようこそ先輩(KTC中央出版、2000年
  • 死にゃしない! OK!!(日本実業出版社、2004年
  • 熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条(PHP新書、2008年

パフォーミング・アート[編集]

山本寛斎は「KANSAI SUPER SHOW」という名称で、ファッション、音楽、舞台芸術を混合したパフォーミング・アートのイベントを開催している。

テレビ[編集]

映画[編集]

CM・広告活動等[編集]

特記事項[編集]

出典[編集]

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  1. ^ 2月8日は山本寛斎の誕生日です』 2014年2月8日 FASHION HEADLINE
  2. ^ a b c d e f g h 渋谷LIVE! ザ・プライムショー」、2013年3月13日放送、WOWOW制作[要高次出典]
  3. ^ 【インタビュー】山本寛斎の"第2ステージ" ブランドを再開する理由は』 2014年1月1日 Fashionsnap.com
  4. ^ 山本寛斎(やまもと かんさい)とは』 - コトバンク
  5. ^ a b 2010年1月4日朝日新聞[要ページ番号]
  6. ^ 当該コンクールでの優勝の副賞がパリ行きのチケットで、その当時の寛斎は芸術の街であるパリに憧れており、棚ぼたで優勝できるかもしれないと思っていた。そのため、何の心得もなく出場しており、選曲とキーをピアニストに一任していた。出典:「渋谷LIVE! ザ・プライムショー」、2013年3月13日放送、WOWOW制作[要高次出典]
  7. ^ 「デザインは山本寛斎 - 京成、「新型スカイライナー」のデザインを発表」 - マイナビニュース 2008年4月9日発信(2015年1月9日閲覧)
  8. ^ “京成電鉄の制服イメチェン”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2010年5月19日). オリジナル2010年10月27日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20101027025446/http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/100519/chb1005192128008-n1.htm 

外部リンク[編集]